時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

最近の社会面の記事から

2008年05月31日 | 社会問題
江東区のマンションで、会社員の女性が同じフロアに住む派遣社員の男性に殺されて、遺体が切断のうえ廃棄される事件があった。
痛ましい事件である。これからの夢もあっただろうと思うと気の毒というほかはない。被害者の冥福をお祈りしたい。
さて、この事件に接して、いくつか感じたことがある。今回の事件で、加害者による被害者への補償はどうなるのだろう?加害者の財産がそれほどあるとは思われないし、加害者は未成年ではないので、加害者の親には補償の責任はないだろう。とすれば、国から犯罪被害に対する多少の補償が出て終わるのだろうか。踏んだり蹴ったりである。
また、このマンションのオーナーも気の毒である。事件のあった部屋でも構わないという入居者もいるかもしれないが、おそらく近所でも話題になるし、このマンションに住む他の居住者も転居する可能性が高い。家賃を値下げしなければならないかもしれない。
こういう被害に対して、何か補償があるのだろうか。おそらく泣き寝入りになるのだろう。こういう所にも被害者が存在するということを知っていただきたいと思っている。同時に、こういう被害者への救済措置も政府の責任で実現して欲しいと思っている。

松本市の体育館で、柔道の乱取りのけいこをしていた県中部の小学6年の男児(11歳)が体調不良を訴え、市内の病院に運ばれたが、男児は急性硬膜下血腫で意識不明の重体だという。指導者の自営業男性(35)に柔道技で畳の上に投げられた直後だったという。
男児は昨夏に柔道を始め、男児の母親は「最近上達して楽しく練習していた」と話しているという。詳しい状況は報じられていないが、特別なシゴキやいじめなどではなさそうである。
本人にはもちろんこと、指導者にとっても誠に不幸な事故である。
スポーツには、絶えずケガなどがつきものである。どれほど注意していても、日射病や熱中症、心臓震盪、骨折などの事故を完全に避けることはできない。命に関わるような事故もけっして少なくはない。
プロスポーツのように日常的に鍛え抜かれた選手でも事故は避けられない。
昔のようにしごきや過酷な練習はほとんど陰を潜めていると思われるが、指導者は、どんなに注意していてもどんなに正しく練習していても事故は起きるということを正しく認識して、対策を講じておく必要があるだろう。また、選手自身もその点を自覚し、自らの体調管理も含めて、事故に対する認識を新たにして欲しいと思っている。

後期高齢者医療制度:高齢者からの質問に答えて

2008年05月30日 | 医療・社会保障
テレビや新聞を見ていると、後期高齢者医療制度に対して、高齢者からはさまざまな疑問の声が報道されている。そこで今日は編集長がこれらの声に、わかる範囲で回答したいと思う。

<Q1> この制度は、まるで高齢者は早く死ねと言わんばかりの制度ではないか?
<A1> はい、その通りです!自民党や公明党は、高齢者に長生きをしてもらいたいとは、これっぽっちも考えていません。それどころか、一刻も早く死んで欲しいとさえ思っています。
なぜなら、高齢者のほとんどは納める税金よりも医療や年金などにお金がかかるので、政府の持ち出しになるからです。「金の切れ目が縁の切れ目」と、自民、公明の国会議員は考えています。

<Q2> 前に比べて、保険料の負担が2倍になった。どうやって生活すればよいのか?
<A2> 年寄りはカネを持っているから、相応の負担をするのは当たり前だと、自民党や公明党は考えています。それどころか、年寄りがおカネを溜め込んで使わないから、景気が良くならないと思っているくらいです。ですから、彼らは保険料が2倍くらいになっても、高齢者はまったく生活には困らないと本気で思っています。

<Q3>75歳以上の医療費は、定額になるというが、今までどおりの治療が受けられるのか?
<A3>審議会に厚生労働省が提出した資料には、「75歳以上の高齢者はいくつもの疾患に罹っており、痴呆症状もある。そしてやがて避けられない死を迎える」ことが明記されています。
要するに、呆けた老人のあれこれの病気をまじめに治療しても、どうせ死んでしまうのだから、それ以上の治療をしても無駄だと自民党や公明党は考えています。だからこそ、毎月6000円を限度に治療をすれば十分であると彼らは思っています。ちなみに、現時点における75歳以上の高齢者の平均治療費は、約7000円です。大変残念ですが、確実に今よりも低いレベルの医療しか受けられなくなります。

<Q4>どうすればこんなひどい制度をやめさせることができますか?
<A4>こんな制度を作ったのは、自民党と公明党の政権です。今まで、こういう政党を応援してきた、投票してきた人たちが、これらの政党に投票しなくなれば、この制度をやめさせることができます。民主、共産、社民の野党は、元の医療制度に戻すよう国会で協力して法案も提出しています。全国の医師会なども医療の質が落ちるということで大反対しています。こういう反対の世論を大きくしていくことが大切です。皆さんの周りでも、反対の署名などをしている人たちがいたら、協力してあげましょう。

最後に、「とんでもない制度を作ってしまった」と自民党や公明党も自覚しているので、低所得者の負担を軽減したり、実施を延期したり、いくつかの修正を検討していますが、こんなものはごまかしに過ぎませんし、制度の本質は隠しようもありません。これからは、稀代の詐欺政党である自民党や公明党には絶対にだまされないように気をつけましょう。

信じられない医療器具の使いまわし

2008年05月29日 | 医療・社会保障
島根県などの医療機関が血糖値測定用の針付き採血器具を使い回していた問題で、同県は、医療機関(810施設)の緊急調査の結果、計54施設で同種器具を複数患者に使用していたと発表した。
最初に発覚した診療所以外は、いずれも針は交換していたという。
他府県でも同様の問題が相次いでおり、福井県勝山市では、2006年9月~今年2月に行った糖尿病の予防教室などで、複数の人に使うことを禁じられた採血器具を計41人に使い回していたことがわかったという。
京都府は、府山城北保健所(京都府宇治市)で2006年9月と2007年2月に開いた健康セミナーで、共用禁止の器具を受講者22人に使い回していたと報道されている。
また、他県でも同様の報告が相次いでいる。
食材の使いまわしも衛生上極めて問題があるが、医療器具の使い回しはその比ではない。
ここ10年以上にわたって、HIVや肝炎など、血液を介してさまざまな感染症の拡大が報じられているにもかかわらず、未だにこのようなお粗末な対応がなされていたということはまったく信じがたいことである。
使い回しができないような製品上の工夫はできなかったのだろうか。あるいは、医療機関のスタッフも、このような器具の使い回しがどのような結果を招くのか、想像できなかったのだろうか?まったく不勉強としか言いようがない。
既に、この器具の使いまわしによる肝炎などの発症も確認されているようだ。
全都道府県で、当該医療器具が使用されている医療機関を直ちに調査し、この中で、使いまわしを行った医療機関名を公表し、これらの該当医療機関を受診して、この医療器具を使用した可能性のあるすべての患者に対して、ただちに検査を行うべきである。
さらに、使いまわしによって感染が確認された患者に対しては、早期に必要な治療を行うよう対策を講じるとともに、被害者への救済措置を直ちに確立すべきである。

説得力のない環境大臣の提案

2008年05月28日 | 環境・食料問題
神戸市で開かれていたG8環境相会合は26日、議長の鴨下環境相が、温室効果ガスの排出を「世界全体で2050年までに半減する」という長期目標について、7月の北海道洞爺湖サミットで合意するよう求めることを盛り込んだ議長総括を発表し、閉幕した。
議長総括は、G8と中国、インドなど主要排出国を含む18か国の環境相の共通認識をまとめたもの。昨年のドイツ・ハイリゲンダムサミットでは「真剣に検討する」との表現にとどまった「50年半減」について、「多くの国は、洞爺湖サミットで(ドイツでの)合意より踏み込み、長期目標に関する共有ビジョンに合意することについて強い意志を表明した」とし、主要国首脳が議論を進展させることを強く求めた。
その上で「先進国が大幅な削減を達成することによって主導しなければならない」として、先進国は「50年半減」より高い目標を掲げる必要性を表明した。
長期目標を達成するために「現在の社会経済構造を変え、低炭素社会に移行することが不可欠」とし、すべての国が革新的技術に加えてライフスタイル、生産、消費のパターンを改革する必要があるとも指摘した。
鴨下氏もずいぶんと立派なことを発言するものだ。
京都議定書で決めた2008年から2012年の間に、1990年時点の排出量から6%削減するという目標すら達成できておらず、逆に現時点では6%も温暖化ガスの排出量を増やしている日本がそんな大それたことを言って大丈夫だろうか?
42年後に半減するという目標よりも、当面現在の水準よりも12%削減することのほうが重要である。この12%削減の徹底的な実施の中で、50%削減の展望も見えてくるはずだからである。
2008年から2012年の間に、日本は現在からさらに12%も削減しなければならないのに、その擬態的な方法さえ環境省は明らかにしていない。
どうせ、あと1年すれば政権も崩壊し、環境大臣も変わるだろうから「どうにでもなれ」と思っているというのが本音であろう。
地球環境という、この大問題について、残念ながら日本は十分なイニシアチブを発揮できていない。それどころか、積極的な取り組みを続ける西欧諸国の取り組みから見れば、むしろ足を引っ張る存在に成り下がっているというべきであろう。
ところで、2050年までに50%削減の目標については合意が得られたが、2020年へ向けた中期目標に具体的な数値を盛り込むのは見送られた。
議長国がこの有り様だから、当面の目標が決まるはずがない。自公政権得意の「先送り」の結論となった。

トヨタがQC活動「カイゼン」に残業代支払い

2008年05月24日 | 社会問題
トヨタ自動車は、生産現場の従業員が勤務時間外にグループで取り組むQC活動である「カイゼン」活動について、残業代を全額支払うことを決めた。月2時間までとする残業代の上限を撤廃する。「自主的な活動」としてきたカイゼン活動を「業務」と認定する。労働組合も了承しており、6月から実施すると報じられている。
しかし、この決定は遅すぎるだろう。
「カイゼン」活動は、生産現場の従業員がグループ単位で改善提案に取り組むQCサークル活動であり、従業員のアイデアや知恵を引き出す取り組みで、1964年から半世紀近く続いている。この活動に対して、現在は月2時間まで残業代を支給するが、2時間を超える賃金は原則支払っていない。しかし、QC活動の成果が人事評価の対象にされている実態があり、社員やその家族から事実上「強制された業務」との批判の声が上がっていたという。
昨年12月には、豊田市の堤工場の元従業員の男性(当時30歳)が急死したのは過労死だったと認める名古屋地裁判決が確定した。この判決では、QC活動の時間も「使用者の支配下における業務」と指摘している。この男性は亡くなる直前の4カ月間で16時間をQC活動にあてていたが、実際は土・日や有給休暇もつぶして資料作成などでサービス残業をしていたとされている。
このように、「カイゼン」活動を通じて、業務効率を上げ、それによって利潤を得るのは会社である。にもかかわらず、それをほとんど無給で全労働者に強制していたわけだから、「世界のトヨタ」として極めて恥ずべきことである。
丁稚奉公のような制度が半世紀にもわたって続けられてきたことを、世界の人たちはどのように見るだろうか。
トヨタは、6月からこのようなやり方を「改善」するとしているが、判明している分については過去に遡って支給するのが当然ではなかろうか。
QC活動やサービス残業は、全国の製造現場にも蔓延していると思われる。企業の言いなりでは、労働者の生活は改善できない。企業の不合理な対応については、これからも声をあげることが大切であろう。

四川大地震:人のふり見て・・・

2008年05月23日 | 政治問題
政府・与党は、公立小中学校の耐震化を促進するため、地方自治体への補助を拡充する方針を固めたそうだ。
中国の四川大地震で多くの校舎が倒壊したことを受けての措置だという。
「人のふり見て、我がふり直せ」の諺どおりである。日本政府に中国を笑う資格はない。
文部科学省によると、昨年4月の時点で、全国の公立小中学校の施設約13万棟のうち、約5万4000棟が震度6強以上の地震で倒壊の恐れがあるか、もしくは耐震診断が実施されていないという。
何とも情けない話ではないか。
空港や港湾、ダムや高速道路などに多額の税金をつぎ込む前に、なぜ、国民の安全を守る事業に税金を投入できないのだろうか?
国民の命に関わる事業に真っ先に予算をつぎ込むという「視点」が根本的に欠けているのがこの国の政治手法である。
そういう政治手法を許し、認めてきた国民、正確に言えば、自民党や公明党に熱烈に、あるいは漫然と投票し続けてきた国民の責任でもある。
地震が起き、子供が校舎の下敷きになってから政府を非難しても手遅れである。
今から批判の声をあげることが、こういう不幸を生み出さない最大の保証であることは言うまでもない。

宇宙の軍事利用は許されない

2008年05月22日 | 政治問題
非侵略目的での宇宙の軍事利用を可能にする宇宙基本法が21日の参院本会議で、自民、民主、公明の3党などの賛成多数で可決、成立した。
日本の宇宙開発は、1969年に平和目的に限定する国会決議が採択されたことを踏まえ、政府も「非軍事」に限定してきたが、今回の基本法はそれを真っ向から踏みにじる法律である。
同法は、核兵器などの宇宙への配置を禁じた国連宇宙条約や、憲法の専守防衛の理念を踏まえて宇宙の開発利用を行うことを強調。その目的として〈1〉国民生活の向上〈2〉人間の生存に対する脅威の除去〈3〉国際社会の平和と我が国の安全保障に資する--ことを挙げ、安全保障に宇宙開発を活用することを明記したが、そもそも「安全保障」という呼び名は「軍事利用」に他ならないものである。
非侵略に限定しているといういいわけも聞こえているが、太平洋戦争さえ、「大東亜共栄圏」の建設を目的としたもので、「侵略ではない」という論理が、一部の人間から現在でも公然と主張されていることから考えれば、「侵略にあらず」の歯止めは何もない。
また、軍事目的のための宇宙開発に協力する民間企業に対しては税制上、あるいは金融上の優遇措置を設けるという。
驚いたのは、こういう宇宙開発について、自民、公明だけでなく、野党の民主党も諸手をあげて賛成し、委員会での審議がわずか2時間で成立したことだ。
民主党の期待するものはほとんどないが、「ねじれ国会」の中であまりに易々と可決されたことには失望するばかりである。
アメリカを同盟国と規定し、日米安保を軸に外交を行うという姿勢に、与党も民主党もまったく違いはないということである。
自公政治への期待は何もないが、民主党政権になっても、けっして大本は変わらないことを、この法律の成立を通じて実感した。

税金を出さずに、口だけ出す大企業と経団連

2008年05月20日 | 経済問題
日本経団連(御手洗冨士夫会長)は、「社会保障制度改革に関する中間とりまとめ」なる提言を発表した。基礎年金の全額税方式化や、医療・介護保険分野で公費負担を増やすよう主張、その財源として消費税を充てるよう求めた。経団連は制度ごとに議論を深め、今秋に最終的な提言をまとめるという。
提言では、年金保険料の未納問題や少子高齢化に伴う世代間の負担の不公平感などから、「社会保障制度の骨格を根本から改めることが不可避」と指摘。年金制度については、基礎年金の全額税方式化を「有力な選択肢」と明記した。高齢者医療と介護保険は「かなりのスピードで給付は増えざるを得ない」として、公費の投入割合を増やす方向で見直すよう求めた。
財源については「国民が広く負担を分かち合うことが可能」として消費税を挙げ、目的税化することで「財源と給付の関係が明確になる」と主張した。基礎年金の国庫負担を2009年度に2分の1に引き上げる政府の方針については「安定的な財源を確保することが求められる」として、消費税の引き上げを求めたという。
その一方で、経団連は一貫して法人税率の減税を求め続けている。
まったく矛盾した態度ではないか。
以前からたびたび指摘しているように、消費税ほど不適切な税金はない。消費税について、「国民が広く負担を分かち合うことが可能」などと述べているがとんでもない嘘っぱちである。
収入が多いからといって、一般庶民の何十倍ものご飯を食べる人間はいない。収入のほとんどを消費してしまう一般庶民と収入の一部分で生活できるごく一握りの富裕層の税負担を比較すると、実質的な消費税額はそれほど変わらないだろうが、生活に与えるダメージは、低所得者ほど大きくなるのは周知の事実だ。
したがって、「広く負担」などという言葉にけっしてだまされてはならない。
自らの企業活動については減税を要求しながら、国民負担を増大させる今回の提案は、厚顔無恥も甚だしい。
一般庶民が感じているのは、世代間の不公平ではなく、大企業がボロもうけをしているにもかかわらず、労働者に低賃金を押し付け、下請け単価などを極限まで切り詰めていることである。その結果として、さまざまな格差が生まれていることに、多くの国民は気づき始めている。
ここにメスを入れることこそが現在求められていると思われる。

四川省の大地震

2008年05月17日 | 社会問題
今回の地震によって、多数の死傷者が出た四川省の農村地区の様子が新聞などで報道されている。
がれきの山を重機で取り除きながら、雨の中を昼夜を分かたず不明者の捜索を続ける姿やたまたま通りかかった道で、顔面にケガをした見知らぬ小学生(7歳)を捨てておけず、バイクに乗せて治療を求めにやって来た男性の姿なども報じられている。また、崩れゆく校舎に入って、何名かの子供たちを救出しながら、自らは出血多量で亡くなった新任教師の美談も伝えられている。
極限の状態にあっても、人間としての理性の発露を見る思いで、この種の記事を見ている。日本でも、阪神大震災や上越地震の際によく見かけた行動である。
その一方で、目を塞ぎたくなるような記事もある。
住民たちが支援物資を積んだトラックを止め、荷台の物資を奪い合う事態が発生したそうだ。
幹線道路沿いに住民約100人が集まり、「災害支援」と書かれた横断幕をつけたトラックを無理やり停車させ、荷台に積んであった飲料水を箱ごと奪った。さらに、制止に入った公安車両の窓ガラスを飲料水の容器でたたく住民もいた。住民の1人は「被災者なのに誰も助けてくれない。奪って何が悪い。」と怒りをあらわにしたという。
地震後、停電と断水が続き、食料が不足するなか、政府の支援が遅れていることに被災者の不満が高まっていることが背景にあると報じられている。
数キロ離れた別の地区でも、この日初めて到着した支援物資に住民たちが殺到。支援者の制止を振り切り、ゆで卵や飲料水などを奪ったという。
建物が全壊している地域では、自宅にある食料も持ち出せず、その日の食料さえ手に入らないという状況は理解できるし、病人や子供、高齢者などの弱者にさえ食料や水がないという極限の状況の中での行為であることは理解できるが、「奪って何が悪い。」と言われると、釈然としないものを感じる。
阪神大震災や上越地震でも、多くの被災者が肩を寄せ合って助け合う一方で、「火事場泥棒」を働く不届き者がいたり、食料を法外な価格で販売した商店があったことも事実である。
極限の状態において人間の理性がどのように働くのかは、日常生活の中では想像もつかない。支援物資のトラックから支援物資を強奪した人たちを頭から非難する資格は、誰にもないように感じられる。
最近も、関東地方で小規模な地震が続いている。
日本では、いつどこで大規模な地震や火山の噴火があってもおかしくはない。また、ミャンマーのような大規模な水害が発生する危険性も高い。
大規模な災害の中では、被害者は「自分」だけではない。自分よりももっと悲惨な被害を受けた人たちがたくさん発生する。このような時に、少なくとも数日間は、公的な支援を期待しても仕方がない。混乱の続く数日間は、国や自治体の援助を過大に期待してはならない。
どのような災害に見舞われても、家族や隣近所で必要な物資を分け合うことができるような最小限度の準備を各家庭で整えておくべきであろう。
被災者になった時に、少なくとも自分と家族だけでも見苦しいマネをしなくて済むように対策を立てておきたいと思っている。

「蟹工船」悲しき再脚光、売り上げ5倍

2008年05月16日 | 社会問題
プロレタリア文学を代表する小林多喜二(1903~1933)の「蟹工船・党生活者」(新潮文庫)が、今年に入って“古典”としては異例の2万7000部を増刷、例年の5倍の勢いで売れている。
過酷な労働の現場を描く昭和初期の名作が、「ワーキングプア」が社会問題となる平成の若者を中心に読まれていると報じられた。
「蟹工船」は世界大恐慌のきっかけとなったニューヨーク株式市場の大暴落「暗黒の木曜日」が起きた1929年(昭和4年)に発表された小説である。オホーツク海でカニをとり、缶詰に加工する船を舞台に、非人間的な労働を強いられる人々の暗たんたる生活と闘争をリアルに描いている。
文庫は1953年に初版が刊行され、今年に入って110万部を突破。丸善丸の内本店など大手書店では「現代の『ワーキングプア』にも重なる過酷な労働環境を描いた名作が平成の『格差社会』に大復活!!」などと書かれた店頭広告を立て、平積みしている。
多喜二没後75年の今年は、多喜二の母校・小樽商科大学などが主催した「蟹工船」読書エッセーコンテストが開催され、若者からの応募も多かったという。
この小説の特徴は、特別な主人公がなく、しいて言えば、労働者集団を主人公に描いていることである。この点、異質な小説である。
私の記憶が正しければ、「地獄さ行くんだで。」で始まる小説である。
過酷な蟹工船での労働条件の中で、労働者はついに蜂起するが、味方だと信じた駆逐艦から派遣される兵士によって最終的には弾圧されてしまう。資本家階級と当時の軍部の癒着、あるいは、軍隊という「権力」が所詮は資本家という支配階級のためにのみ機能していることも巧みに描き出している。最終的には弾圧される労働者であるが、この事件が労働者たちを新たな闘争への決意に駆り立てていくという形で結ばれている。
当時の状況を労働者の立場からリアルに描き出した名作である。
新潮文庫には「党生活者」も収められているようだが、こちらも非合法下で共産党員として地下活動を行う多喜二自身の姿が描かれている。母親とのわずかな出会いの場面が印象に残っている。癖のある多喜二の背に向かって、母親が「すぐにわかる」という言葉を繰り返す場面が妙に記憶に生々しい。これが多喜二と母親の今生の別れとなったであろう。
さて、読売新聞は、「悲しき」?再脚光と報じているが、ワーキングプアなど、現代の若者の働き方(正確には、企業による若者の働かせ方)と相まって、共感が広がっているものであり、この小説が極めて現代的な意味を持つとの評価を受けている証左であろう。
芥川賞や直木賞などの受賞作とは根本を異にする内容に新鮮さを覚えるのかもしれないが、編集長は、最近の作家の中に、現代のワーキングプアや格差の拡大などをテーマにその本質を鋭く抉り出した小説があまり存在しないことを大変残念に思っている。
だからこそ、小林多喜二への回帰となって現われているのではないかと思われる。
若い作家(若くなくても良いが、)が、現在の労働現場の問題、たとえば男女差別、リストラや過密労働、派遣社員や契約社員、非正規雇用や偽装請負、サービス残業や企業による給料のピンハネ、・・・などをテーマにした小説に挑戦されることを切望している。

後期高齢者診療科の登録は、診療所の14%

2008年05月15日 | 医療・社会保障
後期高齢者診療科(担当医制)を登録した内科診療科数が明らかになった。
それによると、現在、63,286診療所のうち、8,876診療所(約14%)が名乗りを上げているという。
後期高齢者医療制度では、診療報酬が月額6,000円(1割は患者負担)の定額制になるため、もし、6,000円未満の診療報酬で治療が可能な患者の場合は、診療所として損失は発生しない。たとえば、3,000円、4,000円分の治療しかしなくても6000円が支払われ、診療所としては「もうかる」ことになる。一方、合併症などの治療で、6,000円以上の治療が必要な場合でも、診療報酬は6000円しか支払われず、この場合は診療所の持ち出しになる。
名乗りをあげた14%の医療機関には、どのような思惑があるだろう。
一つは、比較的に軽症の患者が多いので、1人当り6,000円の定額報酬が入れば、全体としては十分に採算が取れると判断している診療所である。
もう一つは、重症の患者が多く医療費は6,000円以上かかるが、仮に診療所の持ち出しになったとしても定額の6,000円で今までどおりきちんと治療しますよ、という親切な診療所である。
こういう診療所は、良心的な方であろう。
更にもう一つ、最悪のケースでは、どんな重症であっても、定額の6,000円までしか治療しませんよ、という診療所であろう。6,000円分の治療が終われば、結果的には、翌月までは診療拒否でほったらかしということも考えられる。定額の診療に達したら、後は、別の病院で診療を受けて下さい、というケースもあり得るだろう。
後期高齢者診療科(担当医制)を登録した診療所は、いったいどういう思惑があって、登録を申し出たのだろうか?
30都道府県の医師会は、後期高齢者医療制度を「粗診粗療で済ませる制度」、「受診制限になる」という理由で、反対を表明しており、傘下の診療所に対して、後期高齢者診療科(担当医制)に登録しないように呼びかけている。
ちなみに、現時点での75歳以上の高齢者にかかる診療料は6,980円と言われており、定額の6,000円を超えている。
すなわち、もし、全国的にこの定額診療が普及すれば、75歳以上の高齢者への治療は確実にレベルダウンすることになる。
最先端の医療が受けられない制度、年齢によって差別される制度は、どう考えても異常である。しかも、後期高齢者が必要な治療を受けられないことによって困るのは、本人ばかりではなく、その子供や家族であろう。また、いずれは全ての国民が対象になることも念頭に置いておくことだ。
制度の対象になっている高齢者のみならず、今後の日本の医療制度そのものを左右する重大問題である。
広く国民の中にこの制度の本質が明らかにされ、制度そのものの廃止の世論が高まることを望んでいる。

三菱東京UFJ銀行:システム統合でやっぱりトラブル

2008年05月14日 | 経済問題
先日のネットニュースで、以下のような報道があった。
「三菱東京UFJ銀行の新システム移行でトラブルが発生したことは、統合作業のずさんさを露呈した。同行は、旧東京三菱銀行と旧UFJ銀行のシステムの完全統合を最大の経営課題と位置づけ、作業を進めてきた。しかし、トラブルは担当した技術陣の“死角”を突く形で発生。提携金融機関の顧客も巻き込み、統合作業への金融界や消費者の懸念を増幅させた。今後もトラブルが続けば、同行に対する信頼が低下し、顧客離れにつながる可能性も否定できない。」
さて、編集長も、旧UFJ銀行でもう25年来の取引がある。昨年の夏に近所の支店(旧東京三菱銀行の支店)に定期預金を預けに行った際に、「旧UFJ銀行の支店では預金できるが、旧東京三菱銀行の支店では預金できない」と断られたという記事を以前に書いておいた。
同一銀行を名乗りながら、書類やシステムはバラバラで、支店によって一定のサービスが受けられないという状況が続いていたわけである。
三菱東京UFJ銀行と取引する際は、それが元々はどちらの銀行の支店だったかがわかっていないと、特定のサービスを受けられないということになる。
それぞれの支店には、元〇〇銀行などという表示はないから、店舗に入って、「元は何銀行だったのでしょう?」と尋ねる以外にどうしようもない。同じ看板を掲げていながら、こんな銀行が一体どこにあるだろうか?
当然同じ銀行の支店なので取り扱いができるだろう、と思っていると、さにあらず。これは顧客にとっては極めて不親切な対応である。
このような元の両行のシステム上の違いを統一すべく、今回のシステム統合に踏み切ったわけだが、結果は報道の通りである。
昨年、こういうトラブルを経験していたので、今回のシステム統合作業のトラブルについては、「やっぱり」という印象しか持っていないが、統合後に、何年も準備した挙句の今回のトラブルについては、顧客の1人として呆れるほかはない。

社会保障費の増加:「増税」は不可避

2008年05月13日 | 政治問題
2009年度予算での社会保障費の抑制をめぐる政府・与党の攻防が激しさを増してきたと報じられている。
厚生労働省は「削減策は限界にきている」として年間2200億円ずつ抑制する政府目標の見直しを要望、与党内にも同調論がある。一方、財務省や内閣府は「歳出削減路線の転換につながる」と警戒を強めているという。
「これ以上削り込めといっても無理だ」。9日午前、自民党の尾辻秀久参院議員会長や鈴木俊一社会保障制度調査会長ら厚生労働関係議員は幹部会合を都内で開催。社会保障費の伸びを2011年度まで年2200億円ずつ圧縮する「骨太方針2006」で定めた方針の見直しを求めていくことを確認したという。
そんなことは当たり前のことである。
高齢化社会を迎え、医療や介護の費用はますます増大するのは当たり前である。
にもかかわらず、小泉政権時代に社会保障予算を毎年2200億円ずつ削減することを「骨太の方針」で決定し、以後はこれに従って予算が策定されてきた。
社会保障を論じる時に、二言目には、「財源がない」、「国民に新たな負担をお願いしなければならない」、「消費税の増税は避けられない」などの増税議論が巻き起こってくる。
そもそも、この国の政府は徴税能力を完全に失っている。毎年50兆円しか税収がないにもかかわらず80兆円近くの支出を行っているのだから、当然である。
財務省によると、国債、借入金、政府短期証券を合わせた国の借金残高は、2007年度末時点で849兆円になっている。
問題は、どこを対象に増税を行うかという、その一点にある。
ある所から取る、それしか方法はないではないか。
大企業からは、ボロもうけのうちの「ボロ」くらいは負担してもらうべきである。大企業に対するIT関連の設備投資などに対する減税措置、補助金のばらまきなども直ちに止めるべきである。
日本の総人口のわずか1%と言われる富裕層への課税は当然である。
大企業、富裕層への「増税」は不可避であり、しかも待ったなしの課題である。

後期高齢者医療の保険料、与党が免除延長を検討

2008年05月12日 | 医療・社会保障
75歳以上を対象とする後期高齢者医療制度に関して、与党は今年9月末までとなっている一部の高齢者の保険料の免除措置を10月以降も延長する検討に入ったという。今年度いっぱいもしくは来年度中まで延長する案が出ているという。ただ、延長に伴う財源も必要で、社会保障費の伸びを抑制する政府目標との調整も課題になりそうだと報道されている。
後期高齢者医療制度の導入前の今年3月末まで、会社員の子供に扶養されていた200万人が対象になるという。
しかし、節操がないこと甚だしいではないか。
つい先日は、町村官房長官が「いろいろ批判はいただいているが、制度そのものは国民に堂々と説明できるものだ」と述べ、見直しは必要ないとの認識を強調していたばかりである。
この制度の是非を問われれば、どうしようもない制度であり、直ちに廃止すべきであると思っているが、政治家としてその制度が必要であるのなら、堂々とそのように主張すればよいことである。にもかかわらず、この間の衆院山口選挙区での補選の結果に象徴されるように、国民の批判が強いことを知るや、制度の実施の先送りを行おうとする姿勢は、次の総選挙での争点を隠し、国民からの批判をかわそうという党利党略以外の何物でもなく、極めて姑息な手段と言わざるを得ない。
本制度は、収入の少ない高齢者に保険料の追加負担を求めるものであり、保険料を支払わなければ保険証の取り上げまで明記されている。また、毎月の保険点数の上限が決められており、受けられる治療まで差別されるようなトンでもない制度である。更には、75歳未満の障害者を強制加入させる自治体の存在も報じられており、制度上の欠陥も次々と明らかになってきている。
改めて制度そのものの廃止を主張しておきたい。

日本の富豪40人

2008年05月10日 | 政治問題
米経済誌「フォーブス」(アジア版)が発表した日本の富豪40人では、ゲーム機「Wii」が好調で保有株式の価値が大幅増となった任天堂の山内溥相談役が保有資産78億ドル(約8100億円)で2005年の発表開始以来、初の1位となったという。
昨年1位だった不動産業の森トラストの森章社長(77億ドル)は資産は増えたものの、2位に後退し、3位には、新型機の投入などで業績が回復した大手遊技機器メーカーSANKYOの毒島邦雄相談役(54億ドル)が入ったという。
富豪40人の平均年齢が66歳と、中国やインドと比べて高齢化が進む中、ソーシャル・ネットワーク・サービスの「mixi」を運営するミクシィの笠原健治社長(7億4千万ドル)が37位。2005年に40位に入ったライブドアの堀江貴文元社長と同じ最年少の32歳でランク入りしたそうだ。
同誌は、各自が保有する株式の時価などに基づき資産を計算。日本の富豪40人の資産総額は899億ドル(約9兆3800億円)で、ドル換算で昨年より約12%増えたと報じられている。
はてさて、世の中には、貧乏人の編集長などが思いもよらないような大金持ちがいるものである。
貧乏人の常でいつも感じるのだが、金持ちというのは、なぜお金を溜め込むのだろうか?
もっとも、そのほとんどが株式や不動産のため、おいそれと使えないお金かもしれないが、並外れて大きな家に住み、高価な家具や調度に囲まれて暮らすことは、貧乏人でも憧れる暮らしかもしれないが、この富豪たちが所有している金額は、そんなことでは使い切れないくらいの大金である。
そんなに貯めてどうするのかということを、一度尋ねてみたいと思っているが(たぶん機会はないが)、貯めること自体が人生の目的、目標になっているのだろうと類推するほかはない。
溜め込んだお金を有効に使えば、もっと人間としても尊敬され、社会にも貢献できるのではないかと思うのは、貧乏人のひがみかもしれない。貧乏人だって、もし多額のお金が手に入ったら、これを社会のために役立てようなどとはけっして思わなくなるだろうという人がいるかもしれないが、編集長はけっしてそうは思わない。
災害などが起きた時に、あちこちで支援のための募金が行われるが、金持ちがこういう際に多額の募金に応じたという話はほとんどない。たとえ金額は少なくても、こういう募金に積極的に応じるのは、むしろ貧乏人であり、一般の庶民であろう。
さて、発表された日本の上位40名の富豪は、昨年と比べて資産を12%増やしたという。
所得が伸び悩み、物価高で苦しむ庶民とは雲泥の差である。こういう数字にも、日本の格差社会の広がりを感じるのは編集長ばかりではあるまい。