時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

死生感について国民的な討論を

2009年07月14日 | 医療・社会保障
臓器移植法のA案が成立した。
脳死を人の死とするかどうかについては、医学的、倫理的にまだ多くの問題がある。
それを、移植する際には、「人の死」と規定するということを、国会の多数決で決定するというやり方が望ましいのだろうか?
移植を待つ小児患者の家族らからは、改正移植法の成立に対して、歓迎の言葉が溢れた。欧米では当たり前に行われていることが、なぜ日本で実施できないのかという意見も多い。また、日本では、医学も格段に進歩しており、成功する確率もはるかに高いだろう。
一方で、「脳死」と判定されながら、その後も数年にわたって「生き続け」、身長が10センチも伸びたという自身の子供の例をあげながら、脳死段階での移植には反対を主張する家族もいる。体も温かく、髪も爪も伸び、身長まで伸びて成長する子供から、どうして臓器を摘出することができるのか、という声にも我々は耳を傾けなければならない。
こういう両者の見解の違いの存在は、国民の中で、脳死を人の死とすることへの合意が得られていないことの反映である。また、個々人の宗教観、死生感、倫理観の違いであり、埋めがたい溝であり、最終的には同意を得ることが困難なのかもしれない。
もし、このような状態で、とりあえず法律だけを整備したとしても、果たしてスムーズに脳死移植が進むだろうか?法律倒れになるのではなかろうか?
だからこそ、多少時間はかかっても、もっと国民の中で、脳死移植に対する議論を深め、結果として、賛否が半分ずつに分かれてもよい。国民一人ひとりがこの問題について自分なりの意見、考えを確立し、そういう場面に出くわした時に、自分自身や家族が納得して、決断ができるような状況を国民意識の中に広げることが必要であろう。
そういう状況が作り出されていないにも関わらず、法律だけ整備しても、結局は、移植は進まないというのが、この間のいわゆる成人での臓器移植法の現状ではなかろうか?
1997年に、臓器移植法が施行されてから10年以上、日本では、脳死患者からの臓器移植はけっして順調に進んでいない。
その根本的な理由は、法律上の問題ではなく、国民一人ひとりが、自分自身の問題として、脳死や臓器移植の問題を考える機会に恵まれず、自分の死後に、臓器を提供してもよいという意志を表明している人が少ないということに最大の原因があると思われる。
したがって、国民の間でのこの問題に対する積極的な討論の結果、自分や家族でこの問題を話し合い、一人ひとりの意志をお互いに確認し合って、いざという時に、その意志を生かせるようにすることが大切だ。
死生感、意見の違いは当然である。絶対に臓器を提供しない、したくない人もいるだろう。一方で、死後に人の役に立つならば、とドナーになることを承諾する人もいるだろう。それで良い。
さまざまな議論の中で、自覚的に、進んでドナーになる人が増えるような討論が必要である。
そういう意味で、今回の法律は、ただ方法だけを決めたという感が否めない。現在のような臓器移植の状況では、法律ができたことで、逆に、もう議論は済んでしまったということにならないだろうか。個人的には、もっと、広範な国民的な討論を行った後に、法律を決めるべきであったと思っている。
これからは、学校で、家庭で、あるいは職場でも、議論を尽くしながら、国民人一人ひとりがこの問題について自分の意志を確立してゆくことが必要であろう。

臓器移植法「改正」案が、衆院本会議で可決

2009年06月18日 | 医療・社会保障
衆院本会議で採決に付された「改正」案は、(A)脳死は「人の死」であることを前提に、臓器提供の年齢制限を撤廃した上で、本人の生前の意思表示が不明でも家族の承諾で臓器提供を可能、(B)臓器提供可能年齢を現在の「12歳以上」から「12歳以上」に引き下げ(C)脳死の定義を厳格化する(D)15歳未満の臓器提供を家族の同意と第三者による審査を条件に可能の4つの案であった。
採決の結果、15歳未満の脳死者からの移植を認めるA案が可決された。
採決を棄権した共産党を除いた各党は、改正案の賛否は個人の死生観や倫理観に基づく問題であるとして党議拘束をかけず議員個人の判断に委ねた。その結果、A案が採択されたわけだが、各政党がいずれも統一した見解を示せないような案を提示して、どれでもいいから決めてしまおうというのは、少々乱暴な議論ではあるまいか。
専門家や患者団体、国民の意見をよく聞いたうえで、決めるべきであり、拙速な採決は慎むべきであった。
そもそも、どの時点を人の死とするかは、医学、生理学などの進歩によって日々変化しているものである。昨日までは、この状態ならば回復の見込みがないと判断された患者でも、明日には回復が可能になるかもしれない。そういう極めて微妙な問題をはらんでいる。
そういう点から見ても、最新の症例の検討も含め、確かに人の死であると断定できる境界を見極めなければならない。まして、医学的な見地だけでなく、臓器提供者の家族の問題などももっと議論すべきであろう。
いずれにせよ、採決を急ぎすぎた感は否めない。
これから、参院での採決があるが、それまでに、もっと議論を深めてほしいと思っている。

タミフルの使用の可否

2009年05月21日 | 医療・社会保障
新型インフルエンザの感染が広がっており、ニュースを見るたびに感染者の数が増えてゆく。
感染者には、タミフルなどの、インフルエンザ治療薬が処方されていると思われるが、今回のインフルエンザは弱毒性であると言われており、タミフルを使用することには疑問がある。
今年の1月には、厚生労働省よりタミフル耐性のインフルエンザウイルスについて、中間報告が行われている。この報告は、タミフルを発売している中外製薬のホームページにも記載されているが、この報告では、国立感染症研究所において今シーズンのインフルエンザウイルス(A/H1N1)について、検査した35株のうち、34株からタミフルの耐性ウイルスが検出されたという。
今回の新型インフルエンザはH1N1型である。
とすると、タミフルが効かないウイルスが含まれている可能性もある。
また、仮にタミフルが効くとしても、頻繁に使用することによって、耐性ウイルスが発現し、蔓延する危険性がある。
細菌と抗生物質のイタチゴッコのあげく、抗生物質が効かない細菌が発現していることはよく知られている。
抗ウイルス薬についても同様である。
抗ウイルス薬を使いすぎることによって、耐性ウイルスの出現を早め、さらには、ウイルス自体が強い毒性を持つウイルスに変異する可能性は極めて高い。
今回の新型インフルエンザは弱毒性であると言われているのだから、安易な抗ウイルス薬の使用は、ウイルスと治療薬との新たなイタチゴッコを生む可能性が高い。
厚生労働省も、38度以上の高熱がある、高齢者などで体力が低下している、小児、妊婦、他の合併症を有している等の一定の条件でのみタミフルを使用するといった治療指針をなるべく早く提示し、不必要に抗ウイルス薬が使われることがないようにすべきである。
ましてや、予防のために抗ウイルス薬を使用することは避けるべきである。
また、インターネットなどで、タミフルを購入し、勝手に服用するようなことは持ってのほかである。商品そのものが正規の品物であるかどうかさえ保証がないし、そもそも、医師の処方なしで使用する薬剤ではない。
いざ、強毒性の新型インフルエンザが発現した時にタミフルが効かない、といった事態に陥らないよう、適切な薬剤の使用が望まれる。
感染した人から見れば、一日も早く直したいと薬に頼る気持ちはわかるが、安易な薬の使用は、将来の自らの首を絞める結果にもなる。
インフルエンザは、症状が重くなければ、安静を保ち、十分な栄養を補給していれば自然に治る病気であることを自覚して、冷静に対応したいものである。

重症患者の救急搬送時間:ワースト50のうち12人が死亡

2008年11月16日 | 医療・社会保障
2007年に東京都で救急搬送された重症患者のうち、119番通報から医療機関に収容されるまでにかかった所要時間ワースト50のケースで、少なくとも12人が死亡していたことが、総務省消防庁などの調査でわかったと報じられている。
中には、医療機関への照会回数が33回、搬送先に到着するまでに2時間56分かかった後に死亡していたケースもあり、救急医療体制の深刻な実態が改めて浮かび上がった。
照会回数が33回に上ったのは、90歳代の女性患者で、「誤えん性肺炎」で亡くなり、搬送から死亡までの日数は2日だった。「呼吸不全」で亡くなった80歳代の男性患者は、照会回数が21回で、搬送時間は2時間32分で、死亡までの日数は1日だった。
また、死亡した12人のうち、搬送時間が長かった3人は火災や水の事故のケースという。照会回数が3回以下と少なく、発生時に通報があり、救急隊が現場で待機したため、収容までの時間が長くなったと見られる。
搬送後に回復して退院した事例でも、照会回数が50回、搬送に要した時間が4時間49分のケースや、照会回数が26回、搬送時間が4時間27分だったケースがあった。総務省消防庁によると、東京都では2007年に、転院搬送も含め約5万人の重症患者を救急搬送している。
医療機関が多い東京都でさえこのようなお粗末な実態であることが今回改めて明らかにされた。人口が多いことは理由にはならないだろう。
地方の救急体制はもっとひどいことは容易に想像がつく。
医師不足もあろうが、地域医療機関と救急医療機関との連携などを進めれば、もっと改善できることはあるはずだ。
救える命があるにもかかわらず、救えない実情はいかがなものであろう。
医療や福祉、教育、食の安全の確保など、本来は儲けを度外視して取り組まなければならないところに、思い切って税金を投入すべきであろう。民間任せでは、儲からないところは、どんどんと切り捨てられるのは明らかである。
東京都は、今回の結果をどのように受け止めているのだろうか。
オリンピック誘致などでバカ騒ぎをしている場合ではない。誘致に熱心な人間も、近親者や友人が救急医療の不備で亡くなることを想像して見ると良い。
いかにバカ騒ぎをしているか、いかに無駄な税金を費消しているか、容易に想像がつくはずである。
知事や議員の海外視察は言わずもがなである。
金融危機の影響で、税収が落ち込み、これからはますます苦しい財政運営を強いられるだろう。このような時にこそ、税金の使い道を真剣に考えるべきであろう。

裁判でなければ解決できない日本という国:薬害肝炎集団訴訟

2008年10月11日 | 医療・社会保障
薬害C型肝炎集団訴訟で、新たに全国の患者ら162人が、東京、名古屋、大阪、福岡など8地裁に一斉に提訴した。このうち約30人はウイルスに汚染された血液製剤の投与を示す記録がない。このため、出産や手術を担当した医師に裁判で証言してもらうなどして立証する予定だという。
慢性肝炎になった大阪府の主婦(56歳)は大阪地裁に提訴後、実名を公表して記者会見した。70年代に2児を出産した際、旧ミドリ十字(現・田辺三菱製薬)の血液製剤フィブリノゲンを止血用で投与され、感染したとみられる。しかし、カルテは残っておらず、当時の治療方法などを病院側に証言してもらう考えという。「カルテがなくても投与を証明できる可能性があると知り、あきらめずに提訴した。国は救済責任を果たしてほしい」と訴えたという。
全国原告弁護団によると、これまでに国と和解に至った原告506人のうち、医療記録がなくても投与が証明されたケースは1人あるという。
しかし、この国は、なぜこういう患者を直ちに救済できないのであろうか?
もちろん、医薬品による感染と偽って補償を受けようというような不届きな人間を排除するためには、こういう過程は必要なのかもしれないが、少なくとも、記録のある患者については、直ちに国の命令で、製薬企業や関連団体に補償を命じれば済む問題ではなかろうか。
とにかく、裁判で、しかも3審制という制度を「悪用」して、地裁、高裁の判決があっても、わざわざ上告し、最高裁の判断まで仰ぐということが多く、被害者が救済されるまで、何年もかかることが多い。
先日も、橋下大阪府知事が、光市の母子殺害事件に関する自らの発言で、被告弁護人に損害賠償の支払いを命ずる判決があり、自らの非を全面的に認めながらも、「高等裁判所の判断も聞いてみたい」という記者会見を見て、釈然としないものを感じたが、こういう行為こそ無駄というものではないか。
国は、国民の健康と安全を守る義務がある。現行の法律によって、救えないのなら、遡って補償できるという新たに法律を制定すれば良いだけのことである。
こういう被害者を放置しながら、一方で、インド洋では、無償の燃料(多額の税金)を投入するという愚策に固執している。
読者諸兄の家計を見れば一目瞭然だが、家族が病気で苦しんでいるのを無視して、旅行に出かけたり、趣味に大金をつぎ込んだりすることはしないだろう。
普通の庶民の感覚で、財政運営をしてもらいたいと思っている。

厚生年金記録の改ざんは100万件以上

2008年10月05日 | 医療・社会保障
舛添厚生労働相は閣議後の記者会見で、厚生年金の記録改ざん問題に関連し、これまで改ざんの疑いが濃厚としていた6万9000件以外にも、改ざんの疑いのある記録の件数が大幅に増えるとの見通しを明らかにした。
総数は100万件超となる可能性が出てきたという。
厚労相はこれまで、社会保険庁のオンラインシステムで管理されている1億5000万件のうち、〈1〉加入者の月収の記録である「標準報酬月額」(9万8000円~62万円まで30等級で示す)を引き下げる処理と、加入者を年金制度から脱退させる処理が、同日かその翌日に行われている〈2〉標準報酬月額が5等級以上引き下げられている(5等級引き下げの場合、最大15万円引き下げ)〈3〉6か月以上さかのぼって後から標準報酬月額が引き下げられている--の3条件すべてに該当する6万9000件が改ざんの疑いが濃いと説明してきた。
しかし、厚労相は、「3つの条件全部を満たさなくても、改ざんの可能性はある」と明言し、それぞれに該当する件数が、〈1〉15万6000件〈2〉75万件〈3〉53万3000件--あったことを明らかにした。延べ142万9000件になる計算となる。社保庁が公表した3条件すべてに当てはまる6万9000件と、社保庁が「件数は把握していない」とする2条件に当てはまる重複分を差し引く必要があるが、100万件超の記録改ざんが行われた可能性があるという。
年金問題については、本当に呆れるばかりだ。
与党は「100年安心」などと大宣伝し、全面的に解決するとした今年の3月までの期日はとうの昔に過ぎ去り、この時点で新たに100万件以上の改ざんが発覚したというのだからどうしようもない。
一つの問題が出て、そのウワサが静まると次の問題の発覚を報告し、それぞれの数字なども、国民から批判を受けないように、小出しにして、実態をアイマイにするという手法は、もういい加減にしろと言いたくなる。
年金手帳も、預金通帳のように、毎月の支払額を記載するようなシステムに移行し、いつでも自分が払った年金保険料がわかるようにすることが重要だ。
こういう状態では、国民の安心はいつまで経っても訪れることはない。
いずれにせよ、政府、与党は、何でもかんでも社会保険庁のせいにするが、長くこういう事態を放置してきた政府、自民党の責任は重大である。また、この間、厚生(労働)大臣を輩出してきた公明党の責任も免れない。麻生首相は、解散、総選挙を先送りしようとしているが、とんでもないことである。早期に、国民の意思を仰ぐべきであろう。

2007年度医療費、過去最高の33.4兆円

2008年07月22日 | 医療・社会保障
2007年度の医療費は前年度より3.1%増の33.4兆円で過去最高だったことが、厚生労働省が発表した概算医療費の集計でわかった。国民1人当たりの医療費は26万2千円で、いずれも2002年度以降、増え続けている。
概算医療費は、公的医療保険と公費から支払われた医療費で、70歳以上の高齢者の医療費は14.5兆円と全体の43.4%を占めた。人口の高齢化にともない、高齢者の医療費は全体の伸び率を上回るペースで増えており、2007年度も前年度より5.4%増えた。1人当たり医療費でみると、70歳以上は、75万7千円で、70歳未満の約4.7倍だったという。
しかし、考えて見れば当たり前のことである。
少子高齢化で、日本の人口に占める高齢者の割合は増え続けている。これに伴って医療費が増えるのは至極当たり前のことであり、別に驚くには当らない。
問題なのは、人口推計などから、高齢化社会の到来がわかっていながら、その準備をしてこなかった政府、与党の見通しのなさである。
読者諸兄の一人ひとりの暮らしを見てもそうであろう。
子供の教育費や老後の生活資金などは、あらかじめわかっているのだから、前もって相応の準備をするのが常識である。
したがって、日本政府も何十年も前から、高齢化社会が来るのはわかっていたわけだから、あらかじめ医療制度を整えて、高齢化に備えるべきだったはずだ。
現在の65歳以上の高齢者というのは、日本の高度成長を支えてきた人たちである。若い頃は、少々の病気や怪我でも会社を休むこともせずに、猛烈に働いた世代である。もちろん、それにふさわしく、十分すぎる健康保険の保険料を納めてきた世代である。
にもかかわらず、自分たちの世代が医療を受ける段になると、政府の無策によって、「カネがない」というわけだから、納得できないのは当たり前である。
これからますます高齢化が進展する。
道路や空港、港湾などの大型開発や軍事費、米軍への思いやり予算、大企業への補助金を思い切って削れば、医療や介護、教育の費用はいくらでも捻出できる。こういう政策への転換を強く希望したい。

後期高齢者医療制度:高齢者からの質問に答えて

2008年05月30日 | 医療・社会保障
テレビや新聞を見ていると、後期高齢者医療制度に対して、高齢者からはさまざまな疑問の声が報道されている。そこで今日は編集長がこれらの声に、わかる範囲で回答したいと思う。

<Q1> この制度は、まるで高齢者は早く死ねと言わんばかりの制度ではないか?
<A1> はい、その通りです!自民党や公明党は、高齢者に長生きをしてもらいたいとは、これっぽっちも考えていません。それどころか、一刻も早く死んで欲しいとさえ思っています。
なぜなら、高齢者のほとんどは納める税金よりも医療や年金などにお金がかかるので、政府の持ち出しになるからです。「金の切れ目が縁の切れ目」と、自民、公明の国会議員は考えています。

<Q2> 前に比べて、保険料の負担が2倍になった。どうやって生活すればよいのか?
<A2> 年寄りはカネを持っているから、相応の負担をするのは当たり前だと、自民党や公明党は考えています。それどころか、年寄りがおカネを溜め込んで使わないから、景気が良くならないと思っているくらいです。ですから、彼らは保険料が2倍くらいになっても、高齢者はまったく生活には困らないと本気で思っています。

<Q3>75歳以上の医療費は、定額になるというが、今までどおりの治療が受けられるのか?
<A3>審議会に厚生労働省が提出した資料には、「75歳以上の高齢者はいくつもの疾患に罹っており、痴呆症状もある。そしてやがて避けられない死を迎える」ことが明記されています。
要するに、呆けた老人のあれこれの病気をまじめに治療しても、どうせ死んでしまうのだから、それ以上の治療をしても無駄だと自民党や公明党は考えています。だからこそ、毎月6000円を限度に治療をすれば十分であると彼らは思っています。ちなみに、現時点における75歳以上の高齢者の平均治療費は、約7000円です。大変残念ですが、確実に今よりも低いレベルの医療しか受けられなくなります。

<Q4>どうすればこんなひどい制度をやめさせることができますか?
<A4>こんな制度を作ったのは、自民党と公明党の政権です。今まで、こういう政党を応援してきた、投票してきた人たちが、これらの政党に投票しなくなれば、この制度をやめさせることができます。民主、共産、社民の野党は、元の医療制度に戻すよう国会で協力して法案も提出しています。全国の医師会なども医療の質が落ちるということで大反対しています。こういう反対の世論を大きくしていくことが大切です。皆さんの周りでも、反対の署名などをしている人たちがいたら、協力してあげましょう。

最後に、「とんでもない制度を作ってしまった」と自民党や公明党も自覚しているので、低所得者の負担を軽減したり、実施を延期したり、いくつかの修正を検討していますが、こんなものはごまかしに過ぎませんし、制度の本質は隠しようもありません。これからは、稀代の詐欺政党である自民党や公明党には絶対にだまされないように気をつけましょう。

信じられない医療器具の使いまわし

2008年05月29日 | 医療・社会保障
島根県などの医療機関が血糖値測定用の針付き採血器具を使い回していた問題で、同県は、医療機関(810施設)の緊急調査の結果、計54施設で同種器具を複数患者に使用していたと発表した。
最初に発覚した診療所以外は、いずれも針は交換していたという。
他府県でも同様の問題が相次いでおり、福井県勝山市では、2006年9月~今年2月に行った糖尿病の予防教室などで、複数の人に使うことを禁じられた採血器具を計41人に使い回していたことがわかったという。
京都府は、府山城北保健所(京都府宇治市)で2006年9月と2007年2月に開いた健康セミナーで、共用禁止の器具を受講者22人に使い回していたと報道されている。
また、他県でも同様の報告が相次いでいる。
食材の使いまわしも衛生上極めて問題があるが、医療器具の使い回しはその比ではない。
ここ10年以上にわたって、HIVや肝炎など、血液を介してさまざまな感染症の拡大が報じられているにもかかわらず、未だにこのようなお粗末な対応がなされていたということはまったく信じがたいことである。
使い回しができないような製品上の工夫はできなかったのだろうか。あるいは、医療機関のスタッフも、このような器具の使い回しがどのような結果を招くのか、想像できなかったのだろうか?まったく不勉強としか言いようがない。
既に、この器具の使いまわしによる肝炎などの発症も確認されているようだ。
全都道府県で、当該医療器具が使用されている医療機関を直ちに調査し、この中で、使いまわしを行った医療機関名を公表し、これらの該当医療機関を受診して、この医療器具を使用した可能性のあるすべての患者に対して、ただちに検査を行うべきである。
さらに、使いまわしによって感染が確認された患者に対しては、早期に必要な治療を行うよう対策を講じるとともに、被害者への救済措置を直ちに確立すべきである。

後期高齢者診療科の登録は、診療所の14%

2008年05月15日 | 医療・社会保障
後期高齢者診療科(担当医制)を登録した内科診療科数が明らかになった。
それによると、現在、63,286診療所のうち、8,876診療所(約14%)が名乗りを上げているという。
後期高齢者医療制度では、診療報酬が月額6,000円(1割は患者負担)の定額制になるため、もし、6,000円未満の診療報酬で治療が可能な患者の場合は、診療所として損失は発生しない。たとえば、3,000円、4,000円分の治療しかしなくても6000円が支払われ、診療所としては「もうかる」ことになる。一方、合併症などの治療で、6,000円以上の治療が必要な場合でも、診療報酬は6000円しか支払われず、この場合は診療所の持ち出しになる。
名乗りをあげた14%の医療機関には、どのような思惑があるだろう。
一つは、比較的に軽症の患者が多いので、1人当り6,000円の定額報酬が入れば、全体としては十分に採算が取れると判断している診療所である。
もう一つは、重症の患者が多く医療費は6,000円以上かかるが、仮に診療所の持ち出しになったとしても定額の6,000円で今までどおりきちんと治療しますよ、という親切な診療所である。
こういう診療所は、良心的な方であろう。
更にもう一つ、最悪のケースでは、どんな重症であっても、定額の6,000円までしか治療しませんよ、という診療所であろう。6,000円分の治療が終われば、結果的には、翌月までは診療拒否でほったらかしということも考えられる。定額の診療に達したら、後は、別の病院で診療を受けて下さい、というケースもあり得るだろう。
後期高齢者診療科(担当医制)を登録した診療所は、いったいどういう思惑があって、登録を申し出たのだろうか?
30都道府県の医師会は、後期高齢者医療制度を「粗診粗療で済ませる制度」、「受診制限になる」という理由で、反対を表明しており、傘下の診療所に対して、後期高齢者診療科(担当医制)に登録しないように呼びかけている。
ちなみに、現時点での75歳以上の高齢者にかかる診療料は6,980円と言われており、定額の6,000円を超えている。
すなわち、もし、全国的にこの定額診療が普及すれば、75歳以上の高齢者への治療は確実にレベルダウンすることになる。
最先端の医療が受けられない制度、年齢によって差別される制度は、どう考えても異常である。しかも、後期高齢者が必要な治療を受けられないことによって困るのは、本人ばかりではなく、その子供や家族であろう。また、いずれは全ての国民が対象になることも念頭に置いておくことだ。
制度の対象になっている高齢者のみならず、今後の日本の医療制度そのものを左右する重大問題である。
広く国民の中にこの制度の本質が明らかにされ、制度そのものの廃止の世論が高まることを望んでいる。

後期高齢者医療の保険料、与党が免除延長を検討

2008年05月12日 | 医療・社会保障
75歳以上を対象とする後期高齢者医療制度に関して、与党は今年9月末までとなっている一部の高齢者の保険料の免除措置を10月以降も延長する検討に入ったという。今年度いっぱいもしくは来年度中まで延長する案が出ているという。ただ、延長に伴う財源も必要で、社会保障費の伸びを抑制する政府目標との調整も課題になりそうだと報道されている。
後期高齢者医療制度の導入前の今年3月末まで、会社員の子供に扶養されていた200万人が対象になるという。
しかし、節操がないこと甚だしいではないか。
つい先日は、町村官房長官が「いろいろ批判はいただいているが、制度そのものは国民に堂々と説明できるものだ」と述べ、見直しは必要ないとの認識を強調していたばかりである。
この制度の是非を問われれば、どうしようもない制度であり、直ちに廃止すべきであると思っているが、政治家としてその制度が必要であるのなら、堂々とそのように主張すればよいことである。にもかかわらず、この間の衆院山口選挙区での補選の結果に象徴されるように、国民の批判が強いことを知るや、制度の実施の先送りを行おうとする姿勢は、次の総選挙での争点を隠し、国民からの批判をかわそうという党利党略以外の何物でもなく、極めて姑息な手段と言わざるを得ない。
本制度は、収入の少ない高齢者に保険料の追加負担を求めるものであり、保険料を支払わなければ保険証の取り上げまで明記されている。また、毎月の保険点数の上限が決められており、受けられる治療まで差別されるようなトンでもない制度である。更には、75歳未満の障害者を強制加入させる自治体の存在も報じられており、制度上の欠陥も次々と明らかになってきている。
改めて制度そのものの廃止を主張しておきたい。

後期高齢者医療制度:自治体に苦情殺到!?

2008年04月17日 | 医療・社会保障
後期高齢者医療制度については、保険証の未着、保険料額の誤りなどが次々と発覚し、もうどうしようもない状態になっている。
地方自治体の窓口には、連日のように苦情や問合せの電話、訪問が相次ぎ、日常業務に刺傷がでるような状態になっている。
しかし、国民、特に高齢者は勘違いをしてはいけない。
この制度を決めたのは、小泉政権時代の自民党、公明党の両党であって、自治体の窓口が悪いわけではない。
そういう意味では、自治体や職員も、後期高齢者と同じように、被害者である。
抗議や問合せは、自治体の窓口ではなく、全国の自民党、公明党に行うべきであろう。
率直にお伝えしておこう。
自民党や公明党は、年寄りに長生きして欲しいなどとは、これっぽっちも思ってはいない。それどころか、たいした税金や保険料も支払わず、医療費や介護費用ばかりかかるのだから、さっさと亡くなって欲しいというのが、政府、与党の本音であることは間違いない。
小泉「改革」などと大騒ぎして、こういう政党に投票し続けてきた多くの有権者にも大いに責任があるが、善良な国民をだまして票を掠め取ってきた責任の大半は、この両党にある。
多くの国民は、今回の件で、自民党、公明党の政治の本質がどのようなものかよくわかったはずである。
これからは、国政でも、地方政治でも、自民党、公明党の連中がどのような甘言を弄しても、絶対に騙されてはならないだろう。
たとえ、自民党支持者の町会長から頼まれても、時々晩ごはんのおかずを届けてくれる近所の創価学会員から頼まれても、絶対に、自民党や公明党には投票しないことだ。
このことを読者諸兄には改めてお願いをしておきたい。

後期高齢者医療制度はネーミングが良くない?

2008年04月06日 | 医療・社会保障
「ネーミングがよくないんじゃないか」――。4月1日に始まった75歳以上が対象の「後期高齢者医療制度」の名称に、福田首相が注文をつけた。首相に指摘され、舛添厚生労働相は通称を「長寿医療制度」とすることを急きょ決めたという。
もうどうしようもないレベルである。
名前を変えたからといって、内容のひどさは隠しようがないではないか。
新制度は、75歳以上の高齢者を対象とした医療保険制度で、高齢者一人ひとりから徴収する保険料と税金、現役世代からの支援金で運営する。保険料は年金から天引きされ、高齢者だけを従来の国民健康保険などから切り離すことに根強い批判がある。舛添厚労相も記者団に、「お年寄りを前期と後期にわけてもいいのかという意見もある。我々の説明が足りないかもしれない」と話した。
しかも、たとえば、75歳以上の夫とその扶養家族になっている75歳未満の妻の場合、夫は自動的に後期高齢者医療制度に移行するが、妻は改めて国民年金に加入手続きを行わなければ、無保険者となってしまう。こういう対象者が数万人にも及ぶと言われている。
以前の記事にも書いたように、後期高齢者は、合併症や認知賞も多く、治療しても治らない。そしてやがては「避けられない死」を迎えるのだから治療などしても無駄だ、というのが厚生労働省の主張である。
1970年代には、70歳以上のお年寄りの医療費は、多くの自治体で無料になり、それがやがては国の制度になった。ところが、この制度がどんどんと切り下げられ、ついには、今回のような差別医療が持ち込まれることになった。
2006年の6付きに決定されたこの医療制度は、小泉政権時代に、自民党と公明党が国会でゴリ押しして決めたものだが、その批判は福田首相が背負うことになった。ちょっと気の毒と思う人もいるかもしれないが、当の福田首相も議員として、この新制度を推し進めてきた張本人の1人であることには間違いはない。
 この日、厚労省と総務省が連携して広報活動をするための実施本部を設置。自治体などを通じて、お年寄りを中心に新制度の周知を図る。通称は、今後リーフレットで正式名称との併記を検討するが、二つの名称が混在し、かえって混乱を招きかねない。「(通称の導入で)混乱しないやり方を考えたい」と厚労省担当者。
以下に「長寿」医療制度と名づけようと、「長寿」を喜び、それを祝う制度でないことは明白である。
制度そのものの廃止に向けて、力を尽くすべきではなかろうか。

産科病床数の上限撤廃で妊婦受け入れが改善?

2008年04月04日 | 医療・社会保障
産科医不足で、全国の産科医療機関が相次いで閉鎖されるなか、厚生労働省は、現在診療を受け入れている産科医療機関の能力を最大限に活用するため、地域ごとに設定されている病床の上限数から、産科病床を例外的にはずすことを決め、各都道府県に通知したという。
医療機関の病床数については、医療法により各都道府県が地域ごとに必要な基準病床数を設定しているため、この基準より実際の病床数が多いベッド過剰地域では、新たな増床は原則として認められない。この基準病床数は診療科に関係なく全体の総数で決められているため、受け入れに余力がある産科の医療機関が増床を申し出ても、ほかの診療科の病床が多い場合、この規制によって今までは増床が認められなかった。
同省では、医療法の施行規則の一部を改正し、出産を扱う医療機関の病床は、基準病床数を超えていても新たな増床を認めることにしたというものだ。
各医療機関の要望を受け、都道府県の医療審議会で必要と認められた場合、都道府県と国が協議した上で許可する。
しかし、これで本当に妊婦の受け入れが改善するのだろうか?
全国の病院を見れば、妊婦の受け入れに余力がある病院も多少は存在するだろう。
しかし、根本的な問題は、産科医の不足である。
これが原因で、全国の産科医療機関が次々と閉鎖されており、診療を受け入れている病院でも産科医やスタッフの過重労働が問題になっているのである。
産科医不足という根本問題にメスを入れず、ベッド数だけを増やせば、今までは通常勤務で対応できていた産科病院の医師やスタッフに過重労働を押し付けることになるのは明らかである。
産科医の待遇改善や医療訴訟の際の公的な補償制度などを拡充し、産科医が安心して治療に専念できる施策を行ってこそ、産科医不足も解消されると思われる。

医療への予算支出を

2008年03月30日 | 医療・社会保障
やや古い話になるが、今年に入って病院通いが続いた。
昨年から、首から肩にかけての凝りがひどく、左腕が間欠的にしびれるようになった。病院を受診して治療を受けたのだが、その時に、左肩の鎖骨の上にある脂肪の塊(脂肪腫)について相談してみた。
実はこの脂肪腫は6-7年前に気づいたもので、その時点で直径が4cmくらいあったのだが、痛くも痒くもないので、そのまま放置しておいたところ少しずつ大きくなり、昨今では長径6cm、短径5cm、厚さ2cmくらいになり、どうもジャマになってきていた。
ひょっとしたら、これが周囲の血管や神経を圧迫しているかもしれないと思って相談したところ、「脂肪腫と今回のしびれは関係ないが、この際切除しましょう」と言うことになり、都内の大学病院を紹介された。
腫瘍の場所が、首筋に近く、神経や血管が集中している場所なので、全身麻酔で手術をするという。まさか、まだ現役のうちに、入院や手術を体験するとは思っても見なかった。
2月中旬、手術前日の昼頃に入院、翌日の朝に手術、その翌朝に退院という2泊3日の強行スケジュールだったが、手術も無事に終え、退院の翌日から出社を始め、通常の生活に戻っている。
首の凝りは依然としてわずかながら続いており、左腕の間欠的なしびれも軽快しているが、完治はしていない。こちらの方は気長に治療することにしよう。
後日の病理所見の結果は、予想通りの良性脂肪腫だったとのことである。
思いがけない入院、手術だったが、なかなか良い経験をさせてもらった。
退院の際に、病棟のフロアにあるナースステーションで、窓口の事務の女性に挨拶をしたら、その女性が突然、回りのスタッフに「○○さんが退院でーす」大声で呼びかけたかと思うと、そこにいた看護師や検査技師、医師らがいっせいに私の方を向いてお辞儀をされたのには驚いた。病院のスタッフにとって患者の退院こそ最もうれしい瞬間なのかもしれない。
編集長が入院していた病棟のフロアには、整形外科の一部のほかは脳外科の患者であり、2泊3日での退院というのは異例の短さだったそうだ。
短い間だったが、看護師や医師の方々には大変お世話になった。紙面を借りて感謝したい。
さて、あまりに短い入院だったので、入院費用の請求が間に合わず、退院1週間後の外来の際に支払うことになったのだが、総額が約22万円、自己負担額は約7万円であった。
この金額はけっして安いものではないが、一方では、多くのスタッフによる看護、検査、診察、麻酔、手術、投薬などを考えると、果たして人件費が賄えているのだろうかと思うような金額である。当然、設備の減価償却なども考えなくてはならないだろう。
そう考えると、病院経営というのは大変なものだという気がする。
今後は、ますます高齢者が増えて、医療費が増大すると言われているが、必要な治療が受けられるということは、人間にとって大切なことである。
それを考えると、税金は、不要不急の道路建設や軍事費にではなく、医療や教育のために思い切って使うべきであろう。それが、日夜をわかたず患者の治療に携わっている病院スタッフの待遇改善や医療の質の向上につながるに違いない。