時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

日本人の「勤勉」は続かない

2008年07月31日 | 社会問題
日本の発展を支えてきた「日本人の勤勉さ」について、これからも続くと思う人は35%にとどまり、そうは思わない人が61%に上ることが、読売新聞社の調査でわかったという。
1984年の調査では、続くと思う人が59%、思わない人が33%だったが、この四半世紀で楽観論と悲観論の比率がほぼ逆転したそうだ。
この調査は「勤労観」をテーマとして面接方式で行ったという。
日本人の勤勉さについては1984~91年に5回調査し、続くと思う人が常に多数派だった。続くと思わない人の方が多くなったのは今回が初めてで、特に20歳代では66%にまで達したそうだ。
ただ、今回調査で「一生懸命に働くことは美徳だ」という考え方への賛否を聞いたところ、「そう思う」が71%を占め、「そうは思わない」の25%を大きく上回ったという。
定年まで同じ企業に勤めることができる「終身雇用制」を望ましいとする人は77%で、過去最高の88年と並んだ。年齢や勤続年数よりも、個人の能力や業績を重視し、賃金などに反映する「成果主義」については、「好ましい」の65%が、「好ましくない」の30%より多かった。
派遣社員やパートなど非正社員が、雇用者の3分の1を占める現状については、「働く人の立場が不安定になった」という印象を持つ人が82%、「多様な働き方ができるようになった」が15%となったという。
まじめにコツコツ働くということを「美徳」と感じながらも、楽をしてカネを得ようという風潮の広がりの中で、それをばかばかしいと感じることもあるのではなかろうか。
先日もライブドアの堀江被告に2審の判決が下ったが、こういう社会的な風潮の中で、若い人たちの中にはなおさら「マネーゲーム」にのめり込む人が増えているのかもしれない。
能力主義、成果主義賃金への不満が強いことも、今回の調査の特徴だ。雇用破壊が進み、非正規雇用者が増える中で、終身雇用の良さを再認識する良い機会ではないだろうか。
終身雇用制が当たり前だった時代でも、給料は、確かに年齢や勤続年数を基本にしていたかもしれないが、それに加えて、能力や職務、役職などに応じて総額が決まっていた。能力主義、成果主義賃金の導入は、結局は企業が賃金総額を切り詰めるための口実に使われただけである。
「多様な働き方の選択」などといって、いかにも自由に職業や働き方が選択できるかのような幻想を抱かせながら、正規雇用を非正規雇用に置き換えてきたのは、結局は大企業による策略に過ぎなかった。
多くの国民はそのことに気づき始め、不満を募らせている。その結果が今回の調査結果の特徴であろう。

厚労省が30日以内の日雇い派遣の禁止を検討

2008年07月28日 | 政治問題
厚生労働省が、派遣会社に登録し、仕事がある時だけ雇用契約を結ぶ登録型派遣について、1日単位の日雇い派遣だけではなく、30日以内の短期派遣を原則禁止とする方向で検討しているという。
厚労省は、低賃金で不安定な「日雇い派遣」を原則禁止する労働者派遣法の改正案を今年の臨時国会に提出する方針だが、対象となる派遣の期間について、1日の契約だけではなく30日以内とすることで、労働者の保護を強めたい考えだ。30日に開かれる労使の代表らが参加する労働政策審議会の部会で、具体的な期間や例外として認められる業務について議論する。
労働者派遣制度のあり方を議論する厚労省の研究会は28日に報告書案をまとめる。これまでに明らかになった報告書案では日雇い派遣の原則禁止を検討すべきだと指摘、対象とする派遣の期間は日雇い派遣に関する同省の指針が対象を「30日以内」としていることを参考に、検討するよう要請した。与党内でも日雇い派遣の弊害を解消するには、30日以内の派遣を規制対象にすべきだとの意見が出ている。
厚生労働省もやっと重い腰を上げたということだ。
検討している内容は、日雇い派遣にのみ限定されており、一般の派遣や請負、契約社員などを規制するものではなく、著しく不十分であるが、まずは一歩前進というべきだろう。
これを足がかりにしながら、1999年の派遣可能業種の拡大よりも前の状態に戻して、派遣労働そのものを大胆に「規制」することが重要である。
野党4党では、派遣に対する規制を強化する方向で合意が得られそうであるが、次期国会で是非とも実現して欲しいと思っている。
少なくとも、現行のような「労働者派遣法」ではなく、「派遣労働者保護法」にすることが、労働基準法の精神に合致する方向性ではなかろうか。また、さらに一歩進んで、「労働者派遣禁止法」でも制定してもらいたいと思っている。

「労働白書」仕事の満足度低下:背景に非正規急増や成果主義

2008年07月26日 | 社会問題
厚生労働省は2008年版の「労働経済の分析」(労働白書)を公表した。労働者の仕事に対する満足感を初めて取り上げ、雇用の安定や仕事のやりがいなどの面で満足度が低下していると指摘している。
背景として非正規労働者の急増や成果主義賃金の導入などを挙げ、「日本的雇用制度への再評価が広がっている」と分析している。
白書は内閣府の「国民生活選好度調査」からデータを引き、「雇用の安定」について「満足」と答えた人の割合が1978年の33%から2005年には14.8%に減ったと指摘し、同じく「仕事のやりがい」は30.5%から16.6%に、「収入の増加」も23.7%から6.2%に低下したことを示した。
そのうえで「企業が仕事への意欲を高める目的で導入した成果主義賃金制度が必ずしも成功していない。賃金制度の運用改善に心がける必要がある」と提言している。
また、正社員の仕事がなく、パート以外の非正規で働いている人の割合は2001年の38%から2006年には44%に上昇し、正社員に比べ相対的に仕事への満足感が低いと強調している。「正社員になれない就業者の不安や不満が高まっている。非正規雇用はコスト削減には有効でも、職業能力を高めず、労働生産性向上にはマイナス」と断じている。
そして、日本が国際競争力を失っていく過程で批判された長期雇用や年功序列賃金制度などに言及し、「再評価の動きがある」と報告している。
なかなか、的確な指摘である。拍手をしておこう。
しかし、この白書を閣議決定しておきながら、はたして政府はこの点について企業に改善を求めることができるだろうか?その意志はあるのだろうか?
たとえば、非正規雇用を減らし、正規雇用を増やすよう、企業に指導ができるだろうか?
「規制緩和」で、現在では、非正規雇用があらゆる業種で認められるようになったが、これを元に戻すことができるだろうか?
あるいは、賃金制度などを規制することができるだろうか?
やる気さえあれば、1本か2本の法律で可能なことだが、財界や大企業の意向に逆らってまで、今の政府にそんなことをする勇気があるだろうか?
とても、改善は望めない。
あの小泉政権時代に、「改革」と称して実行してきた結果が、このような結果となって国民の肩にのしかかっている。国民の多くも、「改革」の幻想に騙されてこの政権を支持してきたわけだが、事の本質が明らかになった以上、小泉「改革」に熱狂したことには反省しつつ、政府に改善を求めることが重要ではなかろうか。

また、通り魔事件

2008年07月25日 | 社会問題
八王子で、通り魔事件が起きた。
秋葉原での無差別殺人の記憶の生々しい時期に、大変残念なことである。
死傷者やご家族の方々には、心からお見舞いを申し上げたい。
ネットのニュースなどを見ると、「通り魔、製造業の派遣を転々」といった見出しもある。
今回の容疑者も、秋葉原の事件の容疑者と同様に、製造業で派遣社員をしていたようだ。
当たり前のことであるが、派遣社員だからといって、別に誰でもが通り魔事件を起こすわけではない。地元の名士あるいは議員と言われるような人でも「口利き」をして賄賂をもらうような不届きな人物もいる社会だから、別に驚くべきことではない。
罪を犯すのは、その社会的な地位や職業、年齢、性別などには関係はない。
しかし、派遣社員といった不安定な雇用がこの容疑者の精神の安定に好ましくない影響を与え、毎日の生活はもちろんのこと、将来の夢さえも奪っているという現実には、きちんと目を向けなければならないだろう。
経済的な不安、人間関係の希薄さなど、派遣社員特有の困難や悩みがあることは容易に想像できる。
少なくとも、本人の意思に反して、心ならずも派遣社員として生活せざるを得ない人たちにとって、やはり、派遣社員という境遇が、犯罪の引き金になったことは否定できないと思われる。
今回の事件を通じて、現代社会における企業による「働かせ方」の問題についても、さまざまな議論が起きることを期待したい。

日本経済は試練のとき?

2008年07月24日 | 経済問題
大田経済財政相は閣議に、2008年度の年次経済財政報告(経済財政白書)を提出した。
白書は日本経済の現状について、「久々に試練のときを迎えている。(2002年2月から続いてきた)景気回復に『黄信号』がともっている」との認識を示した。
副題は「リスクに立ち向かう日本経済」とある。白書は2008年に入って景気が足踏み状態となった主な理由として、原油・原材料価格の高騰と、低所得者向け住宅融資「サブプライムローン」の焦げ付き問題をきっかけとするアメリカ経済の減速を挙げた。製造コストが増えたり、対米輸出が鈍ったりしたことにより、企業業績が悪くなり、期待されていた「企業から家計への景気回復の波及」が実現していないことを率直に認めている。
原油価格が高騰したことにより、2005~2007年度の3年間で計7.5兆円の所得が中東などの産油国に移転したと試算した。価格が横ばいなら国内にとどまったはずの金額だ。第1次石油危機の時は賃金が上がったため家計の実質的な負担増はほとんどなかった。しかし、今回は企業の収益が悪くなって賃金が抑えられるという形で、企業と家計が負担を分かち合っていると分析している。
ただ、景気の先行きについての見通しはやや楽観的で、「雇用や設備投資に過剰感はみられず、在庫調整の動きも一部の財にとどまっている」と指摘している。米国経済の低迷や原材料価格の高騰がさらに続くなどの事態に陥らなければ、日本経済が自律的に景気後退に至る可能性はそれほど高くないと説明している。
さらに、今回の白書は、税制改正の必要性など政策面での課題について取り上げたことも特徴だ。特に消費税について、「先進各国では消費税の役割が高まっている」と指摘、社会保障財源を確保するためにも税率引き上げに向けた本格的な議論に入る必要があると主張している。
さて、読者諸兄は、この説明を聞いてどのように感じただろうか。
・2002年以来、景気回復を感じていただろうか?
・企業と家計が負担を分かち合っていると感じているだろうか?
・「社会保障」のために、消費税の増税がふさわしいと感じているだろうか?
バブル崩壊後、リストラが大規模に行われ、運良く企業に残った人間も成果主義、能力主義の導入で賃金は伸び悩み、昨今の原油高、食料品高で、家計は疲弊しているのは明らかであり、国民はずっと「試練のとき」を過ごしてきた。
にもかかわらず、「(日本経済が)久々に試練のときを迎えている。」という認識はどこから来るのだろうか?
輸出企業を中心に、大企業はバブル期にも達成できなかったような巨額の利潤を得ながら、同時に、法人税の実効税率は低下し、IT減税などの恩恵を受け続けてきた。
この利潤が、これからは確保できないかもしれない、そのことを危惧した言葉であろう。
政府が、どこを向いて経済、金融政策の舵取りをしているかは明瞭である。
輸出企業や大企業の利潤ではなく、国民の購買力を引上げ、内需を拡大することこそ、景気回復の最大の決め手である。そのためには、庶民減税や社会保障の充実などで国民の懐を応援するしか方法はないと思うが、いかがだろうか?

2007年度医療費、過去最高の33.4兆円

2008年07月22日 | 医療・社会保障
2007年度の医療費は前年度より3.1%増の33.4兆円で過去最高だったことが、厚生労働省が発表した概算医療費の集計でわかった。国民1人当たりの医療費は26万2千円で、いずれも2002年度以降、増え続けている。
概算医療費は、公的医療保険と公費から支払われた医療費で、70歳以上の高齢者の医療費は14.5兆円と全体の43.4%を占めた。人口の高齢化にともない、高齢者の医療費は全体の伸び率を上回るペースで増えており、2007年度も前年度より5.4%増えた。1人当たり医療費でみると、70歳以上は、75万7千円で、70歳未満の約4.7倍だったという。
しかし、考えて見れば当たり前のことである。
少子高齢化で、日本の人口に占める高齢者の割合は増え続けている。これに伴って医療費が増えるのは至極当たり前のことであり、別に驚くには当らない。
問題なのは、人口推計などから、高齢化社会の到来がわかっていながら、その準備をしてこなかった政府、与党の見通しのなさである。
読者諸兄の一人ひとりの暮らしを見てもそうであろう。
子供の教育費や老後の生活資金などは、あらかじめわかっているのだから、前もって相応の準備をするのが常識である。
したがって、日本政府も何十年も前から、高齢化社会が来るのはわかっていたわけだから、あらかじめ医療制度を整えて、高齢化に備えるべきだったはずだ。
現在の65歳以上の高齢者というのは、日本の高度成長を支えてきた人たちである。若い頃は、少々の病気や怪我でも会社を休むこともせずに、猛烈に働いた世代である。もちろん、それにふさわしく、十分すぎる健康保険の保険料を納めてきた世代である。
にもかかわらず、自分たちの世代が医療を受ける段になると、政府の無策によって、「カネがない」というわけだから、納得できないのは当たり前である。
これからますます高齢化が進展する。
道路や空港、港湾などの大型開発や軍事費、米軍への思いやり予算、大企業への補助金を思い切って削れば、医療や介護、教育の費用はいくらでも捻出できる。こういう政策への転換を強く希望したい。

年金記録8億5千万件、全件照合へ

2008年07月21日 | 政治問題
社会保険庁がコンピューターで管理する年金記録の一部が、入力ミスで原簿(紙台帳)と一致していない問題で、社保庁は2010年度から国民年金と厚生年金の紙台帳約8億5千万件すべてとコンピューター上の記録を照合する方針を明らかにした。
いったい何をモタモタとやっているのだろうか?
昨年の参院選で、政府、与党は「宙に浮いた年金は、2008年4月までに1件残らずすべて解決する」と安倍首相や自公の幹部連中が絶叫したが、それが期限内にできなかったばかりか、国民年金だけでなく、厚生年金でのミスも発覚し、さらに着服などの不祥事も次々と明るみになり、一体いつになったら実態がわかるようになるのだろうか。
そして、今度は、今から8億5千万件のすべての年金記録、何と日本の全人口の7倍にもおよぶ年金記録(!)を調べ直すというのだから、呆れるばかりである。
社会保険庁の職員の「仕事」がなくなって失業しなくても良いように、わざわざ仕事を作り出しているとしか思えないではないか。
この作業のために、期間は10年間、費用は1900億~2300億円かかると見込まれるという。新たな無駄使いを産むだけだ。人員も年間約5800~7100人が新たに必要になるという。このため、社保庁の後継組織「日本年金機構」の人員計画(正規・有期雇用職員で計1万4470人程度)は、大幅な見直しを迫られる可能性もあると言われている。
いったい政府・与党は、どれだけ国民をだまし、愚弄すれば気が済むのだろうか?
衆院選も近い。
自民党、公明党の議員は残らず国会から退場してもらい、まともな年金制度を再構築すべきである。
ところで、最近の世論調査によると、福田内閣の支持率は20%台だという。
わずか20%台の支持しか得られない政権が日本の政治を担当していることは異常であろう。すぐに解散総選挙を行うべきである。
同時に、国民の2割以上が未だに福田、自公政権を支持しているということにも、率直に驚きを禁じ得ない。国民のことなどちっとも考えてず、大企業とアメリカの顔色ばかりうかがっているこの政権の本質に、自公両党を支持している国民もそろそろ気づく時ではなかろうか。

どうもおかしいぞ、最近の生協

2008年07月19日 | 政治問題
中国製の毒入り餃子に続いて、今度は、カシミヤがわずかしか含まれていないにもかかわらず、50%カシミヤ入りと銘打った生協の「ハーフカシミヤ」が公取委より排除命令を受けた。
生協活動というのは、消費者が自ら出資し、その出資金を元に、流通経費などを削減し、消費者(組合員)に「より良いものをより安く」をモットーにした消費者運動であり、編集長もこの活動を支持している。しかし、最近の不祥事を見ていると、どうもこういう根本の理念が失われているように思われる。
近隣には、大手のスーパーが次々とでき、大量仕入れ、大量廉価販売で、生協の価格が太刀打ちできないという事情もあるのかもしれないが、まさに「安かろう悪かろう」の販売になってしまっているという感が否めない。
全国の生協を束ねる生協連ならば、仕入れる商品の品質の検査や取引先の工場の視察、チェックなどは当然に行うべきであろう。
こういう基本をないがしろにしてきたツケが、最近の不祥事になって表れているように思われる。大変残念なことである。
生協の職員は、スーパーの店員ではない。いかに組合員の利益を守るかを絶えず考えて、商品開発に当たってほしいと思っている。また、組合員も安ければ良いと思っているわけではあるまいが、品質などを良くチェックし、その声を生協の運営に生かしていくべきであろう。
改めて言う。生協活動の原点に立ち返って、もう一度、運営を見直すべき時期に来ていることは間違いない。

すかいらーくの元店長の労災を認定

2008年07月18日 | 政治問題
ファミリーレストラン大手「すかいらーく」の契約店長だった埼玉県加須市の男性(当時32歳)が昨年10月に脳出血で死亡したのは、長時間労働による過労が原因として、埼玉・春日部労働基準監督署が労災認定していたことがわかったという。遺族が記者会見して明らかにした。
会見した遺族と支援した労働組合スタッフによると、この男性は高校2年のときに自宅近くのすかいらーくでアルバイトを始め、卒業後も働き続けた。2006年3月、すかいらーく栗橋店(埼玉県栗橋町)で1年ごとに契約更新する契約店長となった。店長になってから残業時間が増え、帰宅が午前3時になることもあり、家に帰れず、店の駐車場に止めた自分の車で仮眠したこともあったという。
労基署からは、過労死ラインとされる月80時間を超える残業があった、との説明を受けたという。しかし、年収は200万円程度。母親は「帰ってきても少し寝ただけですぐ出勤する日が続き、すごく疲れている様子だったが、会社は何もしてくれなかった」と涙ながらに話したという。
暗澹たる思いがする記事である。
一体どこの国のどの時代の出来事かとわが目と耳を疑うような記事である。
アメリカの黒人奴隷の時代の出来事ではなく、現在の日本で起きた事件だと思うともうウンザリしてしまう。
契約社員で、しかも店長とは名ばかりで、年収が200万円というから、とんでもない労働条件である。ネットカフェ難民ではあるまいし、あまりにもひどい働かせ方ではないか。
生身の人間を死ぬまで働かせる企業に、社会的な存在価値などはない。
こういう事例は氷山の一角にすぎないに違いない。
まだ死んでいないから問題にならなかったり、病気などで職を離れて泣き寝入りしている事例はまだまだ山ほどあるだろう。
自分たちの回りに、もし同じような境遇の労働者がいたら、迷わずに個人加盟の労働組合や労働相談、過労死110番などに連絡してほしい。
声を上げなければ、ますます労働条件は切り詰められ、低賃金に追い込まれてしまうのがこの社会の特徴でもある。
まず相談する勇気を持ってほしいと願っている。

99.9%のこと

2008年07月17日 | その他
社会生活を送っていると、人間はさまざまなことに出くわす。
嬉しいことや楽しいことはもちろんのこと、辛いことや嫌な思いをすることもある。
特に、人間の記憶の中には、辛いことや嫌なことばかりがずっと残っている場合が多く、楽しい記憶は打ち消されてしまうことが多い。
世はまさにストレス社会と言われる所以かもしれない。
しかし、冷静に考えて見ると、一人ひとりにとって、世の中の99.9%のことは、まったく取るに足らない、くだらないことが多い。
本当に人間にとって重要なことは、家族や親しい友人の動静や自らの夢の実現などであり、それ以外のことは、実にくだらないことばかりである。
会社で目くじらを立てて議論していることも、憎たらしい上司の愚痴や罵声も、まったく無意味なものであり、社会にとっても不要なものである。
こんなことに関わっているよりも、自らの夢をどのように描いて、それをどのように実現するのか、そのために今何ができるのか、そういう生産的なことに思考を傾けることの方がよほど重要だ。
世の中の99.9%はくだらないことだと思って回りを見ると、会社はもちろん、上司や憎らしい同僚も相手にするだけ、あるいはそのことを考えるだけ、時間の無駄だと思えるようになる。
ストレス社会と上手に付き合って、ストレスを溜め込まない思考方法を身につけることが大切だろう。
同時に、自分にとって本当に大切なもの、どうしても実現したい夢などをきちんと描いて、そのために寸刻を惜しんで努力することに全力を挙げることが、世の中の99.9%のくだらないことに振り回されないための秘訣である。
読者諸兄も、年齢に関係なく、世の中のくだらないことに惑わされないで、上手にストレスを発散して欲しいと思っている。

大分の教員採用試験:不正合格者の採用を取り消し

2008年07月16日 | 政治問題
大分県の教員採用汚職事件をめぐり、贈収賄などによる不正な得点操作で採用された教員や、合格だったのに不合格とされた受験者への対応をどうすべきか、県教委が苦慮しているという。
収賄容疑で再逮捕された県教委義務教育課参事江藤勝由容疑者の供述などによると、2008年度の小学校教員採用試験だけでも、合格者41人のうち10人ほどが点数を加算されて不正に合格したとみられるという。
江藤容疑者は合格圏に達していた受験生の得点を故意に引き下げたとも供述しており、文部科学省は県教委に対し、対象者への適切な措置を検討するよう指示した。小矢文則県教育長も「法的にはどうすればいいのかなど、早急に考え方をまとめていきたい」としている。
しかし、パソコンなど採用関連の資料は警察に押収されており、肝心の試験の答案や面接の評定票も、内規では保存期間を10年と定めながら県教委自身によって破棄されている。「現時点では事実関係の把握が難しい」(県教委)のが実情という。
1990年に同様の贈収賄事件が発覚した山口県教委は不正合格者が特定できず、合格取り消しや不合格者の救済は行われなかったそうだ。
今回はどのような措置がとられるのだろうか?
そもそも、教員採用試験のあり方や採用の基準にも問題があるのかもしれないが、有力者の口利きで合格するような人物がまともな教育ができるわけがない。昨今は、教員の質が問われる事件も多いが、教育委員会や有力者の言いなりの教育しかできない人間が、子供の成長に責任が負えるはずがない。
子供たちに、何をどのように教えるつもりなのだろうか?まさか「あまり勉強しなくても、有力者のコネがあったら大丈夫だよ」とでも教えるつもりなのだろうか?
10年の保存義務がある採用試験に関するデータもわずか半年で処分されているというが、関係者の記憶の範囲でも、不正採用者には厳格な処分を行うべきであろう。
また、不正採用の陰には、合格していながら、教員になれなかった人たちが存在するということである。この人たちへの救済も責任を持って行うべきである。
さて、なぜ日本ではこのような前近代的な「口利き」が未だに行われるのだろう。
土地の有力者や権力者に媚びへつらう風潮が残っていると言えばそれまでだが、なぜ、こういう悪弊を断ち切れないのだろうか?
本当の意味での「民主主義」、「平等」、「公正」といった精神がまだ根付いていないことを残念に感じるとともに、不正を断ち切り、それを告発する勇気を持ってもらいたいと思っている。

20万隻が一斉休漁

2008年07月15日 | 社会問題
漁船の燃料費高騰による窮状を訴えるため、14日から各地で始まっていた漁船の休漁は15日、本格化し、全国のほとんどの漁船が休漁に入った。休漁にあわせて全国の漁業従業者の代表約3600人が、東京で全国漁民大会を開き、政府、与党に対して燃料費の補填などを訴えた。
休漁は、全国漁業協同組合連合会(全漁連)など16団体の呼びかけで行われており、傘下の漁船約20万隻(推計)が参加するという。休漁の影響で、国産水産物の水揚げが、ほぼストップしたという。
漁民大会には、全漁連の服部郁弘代表理事会長ら漁業団体のトップが出席。「燃油価格が高騰し、漁業は大変厳しい」「出漁すればするほど赤字だ」などと窮状を訴え、燃料費補填や価格の安定対策を求める決議を採択した。
全漁連などは、以前から燃料費補填を関係機関に要望しており、この大会には自民党の谷垣政調会長らも列席し、要望に改めて耳を傾けたと報じられている。政府や農林水産省は、燃料効率化のための基金を積極的に運用するなどの対策を示しているが、漁業団体側が求める燃料費の直接補填には応じていない。
今の政府には、原油高騰を防ぐために、投機資金に規制を行う気持ちなど毛頭ない。また、原油高騰の補填を行うことなどできるわけがない。とにかく、成りゆき任せしか対策を立てられないのが実情だ。
漁業関係者も、政府や与党関係者を会場に招待して「お願い」するのではなく、無策な政府、与党の行動を徹底的に追及することが重要である。おこぼれに預かるのではなく、漁民の権利として燃料代を補償させることが大切ではなかろうか。
こんな交渉を続けているようでは、これからも一斉休業を続けて、結果として魚介類の価格が高騰し、燃料費がペイできるようになるまで、休業しなければ解決しないかもしれない。
水産資源の枯渇も騒がれている昨今、休漁は海洋資源の保全のためにも良いかもしれない。また、国民も今までは魚介類を安価な価格で当たり前のように入手してきたが、これからは限りある資源に思いを馳せながら、少し我慢をしても良いのではなかろうか。どうしても食べたければ、燃料代に見合った価格で購入する。こういう暮らしでも良いのではないだろうか。
改めて、地球環境や海洋資源、そして、現代の狂った投機の在り方などを考える機会にしたいと思っている。

この1週間

2008年07月14日 | 社会問題
先週、インターネットに突然接続できなくなった。
原因を調べて見ると、どうもパソコンに接続されているモデムの不具合らしい。
家族揃って、こういうものに疎いので、このモデムは一体どこから入手したものか、それすら記憶に残っていない。
職場で話を聞いてみると、どうもプロバイダーからレンタルされているというので連絡すると、早速新しいモデムが送られてきた。
そこからの接続(コードの接続は簡単だが、)PCの設定に一苦労し、やっとの思いでネットに接続できるようになった。
さらに、運の悪いことに、体調がすぐれず、頭痛や眼の違和感に悩まされる日が続いた。
この1週間、記事の更新ができなかった背景には、そういう事情があったわけだ。
さて、この1週間を振り返ってみよう。
サミットの閉幕。
結局、温暖化ガスの削減目標は、2050年までの長期目標を決めただけで、中期の目標をアイマイにしたままで終わってしまった。アメリカの同盟国というならば、「友人」として、アメリカの環境政策に忠告をすべきであろう。もっとも、そんなえらそうなことが言えるほど、日本政府も確固とした環境政策を持っているわけではない。
そもそも、我こそは「先進国」などと偉そうな顔をしているが、結局、こういう地球規模の問題を引き起こしてきた張本人がこれらの諸国である。自らの歴史的な恥ずべき行動を真に反省するところから、環境対策への第一歩が始まるのではなかろうか。
さて、「反省」といえば、以前にも記事を書いておいたが、世界遺産であるイタリア・フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に学生が落書きをしていた問題で、岐阜市立女子短大の学長と学生らが現地を訪れて謝罪したという。
謝罪に訪れたのは、岐阜市立女子短大の松田之利学長と、今年2月の研修旅行中に落書きをした学生の代表ら4人だそうだ。フィレンツェ市や大聖堂の責任者が市役所で応対し、「一緒に平和の鐘を鳴らすことでこの事件を終わりにしよう」と声をかけたという。
前回の記事では、これらの短大生を批判しておいたが、今回の行動は、大変に勇気のある行動であり、率直に拍手を送りたい。
イタリアでは、公共物などに落書きしても別にとがめられることもないのだという。こういう風潮の中で、日本の女子大生が自らの行動を恥じ、謝罪とともに、修復費用まで持参と報じられているから、たいしたものである。
これを機会に、日本はもちろんのこと、イタリアでも、公共物、他人の所有物への落書きや損壊などについて考える風潮が芽生えることを願っている。

2007年の日本からの所得流出は23兆円

2008年07月03日 | 経済問題
原油や穀物などの輸入価格の上昇で、日本から海外への所得の流出が膨らんでいるという。
内閣府の調査によると、2000年時点と比べた輸出入物価や為替水準の変化により、2007年の1年間で1965億ドル(約23兆円)が海外に流出したという。この金額は、米国やドイツ、韓国を上回り、世界最大の規模であることが、内閣府が先日発表した報告書「世界経済の潮流」で明らかになった。
国際通貨基金(IMF)のデータなどをもとに主要国・地域について算出。流出額では日本に次ぐ2位の韓国が1156億ドル、以下、米国が437億ドル、シンガポールが417億ドル、ドイツが219億ドル。
日本は2003年以降、流出額が急拡大している。原材料の輸入価格が急上昇する一方、世界的な競争激化で製品の輸出価格が上がらなかったためだ。
ただ、所得流出額の実質国内総生産(GDP)に対する比率を2005~2007年の平均で見ると、日本は1.1%。シンガポールの6.5%、韓国の4.0%に比べれば少なく、ドイツと同程度だったという。
同様に計算した所得の流入では、中東(サウジアラビア、イランなど13カ国)が1571億ドル、カナダが421億ドル、オーストラリアが409億ドルだったという。
日本が、原油高騰や世界的な穀物価格の上昇のあおりをもろに受けている様子がよくわかる。
単純に言えば、日本が徐々に貧乏になっているということだろう。
今までは、輸出で稼いだ外貨で、原油や食料を大量に輸入し、消費してきたわけだが、これからはそうはいかないだろう。大量生産、大量消費、大量廃棄の生活を見直し、ロハスな暮らしをめざす時期に来ているのではなかろうか。
燃料の高騰で、日本はもちろんのこと、中国、台湾、韓国など東南アジアの国々で出漁を控える船が続出している。しばらくすれば、魚介類の価格に跳ね返ってくるだろう。それどころか、マグロなどには、なかなかお目にかかれない時代が来る可能性もある。
また、世界的な食料難が騒がれる中で、自給率が39%しかない日本が今後どのような道を歩むのかが問われている。減反を進める一方で、諫早湾を干拓して、一体何をするつもりなのだろうか?まさか、減反のために水田を作るわけではあるまい。
欲しい物がいつでも手に入った時代は終わろうとしているのではなかろうか。
これから社会がどのような方向に進むのか、しっかりと見極めたいと思っている。

まともな「税制改革」論議を望む

2008年07月03日 | 政治問題
2009年度税制改正の議論がスタートしているが、相続税強化など「格差是正税制」が浮上している。焦点の消費増税論議を控え、低所得者の不満を抑える狙いがあると報道されている。社会保障財源や道路特定財源見直しをめぐって、今後さまざまな議論が行われるだろうが、まともな「税制改革」論議を望んでいる。
自民党の税制調査会が1日に総会を開き、税制改正の議論を開始した。政府税制調査会(首相の諮問機関)も近く本格的な議論を始める予定である。 ここにきて浮上しているのが、「格差是正税制」論である。
消費税は、生活必需品を含めた商品やサービスを購入すれば、所得が高い人も低い人も等しくかかるため、低所得者ほど負担感が重い「逆進性」の税金である。
これに対して、政府・与党内には「富裕層への所得・資産課税を強めるべきだ」との声が出ている。相続税の課税強化などで富裕層の税負担を増やし、バランスをとろうということだ。
この議論には、大賛成である。
現在、相続税は、5,000万円の基礎控除に加えて、相続人1人当り1,000万円の控除がある。
たとえば、4人家族の世帯主が亡くなった場合、妻と2人の子供で、合計8,000万円の控除が受けられるということだ。土地などを持っていても、実勢価格に対して課税されるわけではないから、それほどには課税されない。これ以外に預貯金などがあっても、8,000万円もの財産を持っている庶民はほとんどいない。庶民には無縁の税金と言ってよい。
実際、この制度の下で、相続税を支払う人たちは、現在はわずか4%であるという。
しかも、この大金持ちの4%の人たちは、生前から家族に財産を分与したり、隠匿が可能な動産(貴金属や宝石など)として財産を隠蔽している場合が多い。
とすれば、相続税の控除は、もっと少なくても良く、控除学を超えた財産に対する税率はもっと高くても良いのではなかろうか。
「子孫に美田を残さず」というではないか。個人の努力で得た資産は、その個人のものであり、けっして子孫の業績や資産ではない。
相続税、贈与税などは、もっと課税を強化し、財産の子孫への継承は断ち切るべきであろう。それが、格差是正の決め手にもなるだろう。
一方で、注意が必要なことがある。
この相続税の強化が、「消費税の増税とセット」で議論されていることだ。
消費税の増税も行うが、資産家向けに相続税の増税も行いますよと言って、消費税増税を合理化しようというたくらみである。
海外に比べて、日本の消費税率は低い。しかし、海外では、食料品や日常生活雑貨、医療や教育などにかかる経費には、消費税がかからない仕組みを作っている。
消費税の導入前には、日本には物品税という税金があり、37,500円以上の「ぜいたく品」には、この税金がかかっていた。物品税が廃止され、消費税が導入された時に、もっとも喜んだのは、普段から37,500円以上のぜいたく品を買っていた資産家、金持ちだけであろう。
収入あるいは資産がたくさんある所からはたくさん取り、ない所からは少しだけ取る。これが税制の基本である。
この根本に立ち返った税制改革論議を進めて欲しいと思っている。