時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

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狂気は静かに、そして確実にやって来る

2006年10月31日 | 憲法・平和問題
読者諸兄がよくご存知の次の言葉から、今日の記事を始めよう。
『ナチスが共産主義者を攻撃したとき、自分はすこし不安であったが、とにかく自分は共産主義者でなかった。だからなにも行動に出なかった。
次にナチスは社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者でなかったから何も行動に出なかった。
それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、自分はそのたびにいつも不安を増したが、それでもなお行動に出ることはなかった。
それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。だから立って行動に出たが、その時はすでに遅かった。』
ナチスの時代に、戦争に反対したドイツの牧師、マルチン・ニーメラーの言葉である。
今に生きる人間から見れば、戦前、日本の軍部やドイツのナチスの狂気をどうして阻止できなかったのか、不思議に感じる人が多いであろう。
しかし、当時の人々をそういう狂気に駆り立てたものは、指導者による周到な洗脳や世論操作、想像を絶する過酷な思想弾圧などであった。
人間は、環境への優れた適応力を有しているがゆえに、ゆっくりとした環境の変化には、さほど苦もなく適応していく。そして、行き着く所まで行って、初めてその歩みを振り返り、痛恨の思いに浸ったのが、あの敗戦の日であった。
いま、入学式や卒業式での「国歌」斉唱、「国旗」掲揚の強制、教育基本法の「改正」、閣僚による核保有容認発言、自衛隊のイラク派兵、防衛庁の「省」への格上げ問題、9条の形骸化を目的とする憲法「改正」など、徐々にではあるが、確実に国民に対する洗脳や世論操作が進んでいる。
たとえば、読者諸兄の中で、「国歌」斉唱を潔しとしない方も少なくないであろう。しかし、自分の子供や孫の小学校の入学式の「国歌」斉唱で、起立もせず、悠然と席に座り続けているには相当な勇気が必要であろう。心ならずも、起立する方もいるのではなかろうか。このようにして、群集同士の監視が生まれ、起立しなかった父母は異端視されるようになり、やがては「国家」斉唱の際は起立すべしとの考えが意識の中に刷り込まれ、このような世論が徐々にではあるが、確実に形成されてゆくのである。
消費税などもそうであろう。
消費税の導入の際には、国民も低所得者に不利なこの間接税の本質を見抜き、猛反対をしたが、5%への税率のアップの際には、それほどの世論の高揚もなく、そして今や、10%台へのアップも「やむを得ない」と考える国民が半数に及んでいるのである。政府による財政赤字宣伝、少子高齢化による福祉・医療対策の必要性、緩やかな税率のアップ等々によって、多くの国民の感覚は麻痺し、「消費税止むなし」との洗脳を甘んじて受け入れつつあるのである。
多くの読者諸兄は、自分の生きた時代よりも、少しでも平和で住みやすい世の中を子孫に残したいと願いながら日々を過ごしていることであろう。
それを実現できるかどうかは、現在を生きている我々の考えや日々の行動にかかっていることを肝に銘じておきたいものである。
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とんでもない「防衛省」法案

2006年10月28日 | 憲法・平和問題
現在開催されている臨時国会に、防衛庁の「防衛省」への格上げ法案が提出されており、政府は、今国会中にも成立をめざしている。
政権発足直後から、このような危険な法案を提出してくるところに安倍政権の危険な体質が現れている。
この法案は、単に防衛庁という庁名を防衛省に変えようというレベルの問題ではない。行う中身は変わらないのだからよいではないかというような言い訳も飛び出しているがとんでもないことである。
今回の法律は、自衛隊の任務として、「海外活動」を法律として定めようとするものであり、もしこの法案が通れば、日本の自衛隊が世界中に派遣されることになるという、憲法無視の内容を含んでいる。
安倍氏と言えば、愛国心を明記した教育基本法「改正」と日本を戦争ができる国にする9条の放棄を含む憲法「改正」の2つを唯一の政権公約にしている危険な政権であるが、今回の「防衛省」法案もそういう一連の流れの中にある法案である。
先の小泉政権は、現憲法下で許されていない自衛隊の海外派兵を公然と行ったが、今回は、法律上も堂々と派兵できるようにしようとの企みであり、戦後政治の平和の原点を破壊する暴挙ともいえるものである。
昨年、郵政省の職員の給与が独立採算でまかなわれていることを隠して、あたかも多額の税金が郵政省の職員に使われているかのごときウソ宣伝で、郵政の民営化を強引に進めたが、今や国家公務員に占める防衛庁職員および自衛隊員数がもっとも多く、これこそ税金の無駄遣いであろう。
アメリカは、世界最大の軍事費を費やしながら、わずか数10名によるテロを防ぐことができなかった。軍事費を費やせば費やすほど、紛争の火種になることに気づかないとはあまりにも愚かであろう。国連憲章に則って、あくまでも平和的な外交が重要であろうし、テロ対策にとっても、それが最も有効な手段である。
軍事費を費やすことによって、平和が保たれると考えるのは時代錯誤も甚だしい。自衛隊員数の削減、軍事費の削減にこそ未来があるのであって、いわんや海外派兵によって平和が築けるはずもないのである。
しかも、防衛庁をめぐる談合事件には幕引きをしたまま、「防衛省」への格上げ、権限拡大などは国民として到底納得のいくものではない。
もう一つ重大なのは、この法案に野党第1党の民主党が賛成を表明していることである。日本の進路を巡る重要な法案に諸手を上げて賛成するのはこの党の構成員を見れば納得するものがあるが、野党第1党の姿勢としていかがなものであろう。これでは民主党の存在意義そのものが問われかねない。
この法案の危険性を指摘しているのは、国会内では共産党と社民党のみと極めて少数であるが、国民の意思が性格に反映されていないと言わざるを得ない。
政府には、国民の危惧の声に真摯に耳を傾け、慎重な審議を行うことを要望したい。同時に、多くの読者諸兄に、この法案の危険性を理解していただき、法案が可決されることがないよう、声を上げていただくことを期待するものである。
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新たなセーフティーネット?

2006年10月27日 | 社会問題
全国知事会と全国市長会の「新たなセーフティーネット検討会」が、25日に、就労可能な生活保護受給者に対する給付を原則として打ち切る「有期保護制度」の導入などを提言した報告書をまとめたと報じられている。
受給世帯の自立を促し、自治体の財政を圧迫している給付を抑制するのが狙いだという。
しかし、これがなぜ新たなセーフティーネットの構築になるのだろうか?
「就労可能な」生活保護受給者というのはわけがわからない。そもそも、就労可能な人になぜ生活保護が必要なのだろうか?
たとえば、健康上の理由などによってフルタイムでの就労が不可能なため、不足する生活費を生活保護費として支給しているというようなケースであれば、支給は当然であろう。
しかし、フルタイムで就労できるにもかかわらず、生活保護を受給しているのならば、そもそもそういう人に支給していることに問題がある。就労可能であるにもかかわらず生活保護を不正に受給している特殊な例が存在することはけっして否定しない。そういう事例は直ちに改めるべきであろう。
しかし、一般的には病気や就職難のために、就職したくてもできない人たちのための最後のセーフティーネットが生活保護制度であろう。
そういう意味では、今回の提言は、その理由にも掲げられているように、「自治体の財政を圧迫している給付を抑制するのが」最大の関心事になっているように思われてならない。
一定の期限を決めて支給するという今回の提言によって、本当に必要な人に援助の手が差し伸べられず、北九州市の例のように、生活保護費の支給を拒否し続けて、とうとう餓死者まで出すような行政のやり方が日常化するのではないか、そのことを危惧するのは私だけではあるまい。
また、北九州市だけでなく、全国の役所や役場、福祉事務所では、生活保護の申請用紙の交付さえ拒否する事例がある。
今までにも本紙で主張してきたように、全就業者の3分の1が非正規雇用であり、年収が300万円にも満たないワーキングプアと呼ばれる人たちが増えており、その原因は安い労働力を要求してきた財界の責任であることは明確であり、ここを正すことなくして問題は解決しない。
今回のような5年という期限を切った生活保護制度は、現在あるセーフティーネットを壊すものではあっても、到底新たなセーフティーネットにはなり得ないと思われる。
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労働災害のない社会を

2006年10月26日 | 社会問題
労災が認められなかった人のための国の再審査機関「労働保険審査会」で、不服申し立てを受けてから結論を出すまでの期間が極端に長期化し、「迅速に不服を処理する機関」としての存在意義が問われかねない事態となっているという。
最近は年度内に処理できない案件が毎年1000件を超えているのに対し、再審査にあたる委員はわずか9人しかおらず、結論までに8年以上かかったケースもあると報道されている。
仕事のストレスによる自殺など、時代とともに労災の範囲が広がり、今後も申請件数の増加が予想される中で、制度見直しを求める声が高まっている。
労災の申請は、まず地元の労基署に行い、認められない場合は都道府県の労働局、さらに厚生労働省の付属機関の労働保険審査会に不服申し立てをするという“3審制”になっている。
同審査会は「裁判を起こさなくても、迅速に不服を処理してもらえる機関」として1956年に設置された。労災申請件数は、過労による精神障害によるものが2001年度の265件から05年度には656件に増えるなど、救済範囲の拡大などで年々増加。これに伴い、再審査の請求件数も増え続け、1995年度に326件だったのが2005年度は463件に上っている。
これに対し、再審査を行う委員は医師らたった9人である。この9人が3つのグループに分かれ、合議で裁決を下すが、年度内に処理できず、次年度に繰り越す案件が2002年度以降1000件を上回り、2005年度は1164件に上ったという。
厚労省によると、現在、7年がかりの案件が2件、6年が8件、5年が37件あり、昨年3月に裁決が出た兵庫県の元保母の自殺事案では8年3か月かかった後に「不認定」となった。このケースでは、後に行政訴訟で労災が確定している。
厚労省は、再審査の遅れの理由として、労災申請自体の増加に加え、「精神障害による自殺など判断が難しい事例が増えている」点を挙げる。
この記事に接して、編集長は2つのことを痛感した。
1つは、再審査制度にふさわしく、人員を増員し、迅速な審査を行うこと。特に、疑わしきは、労働者の利益になるような裁定が行われることを望むものである。
いま1つは、そもそもこのような労働災害が増えている根源には、企業の人減らしによる労働強化が厳然と存在している。厳しいノルマや競争によって、過労やうつ病などの精神疾患を患う労働者が増えていることは容易に想像できる。他の人は何でもないことでも、精神的に弱い人は必ず存在するものである。
労働現場である企業への規制強化なくして、労働災害はけっしてなくならないのである。したがって、労働現場そのものへの規制強化、特に違法なサービス残業、上司によるパワーハラスメントなど、労働災害を根本から取り除く制度の確立、規制の強化を強く望むものである。
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著作権保護期間、どのくらいが適切?

2006年10月25日 | 社会問題
先月のことなので、もう古い話なのかもしれないが、16の著作権管理団体で構成する「著作権問題を考える創作者団体協議会」が、著作権の保護期間を著作者(以下、作者)の死後50年から70年に延長するよう文化庁に要望書を提出したとのことである。
この問題については、編集長自身もまだ考えがまとまっていないのだが、読者諸兄への問題提起という形で、この記事を書いてみたい。
さて、日本の著作権法では、一般著作物の著作権・著作隣接権は作者の死後50年間保護される。しかし米国や英国、フランスなど欧米先進国の多くは70年間だそうである。この20年の差は、コンテンツが国際的流通する時代にそぐわないとこの協議会は訴えているわけである。
50年という年限は、著作権の国際条約・ベルヌ条約で決まっている最低限の保護期間で、「著作権は子孫2世代にわたり保護されるべき」という考え方によるという。欧米諸国は、平均寿命が延びていることなどを理由に、70年に延長してきたそうである。
したがって、「日本の作家は20年分の権利をはく奪されており、創作意欲の減退につながる。」、「作者が生涯をかけて作ったものの権利が、死後50年で打ち切られるのは耐え難い。」、「保護期間が短いと、それだけ日本の財産が失われることになる。日本のアニメや漫画、文学作品が世界進出する中、世界標準に合わせることが必要」というのが作者らの意見である。
もっともな主張と思われるが、個人的には多少疑問もある。
著作権が作者の死後50年までしか保護されないために、「創作意欲が減退する」作者が果たしているのだろうか。創作にあたって、著作権を意識する作家がいるとは考えにくい。
また、仮に作者が60歳で亡くなった時、死後50年までといえば、ひ孫が成人する頃まで著作権が続くことになる。祖父母、曽祖父母の創作の成果である著作権料を、それぞれ孫やひ孫が受け取るというのはいかがなものであろうか?多くの作者が、孫やひ孫にまで著作権料が支払われることを望んでいるのであろうか?また、孫やひ孫は、顔さえ満足に覚えていない祖父母、曽祖父母の遺産(著作権料)を欲しいと思うのだろうか?
確かに独創的な作品を生み出すために、作者は大変な苦労をしたであろう。実際に、そういう立場に身をおいてみないと、この気持ちはわからないのかもしれないが、作者自らがこの世を去った後も、50年にわたってその権利が保障されることに何の不満があるのだろうか?
また、すばらしい作品であればあるほど、これを積極的に開示して、世界中にどんどん広げたいと思うのが作者の心情なのではないのだろうか?
今回の申し入れをみると、どうも、子々孫々まで遺産を残したいという、金銭がらみの下世話な話のように思われてならないのである。
著作権をはじめ、特許権なども編集長にとっては、ほとんど縁のない代物であるが、機会があれば、この問題についての情報も仕入れて改めて考えてみたいと思っている。
今日は、とりあえず読者諸兄への問題提起としたい。
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とんでもない難病患者への補助削減

2006年10月24日 | 医療・社会保障
特定疾患として医療費が公費補助されている潰瘍性大腸炎とパーキンソン病について、国は補助の対象を重症者に絞る方針を打ち出したという。
特定疾患は、原因不明で治療法が確立していない難病のことで、国は121種の疾患を指定し、このうち特に治療が困難で患者数が比較的少ない45疾患に医療費を補助している。重症者は無料で、重症者以外は収入に応じた自己負担となり、上限は月2万3100円である。
患者数が少ないと、治療薬が大量生産できず医療費が高額になる、治療できる医療機関も少なく通院が困難といった事情のためだ。
しかし、厚生労働省は早ければ来年度にも、パーキンソン病など2疾患については、重症者以外は補助対象から外す方向で検討を進めている。
そもそも121種の難病のうち、45疾患にしか補助を行っていないこと自体が患者の生存権を奪っているわけであるが、医療費の増大を理由にして、更にこの補助を削減しようとするのはとんでもないことである。
一般に、難病患者本人は通常の仕事に就けず、家族も看病などの必要から正規の職業に就けないことが多く、難病患者を抱える家庭は年収が低いことが多い。
補助が打ち切られると、一般の病気と同様に3割負担となり、自己負担は一気に月3万円前後になる。
厚労省は患者数5万人未満の疾患を医療費補助の目安としてきたが、潰瘍性大腸炎(約8万人)とパーキンソン病(7万3000人)の患者が多く、2疾患を合わせると患者数で29%、予算額で26%を占めている
潰瘍性大腸炎では補助対象者の66%が軽症で、パーキンソン病も5~7割が重症ではないと推定されている。両疾患の補助対象を重症者に限定すれば、40億円近くを削減できるというのが言い分である。
患者団体などは、今回の補助削減に強く反発しているというが、当然であろう。
国民医療費32兆円の中で、難病関連予算はわずか0.1%に満たない。補助打ち切りで難病患者に経済的な痛みを強いる割には、医療費削減効果はほとんどない。過剰な薬剤使用や検査など、圧縮できる分野はほかにあるはずだ。
特定疾患の予算は、病気の追加指定や患者増に伴って増え、今年度は約240億円にである。莫大な金額と言えば確かにそうであるが、軍事費や高速道路、鉄道建設などの大型開発につぎ込んでいる予算に比べれば微々たる数字ではないか。
国民の命に関わる予算が削減されることがないように、国は責任を持って対応してもらいたい。
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偽装請負の受入れ企業に断罪を

2006年10月21日 | 格差社会
偽装請負については、本紙でもたびたび取り上げてきた。これは、この請負形態が、労働者派遣のもっとも悪質な方法であり、現在の所得格差の広がりの大きな要因になっているからである。
なぜ、企業は派遣ではなく、違法な偽装請負に走るのであろうか。それは、1)派遣の場合は、受け入れ企業が安全衛生について、全責任を負わなければならず、そのコストが発生すること、2)1年以上継続した派遣労働者を正社員として雇用しなければならないこと、この2点の規制があるために、企業は派遣ではなく、請負、しかも偽装請負に走るのである。
現在開会されている国会でもこの問題が取り上げられたが、厚生労働省はこの違法な請負を受け入れている企業の公表を拒んでいる。偽装請負が違法であるとして、その解消を指導しておきながら、違法行為を行った企業名の公表には応じないという信じられない態度を取り続けている。
そのような中でも、共産党の市田氏の参議院予算委員会での質問が光っていた。
クリスタルグループの労働者の派遣先を独自に調査し、その企業名を公表しながら政府の姿勢を追及した。
それによると、キャノン(7事業所):3033人、松下電器グループ(13):2701人、ソニー(5):1485人、東芝(4):855人、この他に、リコー、ダイキン、テルモ、三洋電機、日立、日産、シャープなどの70事業所で11,753人、合計約2万人もの偽装請負が行われているとのことである。これによって、通常、企業が負担すべき年金、保険料などを含む金額3,500円を2,500円に節約でき、この中から派遣会社が1,500円をピンハネし、労働者には1,000円が渡されるという。
クリスタルグループだけで、これほどの偽装請負が行われていることに驚かざるを得ない。というのも、クリスタルのように製造業に労働者派遣を行う企業は、613社(2004年3月)から8016社(2006年3月)へと、この2年間で10倍以上にも増えているからである。日本全体で、一体どのくらいの偽装派遣が行われているのかと考えると背筋が寒くなるばかりである。
また、共産党の公表した資料には、トヨタグループの名前がないが、以前に本紙で報道したとおり、トヨタ関連の部品会社で偽装請負で派遣されていた労働者に直接雇用の道が開けたが、こういうことを考えると、国会で明らかになった実態はまさに氷山の一角であろう。
その証拠に、年収300万円以下の労働者数は、1507万人(2000年)から1692万人(2005年)と5年間で200万人も増えているのである。
これに対して、もっと驚くのが財界・大企業の姿勢である。
政府の経済財政諮問会議(座長:安倍首相)において、偽装請負受け入れNo.1企業、キャノンの御手洗会長(経団連会長)は、「3年経ったら正社員にしろと硬直的にすると、たちまち日本のコストは硬直的になってしまう」と述べ、「請負法制に無理がありすぎる」、「これを是非もう一度見直して欲しい」と発言していたことが明らかになった。
以前にも述べたように、派遣社員を1年以上続けると企業に直接雇用の義務が生じるとの規制があるが、財界や大企業の要望によって、この規制も来年3月からは3年以上に延長された。御手洗氏が「もう一度見直して欲しい」といっているのは、この期限を無期限にしたり、偽装請負そのものを「適法」なものにせよという要求である。
このように、ワーキングプアと呼ばれるような労働者を生み出してきたのは、財界・大企業である。そして、大企業に現在の法律をきちんと守らせることによって、何10万人ものワーキングプアを救うことができるのである。ましてや、派遣、請負に対する規制をちょっと強化するだけで、今日本で問題になっている所得格差をかなり是正できることは間違いない。
格差社会にセイフティネットを作るのが政府の目標であるのなら、真っ先にこういった偽装請負を受け入れている企業に対して、強力な行政指導を行うべきであろう。
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核廃絶こそ焦眉の課題

2006年10月19日 | 憲法・平和問題
「(日本に)核があることで、攻められる可能性が低い、あるいはない。やればやり返すという論理は当然あり得る。」自民党の中川政調会長の発言である。同氏は更に、核兵器の保有について「議論は大いにしないといけない」と述べたそうである。「自衛のために日本も核兵器を持たざるを得ない」ということを言いたいようだが、この「自衛のための…」という言葉は最近、ある人物から聞いた言葉である。発言の主は、北朝鮮の国連大使である。
こうして見ると、中川氏と北朝鮮の言い分は、まったく同じである。
この中川氏の発言に援護射撃を行ったのが、麻生外相である。麻生氏は、中川氏の発言を「タイミングのいい発言だった」と褒めたうえで、18日の衆院外務委員会では、「(核保有の議論を)まったくしていないのは、たぶん日本自身であり、他の国はみんなしているのが現実だ。隣の国(北朝鮮)が持つとなった時に、1つの考え方としていろいろな議論をしておくのは大事だ」と述べたそうである。
これに対して、安倍首相は記者会見で「麻生大臣も非核三原則については政府の立場に立って発言している。閣内不統一ということはないし、この話は既に終わった議論だ」と述べたと伝えられている。
「非核三原則」を堅持する日本政府の閣僚から、なぜ「核保有の必要性」の議論が飛び出すのだろうか?その発言に対して、なぜそれが閣内不統一でないのか?支離滅裂としか言いようがない。
人類史上初にして、唯一の被爆国である日本から、核兵器廃絶の世論を世界に広げなくてはならない日本の閣僚として、失格であることは明瞭である。
人類は、非人道的な「化学兵器」である毒ガスの廃絶を達成してきた。これと同じように、核兵器の削減、廃絶は必ず達成できる。
そのためには、この日本から世界に対して「核兵器廃絶」の大きな世論を作り出していくことだ。
我々は、核爆弾によって広島、長崎で命を落とした多くの国民に代わって、「核廃絶」の声を張り上げる責任を負っているのである。
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格差根絶のために行動を

2006年10月18日 | 格差社会
所得格差の最大の要因となっている派遣労働であるが、その中でも特にひどいのが偽装請負である。
本紙でも何度か取り上げてきたが、今日は明るいニュースに接したので、紹介しておこう。
キヤノンの工場で働く請負労働者が、違法な「偽装請負」の状態で働かされてきたとして、労働組合を結成し、18日に正社員として雇用するようキヤノンに申し入れたそうである。この中には、キヤノンで10年間も働いている労働者もおり、「正社員になって、いいものづくりをしたい」と訴えている。
宇都宮光学機器事業所でレンズの製造などに携わる4人が18日昼、労働組合東京ユニオンのメンバーらとともに、東京都大田区のキヤノン本社を訪れ、要求書を会社側に手渡したという。
要求書によると、組合に入ったのは17人で、全員が今年5月までの1年間は派遣労働者として働いたが、それ以外の期間は、キヤノンから製品の生産を請け負った人材派遣会社の労働者として働いた。ところが、その間も「実際はキヤノン側の指揮命令を受ける偽装請負が続いていた」という。
このような偽装請負は、実質的には派遣状態とみなされる。17人は1年以上働いているので、労働者派遣法で定めるメーカー側の直接雇用の申し込み義務が適用されると主張している。
キヤノンで6年半働いているという男性(31)は「世界一のレンズを自分たちが造っているという誇りがある。できることなら正社員になってこれからもそれを造り続けたい」と述べた。
キャノンでは、宇都宮工場や子会社の大分キヤノンなどで偽装請負が発覚し、労働局から昨年文書指導を受けた。今年8月には「外部要員管理適正化委員会」を設置し、年内をめどに偽装請負の解消を目指しているとのことである。
このニュースを見て、編集長は2つのことを痛感せざるを得なかった。
1つは、昨年の時点で文書による是正指導を受けておきながら、未だに解決をしていないキヤノンの姿勢についてである。その気があれば、すぐにでも解決できることではなかろうか?サボタージュもいいところである。企業の社会的責任ということが言われるようになって久しいが、日本の大企業は、こういう最低限の自浄作用さえ失っているのが現状であり、誠に情けないかぎりである。
もう1つは、日本社会の抱える問題や矛盾について、評論家のようにあれこれと批評をするのは大変やさしいことである。肝心なのは、それらの問題を実際に解決することだろう。今回の事例のように、声を上げ、行動を起こすことなくして、自らの生活や社会のあり方も変えられないということである。
個人の努力も大切であり、これは私も否定はしない。しかし、さまざまな社会の矛盾を生み出している政府や官僚機構、企業などは、財政的にも組織的にも巨大なものである。これに対して、個人はあまりにも非力である。同じ志を持つもの同士が、力を合わせることなくして、個人の幸福は得られないのである。
まだ、この17人が正社員としての地位を確保したわけではない。17人全員が今後の人生をキヤノンの正社員として過ごせるようになることを心から願っている。
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雑学ですが・・・。

2006年10月16日 | その他
いま、平岩弓枝の「御宿かわせみ」シリーズを読んでいる。
江戸時代の旅籠を舞台にした物語であるが、この中に秋の七福神詣での話が登場する。通常は、正月に行われるものであるが、秋に行われるのが物語の伏線になっている。
白衣の背に、七福神詣と大書した浄衣を着て、提灯を片手に、「ながきよのとおのねぶりのみなめざめ、なみのりぶねのおとのよきかな」という文句を唱えながら、七福神を巡るという。
さて、前置きが長くなったが、ここに登場する文句は、五七五七七のれっきとした和歌(短歌)であるが、賢明な読者諸兄は既にお気づきのように、この和歌は回文(かいぶん、めぐらしぶみ)となっている。
しんぶんし、たけやぶやけた、と同じように、上から読んでも、下から読んでも読める短歌である。
漢字で書くと、次のようになる。
「長き夜の遠の眠りの皆目覚め波乗り舟の音の良きかな」
最も長い回文として、以下のような詩も知られている。私の記憶が正しければ、明治時代に発行されていた「萬朝報」という新聞に掲載されたもので、確か作者不詳のはずである。

時は秋この日に陽訪ねみん
紅葉錦の葉が竜田川の岸に殖え
鬱金峰伝ひに
陽の濃き淡きと
(ときはあきこのひにひたづねみん/こうゑふにしきのはがたつたがはのきしにふゑ/うこんみねづたひに/ひのこきあはきと)

それにしても、昔の日本人というのは大したものだ。詩歌の中に言葉の遊びを取り入れて、見事な文学作品にしてしまうのだから。
英語でも回文はできるが、長文は難しい。以前に、何かの本で読んだことがあるが、Madam, I'm Adam.というのがあるが、ちっとも面白くない。
日本語というのは、こういう言葉の遊びがやりやすい言語なのであろう。私たちの暮らしの中に根付いているダジャレ、ギャグもこういう遊びの変形である。しかし、どうも昔の人たちに比べると、そのレベルは確実に低下しているようである。
最近は、子供の学力低下が心配されているが、もっとも大きな原因はマンガとテレビゲームであろう。
ここ10年くらいは、子供ばかりでなく、スーツを着込んだれっきとした社会人が、電車などでマンガや携帯ゲームに興じる姿をよく見かけるようになった。
思考も短絡的になり、社会性も失われていくであろうことは、容易に想像がつく。
先人が築いた文化や文学、知恵に学んで、伝統的な日本文化の素晴らしさを再認識するとともに、読者諸兄も、秋の夜長に、日本最長の回文作りに挑戦してみてはいかがだろうか。
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他人事ではない地方自治体の財政破綻

2006年10月15日 | 国家破綻
昨夜、テレビ朝日の「小倉智昭の怒れ国民、税金のムダ使い真相調査第3弾」という番組を見ていたら、夕張市の財政破綻のことが話題になっていた。
この破綻については随分有名なので、私が改めて説明するまでもないが、簡単に触れておこう。
夕張市はもともと炭鉱で栄えた街だったが、エネルギー政策の転換により石炭の需要が激減し、炭鉱が次々と廃坑になり、街がどんどん寂れていったのである。市は新たな生き残り策として、バブル期に新たな借金を繰り返しながら、映画祭や各種のテーマパークの建設を進めてきたが、それらも失敗し、莫大な借金だけが残ったのである。
しかも、市当局による「粉飾決算」ともいうべき杜撰な財政管理により、どんどん傷口が広がり、とうとう破産の憂き目を見たのである。
正確には覚えていないが、番組で紹介されていた夕張市の借金額は、約600億円程度だったと思うが、その金額はどうでもよい。
問題なのは、その借金のツケがすべて、夕張市民の肩にのしかかることだ。
住民税の増税、各種の公共料金や保険料の値上げ、サービスの切捨てなどが目白押しである。これに対して、出席していた自民党の若手衆議院議員の上野賢一郎が、「こういうことは、最終的には自分たちに跳ね返ってくることを住民も早く気づくべきだ」という旨の発言をして、高橋ジョージなどのゲストから「住民の責任なのか!議員や政府に責任はないのか」と噛み付かれていた。
しかし、よく考えてみよう。
この場合、上野議員の主張が正しい。主権者は国民であり、選挙を通じて、国や地方自治体の議員を選ぶわけであり、その議員を日常的に監視するのも国民の義務であり、責任である。したがって、夕張市の場合、市長や議員が、借金をしてまでバカな施策を推進することにお墨付きを与えてきたのは、ほかならぬ夕張市民であり、その結果の財政破綻は、市民の元に跳ね返ってくるのは当然である。
ただし、おそらく夕張市議会の議員も全員がこれらの愚策に諸手を挙げて賛成し、推進してきたわけではなく、おそらくムダ使いに反対した議員もいるだろうし、そういう良識を持った議員に投票した健全な市民も多かったに違いない。
したがって、こういう一つひとつの施策に誰が反対し、誰が賛成したのか、番組ではぜひそこまで追及して欲しかったと思っている。そうしないと、市民は、次の選挙で誰に投票してよいのかわからなくなるし、市長や議会の責任もアイマイになってしまうだろう。
番組では、たしか夕張市の人口と借金額を1万倍すると、日本の人口と日本政府の借金額になると報じていた。日本の借金もいくらあるか分からないくらいに膨れ上がっており、財政破綻するのではないかと心配する国民も多い。
しかし、そういう国民の多くが、投票に足を運ばなかったり、この莫大な借金の作ってきた張本人である自民党などに、何10年にもわたって懲りもせず投票を続けてきたのではなかったのか?
番組では、さまざまな無駄遣いの例が紹介されていたが、こういう事例は、読者諸兄の住む自治体でも間違いなく同じことが行われており、ただ、そのことが十分に知らされていないだけである。
全国のほとんどの自治体の議会は、「保守系無所属」と呼ばれる自民党議員によって占められ、国会では野党面をしている民主党もほとんどの都道府県、市町村では、自民党とともに与党を構成している。
ぜひ、地元の自治体の予算に目を通し、必要な説明も受け、議会に足を運んで傍聴されることをお勧めしたい。
地方自治体の借金総額は、200兆円と言われており、夕張市の例は、けっして特殊な例ではない。読者諸兄の今後の賢明な投票行動を期待したい。
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人はどこまで便利さを追求するのか

2006年10月14日 | 環境・食料問題
ここ1週間の通勤電車で、石川英輔の大江戸シリーズを再読した。大江戸えねるぎー事情、大江戸リサイクル事情など4冊である。
同氏の本は、同じことが何度も繰り返し登場し、しかも江戸時代の浮世絵など図版が豊富なので、読むところが少なく、往復の電車で1冊を読み終えてしまえるのが良い。
江戸時代に、我々の先祖は太陽によってもたらされたエネルギー(主に、樹木や自然の恵み)だけを上手に使いながら、さまざまな工夫をしながら、貧しかったが、明るく暮らしていた世の中だったことが述べられている。
科学的にはほとんど進歩がなかったために、人力が頼りの時代であり、その人間さえも、不治の病になれば助かりようがなく、寿命も短かった。人や物の移動もせいぜい船や人力に頼るため、すこぶる時間がかかり、ひどく不便な時代だったに違いない。しかし、一方では、環境破壊もなく、身の回りに自然が広がり、海外からも注目されるような町人文化が花開いた時代だった。
江戸時代というと遠い昔のことのように思われるが、わずか150年前のことであり、本書に登場する江戸庶民の暮らしというものは、電気や若干の交通機関などを除けば、戦後の日本でもちょっと田舎に出向けば巡り合えるような暮らしだったのではなかろうか。
戦後、特に1960年頃からの経済発展によって、日本の生活は様変わりした。一般家庭にも3種の神器と呼ばれるテレビ、冷蔵庫、洗濯機が普及し、自動車も急速に増えた。その結果、確かに人々の生活は便利になり、さまざまな科学の発達により、人間の寿命も延びた。しかし、人はその生活の向上の裏に莫大なエネルギーが消費されていることを忘れていることに本書は痛烈な警告を発している。
人間の欲には限りがないのかもしれない。今まで1時間かかっていたことが、今度は30分でできるようにと願うのは、人間としての自然な気持ちなのかもしれない。
しかし、生活が便利になればなるほど、目に見えないどこかに負担がかかるのは当たり前のことである。よく考えてみると、我々の暮らしには莫大な電気、ガスなどのエネルギーが使われている。こうして、パソコンに向かって、駄文を書いている瞬間にも、刻々とエネルギーを消費しているのである。そのエネルギーのほとんどが、元を正せば原油や原子力などであるが、こういった資源もいつか枯渇する日が来るのであるが、これらの資源が到底手に入らないほど高価になるまで、ほとんどの人間がそのことに気づかずに、便利な生活にしがみつこうとするのだろうか。
また、便利な生活を手に入れる一方で、自然や環境の破壊、動物種の絶滅といった人類の現在の科学力では対応しきれないような新たな問題も次々に起きている。
今さら、江戸時代のような不便な生活に戻りたいとは到底思わないが、便利さを追い求める暮らしには、そろそろ終止符を打つべき時が来ているように思われる。
そして、我々の祖先が、不便な暮らしの中でも、世界で絶賛されるような浮世絵や根付、さまざまな工芸品などを生み出してきたことに学ぶ必要があるのではなかろうか。
最近は、スローライフという言葉を耳にするようになり、今までの生活を見直そうという動きもあるが、ぜひ、読者諸兄も江戸時代の暮らしに想いを馳せ、現在の「便利な」暮らしを見直すきっかけにしてはどうだろうか。
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許されない北朝鮮の核実験

2006年10月13日 | 憲法・平和問題
以前に書いたことだが、通常は50件くらいのアクセスがあったのだが、しばらく記事を更新しなかったら、1日当たりのアクセス数が10数件になってしまった。
「時々」新聞社とはいうものの、やはり、フラリと立ち寄ってくれる人もいるのだから、記事の更新は大切なのだと痛感した。
さて、更新をサボっていた間に、北朝鮮による核実験が行われた。まったく許しがたい行為であり、平和に対する挑戦である。
日本政府は、当初「核実験かどうかわからないので、確認が必要」などというノンビリした態度だったが、数日後には、北朝鮮への経済制裁を決定した。この決定を歓迎したい。
北朝鮮との間では、あらゆる外交ルートを用いて、あくまでも平和的な外交によって問題の解決を図って欲しいと願っているが、相手は普通の国家ではない。
経済制裁など、あらゆる平和的な手段も用いて、相手を同じテーブルに着かせる努力が必要だ。
国連決議も、軍事的な解決ではなく、あくまでも外交を通じた平和的な解決を図る方向で議論が進んでいるが、この態度は立派である。北朝鮮の友好国と言われている中国やロシアも含めて、国際社会が一致して、問題解決のために努力することを期待したい。
さて、北朝鮮という国について、少し考えてみたい。
多くの国民が、この国のことを未だに社会主義、共産主義国家であると思っている。マスコミなどもそういう報道を続けているので、国民がそう思い込んでしまうのも無理はない。日本の共産党などは、北朝鮮の味方のように思われていて大変気の毒になるくらいだ。
しかし、国家の絶対的な支配者たる「将軍様」が、世襲で決まっていくような共産主義国がかつてあっただろうか?これは、江戸時代の日本と同じであり、さらに、徳川将軍から天皇へと支配者の名前が変わっても、特定の一族が絶対的権力を握っていた戦前までの日本と同じであり、とても、共産主義国家などと呼べる代物ではない。むしろ、狂信的な宗教国家に近い。敢えて名づけるとするならば、金日成教国家とでも呼ぶべき国家である。
指導者による国家の変質、理想からの逸脱を、我々は、世界のさまざまな国で目撃してきた。スターリンや毛沢東など、共産主義国と言われてきた国家だけでなく、資本主義国と呼ばれる国々でも戦争好きや汚職まみれの指導者は存在してきた。
私は、現在の資本主義社会の次に来る社会体制の一つとして、共産主義社会をけっして否定しない。あるいは、新しい探求が行われて、日本はまったく別の国家体制になるかもしれない。
しかし、次の社会体制になった場合の日本の姿として、少なくとも現在以上に自由や平和を謳歌でき、国民が主権者として政治を動かし、あらゆる差別、犯罪や環境破壊もなく、障害者や子供、老人が大切にされる社会を希望するものである。
隣国のバカな指導者を笑うだけでなく、日本の抱える社会の矛盾についても改めて考える機会にしたいと思っている。
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民営化で、郵便局はいま

2006年10月06日 | 政治問題
郵政解散、そして、郵政民営化が国会で決まってから、早や1年が経った。
もっと早くこの記事を書きたかったのだが、慌ただしさに紛れて、ついつい後回しになってしまった。
さて、この1年間の動きを見ていると、良識ある国民が懸念したとおりの方向に話が進んでいる。
9月には、日本郵政公社が、業務再編計画を発表した。
その内容によると、現在全国に4,696ある集配局のうち、1,088局は集配と区分の両方を行う統括センター、2,560局は配達だけの配達センター、残る1,048局は窓口業務だけの無集配局にする計画である。しかも、そこで働く郵便局員は、近隣の局に移管、集約するとのことである。
その結果、約1,000人分の業務を減らし、2009年度には年間で約100億円のコスト削減を行うという。
すでに、無集配局になる1,046局のうちの149局では、9月から郵便物の集配が中止されている。この中には、山梨(4局)、中国・四国地方(117局)、沖縄(9)といった地方だけでなく、千葉(7)、茨城(9)、埼玉(2)、神奈川(1)といった首都圏の郵便局も含まれている。
政府は、郵政の民営化によって、「サービスは切り捨てない」、「民営化によってむしろサービスが良くなる」という宣伝を繰り返してきたが、これらの主張がまったくのデタラメだったことが早くも露呈したわけである。これらの郵便局での集配の廃止によって、該当地域の郵便物の配達は大幅に遅れることになるのは明らかである。
「郵政解散だ」といって大騒ぎし、それをマスコミがこぞって報道し、多くの国民もそれに熱狂した結果がこれである。
しかも、安倍首相のお膝元の山口県では、実に42局が既に集配を廃止しているのである。山口県民は、戦後生まれの首相を輩出したなどと浮かれているが、足元はこのように悲惨な結末となっているのである。
さらに深刻なのは、こういった無集配局への移行はまだ序の口であり、計画によれば、来年3月までにあと897局が無集配局になるのである。
また、まだ計画は出されていないが、今後は地域にある特定郵便局の統廃合も加速度的に進められることは容易に想像がつく。その時になって、多くの国民が初めて「郵政民営化」の真の意味を知ることになるのだろう。
国民のレベル以上の政府は生まれない、という言葉を聞いたことがあるが、やはりそうなのだろうか。そのことを考えると、暗澹たる気分になる今日この頃である。
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「偽装請負」の根絶を

2006年10月05日 | 格差社会
「偽装請負」で急成長してきた企業が、今回事業停止処分を受けた。
この企業は、クリスタルグループに所属するコラボレートである。
この会社は、先日、本紙の「偽装請負」の記事で紹介した光洋シーリングテクノにも労働者を「派遣」していた企業である。
報道によると、クリスタルグループは、バブル崩壊後の15年間で年商を10倍近くに伸ばし、売上高が国内だけで5000億円を超え、グループ企業は昨春の時点で200社以上、従業員は12万9000人を数える隠れた大企業だそうだ。コラボレートが手がける製造請負はその中核部門だったが、「偽装請負」に対する批判の高まりなどによって、抜本的な転換を余儀なくされた。
クリスタルは、1974年に京都市で設立され、当初は工場の清掃の請負が主な事業だったが、やがてメーカーの人手不足(実質は人員削減)を補うために、製造請負に乗り出したという。
生産量の増減に合わせて人数を自由に調整でき、人材育成のコストも減らせる。人件費を抑制したい不況下の企業にとって、不法な製造請負(「偽装請負」)は都合の良いことだらけであった。
こういう「偽装請負」が労働者の給料を下げ、企業の収益を生み出す根源になってきたわけである。
一方、こういう「偽装請負」解消の動きに対して、企業側はその是正に消極的であり、ただ収益を上げるためだけに「偽装請負」を温存し、以前に本紙で紹介したように、日本を代表する世界的企業が法律違反を承知のうえで、「偽装請負」を続け、バブル期にも達成できなかったような莫大な収益を築いてきたのである。
最近では、賃金の安い外国人労働者との競争も激しくなり、請負単価もどんどん下落し、それにつれて派遣される労働者の給料も低下の一途をたどっているのである。
しかし、考えてもみよう。労働者の給料をどんどん削って、収益を上げるようなやり方や企業が自前で人材を育てないようなやり方を一体いつまでつづけることができるだろうか。また、低賃金で働く労働者が日本中に蔓延した時に、一体誰がその商品を購入できるというのだろうか。
熟練した労働者はどんどん少なくなり、技術力は低下し、「安かろう悪かろう」の製品が大量に市場に出回ることになりはしまいか。実際に、トヨタの大量リコールやソニーの製品回収といった最近の事例を見れば、一目瞭然ではなかろうか。この10年間、日本の技術力は、企業収益に反比例するようにどんどん低下し、国際市場でもその評価と信用を低下させてきたのである。
このような手法について、企業全体として反省する時期が来ていると思われるが、個々の企業は価格競争の中に置かれているため、解消に踏み出しにくい側面はある。しかし、「高くても優れている」商品を提供し、繁栄している企業は多い。このような方向にこそ、企業の未来があるのではなかろうか。
また、法律によって企業全体を規制し、このような「偽装請負」を根絶し、ワーキングプアと呼ばれるような低賃金の労働者をなくし、それによって消費を拡大することが日本経済の健全な発展にとって最も望ましいと思われる。
かつて、フォードは自社の労働者に他社の2倍以上の給料を支払った。やがて、その労働者たちがフォードの自動車を購入し、瞬く間にフォードを世界一の自動車会社に育て上げた。そのような思い切った資金循環を作り出さない限り、日本経済の成長は望めないと思われる。
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