時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

ブームについて

2007年08月31日 | 社会問題
世の中には、ブーム、流行というものがある。
音楽、ファッションなどは私たちにとっても大変身近なものであるが、この世のありとあらゆるものにブームは存在する。
最近、アメリカでの住宅バブルの崩壊に伴い(このバブルも一種のブームだった!)、急激に円高となったが、これによってFX(為替証拠金取引)でずいぶんと損を抱えた人もいたようだ。このFX取引やREIT(不動産投資信託)などもいわゆるブームである。
一部の人たちで行っているうちは、ブームでも何でもないが、多くの人たちが関心を持ち、真似をするようになるとブーム、流行になる。
しかし、多くの人が真似をするようになったら、面白みがなくなり、やがて世間から忘れさられてしまうようになる。
FX、REITなども最初に着目した人たちは、大いに儲けたのだろうが、ブームを聞きつけて後から参入した人たち、業者から勧められて購入した人たちにはあまりメリットはなかったのではあるまいか。それどころか、損をして、塩漬け状態の人たちも多いと思われる。
さて、編集長は、3年ほど前に100円程度の商品に付いているキャラクターのおまけをネットオークションに毎週のように出品したことがあった。ちょうどその頃が、このグッズのブームの絶頂期だったようで、値段がどんどん釣り上がり、1つ1つが数百円、数千円という値段で次々と売れた時には、正直驚いてしまった。最近、残っていたこのキャラクターグッズをオークションに出品しているが、ほとんど買い手はない。当時、購入した人たちは後悔しているに違いない。
売る時はブームの時に、買う時はブームが去ってから、ということを痛感している。
いま、都心では地価が上昇に転じたという。またマンションブームとも言われており、新聞やテレビでもコマーシャルが盛んに行われている。大量のチラシがポストに投げ込まれる。
しかし、いま買わないと買えなくなる、と焦る必要はない。特に購入を急いでいないのなら、数年経って、テレビや新聞でコマーシャルが下火になってから購入するのが賢明である。日本の人口は減少している。所得格差が広がり、一部の富裕層以外に高級住宅街に住むことはできなくなるだろう。貧困層の広がりで、親の代からの住宅を処分する人たちも増えるだろう。不動産業者も在庫を抱えきれなくなって、叩き売りに転じるようになるに違いない。
ブームに乗せられてはならない。ブームが下火になり、誰からも注目されなくなった時こそ、チャンスである。
編集長は、コインや切手をコレクションしているが、過去のブームが過ぎ去ったこれらのコレクションアイテムは、いまでは廉価で入手できる。コレクターにとっては、コレクションを充実できるチャンスである。もっとも、今後、コインや切手のブームが再来するとは思えないので、値上がりなどは到底望めない。廉価で収集したものを眺めて楽しむだけのことになるだろう。そもそも、コレクションとはそういうものなのだから。
ブームに乗る人、乗せられる人、我関せずとばかりに傍観する人など、世の中さまざまであるが、お互いに冷静に対応したいものである。

環境に関する話題、2題

2007年08月30日 | 環境・食料問題
今日は、環境に関する話題を2つお届けしよう。

<よびがえれ、東京湾>
カキを使った東京湾の水質浄化実験が港区台場のお台場海浜公園で始まったことがニュースで報じられていた。
植物プランクトンを食べるカキは、1個で1日に400リットルの海水を浄化する能力があり、この日は夏休み中の子供が、砂浜近くに浮かべたイカダに、約200個をくくりつけた。最終的には4万個が海中につるされる予定で、都港湾局は「子供が安心して遊べるきれいな水辺にしたい」と意気込んでいる。
自然の浄化力を借りて、東京湾の水質を改善する試みは興味深く、意義のあることである。今後の成り行きを注目したい。
しかし、東京湾には関東一円の生活排水が流れ込むため、リンや窒素の濃度が高く、人工の砂浜海岸が続くお台場海浜公園でも、海水浴が禁止されている。
要するに、東京湾は関東一円の生活廃水の最後の溜まり場になっており、土壇場で何とかしようとしても自ずと限界があるのではなかろうか。
海底に積もったヘドロの処理はもちろんのこと、利根川、多摩川の上流地域での下水道を計画的に整備し、東京湾に流れ込む水そのものを浄化しなければ、目標の達成は覚束ないであろう。

<尾瀬国立公園が誕生>
日光国立公園から分離のうえ、新たに会津駒ヶ岳などが編入され、広さが約3万7200ヘクタールの尾瀬国立公園が誕生した。新たな国立公園の設置は、釧路湿原以来20年ぶりで29番目になるという。
国立公園に制定されると、何か特別なことがあるのだろうか。
たとえば、この地域内や周辺何10キロの範囲では、焼却場や廃棄物の処理場、原子力発電所、各種の工場を建設してはいけないとか、ゴミを捨てた者は厳罰に処するとか、環境に特別配慮した規則などが適用されるのだろうか。
日本には、国立公園の他、国定公園が37ヵ所存在する。これ以外にも都道府県が制定した自然公園なども無数にあるだろう。また最近は、世界遺産に指定された地域もある。
要するに、こういう公園に指定しても、その地域を含む周辺地域の環境保護対策が十分に行われてきたかどうかが最大の問題である。
指定するからには、国からも十分な予算を配分し、これらの地域の環境保全などに役立てられるようにすべきであろう。指定して終わり、にならないよう、国や都道府県の対応を期待したいと思っている。
さらには、こういう指定がなくとも、日本のいたる所で自然に親しめるような環境が整備されることを願ってやまない。

安倍内閣の不支持率52%

2007年08月29日 | 政治問題
毎日新聞の電話による全国世論調査によると、27日に発足した安倍改造内閣の支持率は33%で、政権発足以来最低だった前回調査から11ポイント回復、参院選前の水準に戻った。ただ、不支持率が52%と依然半数を超えているほか、安倍晋三首相の指導力不足も指摘されており、世論の厳しい見方に変わりはないことを示したと報じられている。
過半数の国民が安倍政権を見限っているという点について、当の安倍首相はどのように受け止めているのだろうか。
内閣は改造したが、相変わらず、憲法改正、戦後レジームからの脱却など、戦後政治そのものを否定し、戦前回帰の方向を打ち出しており、中身は何も変わっていない。過半数の国民が支持しないのは当然である。即刻、解散・総選挙で国民の信を問うべきであろう。
毎日新聞では、「昨年9月の発足から下落が続いた内閣支持率は春先に持ち直したが、5月調査で再び急落、支持率32%、不支持率44%となった。参院選直前の7月調査は支持率31%、不支持率53%だった。今回は、参院選直後の前回調査の支持率22%、不支持率65%という最悪の数字からは脱した。しかし、参院選の自民惨敗という結果につながった状況に戻しただけで、首相が政権浮揚を狙って行った人事が、あまり効果を上げたとは言いがたい結果となった」と報じている。
また、即刻あるいは年内に辞職すべきだという声が約半数を占めている。
内閣の顔ぶれが問題なのではない。政府、与党がこの1年足らずの間に行ってきた政策、またこれからもこの政策に変更がないことに国民の怒りと不安が強まっているだけだ。
参院選の結果や今回の世論調査の結果を真摯に受け止めるというのならば、内閣の顔ぶれではなく、中身を入れ替えることが先決であろう。

最近のニュースから

2007年08月28日 | 社会問題
茨城県のスーパーで、酒店経営者(67歳)が、満席の飲食コーナーで仮眠をして4人用のテーブル席を占領していた男に対して相席を求めたのがきっかけで、口論となった。この男に店外に連れ出され、後頭部を殴られたり、腹部をけられたりして亡くなったという事件があった。犯人は25歳の新聞販売店員で、その後自首したようだ。
こういう事件に接するたびに、些細なことでキレる人間が増えていることに驚かざるを得ない。しかも、若者だけでなく中高年にも確実に増えている。やはり、ストレス社会のせいだろうか。

名古屋市千種区の路上で、派遣社員の女性(31歳)が拉致され、殺害された事件で、3人の容疑遺体を遺棄した後、さらに翌日の夜に別の女性を襲撃する計画を立てていたことがわかったという。3人はこの女性から奪った現金7万円を分け合ったが、取り分が少なく、新たな拉致を計画したという。わずかばかりの金銭に目が眩んで平気で殺人を犯すような社会になっているということだ。生活に困窮すれば、餓死するか、他人の物を奪うか、どちらかしか方法がない社会になりつつあるのかもしれない。

厚生労働省が、6-7月に全国のネット喫茶87店の宿泊客1700人にアンケートを行い、これとは別に東京、大阪の店の前で362人に聞き取り調査した。その結果、住所不定でインターネット喫茶を泊まり歩くネットカフェ難民が全国で5400人と推定されることがわかったという。20歳代が27%と最多だが、50歳代も23%おり、高齢層にも拡大。半数が日雇い労働で、低賃金の不安定な仕事が背景にあった。
バーガーショップ難民やホームレスのように地下街などで過ごす人も多いと思われるので、実態はもっと悲惨であろう。
この調査結果を生かして、偽装請負や違法な派遣をやめさせ、企業に正規雇用者を増やすよう強力に指導すべきであろう。

世界陸上が始まったが、今ひとつ盛り上がりに欠けている。ハードルの為末大、女子走り幅跳びの池田久美子はメダルが期待されながらも予選落ち、男子マラソンの各選手、ハンマー投げの室伏広治もメダルに手が届かなかった。
日本での開催ということもあり、選手にとってはストレスも少ないように思われるが、逆に声援の大きさに萎縮して、本来の力が出し切れないという側面もあるのかもしれない。
陸上競技に関して言えば、一部の競技を除いて外国選手の壁は厚い。実力を出し切って、悔いのないたたかいをして欲しいと思っている。

朝青龍問題も賑やかである。とにかく、朝青龍がまったく反省していないことに事の本質がある。どこで治療しようが、2場所の休場後に国技館に戻ってこようが、反省の態度がない限り、国民から総スカンを食らうことは間違いない。
治療や休養は、本人の希望も入れて、モンゴルで行うようになったようだが、せめて、自らの行動を真摯に反省し、国民の前で謝罪会見ができるようになるまで、しっかり休養してきてもらいたいものだ。

進む、国民年金未納者への差し押さえ

2007年08月26日 | 政治問題
国民年金未納者への差し押さえが、2006年度に過去最高の11,910人となり、前年度の4倍に激増した。
最押さえの対象は、13ヵ月以上の未納があり、控除後の所得が200万円以上(単身世帯で、年収280万円程度)で、電話や訪問で督促しても納付されなかった世帯である。
社会保険庁が、これらの未納者に対して預貯金の差し押さえなどの強制徴収の手続きに入ることを告げる最終督促を送ったのは31万人に及び、2005年度の17万人の役2倍になっている。この31万人のうち、10万人余が未納分を納付したが、残りは納付されていない。
最押さえを含む厳しい督促にもかかわらず、2006年度の納付率は目標の74.5%に達せず、66.3%に留まっている。この数字は、2005年度の67.1%よりも低下している。
十分な所得があっても、年金そのものへの信頼が揺らいでいることが、納付率の低下に繋がっている。また、そもそも200万円程度の所得の世帯から、年額16万円余もの年金を取り立てること自体に無理があるように思われる。
社会保険庁を管轄する厚生労働省の調査によると、2004年の世帯間の所得格差が過去最大になったことが報じられている。
所得別に見ると、前回の調査と比較すると、50万円未満の世帯が4.7%増の23.4%となっている。
ジニ係数は0.5263で、前年の0.4983よりも拡大し、過去最悪を更新している。ジニ係数が0.5を越えたのは今回の調査が初めてであり、所得格差の広がりは深刻である。
このような状態の中で、年金保険料の強制的な取立てにどれほどの効果が期待できるだろうか。
格差の存在そのものを否定するつもりは毛頭ないが、格差の広がりの中で日々の生活にすら窮する世帯は確実に増えている。ボロもうけをしている大企業や富裕層の負担を増やし、生活困窮世帯の救済に当てることこそが、政治の取るべき道ではなかろうか。

自公が参院選の総括

2007年08月25日 | 政治問題
自民党の「参院選総括委員会」の谷津義男委員長(選挙対策総局長)は、臨時役員会と総務会で、参院選で惨敗した最大の要因として「政府・与党の危機管理能力の欠如」を挙げた参院選総括を報告した。
総括は、年金記録漏れ問題、政治とカネ、閣僚不祥事、住民税の定率減税廃止による国民負担増に加え、組閣における論功行賞人事や郵政造反組の復党などを敗因として挙げ、安倍首相の一連の対応について「一般国民の側ではなく、永田町の政治家の側に立っているようなイメージを持たれた」と厳しく指摘したと報じられている。
その通りである。しかも、国民の立場に立っていない「イメージ」ではなく、まさしく、国民不在の政治を強引に進めてきた結果が参院選の結果のすべてである。
事務所費問題も国民の意識とはかけ離れているし、閣僚の暴言も単に本音が出たにすぎない。そういう自民党の腐りきった政治に国民はノーの審判を下しただけのことである。
この点をうわべだけ反省しても、国民の支持をつなぎとめることはできないに違いない。
一方、与党の片割れの公明党も、参院選総括のために党本部で開いた全国会合で、県本部代表の1人から、現在の自公連立体制を見直し、閣外協力を検討するよう求める意見が出ていたことが分かったと報じられている。
関係者によると、県代表の一人が「自公連立8年間の総括をするべきだ。自民党と距離を置き、閣外協力もあっていいのではないか」と発言し、北側幹事長が「自公連立政権で改革を進めてきたのは間違いない。自公路線は揺るぎない」と引き取ったという。
今回の選挙で、公明党は、参院選の敗北があたかも自民党の不祥事によるものと思っているようだが、それはとんでもない間違いだろう。
自公連立で、公明党は数々の強行採決に加わり、憲法の改正も認め、年金問題でも自党の議員が厚生労働大臣を長く務めながらまったく対策を打てなかったではないか。また、住民税の定率減税の廃止を言い出したのも公明党であり、新聞や週刊誌でも「増税戦犯」、「定率減税廃止は公明党のおかげです」などと皮肉られる始末である。
自民党だけでは、あるいは自民党さえ二の足を踏むようなことまで平気で進めてきたのが公明党である。公明党も自民党と同様に、国民の立場に立っていないからこそ、厳しい審判を受けたのである。
両党とも、自浄能力のかけらさえない選挙総括ではないか。笑うほかはない。
ところで、よく知られているように、公明党は創価学会の名誉会長のひと声によって作られた政党であり、自公連立も名誉会長の「天の声」によるものであろう。
「自民党と距離を置くべき」と発言したこの県の代表は、「天の声」に反したということで、袋叩きに会わないのだろうか。他人事とは言え、そのことだけが少々気がかりである。

死刑執行の是非

2007年08月24日 | 社会問題
法務省は、東京、名古屋両拘置所で、死刑確定者3人の死刑を執行したと発表した。長勢法相の就任以降では、昨年12月の4人、今年4月の3人に続いて3度目で執行数は計10人。
1993年に後藤田法相(当時)が3年4カ月ぶりに執行を「再開」してからは、1人の法相の命令による執行数では最多となる。同省によると、この日の執行により生存死刑囚の数は103人になったという。
この記事に接して、初めて知ったことも含めて、いくつかの点について書いておこう。
1つは、死刑囚というのは、刑務所に収監されるのではなく、拘置所に収監されるということを今回の件を通じて初めて知ったことである。今回の死刑の執行も拘置所内で行われている。なぜ、刑務所に収監されないのかその理由はわからないが、確かに、懲役刑ではないので、刑務所に入って「労働」することもない。死刑囚は毎日、ただ死刑執行をされる日が来るのを独居房で待つばかりなので、刑務所に収監しないのかもしれない。
2つめは、長勢法相になってからの死刑執行の多さである。確かに、現行法制上、死刑が決められている以上、これを誰かが執行するということはやむを得ないのかもしれないが、それにしてもこの多さはいかがなものか。しかも、まもなく内閣の改造が予定されており、法務大臣も変更になる可能性が高いこの時期になぜ敢えて死刑を執行したのかは極めて疑問である。
3つめは、「死刑」という刑に対する考え方である。今回の件を通じて、死刑という刑罰に対する様々な意見が報道されていて興味深い。
編集長は、基本的には「死刑」には反対である。無期懲役と死刑との間には何か違いの元になる基準があるのだろうが、どうもアイマイな感じがする。また、相変わらず冤罪も起きている。死刑という判断に絶対に誤りはないのだろうか。また、人道的な見地からもあまり好ましいものではない。
一方で、凶悪犯罪が頻発するようになり、「死刑」の存在がその抑止力になるという考え方もある。また、殺人などの被害者の家族にとっては、加害者への憎しみは大きく、その感情からすれば極刑は当然との意見もある。
議論が尽きない問題であるが、もし、死刑を廃止するならば、それに代わる懲役刑の大幅な見直しが必要であろう。
現在は、長期の懲役刑についてはその刑期の3分の1を、無期刑については10年を経過した後に、仮釈放できることになっている。最近ではほとんどの場合、有期刑は3分の2以上、無期刑は20年以上が経過してからと言われているが、殺人などの刑としては、あまりにも短いように思われる。最近では、出所者の約半数が仮出所者である。
さて、死刑を廃止する場合は、仮釈放がない、文字通りの「終身刑」を導入したり、凶悪犯罪の懲役刑の上限を全体的に引き上げたりすることが必要になるであろう。また、刑務所内での労働も、真に出所後の就労に役立つものにしなければなるまい。
今回の件をきっかけにして、死刑の賛否はもちろんのこと、海外での刑罰のあり方や懲役刑のあり方、服役者への教育のあり方、刑務所そのもののあり方など、議論が活発に行われることを期待している。
同時に、詐欺などの経済事犯、企業による犯罪については、一般に暴力事件などよりも刑罰が軽い。なぜだろうか。虎の子の財産を騙し取られたような場合、被害者の感情、経済状態などを配慮して、もっと重い刑罰を科すべきではないかと思っている。併せて議論が行われることを願っている。

生活用品高騰

2007年08月23日 | 経済問題
日銀の政策委員会が、今回も利上げを見送るとの観測が出ている。物価上昇圧力が小さく、デフレが続いているとの判断らしい。また、最近の為替相場などを見極める必要があるとの判断も働いているらしい。
ところで、物価上昇率が低いというが、最近は、生活必需品の高騰が報告されている。
身近なところでは、ガソリン価格がある。数年前までレギュラーで110円台だったものが、最近では140円台になっており、都内でも150台のところも珍しくない。
産油国の政情不安などを理由とした原油価格の高騰に加え、この間、円安が続いてきたことによるものであるが、庶民にとって負担は大きい。
また、植物油も高騰している。これによって、マヨネーズもスーパーで見かけるたびに値上げされている。アメリカで大豆の作付け面積が減少していること、ヨーロッパでは菜種油がバイオ燃料に転用されているため、植物油が高騰しているためと言われている。また、とうもろこしなどもバイオ燃料に転用されるため、家畜の飼料が大幅に高騰し、これが食肉や加工品であるハム、ソーセージなどの価格高騰の原因になっている。
まぐろ、かつおなどの魚も消費拡大によって値上がりしており、かつお節やツナ缶も値上がりしている。
木材やチップの値上がりでティッシュペーパーも大幅な値上がりになっている。
デフレ圧力が強いというが、生活必需品は軒並値上げが続いている。
一方で値下がりしているのが、電化製品などである。液晶テレビ、プラズマテレビなどは、価格破壊もいいところだ。家電量販店に行くと、行く度に値段が下がっていて、「もう少し待とうかな」という気になる。
編集長の実家でも、わずか六畳の和室にバカでかい液晶テレビが鎮座しているので、あまりの近距離のため目がチカチカしてとても長時間は見ていられない。しかし、年金生活でもこういうテレビが購入できるまで価格が低下しているということだ。
さて、こういうものを十把一絡げにして物価上昇率を計算するのだから、物価が上昇していないと言われても、一般庶民からすれば「?」と思ってしまう。
庶民生活に直結する生活必需品の価格安定のために政府はもっと努力すべきであろう。
農業分野では米は減反に次ぐ減反だが、大豆、とうもろこしなど輸入に頼るばかりでなく、適正な価格保証も行い、作付け面積の拡大、増産を図るべきだろう。
日本は森林資源に恵まれている。木材や間伐材の活用で生活に必要なティッシュペーパーくらいは自国でまかなえるような体制を作るべきであろう。
日銀の政策委員会も、庶民の立場で経済のあり方を検討して欲しいと願っている。

企業が着服した年金保険料を税金で負担?

2007年08月22日 | 政治問題
ちょっとだけ休暇を取って実家に帰って、PCにアクセスできなかったため、記事の更新が出来なかったが、久々に何か書いておこう。
しかし、この暑さで少々バテ気味なので、短めでご勘弁いただきたい。
さて、政府は、企業が従業員から集めた厚生年金保険料を国に納付していなかったケースについて、すでに企業が倒産している場合などに限定して過去の保険料を税金で補てんする方針を固めたという。
給与から保険料を天引きされていながら年金を受け取れない従業員を救済するためである。来月召集予定の臨時国会へ提出する新たな特例法案に盛り込む。企業が存続しているにもかかわらず、過去分の保険料の支払いを拒否した企業名を公表する措置も法案に明記する。
厚生年金保険料を巡っては〈1〉事業主が従業員の保険料を着服し、国に納付しなかった〈2〉転勤などの際、企業の事務処理ミスで、短期間保険料が納付されなかった――ケースなどが指摘されている。こうしたケースでは、従業員は給与から保険料を天引きされていても、社会保険庁に年金記録が存在しないため、保険料が未納となって年金が受け取れなくなったり、受給額が減ることになる。
年金不安に対する対策として、政府はいろいろと策を講じているが、会社が倒産しているようなケースで従業員に年金が保証されることは歓迎である。
しかし、従業員が支払った保険料を経営者が着服しているわけだから、こういうケースでは、当時の経営者が生存している限り、着服分を返済させるか、もしくは詐欺事件として立件すべきではなかろうか。それをサボタージュして、いきなり税金投入というのは少し安易な気がするのは編集長ばかりではあるまい。
年金に対する国民の怒りは、参議院選挙の結果に現れたとおりであり、政府も相当焦っているのはわかるが、国民の税金を投入するというのは最後の手段にすべきであろう。今回のようなケースでは、まだまだ打つべき対策は多いと思われる。

地球温暖化

2007年08月17日 | 環境・食料問題
今年の猛暑には、辟易としている。日本で40.9度という最高気温が記録された昨夜は、さすがに我慢ができず、今年初めてクーラーをつけたまま就寝した。
ちょうどこの日に北極の氷の面積が過去最低になったことも報じられていた。また、身近なところでは、熱中症による死者が今月に入って33人になったことも報じられていた。
以前に、「量的変化と質的変化」について述べたことがあるが、温暖化も日々の変量的変化は遅々としたものであるが、ある閾値を越えると質的変化、すなわち急激な地球の環境変化をもたらすことだろう。
さて、二酸化炭素などの温室効果ガスの増加によって現在の地球の温暖化が進んでいると言われているわけだが、日本政府の姿勢はまったくの後ろ向きだ。
国連を中心に、世界の国々が地球温暖化を防ぐ対策を毎年話し合っているが、有名なのは、1997年12月に京都で開かれた「地球温暖化防止国際会議」で、各国が、二酸化炭素など温室効果ガスを減らすことを約束した。これが有名な「京都議定書」である
ここでの決定は、1990年の世界の二酸化炭素の排出量を推定し、この水準からさらに、日本は6%、USは7%、EUは8%削減することを決定した。
2008年から2012年までの5年間の平均でこの削減目標を達成することを決めたわけである。
USは、この時にはクリントン政権時代で、削減目標に反対していた産業界の反対を押し切って、7%削減を約束したが、その後、ブッシュ政権が議定書からの離脱を宣言したことも有名である。
さて、日本の削減目標は6%であるが、これは2008年から2012年までの5年間の平均排出量が、1990年当時の排出量より6%減っていなければならないというもので、かなり積極的な目標である。現時点での排出量は1990年よりも増加しているので、実質的には12%以上減らさなければこの目標は達成できない。
この目標は、官民が相当努力しなければ到底達成できないものである。
そこで、政府が躍起になって進めているのが、「排出権」の買い取りである。
目標以上に削減した国から、その排出権を買い取ることができるという、言わば「大気汚染権」をお金で買う手法だ。
この「排出権」について、株式や為替のように市場ができるかもしれないという。二酸化炭素1トン当たり5ドルとか10ドルとかで売買しようというのだから、もうどうしようもない。
問題の本質は、化石燃料の使用を減らし、それに代わるクリーンなエネルギーへの転換を急ピッチで進めることだ。また、地球の緑化や新たな二酸化炭素の固定化技術などを開発することによって、既に排出された二酸化炭素を減らすことだ。
このまま事態が改善されなければ、編集長が生きている間は何とかなるかもしれないが、孫やひ孫の時代には、間違いなく地球温暖化による環境破壊、食糧難、熱帯性の伝染病の広がりなど、人類には悲惨な未来が待ち受けることになるだろう。
いよいよ来年から5年間にわたって、1990年時点と比べて6%の削減を開始しなければならないわけだが、具体的なことは何も決まっていない。京都議定書を決めて以来、政府はこれといった対策を何も講じてこなかった。
業界ごとの排出量削減の目標を決め、これを各企業に割り当てていくわけだが、業界団体の反発は目に見えている。
しかし、企業にとっても、地球温暖化が人類そのものの生存に関わる重大な問題であることは十分に認識できるはずだ。
政府も、各企業、産業界に対して、法的な強制力をもった思い切った指導を行うべきであると思われる。

日本の進む道:終戦記念日に当たって

2007年08月16日 | 憲法・平和問題
終戦記念日の翌日のニュースの見出しを見ると、平和を願う気持ちのあふれた見出しが、新聞各紙に並んでいる。
「終戦の日 静謐な追悼の日となるように」、「終戦から62年「戦没者追悼式」…世界平和への貢献誓う」、「東京大空襲 悲惨さ胸に墨田で体験談」、「平和祈る行事各地で予定、62回目の終戦記念日」等々。
さて、この終戦記念日のNHK番組で、憲法問題が議論されていた。
憲法、特に9条の改定の必要性、自衛隊の必要性などが議論されていたが、国民の意見は様々であった。ブログなどでも日本の防衛のあり方に関しては意見が割れている。
ただ、自衛隊が必要だ、海外派兵できるようにすべきだという意見を持つ人たちも、別に、海外の特定の国を侵略して植民地にしようとか、特定の民族に危害を加えようなどと思っている人はいない。この点は正しく理解しておかなければならない。
自衛隊が必要、憲法上も明記すべきという意見の中で多いのは、北朝鮮のような国際的に孤立した独裁国家やイスラム過激派が支配する国など、国際社会による抑制の効かない国々から危害を受けるかもしれないというような漠然とした不安が根底にある。
日本以外の国が、核兵器を保有したり、軍備を拡張すれば、日本の中にも不安が広がるだろう。同様に、外国から見れば、日本が軍備を拡張すれば、それに不安を持つ国が増えるだろう。
アメリカの銃に対する考え方を見ればよくわかるが、隣が持てば自分も持つ、こういう考えが当たり前になり、銃に対する規制は一向に進まず、銃による悲劇は後を絶たない。こういう悲劇が起きれば起きるほど、人々は逆に銃に頼るようになる。
軍備に対する考え方は、これに似ている。
海を隔てた専制国家から核ミサイルが飛んでくるかもしれないから、迎撃する能力が必要だ。中国も軍備の近代化を進めており、これに対抗しなければならない。
こういうイタチごっこがソ連という軍事国家が崩壊した後も続いている。
しかし、世界情勢を冷静に見れば、どの国とも軍事同盟を結ばない、非同盟・中立の国々が増えている。非同盟諸国首脳会議への参加国は、国連加盟国の過半数を超え、世界的にも発言力を強めている。
21世紀の世界の流れは、軍事同盟からの脱退、国連の平和憲章に基づく平和的手段による紛争の解決という方向に大きく舵を取っているのが実情であろう。
我々の生活には絶えず様々な不安が付きまとう。しかし、就寝前に、「今日はミサイルが飛んで来なくてよかった」、「明日も核戦争が起きませんように」などと考えている国民は何人いるだろうか?将来、ひょっとしたら飛んでくるかもしれないミサイルよりも、年金や医療、税金や就職などで頭の中は一杯だろう。医療難民、介護難民、ネットカフェ難民など、現瞬間の生活に不安を抱える人たちを救うことが政治の役割ではなかろうか。そして、軍事力を強化し、自衛隊員を訓練するよりも、武力紛争が起きないように、官民あげて、外交努力を促すことが政治の役目だ。
軍隊、軍事力は、何物をも作り出すことがなく、ただ破壊のみをもたらす非生産的なものである。
多くの国民は、公務員数の削減を切望するが、防衛省、自衛隊ほどの大所帯はない。「行政改革」の目玉として、思い切った削減をしてはどうだろうか。
災害の多い昨今の日本では、自衛隊を解散し、自然災害から「祖国を防衛」する組織に編成替えを行ってはどうだろうか。冬は、北海道、東北地方の雪かきなど、活躍の場は計り知れない。
いま一度、世界の流れと日本の果たすべき役割について、考える機会としていただきたい。

猛暑の恐怖

2007年08月15日 | 環境・食料問題
四国生まれの編集長は、昔から暑さには強かった。
電車で1時間かけて通う会社には、ワイシャツにきちんとネクタイを締め、スーツの上下を着て出かけていた。回りからも「暑くないのか?」とよく聞かれたが、汗をかくわけでもなく、それほど暑いとも思わなかった。
しかし、ここ数年は、ちょっと耐えられなくなってきた。年齢や体質の変化のせいかもしれないが、とてもスーツなど着ていられないし、今年はネクタイもはずして通勤している。
さて、最近のニュースによると、東京(千代田区)の25度以上の熱帯夜の日数は以下のように、確実に増え続けている。北海道から沖縄まで、ほぼ同様の傾向である。
1931-35年:7.6日
1936-40年:6.4日
1941-45年:9.8日
1946-50年:6.4日
1951-55年:12.0日
1956-60年:12.8日
1961-65年:14.0日
1966-70年:15.8日
1971-75年:14.8日
1976-80年:17.2日
1981-85年:24.2日
1986-90年:23.4日
1991-95年:28.8日
1996-00年:30.4日
2001-05年:29.4日
この原因は、地球規模での温暖化やそれに伴う異常気象(ラニーニャ現象?)などもあるだろうが、やはり街そのものをコンクリートやアスファルトで覆い尽くしたことにより、熱がこもり、夜になっても気温が下がらなくなったことが大きな原因だろう。いわゆるヒートアイランド現象である。
都市部の緑化の取り組みや一部の地域では打ち水などの取り組みも行われているが、文字通り「焼け石に水」ではなかろうか。
以前にも書いたことだが、こういう地球規模の環境対策などについて、資本主義社会というのは余りにも無力である。
地球温暖化ガスを6%減らそうという科学者、環境団体からの良識ある提言さえ、企業の都合で一蹴されてしまう。企業経営者は、儲け以外には関心がなく、地球環境、人類や地球の未来などを考える理性を持ち合わせてはいないのである。そして、政府もそういう企業に強い指導を打ち出せないまま、漫然と日が過ぎてきたわけである。
熱帯夜の眠れぬ夜には、ぜひ地球環境保護について考えていただくとともに、環境対策を政策の中心に据える政府を実現することの必要性を理解いただきたいと思っている。

これからの私たちの暮らし

2007年08月14日 | 経済問題
朝日のネットニュースの中に「どらく(Do楽)」というコーナーがあり、ここで、茉奈・佳奈を聞き手に、森永卓郎と和泉昭子が応える形の対談「これからの日本と私たちのくらし」が連載されている。
この中で、森永氏は「GDPはこの5年間で約22兆円増えましたが、サラリーマンなどに支払われた報酬は約5兆円減りました。では、だれが豊かになったのかというと、企業の株主とか役員なんですね。企業が支払った配当金はだいたい3倍に、役員報酬も一人当たりで見るとほぼ倍増しているんです。私はずっと小泉政権時代の「構造改革」を、富める者をますます富ませ、普通の人、貧しい人たちの暮らしはどんどん苦しくさせていく改革だと主張してきましたが、まさに今その状況に近づいたのだといえます。」と指摘している。
この分析に編集長は全面的に賛成である。
これに対して、和泉氏が、「しかも公的年金制度や公的医療保険制度が揺らいでいますから、私たちの生活は自分で守るという意識を持って対応していかないと、大変なことになりかねません。 」と述べているが、こういう考え方は少々浅はかだろう。
日本の政治や経済の現状、本来あるべき姿などは、国民1人1人がよく考えて、行動しなければならないのは当然だ。こういう動きの早い時代には、今まで以上に国民は勉強しなければならない。しかし、「構造改革」によって、国民への負担が増えているのだから、この「構造改革」をやめさせ、本当の意味で国民の生活が豊かになるような方向での「真の改革」を政治に求めていかなければならないのではなかろうか。それをそのままにして、個人の努力を促すというやり方は、政府が言ってきた「自己責任論」以外の何物でもない。
自公政府が行ってきた「改革」に多くの国民が騙され、熱狂し、民主党までもその「改革」の数値目標を競い合ってきたわけだが、その結果が格差の拡大や絶対的な貧困の広がりである。
大学教授、経済評論家など、マスコミにも登場し、社会的にも影響力のある人たちは、この点を大いにアピールして欲しいと思っている。
さて、この対談には、続いて以下のようなコメントが記載されていた。
森永「そうなんです。現在も、私たちの老後生活をぶっ壊す改革が進行中ですからね。例えば、公的年金。今年4月26日に厚生労働省が発表した「生年度別に見た年金受給後の厚生年金の標準的な年金額の見通し」によると、どの年齢層でも年金をもらい始める65歳の時点では、現役世代の手取り収入の50%以上が受け取れます。ですが、その後すぐに50%を切ってしまうんです。OECDでは、所得分布の中央値の半分以下しかない者を貧困と規定しています。老後になって公的年金が主な収入源という世帯は、非常に苦しい生活を強いられてしまうわけです。」
和泉「公的医療保険も、どんどん自己負担が増えています。例えばこの20年近くの間に、高齢者の定義が70歳から75歳以上へと変わり、その窓口自己負担割合も増える一方。入院時の食費負担額などもアップしています。」
森永「年金は減るし、医療費の自己負担は増えるし、踏んだり蹴ったりですよ。」
こういう意見は、国民の気持ちにピッタリではなかろうか。
政府、与党の進める「構造改革」路線に反対する世論が大いに盛り上がることを期待している。ところで、この記事であるが、対談はこのあと、投資信託やFX取引などのいわゆる「貯蓄から投資へ」という政府の宣伝のような対談記事が続くのが残念である。

生産性の向上と人間の豊かさ

2007年08月13日 | 経済問題
バブル崩壊後の10数年、国民は塗炭の苦しみを味わってきたが、この間も生産性は徐々にではあるが、確実に向上してきた。
先日の記事で労働経済白書などの内容を紹介したが、生産性向上によって生み出されてきた利益のほとんどが企業に溜め込まれたり、株主への配当や役員給与になり、労働者にはほとんど分配されていない実態が明らかになった。
本来、生産性の向上によって、人々の生活は便利になり、豊かになるのが普通の社会のあり方だと思うのだが、現実はそうではない。
これは、資本主義社会という社会体制の根本的な欠陥である。
マルクスが述べたように、「社会的生産と私的所有」、すなわち生産は多くの労働者によって行われるが、資本家がその生産物をすべて巻き上げてしまうことに、この社会体制の根本的な矛盾がある。
原材料や工場は資本家のものだから、完成した生産物は資本家の物ではないか、という表面的な観察では、搾取の仕組みは理解できない。原材料などに手を加え、新たな価値(剰余価値)を商品に付け加えるのは労働力にほかならない。したがって、原材料費や様々な機械や設備の減価償却費や諸税を支払った後の儲けは、すべて労働者によって生み出されたものである。
この儲けを、資本家はちゃっかり、自らのフトコロにしまい込むのである。
さて、生産性の向上によって、資本家はどんなことを考え、実行したのだろうか?
たとえば、この数十年の間に、いままで2時間かかっていたものが1時間でできるようになったわけだから、人が少なくて済むはずだ、こう考えて熱心にリストラに取り組んできた。これは明らかに資本家の論理だ。
労働者や中小下請けの立場から見ると、事態は一変する。半分の時間でできるようになったのだから、給料を2倍に、あるいは、同じ給料で労働時間を半分にできるではないかと。
どちらの主張が通るかは、資本家と労働者との力関係である。労働組合などの力が弱体化した今の日本の社会では、生産性の向上という「果実」が、給料の増額や労働時間の短縮につながらず、人口のわずか数%にも満たない資本家の都合によって、首切りの口実にされているのである。
マルクスは、資本主義社会の次に来る社会として、社会主義、共産主義社会を展望した。
彼は、生産性の向上によって、その一部は給料の増額、生活水準の向上に当てられ、一部は労働時間の短縮に当てられると考えた。人間は労働という「苦役」から開放され、労働そのものが喜びとなり、増えた給料や余暇によって、人間はさまざまなことに意欲的に挑戦するようになり、人間が持つ才能が豊かに開花するような社会が来ると予測した。
残念ながら、マルクス、エンゲルス、そしてレーニンの後継者たちは、揃いも揃って社会主義の道を踏み外し、迷路に迷い込んだばかりか、人間社会の進歩に重大な害悪さえもたらしてきた。
しかしながら、経済的な発展を土台に、人間が真に解放される時代は必ずやって来るに違いない。
江戸時代に生きた我々の祖先は、徳川の治世、武家社会がまさか崩壊することなど夢想だにしなかったに違いない。同様に、現代に生きる我々の多くは、資本主義社会ほど素晴らしい社会はないと信じている。しかし、ほんの一握りの資本家が多数の労働者、勤労者を搾取し、莫大な富を蓄積する一方で、絶対的な貧困が蔓延するこの社会が、国民の描く永遠の理想社会であろうはずがない。この日本の社会をどうするのかは、我々国民が決めることである。少なくとも、生産性の向上が、生活の豊かさに結びつくような明るい未来図を想像したいものだ。

絶対的貧困の解決を

2007年08月12日 | 格差社会
先に行われた参議院選挙の争点の一つとして、格差や貧困の広がりも争点の一つとして、国民の関心を集めた。
この選挙直前だっただろうか、北九州市で生活保護を打ち切られた50歳代の男性が餓死するという悲惨な事件が起きたが、この事件はけっして特別な事例ではない。この10年で餓死件数は800件以上あるという。遠い歴史上の出来事ならともかく、この現代日本において餓死する人がいるということは、想像もつかないことだ。
いま、生活に困窮し、生活保護を受給している世帯数は100万を超えている。多くが単身の高齢者や母子家庭であり、これ以外に、病気などの特別の理由により就業不可能な世帯が受給しているのだろうが、こういう世帯が100万軒以上もあることは大変な事態だ。
また、生活保護の受給にまでは至らないものの、その予備軍を含めれば相当な数になるだろう。預貯金を有さない国民は、約20%と言われている。突然の出費(病気やケガによる入院など)があれば、直ちに生活に困窮する層がこれだけ増えているということだ。
今までの記事でも述べてきたが、編集長は、格差の存在がおかしいと言っているわけではない。封建社会であろうが、資本主義社会であろうが、共産主義社会であろうが、個人間の格差を完全に解消することは不可能である。
しかし、その格差の広がりによって、生活ができないような絶対的貧困が生まれていることは許されないことである。
生産力が低く、できるだけ平等に分配しても、全体に生産物が十分に行き渡らないような社会ならば一部の構成員には生命を維持できない少量の生産物しか行き渡らないことがあり得るだろう。しかしながら、この高度に発達した資本主義国である日本において、日々の食事にも事欠くような国民が存在することは異常な事態である。
昨今の格差の広がりというのは、多くの国民を下層に追いやり、それに伴い、食事さえ満足に取れない最下層の人たちを大量に生み出してきた。
格差そのものの存在(相対的な貧困)を解消することは不可能であろう。しかし、絶対的な貧困の根絶はそれほど難しいことではない。
ある所からない所へ、所得を分配すれば済むことである。
しかしながら、日本政府は徴税権を正しく機能させることができていない。口を開けば、「お金がない」というが、これはまともな徴税能力がないことを意味している。ある所から取ってない所に回す、この単純な機能そのものを失っているのが、自民・公明の政権である。
しかも、何億円も収入や資産のある者から根こそぎ取り上げて、500万円で生活しろというような無茶なことを言っているわけではない。
生活ができないような同胞を救済するために、税金や社会保険料を仲立ちにして必要な拠出を行い、生活保護などのセイフティネットを充実すべきだと述べているだけである。
格差の縮小は望ましいことだが、それよりも絶対的な貧困、あるいは、こういう貧困に陥る不安を解消することが急務であると思われる。