時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

参院選についての感想

2007年07月30日 | 政治問題
参院選の結果が報じられている。
選挙結果を一言で言うと、「自民党の歴史的大敗、民主党の地滑り的勝利と公明、共産、社民は二大政党の陰に埋没」という感じだろうか。
今回の結果は、さほど驚くには当らない。
1つ目は、自民、公明の与党の悪政に対する国民の批判が強かったこと。特に、選挙直前になって、不明年金問題や定率減税廃止に伴う住民税増税、閣僚の失言、事務所費問題などが明らかになり、与党に対する国民の批判が一気に噴出したこと。
2つ目は、選挙区選挙のほとんどで、定数が1、2の議席を争う選挙であったため、自民か、民主化という選択の中で、民主党が地滑り的な勝利を得たということ。
3つ目は、公明、共産、社民は、それぞれが独自の政策などを訴えたが、選挙区選挙では議席を争うだけの力がなく、定数48の比例代表選挙でそれぞれが力量に応じた得票を得て、それに応じた議席が配分されたこと。
現象的には、以上のような感じだろう。
さて、今回の結果に対する編集長の感想を列記しておこう。
1)自民党、公明党の与党の大幅議席減は当然であろう。安倍政権の政権運営に対する国民の批判はそれだけ根強い。安倍首相は続投を決めたようだが、とんでもないことである。「政権を争う選挙ではない」というが、これが現時点の民意であり、衆議院で与党が3分の2以上の議席を占めていることに問題がある。
2)以前から述べているように民主党は、憲法改定、消費税増税を掲げている。この点では自民党、公明党と軌を一にしている。最近の世論調査では、国民の半数以上が憲法改定(9錠の改定)に反対しているが、衆議院でも参議院でも、現憲法、特に憲法9条を変えるという勢力が9割以上の議席を占めるようになったことだ。これは、安倍政権が掲げる憲法改定議論を推し進める結果になるのではと危惧を感ずる。また、その使用目的はともかく、最悪の大衆課税、消費税増税に道が開かれることにも一層の懸念を感じるのである。
今回の選挙戦で、憲法や消費税は必ずしも争点にはなり得なかった。これは、自民も民主も政策的に差がないため、民主党として争点にしづらく、争点ぼかしを行い、年金や格差、増税、閣僚の失言、事務諸問題などで、国民の関心を引きつけて掠め取った議席と言えないこともない。
多くの国民の意思に反して、憲法改定や消費税増税が安易に行われることがないことを願っている。この点について言えば、憲法改定、消費税増税の旗を明確に掲げている共産、社民の活躍に期待したい。
3)衆議院解散、総選挙はできるだけ早いうちに行うべきであろう。参議院選挙で、これほどの敗北を喫した与党勢力が、衆議院の3分の2以上の議席を占めていることは許されない。国会論戦の中で野党としては、解散に持ち込んで欲しいと思っている。
4)最後に、選挙制度に触れておこう。選挙区選挙、特に、1人区では約半数の死票が出る。2人区でも多くの死票が出ている。要するに、国民の声が議席に反映されない選挙制度は欠陥制度でると思われる。北海道、九州などの地域ごとの中選挙区制度などに改め、地方の声も国会に反映し、かつ、できる限り死票が出ないような選挙制度に改善すべきであろう。
小選挙区制は、政権交代が可能な制度などというが、多くの国民の意見をAかBかといった2つに括れるはずがない。多くの国民の声が反映される制度の構築を望むものである。

なぜ起きる政治家のカネ問題

2007年07月29日 | 政治問題
今日は参議院選挙の投票日である。
今回の選挙では、不明年金問題や住民税増税など国民生活の大もとに関わる問題が話題になり、これに伴う格差問題もずいぶんと議論された。
しかし、憲法問題や政治とカネの問題では、どうも盛り上がりにかけたことは否めない。
選挙のマニフェストの中に、自民党は憲法改定を書き入れ、公明党も「加憲」などと微妙にニュアンスを変えながらも、これに追随した。にもかかわらず、民主党のマニフェストの中には、憲法には触れられていない。
また、政治とカネの問題を巡っても、選挙前には、多額の事務所費を計上していた松岡前農水相や赤城農水相の問題で、国民の怒りが沸騰し、選挙中にも、赤城農水相が同じ領収書のコピーを二重計上していた問題が新たに発覚した。これに対して、自民党はもちろんダンマリを決めているが、野党第一党の民主党もこの点での追及は鈍い。
これには、理由がある。
憲法問題では、自民党も民主党も、「憲法を変える」という点でまったく違いがないからである。
憲法を公約の第一に押し出した自民党に対して、この点で違いを打ち出すことができないのだから、民主党は戸惑ったに違いない。
ここに降って沸いたのが、あの年金問題だ。民主党はこれ幸いとこれに飛びつき、年金問題を第一の争点に押し上げる作戦が成功し、躍進が予想されているのが今回の選挙だ。
マスコミの予想通り、もし民主党が躍進すれば、憲法改定へのレールが一段と強く敷かれることを懸念するものである。
もう一つの政治とカネの問題では、そもそも政治家のモラルの低下が問題である。モラルを低下させているもっとも大きな要因は、自分のカネでない資金がふんだんに自由に使える政党助成金制度である。この制度が、政党や政治家のモラル低下の大きな要因になっている。また、もう一つの要因は企業献金であろう。企業からふんだんに資金が提供され、政治家になれば一財産が築けるような状態が、政治家の金銭感覚を麻痺させている。
このカネの問題でも、自民、民主が揃って、政党助成金を受け取り、経団連に献金の無心に行くような状況になっている。
これで、政治家とカネの問題を解決できるだろうか。
問題は、単に経費として正しく使用しているか、あるいは、帳簿をきちんとつけているか、といったことではなく、自らの政党活動を通じて、活動資金を獲得できているかどうかが問われるのである。
明朝には、参院選の結果も判明していることだろう。
自民、公明の与党に厳しい審判が下ることを期待するとともに、憲法やカネの問題など、十分に議論にならなかった問題にも、選挙後に国民の期待に沿った対応が図られることを切に希望するものである。

自治体の地震対策の確立を

2007年07月28日 | 社会問題
数日前の記事で、個人だけでなく、自治体でも中越地震の教訓が生かされておらず、対策が遅れていたことを指摘しておいたが、その後のニュースで、関連自治体の対策の不十分さが次々と明らかになっている。
新潟県中越沖地震で大きな被害の出た柏崎市で、市が地震など災害時用に備蓄している医薬品のほとんどが、2006年までに使用期限を過ぎていたことがわかったという。
市は少なくとも2002年以降、中越地震(2004年10月)を経験した後も確認を怠り、昨夏に期限切れが判明したにもかかわらず買い替えず、事実上放置したままだった。今回の地震発生直後、避難所から医薬品を求められても応じられなかったという。
医薬品は、消毒薬や風邪薬、鎮痛剤など33種類を同市健康管理センターで備蓄していたが、使用期限内だったのは精神安定剤だけだった。また、医療器具も、聴診器、電子体温計、血圧計など8種類を備蓄していたが、うち体温計と注射器(2種類)は使用期限を過ぎていた。
市はその後も予算の都合がつかないことを理由に、買い替えず、購入時期についても、「購入履歴がないのでわからない」という。
さらに、その後、市が医薬品などの買い替え費約80万円を今年度当初予算に確保していながら、発注しないまま震災に遭っていたことが新たにわかったという。
今回の地震発生直後、市内の避難所から、市災害対策本部に対し、「医療品が欲しい」という複数の要請があったが、市はまったく応えられなかったという。
聞けば聞くほど、お粗末な話である。
市民の税金を使って備蓄しておきながら、これを入れ替えず、結局はまったく役に立たないまま廃棄されるわけだ。これほど無駄な出費はない。
毎年少しずつ買い足しながら、使用期限の切れた古いものから順次処分しておけば、仮に、一部の医薬品を使用期限切れで廃棄することがあったとしても、今回のような事態には至らず、生きた税金の使い方ができたはずである。
今回の柏崎市の事例を教訓に、全国の自治体でも、防災対策をもう一度見直し、食料や医薬品の備蓄などをチェックすることは言うまでもない。
また、やむを得ないことではあるが、備蓄品には品質保持期限、消費期限の関係で、災害が起きず、幸いにして使用しなかった場合は廃棄するしか方法がないわけだが、こういう点も考慮し、医薬品メーカー、食品メーカーは、防災用の備蓄品については、廉価で販売し、使用期限切れのものは無料で引き取り、廃棄するなど、防災への協力が不可欠であろう。
災害を単に金儲けの場にするのではなく、国民的な視点から積極的な協力が求められる。また、国民も、そういう企業の行動をよく監視することが必要であろう。
今回の柏崎市の事例を教訓に、自治体が毎年、災害への備えを確認し、必要な対策がすぐに打てるように体制を整えることが重要である。

宗教などの諸団体と政党支持

2007年07月27日 | 政治問題
諸団体と政党支持の関係でよく取りざたされるのが、宗教団体と政治の関係である。
日本の憲法には、第20条として、以下のように規定されている。
『1. 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2. 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3. 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。』
さて、読んでみると、至極まともな内容なので、当たり前だと思うのだが、全国各地で裁判が行われているところを見ると、解釈にはいろいろと難しい問題があるのだろう。
そもそも、憲法上のこの規定は、戦前のように、神道を国定宗教として国民に押し付け、これを信じない者、他宗教を信じる者に弾圧を加え、神道思想に基づき、国民を戦争に駆り立てたことへの反省から作られた条項であろう。
しかし、国定宗教にさえならなければ、宗教団体が政治に対して何をしてもよいかというと、そういうわけではあるまい。宗教団体が信者に特定の政党を支持させたり、政党を作ったりすることもやはり問題がある。
個々の信者が、どういう政党を支持するかは自由である。しかし、宗教団体という組織として、特定の政党を支持することは許されない。なぜなら、宗教団体は、その団体の掲げる宗教的な教義を信じる人たちの集まりであって、特定の政党を支持する人たちの集まりではないからだ。もし、信者に特定の政党を支持することを義務付けるのなら、その「教義」そのものの中に、そのことを明記しておかなければなるまい。しかし、そうなるとこれは宗教団体ではなく、政党あるいは政党の後援会だ。
これは宗教団体にとどまらす、企業、業界団体、労働組合、自治会、商店会、老人会、青年団体等々、あらゆる組織や団体に共通することだ。
これらの団体は、一般に、何かの目的をもって設立されている。その目的の中には、社会的な目標や会員同士の親睦などについて書かれており、政党の支持などは明記されていないはずだ。したがって、会員は、その目的のために集まっているが、どの政党を支持するか、あるいは支持しないかは本人の自由だ。
したがって、こういう個々の団体などの財産(現金、事務所、備品等)を特定の政党を応援するために使用することは、背任、横領、詐欺などの行為に該当するとともに、会員、信者などの構成員の思想、信条の自由に対する明確な侵害である。
一方、信者の有志が集まって、○○党後援会、○○党を励ます会のように、特定の政党を応援することを目的に設立されたものであれば、何の問題もないことは言うまでもない。
いま、参議院選挙の只中である。
特定の宗教団体の支援を受けている候補は多い。それらの宗教団体は、「特定の政党、候補者を支持する」という教義に基づいて集まった人たちによって構成されているわけではない。したがって、その政党を支持しない信者も当然存在する。にもかかわらず、その団体の財産の一部が選挙のために利用されていることは、特定政党を支持しない信者にとっては、思想・信条の自由を踏みにじられる行為となるのである。
また、以前にも指摘しておいたが、企業や労働組合が特定の政党を組織として支持することも、その団体の構成員の思想、信条を踏みにじる行為であることを警告しておきたい。

障害者を無給で雇用

2007年07月26日 | 社会問題
岩手県のクリーニング会社が、知的障害のある従業員を最長で1年8か月にわたって賃金を払わないまま働かせ、花巻労働基準監督署が労基法違反の疑いで改善指導に乗り出したことがわかったと報道されている。
労基署の調べなどによると、同社は、全従業員が14人で、うち9人が20~40歳代の知的障害者であるという。
20歳代の男性は、2005年11月から今年6月まで賃金が払われず、深夜勤務も頻繁だったという。最も短い男性でも、5か月分が未払いだった。ほかの知的障害者6人も賃金がカットされたり、滞ったりしており、9人への未払い分の合計は約600万円に上るという。
県の保健福祉部によると「賃金未払いに加え、深夜労働を含む残業代も未払いの可能性もある」として、従業員寮で暮らす知的障害者5人を社会福祉施設に移したという。
この会社は、1991年度には障害者雇用優良事業所として大臣表彰を受けたが、近年、経営が悪化し、「何とか改善しようと努力したが、毎日の仕事に追われていた。本人や保護者に謝りたい」と話しているという。
結果的に、障害者を不法に労働させていたことは許しがたい行為である。経営者は、規定に基づき、直ちに賃金を支払うとともに、本人と家族に謝罪することを要求したい。
しかし、この経営者も根っからの悪人ではないのだろう。いま、クリーニング店など、商店や中小企業経営者は、景気の回復を実感できず、経営状況は相変わらず大変であろう。
今回のケースでも、経営の悪化のためにこのような行為に走ったことを経営者がほのめかしているが、もしそうだとすれば、今回の事件は2重の悲劇であろう。
昨年成立した障害者「自立」支援法は、障害者が積極的に社会参加を行い、自立に向けて努力することを謳っている。障害者とすれば、やっとの思いで受け入れ企業を探して就職しても、この不景気で、受け入れる側の体力も限界に近いのかもしれない。
この障害者「自立」支援法、障害者とその家族にとっては、とんでもない「自立」法である。なにしろ、通常の場合、作業所などから受け取る賃金が、作業所の利用料よりも安いのである。作業所で働けば働くほど、家計からの持ち出しになる。こんなことをして本当に障害者の「自立」につながると思っているのが、自民、公明の与党連中である。
こういう事情から、障害者もできるだけ一般企業で就業し、きちんとした賃金をもらいたいと思うその気持ちは痛いほどわかるのだが、受け入れる企業がこの状態では、泣くに泣けないのではなかろうか。
障害者「自立」支援法そのものの問題と同時に、受け入れる側の企業倫理やそれに対する監督官庁の査察の強化などを早急に行うべきであろう。

流行を気にしますか?

2007年07月25日 | 社会問題
世の中には、様々な流行がある。
若い女性などは、一般にファッションには敏感であろう。
「私は流行にとらわれない」という人もいるが、「とらわれない」ということ自体が、流行を気にしている証拠なのかもしれない。
さて、どうしてこんなことが気になったかというと、各地の百貨店で、レジ袋削減をPRするために、英国の人気デザイナー、アニヤ・ハインドマーチが数量限定で製作したショッピングバッグ(2100円)が発売されたというニュースに接したためだ。徹夜で並んだ若者から中高年までが、開店と同時に売り場に殺到したという。店と客の小競り合いになり、警官が出動する騒ぎになった所もあるという。
編集長は、そもそもこのデザイナーのことはまったく知らなかったので、ネットで調べたらいっぱい出てきた。相当有名らしいが、結局経歴はわからず、性別すらもわからなかった。たぶん女性だろう(ワハハ)。
買い物の際に、このバッグを使えばビニール袋の削減に繋がるが、これを買った人たちは、果たして近所のスーパーで買い物に使うだろうか。有名デザイナーのものということで大事に取っておいたり、ネットオークションで販売されたりするだけで、本来の目的には使われないのではなかろうか。ちなみにオークションでは10倍以上の価格で落札されているようだ。売る方も売る方だが、買う方も買う方という気がするが・・・。
このバッグ、「今やセレブのマストアイテム」などと宣伝されているようだが、半年もすれば、また新しいデザインのバッグが登場し、今回のバッグには誰も見向きもしなくなることだろう。
最近は、時代の流れが早いせいもあって、流行しているのはほんの短期間である。
ファッションだけでなく、ありとあらゆる分野でこういう流れが進んでいる。
流行を作り出し、消費を促し、それが下火になると、また別の流行を作り出す。それを際限なく繰り返すことによって、企業の利益を確保してきたように思われる。とにかく、目新しいもの、新製品を次々と売り出さなければ儲からないということだ。
バブル崩壊後10年以上が過ぎた。
一方ではブランド品や流行を追い求め、他方では1円でも廉価な物を追い求める風潮となっており、ここにも格差の表れがあるのかもしれない。
もう大量生産、大量消費の時代に終止符を打ち、自分に合った物、気に入った物をしっかり選ぶ時代になったと思っている。
そして、高くてもよい物、長く使える物を選ぶ時代になって来ているのではないかと思っている。

「偽装」政治

2007年07月24日 | 政治問題
一昨年暮れより問題になったヒューザーによる耐震偽装、今年もミートホープによる牛肉偽装で、「偽装」という言葉がずいぶんと使用される世の中になってきた。
「偽装」などという言葉が使われるが、要するに、消費者、国民をだまして、看板、表示と異なる粗悪な商品を売りつける行為であり、れっきとした詐欺行為だ。
賞味期限切れの原材料を使った雪印や不二家も記憶に新しい。また、中国のダンボール入り肉まん(やらせと言われているが、怪しい!)をはじめとする数々の中国製品もれっきとした「偽装」製品だ。
さて、こういう社会風潮にあって、最も悪質なのが、政治における「偽装」だ。
いま、参議院選挙が行われているが、選挙になるとどの政党もりっぱなことを主張するが、実際に各党が行ってきたことをみると、これはもう「偽装」だらけだ。
自民党は、責任を持って年金問題を解決するというが、到底信じられるものではない。自民党自身が終戦後から約60年にわたって政権を担ってきた結果、このようなデタラメな状態になったことは明らかである。問題を解決するというのならば、その前にそのような大問題を起こし、そして長年にわたって解決できなかったことを国民にまず謝罪すべきである。
公明党も然りである。3年前までは「百年安心」の年金制度を公明党が作ったと吹聴し、今は、未来に責任を持つというが、百年安心だった年金が、わずか3年のうちにボロボロだったことが判明したわけである。3年先の見通しも持てない政党には、到底、未来を語る資格はない。しかも、この当時の厚生労働大臣は、公明党の議員だった。
では、二大政党の一方で売り出し中の民主党はどうだろう。
生活が第一、格差が広がっているとテレビコマーシャルで指摘するが、これらの問題に民主党はどのような態度を取ってきただろうか。
年金問題では、党内に厚生大臣を務めた菅氏を擁し、自民党からも批判されるような状態だ。また、最悪の大衆課税である消費税の増税さえ主張しているのが、この党である。徴税は、もっとも簡単で確実な所得の再配分機能である。生活が第一というのならば、累進課税を中心とした税制を柱とし、低所得者に負担が重い消費税は、廃止を主張すべきであろう。
非正規雇用者の増大が、格差と貧困の増大を生んでいることは誰も否定できない。しかし、経団連の要請に応えて、非正規雇用者の増大の原因となった労働現場における規制緩和を自民党と競い合ったのが民主党である。当初、派遣労働は、特定の業種に限られていたが、今や「規制緩和」によって、製造現場を含むありとあらゆる職種で可能になった。喜んだのは、一部の経営者だけであり、多くの労働者が派遣という職種に甘んじるしかなく、貧困と格差が一気に広がった。
民主党は、貧困と格差を生んだ自らの行動に頬かむりし、テレビコマーシャルでは臆面もなく、「生活が第一」と主張しているのである。「偽装」以外の何物でもない。また、憲法の「改正」を自民、公明と一緒になって進めているのがこの党である。
様々な「偽装」に多くの国民が怒りを覚えてきたが、今回は、政治の舞台にはびこる数々の「偽装」にその矛先を向けるべき時ではなかろうか。

これでいいのか、相変わらずの大量消費

2007年07月23日 | 環境・食料問題
編集長は歴史が好きで、江戸時代などに関する書籍をよく読む。
江戸時代というのは、人力のみがほぼ唯一の動力であったため、極めて効率の悪い社会だった。物を作るにも、一つ一つが文字通り「手作り」であり、同じものはこの世に2つと存在しない。どこに行くにも徒歩なので、商品の流通にはすこぶる時間がかかる。しかし、環境には極めてやさしい社会だった。
ほとんどの商品が、太陽エネルギーによって作られた木材を原料とし、燃料も薪や木炭だったため、発生する二酸化炭素は、光合成によって再び木々の成長によって吸収された。
江戸市中でホタルが見られたというから、環境も非常に良好だったに違いない。
さて、現代に目を転じて見よう。
高度経済成長期に経験したような数々の公害問題は影を潜めたが、その後の世界的な経済発展の中で、地球レベルでの環境破壊が問題になってきた。
テレビでは、環境問題を扱った番組が数多く放映され、環境保護を訴えるコマーシャルが増えてきた。商品の宣伝にも、環境保護をうたい文句にすることが増えている。
バブル崩壊後の経済の停滞の中で、経済成長、景気回復を願う気持ちは誰しも持っている。しかし、ただ大量に作り、大量に売れればよいのかということについては、ちょっと立ち止まって考える必要がありそうだ。
これからは、商品を買う際には、本当に自分の生活に必要なものかどうかをよく吟味し、少なくとも、子や孫の世代まで使える物を購入し、そして、再利用の可能性や捨てる際の環境への負荷も考慮すべきであろう。
以前にも書いたが、我々の生活はちょっと便利になりすぎたと思っている。
交通機関が発達し、片道1、2時間の通勤時間は当たり前になった。日本中どこにでも日帰り出張ができるようになった。夜中でも店が開いているので、そこで働く人たちも必要になる。昼夜逆転の生活を余儀なくされる人たちが必要になった。こうして、勤労者、サラリーマンへのストレスは大幅に増大し、職場にうつ病などが広がり、自殺者まで生み出している。
ホタルを見るためには、何時間もかけて移動しなければならない。自然と親しむことそのものが、肉体的疲労を高め、過大なストレスを伴う。
我々の祖先は、こういう社会をめざして何10年あるいは100年以上も努力してきたのだろうか?
江戸時代の先祖が現代社会の「発展」を見たら、感激して涙を流すだろうか?
積極的に環境問題に関わる人たちはまだまだ少数である。しかし、多くの国民は、地球規模の環境破壊に心を痛めているに違いない。
まずは、自らの生活を見直すところから、環境に貢献しようではないか。
大量生産、大量消費の弊害を食い止めることができるのは、消費者である国民である。環境にやさしい商品を選ぶことによって、これが世間に普及し、結果的に、粗悪な商品は市場から駆逐される。
そういう流れが日本中に広がることを期待している。

被災者の半数が地震の「備えなし」

2007年07月22日 | 社会問題
新潟県中越沖地震により、柏崎市内の12ヵ所の避難所で生活を続ける被災者130人を対象に、読売新聞が聞き取り調査を実施したという。
回答者は男性61人、女性69人。年齢別は30代26人、40代24人、50代18人、60代31人、70代以上31人。中越地震を経験した人は、93%にあたる121人だった。
その結果、2004年の中越地震の教訓を生かした備えができていなかったと回答した人が半数以上にのぼったという。
中越地震を経験した地域だが、9割近くは「その後の大規模地震を想定していなかった」とし、自宅で元の生活に戻る見通しを持てない人は4割に達しているそうだ。
自宅に戻れない4割の被災者は、備えをしていたが、自宅の損傷がひどく役立たなかった可能性はあるが、中越地震の被災経験者の半数以上で「備えがなかった」という結果は、大変残念だ。
こう言っては失礼かもしれないが、自然災害を甘く見ていないだろうか。
中越地震の経験者が9割もいながら、備えが不十分だった人が半数にも及ぶというのは、由々しき事態ではなかろうか。
大きな災害を経験すると、非常用グッズが一時的に大量に売れるが、時を経るごとにその意識や経験は風化し、数年を経ると、実際に備えをする人は激減する。
もっとも、備えをしていても、それが役立たないほどの大きな災害であればどうしようもないが、やはり「備えあれば憂いなし」だろう。
また、負傷者もずいぶんと出たようだが、軽症者まで病院に押しかけると、とんでもないパニックになるだろう。重傷者への治療の妨げにもなる。多少の怪我などであれば、自宅でもきちんと治療できるだけの準備が必要だ。
数日間は、支援物資がなくとも生活できる準備が求められる。
阪神大震災の時もそうだったが、大都市でこれだけの地震が発生すれば、食事も十分に行き渡らず、病院でも十分な治療が受けられないだろう。東京都も、各家庭に3日分の食料準備を呼びかけている。要するに、自治体としては、災害後3日間は支援できないということだ。
日本は地震大国である。また近年は、水害も多発し、避難生活を強いられることも多くなっている。
今回の地震は大変不幸な出来事ではあるが、これを教訓に、各家庭で少なくとも数日間にわたり、家族が十分に生活できるだけの水や食料などを確保しておくべきであろう。
自治体の備えも問題である。
先日の記事でも述べたが、今回の地震における1避難所当りの平均避難者数100人に満たない。それでも、炊き出しなどが行われたのは、地震発生日の夜になってからであり、それさえも被災者全員に十分に行き渡ったとは言いがたい。
また、避難所以外の被災者には救援物資を届ける体制がなく、おにぎりなどは大量に捨てられているという。
官民揃って、自然災害への備えをもう一度見直すべきである。
それと同時に、生活に不要なものは処分し、家具なども最小限とし、できる限り身軽で簡素な生活を常日頃から心がけることだ。編集長もこの点を大いに反省している。

いびつな経済成長路線

2007年07月21日 | 経済問題
日銀がゼロ金利政策を解除してから、早1年が経ったそうだ。短期金利(無担保コール翌日物)の誘導目標は追加利上げを経て0.5%となり、預金金利や住宅ローン、企業向け貸出金利などが上昇した。懸念された景気の失速は起きていないものの、物価の下落傾向が続いている。一方、国際的には超低水準の金利が円安の進行を招いていると論評されている。
さて、景気が拡大しているにもかかわらず、物価が低下しているというのは、どういうことだろうか?
流通する貨幣量が増えると、貨幣価値が下がり、物価は上昇するわけだが、物価が下落しているということは、貨幣の流通量が減り、貨幣価値が上がっているということなのだろうか。
今、景気が拡大しているとはいうものの、それを実感できるのは、一部の大企業や輸出企業(とその経営者である資産家)のみで、こういう企業では給料は上昇しているが、売り上げの拡大ほどには上昇せず、むしろ、アジア諸国との競争を理由に、個々の企業を見れば、サービス残業の横行、非正規雇用者の増加や違法な偽装請負の活用などで、人件費総額を抑制し、結果として商品価格を廉価に抑えている。安い商品を作るために、人件費にしわ寄せをしているという構図が見えてくる。
したがって、景気が拡大し、貨幣流通量は徐々に増えているが、そのお金は、一部の大企業、資産家などに溜め込まれ、実際に流通している貨幣量はむしろ減っているという図式にならないだろうか。
たとえば、日銀券が1兆円発行され、これが日本に流通しているとする。このうち、5000億円は庶民に給料として支払われ、貯蓄をする余裕のない勤労者層は、これを生活費として使用するため、5000億円は実際に流通するが、残りの5000億円は企業などに蓄えられ、実際には流通しない。もちろん企業も設備投資なども行うが、結果的にそれ以上の利潤を上げ、これがどんどん蓄蔵されていく。
景気拡大に伴い、日銀がさらに1000億円を追加発行すると、流通量は1兆1000億円になり、物価が上昇するかに思われるが、企業は人件費を削り、さらに儲けを上積みするので、企業には6500億円が溜め込まれ、給料の総額は削られ、実際上流通するお金は4500億円になる。こうして、実際上の流通量が減って、貨幣価値が上がり、物価は下落する。こういう図式にならないだろうか。
編集長は、経済の専門家ではないが、日本の経済状況を見ていると、どうも、上述のような現象が起きているように思われるのである。
儲かっている企業や資産家の手元には、使われない、流通しない貨幣がどんどん蓄えられ、その一方で国民が所有し、実際に市場に流通する貨幣量は縮小しているという現実がありそうである。
この結果、持つ者と持たざる者の格差はますます広がっていく、こういう現象が起きているのではなかろうか。
安倍内閣が主張する「成長路線」の中身は、概ねこのような内容ではないだろうか。
そして、この路線を続ける限り、物価は上昇せず(給料も上昇せず)、日銀は、なかなか金利引き上げに踏み切れないだろう。その結果、欧米諸国との金利差は縮小せず、ますますの円安になり、ガソリンや食料など、輸入物価の上昇につながるが、その一方で、国民所得が下がり、国内生産品の価格は低下するので、結果としてそれほどの物価上昇は起こらず、現在のような物価の下落状況が続くことにならないだろうか。
今や世界の上位950万人の億万長者(1億2千万円以上の資産を有する)が保有する資産額合計は4,500兆円という途方もない金額になっており、世界中の資産家は、だまっていても資産が増えるという循環に入っている。
こういう状況は、多くの国民が生活できなくなる極限まで続き、どんどんと給料が下落することにほかならない。この悪循環を断ち切る方法は簡単である。
一部の大企業や資産家が溜め込んだ流通していない貨幣を税金として取り立てて、庶民減税、医療、福祉、教育などに支出し、国民負担を軽減することである。また、最低賃金の引き上げなどを国として決め、大企業などに儲けの一部を吐き出させることである。
安倍政権に任せておく限り、最悪の結果を招くことになることは言うまでもないことである。

麻生外相の失言

2007年07月20日 | 政治問題
麻生外相は、富山県高岡市内で講演した際、国内外の米価を比較するたとえ話の中で、国内の農産物が高いと思われがちだとしてコメの価格に言及。1俵1万6000円の日本の標準米が、中国では7万8000円で売られているとしたうえで、「どっちが高いか。アルツハイマーの人でもわかる。ね。こういう状況にもかかわらず、中国ではおコメを正式に輸入させてくれませんでした。」などと述べたという。
自民党議員や閣僚によるこういう失言は、数え上げればきりキリがない。
一言で役職を辞任に追い込まれた者もいるが、世間から非難を受けながらも居座り続けた者も多い。
麻生外相は、その後この発言を取り消したそうだが、こういう発言の根底には、その気持ちの中に、国民や病人などの弱者をバカにする心があるからにほかならない。多くの聴衆の前で、失言をしないように、相当に注意をしているのだろうが、それでもちょっと気が緩んで「本音」が出てしまったということだろう。
このような政治家に、現在、多くの国民が抱えている年金に対する不安や医療・介護などの不安に応えることはできないだろう。
なぜなら、彼らの頭の中には、国民をどのように騙して票を掠め取り、国民をごまかしてうまく利用することしかないだろうから。
心にもないことは、絶対に口をついて出ることはない。
先に、「原爆はしょうがない」発言で、防衛相を辞任した久間氏もそうだが、麻生氏もたびたび失言を犯している。
そもそも、こういう人物を閣僚に命じていることに大きな問題がある。安倍首相の任命責任とともに、自民党という政党の本性を現わす出来事として、記憶しておくべきであろう。

もうボロボロの自民党

2007年07月19日 | 政治問題
つい先日、参議院選挙の高知選挙区の自民党現職候補が安倍首相批判をしてニュースになったが、これに対する報復措置として、安倍首相は、四国遊説の中で、高知県だけには応援に行かないことを決めたという。まるで駄々っ子である。
自党の候補の応援にも行かない党首があるのだろうか。
そうこうするうちに、新たな火種が発覚した。
大阪選挙区の自民現職候補が、個人演説会で、安倍晋三首相に赤城農相を辞めさせるよう要請したことを明らかにしたという。
赤城農相に対する罷免要求は、国民感情から言っても当然であり、必死にかばい続けている安倍首相の方がどうかしているわけだが、党内からさえ、公然と辞任要求が飛び出すほど、自民党はもうボロボロの状態である。
こんな政党に、もう政権を担う資格はない。
早々に、政権の場から退場してもらいたいと思っている。

参議院選挙:自民党現職による安倍批判

2007年07月18日 | 政治問題
参院選の高知選挙区(改選数1)で3選をめざす自民党現職の候補が、高知市内で開いた演説会で、安倍首相が掲げるスローガン「美しい国」について「意味がよく分からない。高知は明日の飯をどうやって食うかという追いつめられた状況にある。絵に描いた『美しい国、日本』で応援に来られて適当なことばかり言われたら、馬鹿にされたような気がする」と痛烈に批判したと報じられている。
この候補は、「美しい国って何でしょう」と前置きしながら、「(首相が)私の選挙を心配するなら銭を持ってきてほしい。南海地震対策を政府の責任で5000億円ぐらいやったら、高知は地震や台風に耐えられる県になる」と訴えた後、首相のスローガンを批判し、「そういう思いを誰かが言わないといけない」と語ったという。
安倍首相のいう「美しい国」に内容がないために、自民党の現職議員からさえも見放されているということだ。首相の言う「美しい国」には実はルーツがある。右翼改憲団体「日本会議」のホームページをみると、その発足の動機として、「美しい日本」を建設するということを明確に宣言している。「戦後レジームからの脱却」という言葉も、言葉を変えれば、戦後の民主主義を総否定し、戦前のような国づくりを行うということであり、日本会議の掲げる目標と一致している。このような国づくりに、自党の候補者からも批判が出ているということであり、至極、当たり前のことである。
地方の県がどこでも抱えているように、高知県も失業率は高く、これといった産業があるわけではない。山林や河川など豊富な自然に恵まれながらも、なかなか産業を誘致できず、観光客を十分に招致できない。これは、多くの地方が抱えている悩みである。
電気、ガス、上下水道などは、大都市でも地方でもそれほど費用は変わらない。したがって、人口当たりの費用は、地方では大幅に増えるのは明瞭である。道路整備なども同様である。
したがって、地方に十分な予算を配分することは、国として当たり前のことである。
しかし、この現職候補が言うように、お金さえあればよいというわけではない。従来のように、利用者が見込めない空港、高速道路や大型港湾建設などの大型開発ではなく、防災や自然環境保護などに十分に配慮した開発などを通じて、地場産業の育成にも配慮した使い方が必要ではなかろうか。

大都市部での地震対策は急務

2007年07月17日 | 社会問題
昨日、中越沖地震が起きた。まずは、被災者の方々に心からお見舞いを申し上げたい。
東京では、初期微動の後に比較的早くにかなり揺れたので、てっきり千葉県か、茨城県あたりが震源地かなと思ったら、新潟県が震源地だというので驚いた。
震度6強という大きな地震であったが、テレビの報道でも、最初のうちはそれほど大きな被害があったようには思われなかった。ところが、徐々に、死傷者の数も増え、倒壊した家屋や道路の陥没や亀裂、大規模ながけ崩れなど、地震の凄まじさを伝える映像が届き始めた。
1避難所当たりの避難人数は100名足らずであるが、それでも十分な対応ができていないようである。
新潟県や近県では、3年前に中越地震を経験し、自治体はもとより、住民も地震に対する備え、対策もかなり行われていたと思われるが、それでも、当面の飲料水や食事さえ満足に準備されていないというのは、どうもいただけない。
自宅が倒壊寸前で、貴重品を持ち出すのが精一杯ということもあったのだろうが、地震がやや収まって、自宅に戻れれば、せめて1週間くらいの食料や飲料水は確保されているというような状況にしておくべきであろう。
断水になって、慌ててペットボトルやバケツをもって、給水車に頼らなければ、当面の飲み水にさえ事欠くというのでは、こういう混乱に一層の拍車をかけることになるだろう。
テレビで見ている限り、避難住民は極めて冷静に対応しているが、これがもし東京などの大都会であれば、避難所などがパニックになるのは目に見えている。水や食料の奪い合い、支援活動を行っている自治体職員などへの怒号、口々に不平を述べ立てる住民たち、・・・、わがままな都市住民の醜い姿が目に見えるようだ。治安の悪化も深刻だろう。
1棟の高層住宅に住む住民数は数百人、住宅によっては千人を超えることもある。近隣の小中学校などの避難所には到底収容しきれない。都市部は、公園や空き地も少なく、テントなどを張る場所すらないだろう。
都会では、ライフラインの復旧に、多大な時間を要するだろう。ライフラインが完全に途絶えても、自宅が安全である場合は(家ごと倒壊してしまえば、どうしようもないが)1週間は外出しなくても生活できるように、各家庭での準備を常日頃から行っておくことだ。
ポリタンクに入れた水道水は、直射日光が当らない所に保存すれば1ヵ月間は飲用可能である。レトルト食品、各種インスタント食品、缶詰、ペットボトルの飲料や缶飲料などは、日常生活でも消費するものである。絶えず新しいものと入れ替えながら、せめて、1週間くらいは自力で乗り切れるくらいの量を備えておくべきである。ちなみに、カセットコンロと予備のカセット、最小限の医薬品も必需品である。
災害直後の混乱期の最初の3日、できれば1週間を自力で乗り切れるかどうかがポイントであろう。各家庭の努力によって、避難所などでの混乱も最小限に抑えることができ、より有効な救助活動ができるだろう。
自治体や地域の自治会なども防災対策に取り組んでいるが、都市住民の関心は極めて低い。大都会でこそ、各家庭での対策が急務である。
最後に、今回の地震では、原発で火災が発生し、放射能を含む水が海に流出したという。「想定外の大きさの地震だった」ということだが、とんでもないことである。原発の真下に断層があることは、昔から指摘されていたことである。
日本中、地震のない地域はない。原発に変わる自然エネルギーの活用に舵を切り替えるべきであろう。

趣味のこと

2007年07月16日 | コイン収集など
編集長の趣味は、コイン収集、特に大型銀貨の収集であるが、細々と切手の収集も続けている。今日は、ちょっと話題が逸れるが、このことについて書いておこう。
昭和40年頃に切手ブームがあり、小学生だった編集長もこの時に収集を始めたのだが、その後、記念切手のあまりの発行の多さに嫌気がさし、一時、収集を中断していたのだが、10年ほど前にボストークアルバムに出会って、日本切手の収集を再開した。
ボストークアルバムというのは、切手をほぼ発行順に並べて、これにハウイドマウントという透明のフィルムが貼り付けてある。ご丁寧に写真がついているので、切手をこのフィルムに挟みこんでゆくだけで、結構見栄えの良いコレクションができあがるようになっている。
第1巻が戦前、第2巻以降が戦後で、編集長は、現在第2巻から第5巻(~1990年頃)までを所持しており、第2巻の終戦直後の切手の一部を除いて、ほぼアルバムが埋まっている。第6巻以降の切手もかなり所有しているので、今度、第6巻以降を購入予定である。
さて、切手の収集を始めるのなら、今がチャンスだろう。
1980年以降の切手であれば、ほとんどプレミアムはなく、ネットオークションなどを利用すれば、ほぼ額面で入手が可能である。
額面で手に入るような切手ではあるが、このアルバムに保管して眺めると、なかなかどうして、立派なコレクションに見えるから不思議である。
また、収集を始めた時には手が出なかった戦後直後の切手なども、高いものは多いが、昔ほど高価ではなく、比較的に廉価で入手可能である。
以前にも、記事の中で述べたことがあるが、1980年以降の切手の発行回数、1種類当りの発行枚数は異常である。メールや宅配便が普及し、郵便を出すこと自体が減っているなかにあって、この乱発である。
たいしてめでたくもないのに記念切手や種々のシリーズ切手が発行され、ふるさと切手に至っては、もうデタラメなくらい膨大な数である。
切手は、そもそも郵便物の配達料金を「前払い」するものである。したがって、郵便局とすれば、販売した切手が使用されずにコレクションとして退蔵されればされるほど、儲かる仕組みになっている。したがって、どんどん発行しても、絶対に損はしない仕組みになっているのである。これが切手乱発の最大の理由である。
コインの世界でも、記念コインが乱発されているが、記念コインを手にした多くの人はこれを使わずに何となく保管しているだけである。かつての切手と同じことがコインの世界でも起きているわけである。
さて、こんな切手ではあるが、いろいろと集まってみるとなかなか壮観である。
編集長より年配の団塊の世代の趣味の一つとして、底値の今だからこそ、コレクションを始めてみるのもよいのではなかろうか。