時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

自民が、東国原知事を比例東京1位に検討?

2009年06月30日 | 政治問題
自民党は、次期衆院選に党公認候補として擁立を打診している東国原宮崎県知事について、比例東京ブロックの1位など上位で処遇する方向で検討に入ったという。
おいおい、自民党内には、勝手に声をかけた古賀誠選対委員長に対する非難が渦巻いていたではないか?その声は、かき消されてしまったのだろうか?
そして、知事が主張していた、「総裁候補」にする覚悟ができたということだろうか?
公認候補にするということは、知事はすでに自民党に入党したということだろうか?
東国原知事が自民党の総裁候補になり(総裁になるかどうかはわからない)、地方分権を進めれば、それだけで、日本がよくなるとはとても思えない。
さっぱりわけがわからない。
結局は、内閣支持率や党支持率が伸び悩む中で、知名度の高い東国原知事の出馬で雰囲気を盛り上げて、票を掠め取ろうということだろう。
しかし、実際に東国原知事が立候補したら、自民党に投票するバカな国民も相当数いるはずだ。
賞味期限の切れた政権与党の右往左往に惑わされないで、国民、有権者には、来るべき総選挙では、賢明は判断をお願いしたい。

社会保障費の自然増の抑制撤回は当然

2009年06月28日 | 政治問題
政府は、小泉内閣による「骨太の方針06」で打ち出された、社会保障費の伸びを毎年2200億円抑制するという路線を事実上撤回した。
予算を抑制してきたことにより、医師不足が顕在化したり、職員不足で介護施設の経営が困難になるなど、医療や介護の現場で大きな混乱が生じたのは明らかだ。撤回は遅すぎたくらいである。
少子高齢化の進展などで社会保障関係費は毎年、1兆円規模での自然増が見込まれる。これに歯止めをかけようとしたのが骨太方針06だ。
小泉首相が、辞任直前に、イタチの最後屁のように残していったのが、この方針だ。これによって、2007年度からの5年間の予算で、合計1兆1000億円を抑制するとした。
しかし、2009年度予算では、230億円分にとどまるなど、抑制路線は、実質的に修正されていた。
加えて2009年度は、景気対策として補正予算が早くも編成され、社会保障関係予算は、当初の24.8兆円から28.2兆円へと3兆円以上も上乗せされ、年間2200億円の削減は実質上消滅している。
サブプライムに端を発した不況によって、国民生活はどん底になっている。
また、年金、医療、介護などの将来不安が、国民の消費を冷やしている。こういう時だからこそ、社会保障を充実し、国民に将来の安心を保証するのが政治の役割である。
そもそも、高齢化社会が到来し、年金や医療費、介護費用がかさむことは、もう何10年も前からわかっていたはずである。
にもかかわらず、無駄な公共事業に予算の多くをつぎ込み、赤字だらけの港、空港などを全国各地に作ってきた。そのツケを2200億円削減という方法で、国民に押し付けるのは、まともな政治のやることではない。
自民党にすれば、単に選挙目当てのバラマキなのだろうが、それでも、国民にとっては、少しはましな政策であることは間違いない。
今後も、この2200億円削減を反省し、社会福祉という名に恥じないだけの予算をつぎ込むことを要望したい。

知事なんて、所詮は国政への踏み台?

2009年06月27日 | 政治問題
東国原宮崎県知事が、国政への進出の可能性に触れ、しかも、喜びすぎて総理の椅子まで欲しがったという報道で盛り上がっている。
別に、誰が自民党に入ろうが、総裁、総理をめざそうが自由であるが、現在、知事の椅子に座っている者が、その職務を投げ出して、さあ、次は国政に、というのはいかがなものだろうか。県民への責任という点から見れば、少なくとも、任期満了までは、その職責を果たすのが人間として最低限の責務ではなかろうか。この点から見て、知事の発言はきわめて無責任である。
また、国政に打って出よう、日本を変えようと思うのであれば、なぜ、自民党から立候補するのだろうか?
本人は、「政権与党、政府のど真ん中から変えていく」と述べているようだが、いったい、自民党のどこを変えて、日本をどのような方向に導こうとしているのだろうか。さっぱり見えてこない。要するに、政権についているので、手っ取り早く総理大臣になれる可能性がある。マスコミへの露出度も高く、現時点では任期もあるので、瀕死の自民党が、知事を総理に担ぎ出して選挙を戦うことがあるかもしれない、と読んだのだろうか。
国政に出るのであれば、米軍の基地が今なお100ヵ所以上も存在しているこの現実をどのようにしようとしているのか?国家破綻寸前の財政をどのように解決しようと思っているのか?消費税の増税をやるのか、大企業や資産家への課税を行うのか?憲法の改正について、とりわけ9条をどうするのか?こういう大きな国政上の問題について、きちんとした政策を披露すべきであろう。
それもなしに、自民党に入って総裁になる、というのでは、丸々自民党に飲み込まれてしまうだけではないか。
声をかけた自民党も、内部で相当の批判があるようだが、気安く、総裁選に立候補させてくれるなら、と色気を出した知事もどうかしている。
こんな政治家に振り回されて、日本はどんな方向に進んでいくのか、・・・。また、胃が痛くなりそうだ。

日本の年金、OECD中でビリから2番目

2009年06月26日 | 政治問題
経済協力開発機構(OECD)は、加盟30か国の年金制度に関する報告書を発表した。その中で、日本については、現役時代の所得に対する公的年金の受給額の割合が加盟国の中で2番目に低いと指摘した。
さらに、65歳を超える高齢化世代の貧困層の割合が22%と、OECDの平均(13.3%)を大きく上回り、高齢者と現役世代との間に大きなギャップがあることが示された。
発表によると、現役時の所得に占める公的年金の受給額の割合は33.9%と、英国に次いで低かった。OECD諸国の平均は59%だった。
要するに、世界第2位の経済力を持ちながらも、日本の国民は貧困だということだ。
普通、これだけの経済力があれば、国民はもっと豊かな暮らしが送れるはずだ。
貧富の差が広がり、莫大な資産を持つ一握りの資産家と圧倒的に貧しい多くの国民に分離しているということだ。高齢者はカネを持っているのに使わないのが問題だという議論もあるが、このデータを見ると、高齢者の貧困率はけっして低くはない。
サラリーマン生活を終えて、数千万円の退職金をもらった高齢者もいるだろうから、他の世代に比べればお金を持っているというのは、事実だろうが、わずかばかりの年金で生活できるわけもなく、数千万円くらいのお金がなければ安心して老後を贈れないのが、日本の現状であろう。
豊かな経済力にふさわしい、安心した老後を送れるような、税金の使い方に改めることが必要であろう。

また、迂回献金。もういい加減にしろ

2009年06月25日 | 政治問題
商品先物取引会社のオリエント貿易(新宿区)などグループ数社が、幹部社員の給与から天引きして集めた金を政治団体を通じ、平成4年から17年にかけ、与謝野財務相に計5530万円を、渡辺喜美元行政改革担当相には計3540万円をそれぞれ献金していたことが明らかとなった。
ダミー団体を通した迂回献金とみられ、第三者名義の寄付や企業献金を禁じた政治資金規正法に違反する疑いがある。
政治団体は昭和56年8月に設立された「政経政策研究会(政経会)」で、オリエント貿易オなどの企業グループの大株主、加藤幸男氏が代表だった。与謝野氏側は昭和56年から平成13年の間、政経会を寄付者が所得税の一部を控除される団体として推薦。渡辺氏も13年から20年まで指定していた。
政経会は平成4~17年にかけ、与謝野氏の資金管理団体「駿山会」に年250万~650万円を献金。渡辺氏の資金管理団体「温故知新の会」にも7~17年の間に年100~600万円の献金をしていたという。
西松建設の違法献金などは、たまたま見つかった氷山の一角であることが、今回の件を見ても明らかである。
渡辺喜美などは、行革の急先鋒のようなポーズを取ってきたが、中身はこのとおりである。行政改革というのなら、自らの身辺をまずきれいにするのが先決だろう。
企業や団体には選挙権はない。政治献金は、選挙権のある個人に限るべきである。
そうしなければ、これからも今までと同じように、次々と違法献金、賄賂が横行し、その結果は、政治に、企業の思惑だけが生かされ、国民の切実な声が届かなくなるということである。
そもそも、企業が見返りも求めずに、政治献金を行うことはありえない。もし、見返りも求めずに献金などを行えば、それは、企業に損害を与えるだけの行為になるため、りっぱな背任行為である。
自民党だけでなく、民主党も、ウミを出し切ったうえで、来るべき総選挙で、国民の審判を仰ぐべきである。

桑名で、生活保護打ち切りで衰弱死

2009年06月24日 | 社会問題
古い記事だが、北九州市でも、生活保護を打ち切られ、おにぎりが食べたいとのメモを残して餓死した例が報道されたことがあるが、同様の事例が、三重県の桑名市でも起きた。
哀しい限りである。
生活困窮者にとっての最後の砦である生活保護さえ受給できないとはどういうことだろうか。
北九州の場合は、申請さえ受け付けないという方法で、生活保護を片っ端から切り捨てて、厚生労働省がそれを激賞するという中で起きた事件だったが、今回の桑名の場合はどうだったのだろうか。
報道によれば、男性は昨年6月に清掃のアルバイトの仕事がなくなったといい、8月から生活保護費を受け取った。しかし、男性が同12月に支給窓口を訪れなかったことから、担当職員が今年1月に自宅を訪問したところ、男性は「日雇い労働者の仕事が見つかったので、今後はそれで生計を立てていく」と話したため、市は以降の支給を打ち切ったという。しかし、今年の2月には、男性から「仕事が駄目になりそうだが、再受給は可能だろうか」と問い合わせの電話があり、市の担当者が「本当に駄目になったら相談に来てほしい」と伝えたが、その後、連絡がなく、4月26日に自宅で死亡しているのが見つかったという。
再受給を希望した時点で、親身に相談に乗っていれば、こういう事態は避けられたに違いない。
生活保護については、一方で厳しい意見もある。
暴力団員への支給も明らかになり、全国で支給停止の措置を講じるようになっている。
また、受給しながら、毎日パチンコをして遊んでいるとか、高級外車に乗っているとか、不正受給をうかがわせるケースがあることも否定できない。不正受給には厳しく対応すべきことは言うまでもない。
しかし、訪問などにより、生活実態なども調査し、適切な支給ができるようにすべきであろう。面会すれば、きちんと食事を取っているかどうか、健康状態はどうか、生活保護を支給しなければ、命に関わるかどうかくらいはわかるだろう。窓口に座っているばかりが仕事ではあるまい。申請者、受給者を訪問し、近隣からも事情を聞くなどして、実態を正しく把握すべきであろう。
それが、生活保護制度を適正に運用するカギである。

公明党、予算に賛成しながら異論

2009年06月20日 | 政治問題
2009年度補正予算で117億円がついた「アニメの殿堂」に、公明党からも異論が相次いでいると報じられている。
中堅議員らの党コンテンツ産業推進プロジェクトチーム(PT)の会合で、ある議員から「ハコモノとして本当に必要か疑問だ」。年間目標来場者数を60万人とする文化庁の試算にも「甘いのではないか」と指摘した。
ほかの出席者からも「陳腐な展示館になる可能性はすごく強い。ビジネスとして成り立たないのではないか」「誰のため、何のために必要なのかわからない」との意見が出たという。
補正予算に賛成しておきながら、今頃になって、一体何を言っているのだろうか。
「長いものには巻かれろ」とばかり、悪法でも、愚策でも、何でも賛成する公明党の性格がよく表わされた出来事である。
ちなみに、「ビジネスとして成り立たないのではないか」という意見には、笑うしかない。
政治というのは、ビジネスではない。国民のために廉価で情報などを提供し、なおかつ、黒字になればそれが一番良いことである。しかし、たとえ赤字になろうと、国民が本当に必要としているものには税金をつぎ込むのが政治の役割である。
もちろん、「アニメの殿堂」などは、国民にとって不要不急のものである。
こんなものに117億円をつぎ込むぐらいなら、太陽光発電への補助とか、学校の耐震化とか、使うべきところはいっぱいある。
このような愚かな議員をいくら国会に送り込んでも、国民には何の役にも立たず、それこそ税金の無駄遣いというものである。

臓器移植法「改正」案が、衆院本会議で可決

2009年06月18日 | 医療・社会保障
衆院本会議で採決に付された「改正」案は、(A)脳死は「人の死」であることを前提に、臓器提供の年齢制限を撤廃した上で、本人の生前の意思表示が不明でも家族の承諾で臓器提供を可能、(B)臓器提供可能年齢を現在の「12歳以上」から「12歳以上」に引き下げ(C)脳死の定義を厳格化する(D)15歳未満の臓器提供を家族の同意と第三者による審査を条件に可能の4つの案であった。
採決の結果、15歳未満の脳死者からの移植を認めるA案が可決された。
採決を棄権した共産党を除いた各党は、改正案の賛否は個人の死生観や倫理観に基づく問題であるとして党議拘束をかけず議員個人の判断に委ねた。その結果、A案が採択されたわけだが、各政党がいずれも統一した見解を示せないような案を提示して、どれでもいいから決めてしまおうというのは、少々乱暴な議論ではあるまいか。
専門家や患者団体、国民の意見をよく聞いたうえで、決めるべきであり、拙速な採決は慎むべきであった。
そもそも、どの時点を人の死とするかは、医学、生理学などの進歩によって日々変化しているものである。昨日までは、この状態ならば回復の見込みがないと判断された患者でも、明日には回復が可能になるかもしれない。そういう極めて微妙な問題をはらんでいる。
そういう点から見ても、最新の症例の検討も含め、確かに人の死であると断定できる境界を見極めなければならない。まして、医学的な見地だけでなく、臓器提供者の家族の問題などももっと議論すべきであろう。
いずれにせよ、採決を急ぎすぎた感は否めない。
これから、参院での採決があるが、それまでに、もっと議論を深めてほしいと思っている。

国民健康保険料の地域格差、3.6倍

2009年06月15日 | 政治問題
先日の毎日新聞の記事に、2008年度の国民健康保険の保険料に、最大3.6倍の地域格差が生じていたことが報じられていた。自営業者や農漁業者のほか、年金生活者や失業者の加入が多い国保は「国民皆保険」制度の根幹だが、国の医療保障政策として公平性に問題があると批判も出ている。
2006年度の厚生労働省の調査で、国保加入の1世帯あたりの平均所得は166万円だった。同年度までの10年間で約220万円との間を推移していることから、「世帯所得200万円で、40歳代夫婦と未成年の子2人の4人家族。固定資産税額は5万円」というモデルを設定し、年額の保険料算出を求めたところ、1年間の保険料負担の最高額は、大阪府寝屋川市の50万4030円で、最低額は東京都青ケ島村の13万9900円だそうだ。
このモデルで所得を400万円に設定すると、寝屋川市の保険料は65万円になるそうである。
非正規労働者や一人親家庭、いわゆるシングルマザー、蓄えが乏しく年金収入しかない多数の高齢者では、収入は200万円前後である。
そこから、保険料を支払うわけだから、まともな生活ができるわけがない。
126市町村(7.0%)が、所得の20%以上の保険料を集め、うち2市町では25%を超えていることも判明したという。
国民健康保険の職業別の加入世帯(2006年度)は20年前と比べ、年金受給者などの無職者が54.8%(1986年度は25.5%)に急増している。自営業者は14.5%(同29.8%)に落ち込んだ。リストラによる失業者や年金生活者ら社会的弱者が多く、国保が福祉の根幹をなんとか支えているのが実情である。
こういう実態を見ると、税金の使い方をつくづく考えさせられる。
グアムの米軍基地建設費用やソマリア沖に自衛艦を派遣するカネがあるのなら、こういうところにお金を回すべきだろう。
安全保障などといって、米軍への思いやり予算や防衛費がいかにも国民の安全、安心に役立つように宣伝しているが、健康保険料が払えず、医療が受けられないような社会が、安全、安心な社会とは到底言えない。
国の防衛はもちろん重要であり、相応の対策は取らなければならないが、それも、国民生活の安心、安全あってのことであろう。国民の健康、生命が守れない国の一体どこを防衛するつもりなのだろうか。

庶民同士の対立を煽るのは止めにしよう

2009年06月13日 | 社会問題
江戸時代には、士農工商の身分制度があった。しかし、農家の次男坊、三男坊が商家に丁稚奉公に出たり、親方に付いて職人になることもあった。幕政が揺らいでくると、カネで御家人株を買い、武士になる者さえ出てきた。これ以外にも、養子縁組なども当たり前に行われていたから、少なくとも武士を除く階層は、固定的なものではなく、ずいぶん緩やかだったに違いない。我々が考えるほど窮屈な社会ではなかったのだろう。
しかし、支配階級から見れば、こういう身分制度は極めて重要で、お上(武士階級)への不満を持たないように、庶民同士を争わせるさまざまな支配の工夫を凝らしていたことは事実である。
庶民の下には、なる身分を設け、対立を煽り、庶民の不満を緩和しようと図った。
下級武士と町民との対立なども、支配階級の上層部は巧みに利用したに違いない。
さて、現代に眼を転じてみよう。
公務員と企業労働者、正規労働者と非正規労働者、若者と高齢者、男性と女性、年金生活者と生活保護受給者など、いろいろな対立の構図を持ち出して、庶民同士で対立をあおるというやり方は、今もまったく変わっていない。
争っている連中同士は、お互いに大した財産も持たず、毎日毎日、働かなければ暮らしていけない(自称中流の)庶民ばかりである。
個々に見れば、悪徳公務員も存在するだろう。怠けたために生活が破綻している若者や老人もいるだろう。意欲のない生活を送っている人間も確かに存在する。
しかし、全体として、こういう対立の構図を世間に広げて一番得をするのは誰だろうか?
それを考えたことがあるのだろうか?
庶民同士が競い合えば、給料はますます低い方に合わせられ、社会保障の給付水準も低い方に統一されるようになる。それで一番得をするのは、企業家や政府である。
そういう大きな流れを見ずに、対立の構図に乗りたがる連中が多いということは、政府や財界のこの作戦が成功していることを示している。さすがに資本主義社会だけのことはある。
庶民の多くは、身近に存在する暇そうな公務員や小金を持った老人などを見て、それに非難を集中する。一方、自分の生活からかけ離れている大金持ちの連中や別世界のような生活はまったく目に入らないので、非難の対象にすらならない。哀れというしかない。
格差の広がり、貧富の差が、日常生活のみならず、教育や医療、介護などさまざまな分野に、困難を広げている。
大きな視点で社会をみれば、前述のような庶民同士の対立を煽っても、問題は解決しないことは一目瞭然ではないか。足の引っ張り合いほど見苦しいものはない。
これからは、まじめな庶民と金権政治家、一般庶民と大金持ち、労働者と資本家、こういう対立にこそ、目を向けなければなるまい。

派遣労働をめぐり、日産が謝罪

2009年06月12日 | 経済問題
日産自動車が労働者派遣法で認められた3年の派遣期間を超えて一般事務の派遣労働者を受け入れていたとして、東京労働局が日産と派遣会社に是正を指導し、日産側が「行政指導を真摯に受け止め、今後は指導を受けることがないよう、適切に対応したい」と謝罪していたことが明らかになった。
期間制限の規制対象にならない専門職種として派遣労働者を受け入れていたが、実際には庶務的な仕事が大半で、専門業務に当たらないと判断されて、今回の行政指導になった。
労働局に申し立てていたのは、「首都圏青年ユニオン」に加入する派遣労働者2人で、このうち女性1人が厚生労働省で会見した。
女性は大手派遣会社に登録し、2003年10月から日産で働き始めた。就業条件では、26ある専門業務の一つの「事務用機器操作」とされたが、実際には会議室の予約やお茶出しなど庶務的業務が大半を占めたという。勤務開始から5年8カ月たった今年5月末、契約期間満了で退職した。
労働局の是正指導は5月28日付だという。申し立てた2人について、過去に専門業務以外の業務をさせた事実を指摘した上で、具体的な改善を求めた。指導を踏まえ、同ユニオンは日産に「2人を直接雇用する義務がある」として団体交渉を申し入れたが、日産は「直接の雇用関係にない」として応じていないという。
企業が法令を遵守して、その社会的責任を果たせば、別に何の問題もない話なのだが、今回の件などは、行政指導には従いながら、本人たちとの交渉には応じていないというから、日産としては、ほとんど反省していないのだろう。
黙って泣き寝入りしていたのでは、雇用問題は解決しない。なかなか勇気ある行動であり、拍手を送りたい。
「派遣切り」などと一律に扱われているが、違法派遣や偽装請負のようなケースは全国に腐るほどあるのだろう。
声を上げれば、正規雇用への未知が開けるケースはたくさんある。多くの非正規雇用者が、この2人の労働者の後に続いてほしいと思っている。
もちろん、企業も収益が落ち、人件費を削減したいという要求もあるだろうが、今まで散々稼いできたのだから、このくらいの出費はどうということはない。企業が社会的な責任を果たし、雇用を守るうえでも必要最低限の役割を果たすべきである。

世界に顔向けできない、日本の温室効果ガス削減の中期目標

2009年06月11日 | 環境・食料問題
麻生首相は、2020までの二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガス削減の中期目標を「2005年比15%減」とすること「決断した」ことを正式に発表した。
記者会見で、「決断した」などと大見得を切っていたが、京都議定書が基準とした1990年比と比べると、2005年では、排出量が増えているので、1900年比で見ればわずか8%減でしかない。
京都議定書での日本の目標は、2012年までに、1990年比で6%減である。今回の目標は、2020年までに、1990年比で7%減なので、差し引きすると、2012年から2020年までにわずか2%を上積みして削減するという、あまりにも低い目標である。
麻生首相は、「2005年比15%減」などと、いかにも大きな目標であるかのように述べたが、内実は、このようにお粗末なものであり、これでは、世界に恥をさらすだけである。
記者会見で、「100年に1度という経済危機の中でも、地球温暖化対策の手を緩めてはならない」などと述べ、さらに、中期目標の設定では「環境と経済の両立」に配慮したなどと強調しているが、口先だけのパフォーマンスである。地球環境という地球上の生命の存亡のかかった課題に対しての強い決意はまったく感じられなかった。
今回の補正予算でも、エコカーやエコ家電での一時的な補助金のバラマキのみで、環境と経済の両立には程遠い内容である。
太陽光発電、風力発電への補助など、もっと恒久的な施策への補助により、自然エネルギーへの補助を増やすべきであろう。
ドイツなどでは、各家庭の電力料金を少し値上げし、自然エネルギーを導入した家庭への補助に当てているという話を聞いたことがあるが、政府からの補助があれば、一層自然エネルギーへの転換が進むに違いない。
また、今回の会見では、その低い目標にすら到達できる見通しや具体策は提起されなかった。
これでは、まさしく絵に描いた餅であろう。
首相は、この目標で、「国際社会を主導」するというが、世界の笑いものになるのは目に見えている。我々も笑うしかない。

ストレスが原因の精神疾患で労災認定、3年連続で過去最悪更新

2009年06月09日 | 社会問題
仕事上のストレスが原因で精神疾患になり、2008年度に労災認定を受けた人が269人(2007年度比1人増)と3年連続で過去最悪を更新したことが、厚生労働省のまとめで分かった。20、30代を中心に高い水準が続いており、半数以上を占めた。また、過労自殺の労災認定は66人、過労による脳・心疾患は377人(うち死亡313人)で前年度からそれぞれ15人減ったが、高水準で推移しているという
厚労省によると、精神疾患の申請は927人(前年度比25人減)。2008年度に労災かどうか決定した862人(前年度以前の申請を含む)のうち労災支給決定(労災認定)は269人で、認定率は31.2%(前年度比1.8ポイント減)だった。
年代別では、30代(74人)、20代(70人)、40代(69人)の順で若年層の認定が目立った。特に20代は申請、認定とも前年度を上回り、若年層がストレスにさらされている実態が浮かんだ。業種別では製造業が50人、卸売・小売業(48人)、その他(43人)と続いている。また、過労自殺で労災認定されたのは50代が24人で最多、次いで40代(15人)、30代(11人)、20代(10人)だった。
一方、過労による脳出血や心筋梗塞(こうそく)などの労災申請数は889人(前年度比42人減)で2年連続で減少したが、認定された人の残業時間は、月80~100時間未満が最多の131人、次いで100~120時間未満が103人、120~140時間未満が49人だった。100時間以上が前年度より増加しており、長時間労働が是正されていない実態が分かった。
相変わらず、とんでもない長時間労働である。
一方で、非正規雇用者を切り捨てながら、他方では、正社員(かどうかはわからないが、)には長時間労働を強いるという構図である。
しかも、退職に追い込まれたまま、労災を申請していない例もあるだろうし、この記事を見ても、労災申請が認められているのは約30%である。
要するに、氷山の一角ということだ。
こういう働かせ方をしている企業の姿勢は問題である。また、それを放置している政治の責任も重大だ。労働基準法をきちんと守らせるだけで、労災を抑止する効果は相当あるだろう。厚生労働省も、こういう統計結果を報告し、問題を認識しているのであれば、直ちに、指導を強化し、このような悲劇が生まれないようにすべきであろう。

日本でも、住宅ローン破綻が急増

2009年06月04日 | 経済問題
不況のため住宅ローンの返済に行き詰まり、マイホームを競売で失う人が増えている。住宅金融支援機構(旧住宅金融公庫)が2008年度に競売にかけた住宅は記録のある2002年度以降で最多となり、東京、大阪、名古屋の各地裁の競売件数も急増していると報じられている。夏のボーナス大幅カットでローン破綻が続出する「6月危機説」もささやかれているそうだ。
住宅金融支援機構によると2008年度の競売件数は、前年度より35%多い1万6577件だった。とくに昨秋から競売件数は急増し、今年3月には昨年9月の約2倍の1830件になった。不況で収入が大きく減ったり、勤務先の倒産で失業したりした借り手が増えたためとみられるという。
日本版サブプライム問題とでも呼ぶべき辞退が進行している。
以前に書いておいたが、そもそも、頭金さえ準備できない世帯に、家賃並みの返済などとマンションなどを売りつけてきた結果ではなかろうか。住宅取得時の税金や頭金さえ計画的に準備できない世帯に、余裕を持ってローンを返済し続けることはそもそも不可能である。
子供が生まれ、お金がかかるようになると、ローンを払うだけで精一杯の世帯が、継続してローンを払い続けることができなくなることは、火を見るより明らかだったはずだ。
しかも、当初は家賃並みの返済で済むが、5年後、10年後には返済額が跳ね上がるようなローンを組ませた住宅販売会社の責任も大きい。5年、10年すれば、バブルの時期ほどではないにしても、多少は給料も上がって余裕も出るだろうと思っていたら、この不景気による賃金やボーナスカット、果てはリストラ騒ぎである。5年前、10年前に住宅を購入した世帯では、返済額が上がる時期でもあるが、そこにこういった経済状況が重なったものである。
返済が1回や2回滞ったからといって、突然、競売が始まるわけではない。したがって、競売にかかる物件は、まだ氷山の一角である。
一度手に入れた家を失いたくない、世間体が悪い、任意売却しても物件の値下がりで借金だけが残るといった理由で、親戚などから援助を受けるなどして、返済を続けているような世帯も多いはずだ。あるいは、高利のカネに手を出して、何とかほころびを繕っている世帯もあろう。しかし、こういうやり方が長続きするはずもない。
返済が滞ったら、まずは、金融機関に返済方法の変更(月々の返済額の減額、返済期間の延長など)を申し出ることだ。金融機関も、競売にかけても全額回収できるかどうかわからないから、可能な限り、少しずつでも返済してもらう方がよい。応じてくれる金融機関もあるはずだ。また、弁護士などに相談することも重要である。傷口が広がらない間に、最善の解決策を示してくれることだろう。
競売物件が増えて、日本版サブプライム問題が深刻化することがないように祈っているが・・・。

ブログ市長の再選

2009年06月01日 | 政治問題
ブログ市長で有名になった鹿児島県阿久根市の出直し市長選が投開票され、2度の不信任決議を受けて失職した前市長・竹原氏(50歳)が僅差で再選を果たした。
ブログによる議員批判や全職員の給与公開などで物議を醸してきた竹原さん。対立を繰り返してきた市議会側と改めてどう向き合うかが注目されている。
それにしても、この視聴の行動はめちゃめちゃである。
昨年9月の市長就任後、議員定数を16から6に削減する案を提出している。市民感情からすれば、ろくに議員としての活動もせず、市民とのパイプ役を果たさない議員は多い。それなら、定数を削減して、ということだろうが、議会と市民とのパイプが細いほど良いという理屈は通らない。
働かない議員がいるのなら、市として、議員の議会への出席状況や質問内容、質問回数を公にして、不届きな議員は次回の選挙で当選できないように、市民を啓蒙すればよい。
ところが、この市長がやったことは、ブログで、止めさせたい議員を投票させるといった、きわめていびつな行為であった。
こういう方法が好ましくないことは当然である。議員は、選挙によって選ばれて議員を務めている。議員は、選挙によってしか審判を受けないことになっている。さらに、定数16というから、トップ当選した議員でも、総投票数の10%くらいの得票しかないだろう。市民の9割はこの議員を支持していない。したがって、もし、この9割の市民がこの議員を辞めさせたいと思って投票することもありえる。民意を反映しない結果になることは当然だ。議会、議員に対する民意は、選挙でしか反映させることができない。
また、パソコンやインターネットが普及し、ブログにアクセスできる人は増えているが、まだまだ限られているだろうから、投票の結果はいびつなものになるだろう。
また、市の全職員の給与を公開したが、確かに、現在のような不況の中、一般市民に比べると、職員が安定した所得を得ているという実態があるかもしれないが、それは、発想が逆であろう。このようなときにこそ、市民のくらしを応援して、市民の所得が増えるような施策を行うのが市長の務めである。
今回の選挙で市長は、「市役所、市議会の実態を知って市民が変われば、阿久根は変わる」と訴えたというが、その中身はよくわからない。具体的にどんなことをやろうとしているのだろうか?
議員の人気投票や職員の給与公開で何が変わったのか、少なくとも、今までの市長の行動を見る限り、まともなことをやろうとしているようには見えない。
本当に市政を変えるというのであれば、そのビジョンを市民に示すべきであろう。