世界に通用する日本人ライダーの先駆け的存在だった「原田哲也」選手ですよ。
いわゆる英才教育型選手で11歳からポケバイでレースを始めています。
10代にして国内レースにデビューし、91年に全日本ロードレース選手権250ccクラスで優勝。
93年からヤマハワークス入りを果たし本格的にWGPに参戦、
デビューイヤーにして、いきなり250ccクラスシリーズチャンピオンに輝きます。
その後も98年まで250ccクラスで走り、95年が総合2位、
97年、98年は総合3位という成績を収め99年から500ccクラスにスッテプアップ。
アプリリアで戦いますが、マシン性能でホンダやヤマハに劣っていたため、
思うような結果を残すことが出来ず、01年から再度250ccクラスに転身。
ホンダからフル参戦を果たしていた加藤大二郎選手と激しいバトルを繰り返し、
常に良いレースをしたのですが、残念ながら総合2位に甘んじてしまいます。
結果的には93年に1度シリーズチャンピオンに輝いただけに止まりますが、
どの時代もちゃんと速かった選手でしたね。
と、まぁ、とても優れた「原田哲也」選手ではあったのですが、
個人的にはあまり好きな選手ではありませんでした。(笑)
インタビューに答える彼の表情は常に冷静沈着で周りを見透かした目がキライでしたね。
自分に自信を持っていたのか、
ボクには、いけ好かない態度に見えて腹立たしかったです。(笑)
ただ、引退を表明した時、涙を流してる彼を見てちょっとだけ人間味を感じましたけどね。
現在は4輪転向もささやかれながらモナコで悠々自適な生活を送ってるようですが、
80年代の弱い日本人ライダーイメージを、
一気に変えてくれた90年代のスーパースターだったことは、
間違いなかったですね!
いわゆる英才教育型選手で11歳からポケバイでレースを始めています。
10代にして国内レースにデビューし、91年に全日本ロードレース選手権250ccクラスで優勝。
93年からヤマハワークス入りを果たし本格的にWGPに参戦、
デビューイヤーにして、いきなり250ccクラスシリーズチャンピオンに輝きます。
その後も98年まで250ccクラスで走り、95年が総合2位、
97年、98年は総合3位という成績を収め99年から500ccクラスにスッテプアップ。
アプリリアで戦いますが、マシン性能でホンダやヤマハに劣っていたため、
思うような結果を残すことが出来ず、01年から再度250ccクラスに転身。
ホンダからフル参戦を果たしていた加藤大二郎選手と激しいバトルを繰り返し、
常に良いレースをしたのですが、残念ながら総合2位に甘んじてしまいます。
結果的には93年に1度シリーズチャンピオンに輝いただけに止まりますが、
どの時代もちゃんと速かった選手でしたね。
と、まぁ、とても優れた「原田哲也」選手ではあったのですが、
個人的にはあまり好きな選手ではありませんでした。(笑)
インタビューに答える彼の表情は常に冷静沈着で周りを見透かした目がキライでしたね。
自分に自信を持っていたのか、
ボクには、いけ好かない態度に見えて腹立たしかったです。(笑)
ただ、引退を表明した時、涙を流してる彼を見てちょっとだけ人間味を感じましたけどね。
現在は4輪転向もささやかれながらモナコで悠々自適な生活を送ってるようですが、
80年代の弱い日本人ライダーイメージを、
一気に変えてくれた90年代のスーパースターだったことは、
間違いなかったですね!