阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

久しぶりに 「やなか草」のラーメンを中学2年生と美味しく食べた

2022年10月19日 | 食べる飲む

某夕 中学生が前からまた行きたがっていた「やなか草」というこの町では有名なラーメン屋に行った。

彼は醤油ラーメンにトッピングはシャーチューをオーダー

私は味噌ラーメンにトッピングはキムチを頼んだ

スープと麺の硬さのバランスが絶妙で旨いとしかいいようがない味だ。

デザートのプリンもこの店のウリだ。おいしかったそうだ。

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巣鴨地蔵通商店街はおばあちゃんの原宿  都電荒川線の旅  その4・全4回のうち。 11年前の今日 2011年10月19日の本ブログに掲載

2022年10月19日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

雑司ヶ谷の鬼子母神を拝してのち、再び荒川線に乗り、今度は庚申塚駅で下車しました。

関西でも有名な「おばあちゃんの原宿・巣鴨地蔵通商店街」がどんな所か、楽しみにしてきました。
帰りは商店街の向こうのJR巣鴨駅まで行き、山手線に乗って秋葉原で総武線に乗り換えるので、「都電荒川線」とは庚申塚駅で
お別れです。 電車を降りる時、ふと女優の倍償千恵子・美津子姉妹の父親が都電の運転士だったことを思いだし、
相方にそう言うと「それがなにか?」と・・。はい、どうもすみませんでした。
 電車をおりると踏切の向こうに、明治か大正時代の衣装の一団がいたので写真に撮りました。Who??
(あとでわかりましたが、今年は大正の年号が続いているとすれば大正100年に当たるのだそうです。商店街も
大正元年に出来たのでそのお祝いの一端でその時代のコスチュームの人たちがいたということでした。)

歩き疲れたので甘味処「栄太郎」で一休みしました。何年かぶりのイチゴアイスが旨かったです。
相方は頼んだあんみつが予想を越える中身たっぷりで大感激でした。
 

この店のオカキを買って帰りましたが、全くのホンマモンでした。この地でずっと店を張っているということは
真っ当なものを出さないと、地場のお客が買ってくれないということなのでしょう。材料、焼き共に一級品で今も大事に
少しづつ食べております。さすが江戸の地場の商品には誇りがあると感じ入りました。

こんな店もありました。




ここが本宮のお宮さんです。善男善女で賑わっていました。


余談ながら、商店街の途中で「アンタ、もうそろそろええ加減にしいや、もう仰山買うたやん。もう急がんと新幹線に乗り遅れるで!」と

いう声と共に、一団のおばさん軍団が我々二人を追い抜いて行きました。

さすが巣鴨商店街!! はるばる「大阪のおばはん」まで引き寄せてはるワと、二人は顔を見合わせたことでした(笑)。

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「3147 Mountview Rd,Columbus,Ohio」という本を頂いた

2022年10月19日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2009年12月26日(土)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
 

学校時代の友人から本が届きました。闘病されていた奥さんの遺作の本でした。

 勤めていた会社の社内留学制度を活用して、友人が家族でアメリカのオハイオ州立大学に留学した時の生活を、奥さんが題材にして書かれた本でした。

奥さんは若い頃から小説を書いておられると聞いていましたが、私は初めて奥さんの著作を読みました。

書名は当時家族が住んでいた住所を表しています。

 お礼のメールを出しました。

北島さん

素晴らしいご本をご恵送くださいましてありがとうございました。

13日からあることで入院したのですが(昨日退院しました)、入院初日に家内が到着したばかりのご本を病室に持ってきてくれました。

読み出してすぐ、書中の夫婦の名である久子と久男が、敏子と敏雄というお二人の同じ文字の名前に重なりました。

そして結局、巻を置くことなく最後まで一気に読みました。

 奥さんの人生のある大切な時期の生活を、お知り合いになったリンダさんとそのご家族との交流を通じて、細やかにまた濃やかに描かれていて、

あたかも自分もその場にいるような気持ちで読ませていただきました。

よく推敲されているからでしょうが、文章が自然でしかも過不足なく当時と今置かれておられる状況での思いを書かれていると思いました。

そしてあまり伺ったことがなかった貴君のコロンバスでの学生生活の有様や、お子さんたちの学校生活のことも、お陰で知ることが出来ました。

(今回ネットでオハイオ州立大学の経営学部門はロジステイック分野で、全米有数の評価を受けていることを知りました。そこでMBAを取ったとは凄いことですね。)

留学されていた時期に自分の家族はどうしていたかなあということも思いました。

 お付き合いに濃淡はあっても、生前の奥様を存じ上げている多くの人にとって息子さんのカバーデザインも相俟って、時々手に取ってみたくなる本だと思います。

人はその人を思う人がいる限り、共に生きつづける。

ペンネーム静川敏子さんはご家族と、また多くの方々と共に生き続けられると思いました。

阿智胡地亭 辛好

追伸:亡父が勤務していた会社が昭和30年に、オハイオ州のトレドにあったある製造会社と技術提携をして、亡父は半年ほどその技術習得のためトレドに長期出張しました。

そんなことがあったので、アメリカの州の中で私が一番先に覚えた州がオハイオ州なので懐かしく感じます。

☆北島さん家族は昭和50年代初めから千葉県の柏市に住んでおり、私たちもそのころ隣の流山市にあった会社の南柏アパートに住んでいました。

一度家族で北島さんの家を訪ねたこともありました。同じ神戸の出身で学生時代の友人が電車で一駅離れたところに住んでいたことになります。

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10月18日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年10月19日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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