阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年04月23日(月)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載。

2024年05月24日 | 東日本大震災ブログ
2012年04月23日(月)
 
大熊町長 国と県と東電は批判されても当然と。
 
大熊町長 原発事故対応を批判
4月22日 17時0分 NHKニュース

 東京電力福島第一原子力発電所の事故で、町全域が避難区域に指定されている福島県大熊町の渡辺利綱町長は、国会の原発事故調査委員会に出席し、政府や福島県の事故後の対応について、情報提供が不十分だったと批判しました。

原発事故で避難区域に指定された自治体などから話を聞くため、21日から福島県を訪れている国会の原発事故調査委員会のメンバーは、22日、大熊町が役場機能を移している会津若松市で委員会を開きました。
 
この中で、参考人として出席した大熊町の渡辺利綱町長は「事故直後、政府の避難指示以降は何の連絡もないような状況だった。唯一の情報源がテレビで、原発がどうなっているのか、町民に聞かれても答えられないもどかしさがあった」と述べました。

そのうえで渡辺町長は「国や県、それに東京電力は、正確な情報を迅速に伝える責任がある。避難場所の選択も町の判断で決定しなければならず、国や県の対応のまずさが批判されても当然だ」と述べ、政府や県の対応を批判しました。

委員会のあと原発事故調査委員会の黒川委員長は、記者会見し、「もう少し早く情報が伝われば、着のみ着のままで逃げることはなかったと怒りの気持ちが伝わってきた。町長は『情報を出さなかった政府をいまだに信頼できない』と言っていたが、いったん失った信頼関係を取り戻すには、大変な努力と時間が必要だ」と述べました
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伊方原発再稼動?原子力安全委員会を巻き込んで時間稼ぎ?
 
伊方原発、安全委は審査を=枝野経産相
2012年4月21日(土)14:03 [時事通信社]

 枝野幸男経済産業相は21日、テレビ東京の番組に出演し、経産省原子力安全・保安院がストレステスト(耐性評価)1次評価を「妥当」とした四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の安全性審査について「原子力安全委員会がなかなかやってくれない。独立委員会なので内閣は命令できないが、やってくださいとお願いする必要がある」と述べた。

 枝野氏は出演後、安全委を所管する細野豪志原発事故担当相と相談する考えを記者団に表明。伊方3号機や関西電力大飯3、4号機(福井県おおい町)以外の原発についても「ストレステストを保安院がどこまでやっていいのか、原子力規制庁の法案担当としての細野大臣と相談したい」と語った。 

☆枝野経産相の頭脳戦が続く。次々とルールに則った課題を出していく。官僚のウイークポントを小出しに突いていくところを見ると、彼にもブレイン(s)がついているのだろう。

前原氏、規制庁発足前でも可能 大飯後の原発再稼働
2012年4月22日 11時56分 東京新聞

民主党の前原誠司政調会長は22日、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)に続く原発の再稼働手続きに関し、原子力規制庁の発足前でも可能との認識を示した。NHK番組で「規制庁ができるまで、経済産業省原子力安全・保安院と原子力安全委員会にしっかり仕事をしてもらう」と述べた。

 原子力規制庁発足前の再稼働手続きをめぐっては、枝野幸男経産相が大飯原発以外については「発足を待つべきではないか」と指摘。ただ藤村修官房長官は枝野氏発言について、政府の統一見解ではないとの見方を示していた。

 また同番組では原子力規制庁の在り方について、野党各党から独立性を高める自民、公明両党案に賛同する意見が相次いだ。

☆民主党が一枚岩でないことは自民党が一枚岩でないことと同じだ。

私は民主党の幹部党員の中で、一番くにたみから遠いのは前原さんだと思う。この人は上昇志向が強すぎるので、それを逆手にとられ、ある意味あやつられやすい危うさがある。

それにしても大飯が難しいとみると、四国電力の伊方原発再稼動とは!原子力ムラは寝たふりをしながら決して諦めない。
伊方原子力発電所 1号機 2号機 3号機
四国電力のHPから引用

定格電気出力 56万6千キロワット 同左 89万キロワット
送電電圧、回線数 18万7千ボルト、4回線 50万ボルト、2回線
原子炉 型 式 加圧水型軽水炉
(2ループ) 同左 同左(3ループ)
燃 料 種 類 低濃縮二酸化ウラン 低濃縮二酸化ウラン
ウラン・プルトニウム
混合酸化物
全ウラン装荷量 約49トン 同左 約74トン

運転開始
一号機  1977年 9月30日
二号機  1982年 3月19日
三号機  1994年12月15日

☆一号機は稼働開始からなんと35年が経過。しかも型式は加圧式型軽水炉。福島原発は沸騰式方軽水炉。35年使ってきた装置をまたそのまま稼働するとは・・・

伊方原発訴訟(いかたげんぱつそしょう)
Wikipediaから引用

伊方原発の安全性をめぐって争われ、建設に反対する住民側の敗訴に終わった行政訴訟。 日本初の科学訴訟といわれ、原発のメルトダウンについて初めて触れた訴訟である。

半農半漁で過疎に悩む伊方町では、積極的な原発誘致運動を展開し、地元漁協も漁業権を放棄し補償を得た一方で、1973年8月、愛媛県西宇和郡伊方町の伊方発電所1号機の原子炉設置許可取り消しを求めて周辺住民35人が、松山地方裁判所に提訴(1号機訴訟)し町は賛成派と反対派に二分された。設置許可の際、原子炉等規制法に基づいて行われた国の安全審査が不十分だと訴えた。

日本初の原発訴訟で、原告適格や原告地での裁判開催が認められ、以後各地で同様の原発訴訟が提起されることとなった。なお、この訴訟では提訴以来、現地踏査や証人尋問に携わってきた判事が中途で異動している。 1978年4月、請求棄却判決、また、原発建設の決定権は国に属するとの判断が下された。 原告は高松高等裁判所に控訴。1984年12月、請求棄却判決。1992年10月、1号機訴訟は上告審で原告敗訴が確定した。[1]

1978年6月9日、住民33人(のち提訴取り下げや死亡で21人になった)が2号機増設許可取り消しを提訴(2号機訴訟)。訴えは1号機訴訟とほぼ同じだが、原発沖の活断層の存在、航空機墜落の危険性といった新しい争点が加わった。2000年12月15日、松山地裁は住民の請求を棄却する判決を言い渡した。

豊永多門裁判長は判決理由で、原告側が「見落とし」を指摘していた活断層の評価について「結果的に誤りであった」と原発訴訟史上初めて国の安全審査の問題点を指摘する判断を示す一方で、許可の違法性は否定し、原告の請求を棄却した。これに対し原告住民の控訴がなく判決が確定した。[2][3] 2011年現在、日本の原発関係の訴訟で、地元住民側が勝訴した例はまだない。
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避難者が戻れないいま、IMFに5兆円を拠出することを誰がいいと言った?
 
財務相「日本は大きな貢献」 IMF資金強化で
2012/04/21 08:54 共同通信

 【ワシントン共同】安住淳財務相は20日、20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議の閉幕後に記者会見し、国際通貨基金(IMF)の資金基盤強化で合意したことについて「日本は大きな貢献を果たせた」と述べた。

 ユーロ圏以外で口火を切って日本が600億ドル(約5兆円)の拠出を表明したことで「予想以上の成果を挙げることができた」と自賛。「欧州の安定が(為替や株式市場を通じて)日本経済に直ちに跳ね返る」と多額の資金を拠出する意義を強調した。

 IMFでの発言力強化を求める新興国とIMFとの「橋渡し」役を日本が務めたとも説明した。

☆具体的にどう拠出金が出金されるのかなど知りたい。
これだけの金額を、原発事故で苦しんでいる日本人がいま何故、世界の金融の混乱救済の為に出す必要があるのか、大手新聞に一切の説明がない。

また、日本の大手メディアの報道で不思議なのは、米軍やヨーロッパに日本が支払う通貨呼称を自国語の円でなくドル表示することだ。狙いはわかっている。金額規模を矮小化し、ぼかすためだ。自社の読者を愚者扱いしている。

それにしても5兆円を被害地の人たちに「あるとき払いの催促なし」で貸し付ければ、東日本大災害で被害を受けた人たちの再生は素早いと思うのだが、この拠出金の原資はなんなんだろう。まさかアップしようとしている消費税がこれに当てられる?

私にはどうも全体像が理解ができない。

アメリカの代行で拠出すべしという、アメリカの要求にノーと言えない従属国の行為というのが、この5兆円の本質なのだろうか?

 どなたか教えて欲しい。

◆財務省の「洗脳とメディア操作」を暴く~高橋洋一氏×江田憲司氏~週刊現代2012/04/28号
http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11224870797.html

高橋 他の役所に恩を売り、その見返りとして、特殊法人ができるとそこのポストをひとつもらう。それで財務省は、すべての省庁の特殊法人に天下りしているわけ。要するに財務省がやっていることは、国家財政の私物化ですよ。

江田 さらに財務省支配はIMF(国際通貨基金)にも及んでいて、あそこの副専務理事のポストは昔から日本の財務官僚が就くことになっている。つまり、財務官僚の意向がワシントンのIMFを通して日本に通達されるという仕組み。日本は外圧に弱いから、財務省はそれをうまく利用して日本をコントロールしているわけですね。

高橋 江田さん、IMF本部の理事室に行ったことあります?私は官僚時代によく行きましたが、あそこは日本語が公用語なんです。スタッフは全員が財務省からの出向だから、受付で「ハロー」と挨拶する以外は日本語でOK。

江田 えぇぇ~。そうなの?だから日本人記者にとっては重宝なんです。日本語で取材できるし、IMFの分厚い資料を要約した日本語訳まで用意してくれる。で、財務省のポチが生まれるという寸法です。
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100人の徴兵集団で6人だけが生き残った 新藤監督はその一人
 
新藤兼人監督100歳祝う 現役で国内最高齢「ありがとう」
2012/04/22 17:37 共同通信

 現役の映画監督で国内最高齢の新藤兼人さんが22日、100歳の誕生日を迎え、東京都内で誕生会が開かれた。映画関係者100人以上の前に車いすで登場した新藤監督は「これが最後の言葉です。どうもありがとう。さようなら」と冗談めかしてあいさつし、会場を沸かせた。

 松竹の大谷信義会長は「日本の映画界に、100歳の現役の映画人がいることはわれわれの誇りで喜びだ」と祝福。最新作「一枚のハガキ」の受賞続きで疲れたという監督は、言葉は少ないものの時折表情を和らげた。

☆新藤監督の人生は密度の濃い一つのドラマと言える。偶然とはいえ
この人がたまたま生き残ってくれて、日本人は大きな得をした。

挫折する力―新藤兼人かく語りき―
中川洋吉 著

自分の納得できる映画を作りたくて、決然と立ちあげた独立プロの活動は、昔も今も悪戦苦闘の連続。しかし常に粘り強く、さらに踏みこんだ仕事を目指して止まない頑固者の映画人が、紆余も曲折もたっぷりあった自身の道のりを生き生きと振り返り、老いてこその現在を存分に語る。新藤兼人白寿記念出版、コクのある名人生談義。

ISBN:978-4-10-329551-8 発売日:2011/04/28

農民の伝統を守る律義さ
佐藤忠男

新藤兼人監督の自伝的、回想録的な聞き書きである。新藤兼人はこれまでもたくさん、自伝的な本を書き、自分の家族についての本や映画をつくり、さらには自分が世話になった師匠や同輩や仕事仲間についての本や映画を作っている。
 
私小説という分野を持つ文学の世界ではとくに珍しいこととは言えないかもしれないが、映画界では非常に珍しいことである。聞き書きによるこの本は、いわばそれらの要約でもあり集大成でもある。

とくに自分がシナリオ作家として一緒に仕事をしたことのある監督たちなどについての批評や感想は、新藤兼人の著作の殆んどを読んできたと思う私もまだ読んだことのないもので、作家対作家の真剣勝負のようなおもむきがあって興味深く、この本の収穫と言っていい。

 新藤兼人は明治の終りに広島の裕福な農家に生れた。しかし父親が少々人が好すぎ、他人の借金の連帯保証人になったところから財産を失った。この没落の過程で、母と長姉がどんなに苦労して家を守ろうとしたか。次姉がまだ幼い自分の母親代りになってどんなに健気にふるまってくれたか。

さらには最初の妻がどんなに自分を助け、励ましてくれたか。この妻への感謝をこめた監督第一作の「愛妻物語」で、亡くなったこの妻を演じてくれた乙羽信子が、その後どんなに自分の女神のような存在になってくれたか、といったことが、新藤兼人の一連の自伝的な映画の主題になっている。

この本で関心を持った読者はぜひ、前記の「愛妻物語」をはじめ、「母」「落葉樹」「悲しみは女だけに」「地平線」などの映画を見るべきである。日本的な、さらに言えば農民的な女性崇拝思想の成果をそこに見るであろう。

 最大の師の溝口健二監督や水谷浩美術監督や、仕事仲間としての黒田清己カメラマン、俳優の殿山泰司についても本や映画を作って捧げている。しかしそういう特別な人たちだけでなく、自分が映画界で出合ったじつに多くの人たちに対して、心のこもったコメントをしている。その律義さはどうだろう。

新藤兼人は自分が農家の出身であることを繰り返し強調し、「裸の島」のように農民を描いた作品の他、自分と同じように村を出て都会で苦労している人間を描いた映画をたくさん作っている。自分が世話になった人々にいちいち作品によって恩返しをするような作家としての態度は、あるいは農民的な気質と関係があるのかもしれない。

 私は外国人から、日本の映画作家で誰がいちばん日本の伝統をよく伝えているのか、ということをしばしば聞かれるのだが、私はいつも、日本の伝統はひとつではない。階級によってそれぞれ違った伝統がある。黒澤明は侍の伝統を伝えている。溝口健二は町人文化の伝統を伝えている。小津安二郎は近代市民層の文化を代表するものだ。そして新藤兼人が農民の伝統を守っている――と。

 ところでこの本の「挫折する力」という題には「アッ!」と思った。新藤兼人は戦後まもなく独立プロの近代映画協会を設立してからもう半世紀以上、その独立を保った映画づくりを続けている。日本での独立プロダクションの長期不倒記録を毎年々々更新しているだけでなく、世界でもこんな例は他にはないのではないか。それにはどんなにか苦労が多かったかということは想像できるのだが、それが「挫折する力」という言葉で表現できるとは知らなかった。

大手の会社に雇われてやっている場合は、失敗作があっても必ずしも自分のせいではないと考えることができるが、独立プロの場合はたちまち経営困難ということになるので挫折感が直接的に迫ってくるという。

 自分は挫折をテコにしてつぎつぎと仕事を重ねてくることができたのだという。こうして昨年は九十八歳で「一枚のハガキ」を作り、これがたいへん評判がいい。こういう凄い生き方の土台には、この聞き書きで分るような、自分がかかわりあった多くの人々に対して、その人の長所をいちいちきちんと観察し評価し表現する力がある。納得。

(さとう・ただお 映画評論家)

99歳の新藤兼人監督『一枚のハガキ』を天皇陛下が御高覧
2011年7月13日 MovieWalker.

99歳という日本最高齢の現役映画監督・新藤兼人が、自身の戦争体験に基づき、映画人生最後の作品として放つ人間ドラマ『一枚のハガキ』(8月6日公開)。本作で主演を務めた豊川悦司、大竹しのぶが、新藤兼人監督と共にプレミア試写会に登場。客席の間を通って現れ、来場した観客に客席から挨拶を行った。

戦争末期に召集された100人の中年兵の一人・松山啓太(豊川悦司)は、仲間の兵士の森川定造(六平直政)から一枚のハガキを手渡される。それは定造の妻・友子(大竹しのぶ)から送られたものだった。フィリピンへの赴任が決まった定造は、生きて帰って来られないことを覚悟し、啓太がもし生きて帰還することができたら、「妻にこのハガキを読んだことを伝えてほしい」と頼まれる。
 
本作のメガホンをとった新藤監督は、今年4月に99歳の誕生日を迎えた現役映画監督。手がけた映画は脚本、監督作品を含めると、その数は230本を超える。二等兵として出兵し、自身が100人のうちの6人の生き残りという監督は、亡くなった94人の魂を伝えることをテーマに、その生涯をかけてきた。挨拶時、車椅子から立ち上がった新藤監督は、「映画監督の新藤兼人です。本日はありがとうございます。天皇陛下の特別鑑賞会。皆さんもどうかご一緒にご鑑賞ください。よろしくお願いします」と、しっかりとした口調で挨拶。場内の観客からは温かい拍手が起こった。

続いてキャストの豊川悦司と大竹しのぶは、後列の観客にも気を配りながら360度体の向きを変えながら挨拶。主人公・啓太を演じた豊川は、「本日はこのようなスペシャルな会に皆さんとご一緒できて大変嬉しく思っています。最後までごゆっくりご覧ください」と語った。戦争で夫を亡くし、年老いた舅姑と暮らし、義弟との結婚を余儀なくされた女性・友子を演じた大竹しのぶは、「新藤監督を中心に、キャスト、スタッフが一生懸命に作った作品が、このような形で皆さんと見ることができて本当に嬉しく思っています。今日は陛下と監督と私たち、そしてスタッフと一緒にこの映画を愛していただけたら嬉しく思います」と可愛らしい表情を見せながら話した。

監督とキャストの挨拶後、天皇陛下が御臨席。天皇陛下が新藤監督作品をご覧になるのは、1999年の日本映画名作鑑賞会で上映された『裸の島』(60)以来、約12年ぶりとなる。映画をご覧になった陛下の感想も気になるところだ。

戦争を体験した新藤監督だからこそ伝えられる戦争の悲惨さ、そして監督がフィルムに映し出した日本人の心とは? 戦争に翻弄され、全てを奪われた映画の中のふたりの姿を通して、新藤監督が本作に込めた反戦への強い思いを受け取ってほしい。【取材・文/鈴木菜保美】
 
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アメリカの原爆放射線研究と被爆者の赤ちゃん資料
 
広島・長崎被爆者の赤ちゃん資料 1200人分 米で研究利用
2012年4月22日 東京新聞

 広島と長崎への原爆投下の数年後に、被爆者の親から死産したり、生後すぐ亡くなったりした赤ちゃんのうち、臓器標本やカルテが米国に送られ放射線研究に利用された人数が千二百人以上に上ることが二十一日、分かった。米国は戦後間もない時期から原爆の放射線による遺伝的影響の調査に着手。占領期に被爆者や新生児の標本が日本から米国に渡ったことは明らかになっていたが、具体的な規模は軍事情報とされ不明だった。

 広島市立大広島平和研究所の高橋博子講師が米軍病理学研究所(AFIP)の内部文書で確認した。近く発表する。高橋講師は「核兵器や放射線研究のために、新生児がモルモット扱いされたと言える。今の放射線の基準は、その上に成り立っている」と話している。

 高橋講師によると、新生児の調査は一九四八~五四年に約七万七千人を対象に実施。AFIPのエルバート・デカーシー所長は五一年二月、日本で原爆の影響を調査していた米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)への書簡で、新生児の固定標本を送るよう求めた。

 ABCCのグラント・テーラー所長は同年四月、「何百ものホルマリン標本を二カ月の間に送る」とデカーシー所長に返答。同年にABCCは死産だった新生児の臓器標本など身体の一部百七十七点を送付した。五二~五三年に同様に六百七十二点と八百十七人のカルテ、五五年にも四百三十三人のカルテと細分化された数千点に上る組織片が送られた。

 カルテや標本の数などから、高橋講師は利用された人数が千二百人以上とみている。調査終了後、ABCCは「現段階で放射線による遺伝的な影響はみられない」と結論付けた。

 ABCCの元日本人研究員は取材に対し「広島市では新生児調査がほぼ100%行われ、亡くなった場合は全て解剖された」と証言している。

 調査では、妊婦を優先した食料配給制度を利用して、広島と長崎で妊婦の所在などの情報が日本側から米側に提供された。医師や助産師のほとんどが協力要請を受け、新生児が亡くなるとABCCに通報した。

 臓器標本やカルテの一部は七〇年前後から日本に返還され、広島大や長崎大で保管されている。

 <放射線研究と被爆地> 1895年のレントゲンによるエックス線の発見以来、医療目的から始まった放射線研究はその後、原子爆弾の開発など軍事利用と表裏一体で発展した。

1945年の広島と長崎への原爆投下直後、被爆者に発熱や脱毛などの急性症状がみられ身体的影響の解明が進んだ。さらに追跡調査の結果、がんや白血病による死亡率が被ばく線量に応じて増加することが判明。

現在、平常時の住民の被ばく限度を年1ミリシーベルトとする国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告は、広島、長崎の研究が基となっており、被爆者や2世の追跡調査は今も続けられている。
2012年4月23日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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ワシントンポストの社説、読売新聞の紹介にみる意図的な見出し
 
ここ数年で最も賢明なリーダー…米紙が首相評価
(2012年4月20日22時46分 読売新聞)

【ワシントン=中島健太郎】米紙ワシントン・ポスト(電子版)は19日、野田首相へのインタビューをもとに「日本は難しい決断ができるか」と題する記事を掲載した。

 記事では、首相が取り組んでいる四つの「困難な問題」として、消費税率引き上げ、原発再稼働、沖縄の米軍基地再編問題、環太平洋経済連携協定(TPP)参加を挙げた。

 首相はこれらに同時に答えを出そうとしているとし、「ここ数年で最も賢明なリーダー」と評価している。

 首相の政治手法については「伝統的な日本のリーダーがとってきた地味なものだ」としつつも、困難な政策課題を克服できれば「他国の見本となるリーダーになる」と持ち上げている。その一方で、「派手なだけで問題解決能力がなかった首相」ばかりが続き、「米政府内では野田首相をどこまで支えるかという方針が定まっていない」という見方も紹介している。

☆大本営に所属する報道部は見出しのつけ方が実に巧妙だ。確かにそのような流れではあるが、それは30日のオバマ大統領との会談の前に日米の外務当局がおぜん立てしたインタビュー(場所は首相公館)だから当たり前の外交辞令だ。インタビューを元にしたこの社説自体は、野田首相がアメリカの国益に沿った働きが出来るのかどうかという視点で書かれている。

アメリカの新聞だからごく当たり前のことだ。

しかし、この記者はワシントン・ポストの記事原文を全部読み通してちゃんと理解したのだろうか?駐米日本大使館の報道担当から示唆されてこの記事を書いたのかもしれない。

昔はいざ知らず、今は日本のどこにいても日本人の誰でも、ワシントン・ポスト(電子版)の原文にアクセスして読むことができる。

 (余談ながら、例えば日本の大手メディアは殆ど書かない「野田首相はこれまでの日本の首相と違って、エリート階層の出身ではなく、豊かとは言えない職業軍人の息子である」という事も書かれている。

 昭和5年生まれの父親義信さんは、陸上自衛隊第1空挺団・習志野駐屯地勤務の下士官だった。
・・
Very untraditionally, he is not a product of Japan’s elite. He is the plain-spoken son of an enlisted soldier, with financial assets smaller than those of any previous postwar leader ・・
日本の大手メディアは、野田さんが誇りにしている父親のことをあまり書かないが、米紙からすると報道すべき当然の事実なのだろう。

Can Japan make the tough decisions?
By Fred Hiatt, Published: April 19 TOKYO

The question here is no different than in Europe or the United States: Can democracies still rouse themselves to do hard things? Prime Minister Yoshihiko Noda, the sixth Japanese leader in as many years and by many accounts the most sensible, is trying to provide a novel answer.

Much of Europe has spent itself into near-bankruptcy. In Washington, Simpson-Bowles has come and gone.・・・


原文全文はこちら
 
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死刑制度そのものではなく死刑の執行方法だけは議論する
 
法務相ら 死刑の執行方法議論へ
4月22日 14時3分 NHKニュース

 小川法務大臣ら法務省の政務三役は、死刑の執行方法について、海外の方法なども調査し、見直す必要があるかどうか、議論を始めることになりました。

死刑制度について、小川法務大臣は、ことし1月の就任以降、「刑の執行は大臣の職責だ」と繰り返し述べており、先月29日には3人の死刑囚に対する執行を命じ、おととし7月以来、1年8か月ぶりに執行されました。

こうしたなか、小川法務大臣は、制度自体の存廃とは別に、死刑の執行方法などは検討の余地があるとして、法務省の政務三役で、見直す必要があるかどうか、23日から議論を始めることになりました。

このうち、執行方法については、制度の廃止を訴える人たちを中心に「絞首刑は残虐すぎる」という指摘が根強いことを踏まえ、海外の執行方法なども調査し、検討することにしています。

また、現在は当日の早朝に行っている死刑囚に対する刑の執行の告知を、執行の前日などに早めることが適切かどうかや、家族、それに被害者への刑の執行に関する情報提供の在り方などについても議論することにしています。
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