阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

5月に 街中で弓を引いている動画を掲載した都内の弓具店は 創業240年あまりの「小山弓具店」だった。                     

2023年08月20日 | SNS・既存メディアからの引用記事
伝統の先頭を進む スキー板もヒントに 創業240年余、「なぜ」を持ち続け 小山弓具<都の100年企業>   東京新聞 
2023年8月20日 06時00分
 
弓、矢などの弓道具を製造・販売する「小山弓具」(千代田区)の創業は江戸時代の1780年。
 
伝統的な竹弓作りとともに、グラスファイバーなどを使った商品も開発し、素材や技術の深化に挑んできた。
 
現会長の8代目、小山雅司さん(79)は「今までの常識が通用しないような時代にも、好奇心を大切にして前に進みたい」と語る。(石川修巳)
弓道の道具が並ぶ小山弓具本店=千代田区で

弓道の道具が並ぶ小山弓具本店=千代田区で

◆存続の危機が何度も

 弓好きだった初代の自作の弓が「よく飛ぶ」と評判になり、弓師として開業したのが同社の始まりという。
 
それから240年余。「存続の危機が何度かあった」と小山さんは言う。
 
 「明治維新の時には弓具を買う人がおらず、弓の材料だった籐でかごを編んだり、乳母車を作ったりして食いつないだ」。
 
ちょうど100年前の関東大震災では、先代が小刀と仕事道具を担いで火災から逃れた。戦後は武道禁止令で営業できず、本業から離れた時期もあったという。
弓作りについて話す小山雅司会長=千代田区で

弓作りについて話す小山雅司会長=千代田区で

 「『なぜ』という疑問を常に持つことが大事。すると困難に直面した時に、ふっとアイデアが出てくる。そんなことの連続で、今があるわけです」
 
 1971年に発表したグラスファイバー製の弓は、その代表例だ。きっかけは、男子高校生が夏休みにアルバイトでお金をため、ようやく手にした竹弓が1週間くらいで折れてしまったのだという。
 
「安心して使える弓があったらいいのに」とがっかりする姿を目の当たりにして、「新たな弓を作らなきゃだめだと決意した」と振り返る。
 
 高校スキー部だった小山さんは、スキー板に使われているグラスファイバーに着目。芯材とグラスファイバーのシートを貼り合わせて、竹弓よりも安価で丈夫にした。
 
初心者にも扱いやすい点が評価され、ヒット商品になったという。
グラスファイバー製の弓=千代田区で

グラスファイバー製の弓=千代田区で

◆深化絶やさず

 「これは和弓ではない」と反発する声もあったけれども、「戦国時代を含め、弓具は常に矢を飛ばす性能を追い続けてきた。
 
グラス弓もそう。素材や技術を工夫し、今も深化を続けている」と小山さん。同社が目指すのは「伝統の先頭を進む弓具づくり」だ。
 
 海外にも弓道の愛好者らが増え、同社には「ネット販売の外国語版を作って」との要望が届く。
 
こうした裾野の広がりに期待する一方、職人の技術をどう伝承していくかが今後の経営課題になるとみている。
 
 小山さんは言う。「次の時代にどんな道具がふさわしいか、探求し続けたい。それが次の100年につながると思っています」
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神田の街中で弓を引く人を見た! 2023年5月15日掲載 

稲庭うどんの店を出て秋葉原駅に向かう途中に長い歴史のある弓具店のビルがあるはずと覚えていたがやはりまだあった。

 昭和50年に大阪から転勤で 神田美土代町にあった会社に勤務しだしてすぐに存在に気が付いた店だ。

店の階段の途中で「巻き藁」に向かってではあるが、弓を引いている人までいるのを見た。

学生時代弓道二段という免状をもらったのが今も嬉しい記憶で残っており、弓矢という文字が目に入るとどこでもすぐ反応する自分が面白い。

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日本武道館に「第2回 都道府県対抗弓道大会」を見に行く    その1  2018年11月25日掲載

ときどき弓を引く人をみたくなる。神戸にいた時は労災病院の帰りに王子弓道場で弓をひく姿を見ることが出来たが、東京では住まいの近辺に弓道場はない。

尊敬する「井上ひさし」さんが卒業した大学の弓道部師範を友人がしているので、メールでどこか試合を見ることが出来る機会と場所を教えてほしいと問い合わせた。

返事をすぐもらった。大学はいまリーグ戦の最中だが一般人が学生の試合を見るのは難しい。11月24日に日本武道館で都道府県弓道大会がありますよと教えてもらった。

日本武道館ならまだ行ったことがないのでいいチャンスだと思いでかけた。

北の丸公園の中に入るのも初めてだ。



館内は誰でも入館できたが人は選手と関係者だけで、いい緊張感が流れていた。都道府県対抗での大会はまだ2回目というのに少し驚いた。

ああこういう姿を観たかったんだと思った。矢音も聞こえるような気がするが定かではない。的を射抜いた時の乾いたズんという音が気持ちがいい。

 これは弓を引いたことがある人間には嬉しい音色だ。射場は4面拵えてあるから、同じ時間帯に4チームが立つ。

ほんの短い時間だが、的を外した土の鈍い音と射抜いた和紙の乾いた音が切れ目なく、ほぼ同時に館内に響くのは、まるで不思議な曲の調べを聴いているようだった。


私が見ているときは女子選手は誰も的を外さなかった。








予選試合は13中どうしの同中競射が3回くりかえされた。弓道にも技と長期戦に耐える体力が必要だ。

さすが選ばれた社会人主体の選手の皆さんは 射形が揃って美しい。見た目に[剛さ]が出てしまう大学弓道とは違いがあるような気がした。

 皆さんの弓を引く姿をみて、ああ自分は学生時代に「臍下丹田」ということが出来ていなかったなあと突然思った。

弓を引いてきた人、武道の心得のある人には共通のものがあるような気がする。それは「気がせかない」ということだ。

間というものがあって、機が熟すまであせらないというようなことかも知れない。

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08月19日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年08月20日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった後、ブログ「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから          [ 2011年07月19日(火)のブログ ]

2023年08月20日 | 東日本大震災ブログ
2011年07月19日(火)
 
テレビドラマ「阿修羅のごとく」三部作の再放送を楽しんだ
☆昭和54年に放送された向田邦子原作のドラマ。この日曜・月曜の深夜に3本が再放送された。製作に時間をじっくりかけた濃密な内容の男と女と夫婦のドラマ。
 
CMがないせいもあり、映画の秀作と同じように楽しんだ。今はオン・デマンドでいつでも見られるらしい。

そして三本共にこの[ジェディン・デデン(先祖も祖父も)]と言う曲が終始バックに使われた。このドラマを見て以来この曲が好きになった。
Ceddin Deden - Topkapı Sarayı Mehteran Geliyor - Mehter in Topkapi Palace
 
この曲が入ったCDを長年探した話はこちら
 

昭和54年と言えば、月に一回は海外出張で家を空け、日本にいるときは毎晩終電近くまで飲むか麻雀をして、

南柏の会社のアパートには日付が変わってから帰っていたあの頃を思い出す。どこか合わない仕事だったか、無理をして背伸びをしていたのだろう。   

 
 
ビデオニュース・ドットコムのエントリーは切れ味がよくて見逃せない
最近のエントリーの中から、

•これで検察は生まれ変われるか

•誰のための地デジ化なのか

•福島報告仮設住宅への入居が進まない理由

•なぜ政治家に純粋な動機を求めるのか

•現行基準のまま原発を再稼働していいのか

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内田樹の三冊目の韓国語翻訳書 序文の日本語訳

若者よマルクスを読もう・韓国語版序文

一部引用・・

若い人たちがマルクスを読む習慣を失ったことには、さまざまな歴史的理由がありますので、それはそれで仕方がないだろうと私も思います。

なにしろ、青年たちがマルクスに関心をなくした最大の理由は経済成長の成功によって、日本が豊かになったことだからです。

私たちのまわりからは「ただちにラディカルに改革しなければならないような非人間的収奪」を目にする機会が激減しました。

マルクス主義へ人を向かわせる最大の動機は「貧しい人たち、飢えている人たち、収奪されている人たち、社会的不正に耐えている人たち」に対する私たち自身の「疚しさ」です。

苦しんでいる人たちがいるのに、自分はこんなに「楽な思い」をしているという不公平についての罪の意識が「公正な社会が実現されねばならない」というつよい使命感を醸成します。

でも、そういう「疚しさ」の対象は、1970年代中頃を最後に、私たちの視野から消えてしまいました。

最後に日本人に「疚しさ」を感じさせたのは、ベトナム戦争のときにナパームで焼かれていたベトナムの農民たちでした。

私たちはそれをニュースの映像で見て、ベトナム戦争の後方支援基地として彼らの虐殺に間接的に加担し、戦争特需を享受している日本人であることを恥じたのです。

全文はこちら

 
神戸から7人が優勝チームに  なでしこジャパン


「神戸の7人すごかった」 INAC神戸の選手ら
(2011/07/19 06:30 神戸新聞 

 歴史に残る激闘を戦い抜き、女子ワールドカップ(W杯)で初優勝を果たした「なでしこジャパン」。

キャプテンの沢穂希選手(32)、ゴールキーパー海堀あゆみ選手(24)ら、代表7人が所属するINAC神戸レオネッサの選手たちは、「信じられない。

すごい」とチームメートの快挙に歓喜し、感動に包まれた。


 18日未明、INAC神戸の選手やスタッフ約20人は、神戸市中央区のスポーツバーに集まり、一般サポーターとともに声援を送った。

 前半は米国の猛攻を耐えしのぐ展開。南山千明選手(25)は「無失点で良かった」と息をついた。延長終了間際、沢選手が同点ボレーを決めると、

選手たちは両手を突き上げて喜びを爆発させた。

 2‐2からのPK戦では、海堀選手が好セーブを連発するなどで日本の優勝が決まり、店内の盛り上がりは最高潮に達した。「やってくれると確信していた」と鈴木洋平GKコーチ(27)。

海堀選手と神戸市内のマンションで一緒に暮らす甲斐潤子選手(27)は「別の世界にいるみたい。悩んでいた時期もあったけど、どんどん成長していった。

帰ってきたらおいしいものでも食べに行こう」と、ねぎらった。

 2度先行される劣勢を粘り強くはね返した劇的な試合展開に、星川敬監督(35)は「どんな状況でもあきらめなかったことが勝因」と分析。

中学生時代から知り合いという沢選手には「優勝すると言ってきたことをやり遂げる『有言実行』なところが沢らしい」とたたえていた。(山本哲志)

 
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