阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

ひさしぶりの荒川の河川敷 は風が強かった。

2023年05月04日 | 東京あちこち

総武線の鉄橋

 河川敷を吹き抜ける風の音にご注意!

230502 荒川の河川敷

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2022年11月2日以来の河川敷だった。

   ⇒図書館で予約していた本を受け取ってから、荒川の河川敷をまわって帰宅した。

 この大きな人工の流れは当時の東京市中に墨田川の水が氾濫して流れ込まないように墨田川の放水路として作られたものだ。

いまは荒川として流れている。長大で広い河川敷には季節の花、ポピーやコスモスが植えられ、野球場やサイクリングロードが作られて 周辺の住民が楽しんでいる。 

荒川(放水路)の建設は、明治43年の洪水被害(※)を契機として計画されたものです。明治44年(1911)に荒川放水路事業が始まり、

隅田川に堤防がなくても洪水が氾濫しないことが目指されれました。この事業により用水路予定地の住民1,300世帯が移転を余儀なくされたとあります。

移転対象地域には、民家や田畑ばかりではなく、鉄道や寺社も含まれていました。

『荒川放水路変遷誌』(荒川河川事務所)には、約2年間で建設予定地の96%の買収が完了したとあります。1300世帯分の土地を2年間で買収する。

現代では考えられない速さで進められたようです。この報告書には「当時の用地買収では、移転を余儀なくされる人々の個々の事情などは考慮されませんでした。」との記述があります。

ーーーーーーー

荒川放水路は、工事中における風水害や関東大震災等による工事の遅れがありましたが、昭和5年(1930)に完成しました。荒川放水路が完成してから約90年を経過していますが、その間荒川の洪水による被害は一度も起きてはいません。」  

荒川(荒川放水路)の歴史と風景 旧岩淵水門と荒川河口 全文はこちら

昭和41年(1966年)のマップ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

05月03日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年05月04日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東日本大震災が起こった後「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから   [ 2011年03月30日(月)のブログ]

2023年05月04日 | 東日本大震災ブログ
2011年03月30日(水)
 
日本赤十字社は集めたお金を早く避難地に届けてほしい

避難している人は着の身着のままで家を飛び出したままだ。

多くの人が我が身のことと思い、すぐに寄付をした。
日本赤十字社には一日も早く届けて欲しいと願っている。

赤十字社のHPによると、

3月25日(金)現在:
  100万6,271件 401億7,986万3,867円
の寄付金が集まっている。

寄付金はすぐにも届けて欲しいというのが募金に応じた
庶民の思いだ。

しかしどこを探しても避難地の方々に日本赤十字社から金が出ているという報道はない。
(どなたかご存知の方がおられたら教示を願います)

日頃から寄付金の使途の不透明さを言われている日本赤十字さん、
今日にでもお金を届け、その出金状況を公表してほしい。日本赤十字社のHP

日本赤十字社の役員構成 こちら

常勤副社長の大塚義治氏は元厚生労働省の事務次官。HPから引用

日本赤十字社には、役員として社長1人、副社長2人、理事61人及び監事3人が置かれており、いずれも社員の中から代議員会において選出されます。
平成22年10月1日現在、日本赤十字社の役員のうち退職公務員等は次の4人です。

副社長 兼 日本赤十字学園理事長 
大塚 義治
 就任年月日:平成17年4月1日
 経歴:平成15年 厚生労働事務次官
理事 
西本 至
 就任年月日:平成18年7月1日
 経歴:平成11年 厚生省生活衛生局長


吉原 健二
 就任年月日:平成8年4月1日
 経歴:昭和61年 社会保険庁長官  昭和63年 厚生事務次官
 ※非常勤、無報酬
三浦 大助
 就任年月日:平成20年4月1日
 経歴:昭和54年 環境庁大気保全局長  昭和56年 厚生省公衆衛生局長
    昭和58年 総理府公害等調整委員会委員
 ※非常勤、無報酬

*これは、「特殊法人等整理合理化計画」、「公務員制度改革大綱」及び「特別の法律により設立される民間法人の運営に関する指導監督基準」に基づいて公表するものです。

 
 
仙台の地元紙「河北新報」の記事から
2011年03月29日火曜日 河北新報(本社仙台)サイト

周辺住民不安と憤り 福島第1原発建屋外高濃度水 

東京電力福島第1原発2号機で28日、タービン建屋の地下から海の方に延びるトンネルと立て坑の中の水から、毎時1000ミリシーベルトを超える放射線量が検出された。付近は建屋外で、放射線管理区域に含まれていない。地中や海の放射能汚染が危ぶまれる事態に、原発周辺の自治体の人たちは一層、不安を募らせた。

 第1原発が立地する福島県大熊町から会津若松市に避難している板金工遠藤明永さん(33)は「(原発を)復旧させようという気持ちは分かるが、状況が悪化していくことに憤りを感じる」と強調。「これでまた、地元に帰ろうという気持ちが遠のいてしまった。東電の社長や社員が避難所に来て、直接謝ってほしい」と語気を強めた。

 双葉町の町民で、家族と別れてさいたまスーパーアリーナ(さいたま市)に1人で身を寄せる農業林忠義さん(60)は「第1原発から自宅まで車で5分ほどの距離しかない。状況が日に日に悪くなり、すごく怖い。帰れないというより、帰りたくない」と視線を落とした。
 福島県会津美里町に避難している楢葉町の鈴木剛総務課長は「とにかく放射性物質を海や敷地外の土地に出さないよう、対応してもらうしかない。早く町に帰りたいと思っているのに…」と言葉少なに語った。

2011年03月30日水曜日

村覆う見えない恐怖 放射能に揺れる福島・飯舘

 東京電力福島第1原発事故の影響で、水道水や土壌から高い濃度の放射性物質が検出された福島県飯舘村。人口約6100、農業や畜産業で暮らす小さな村は突然、原発事故と放射能漏れの渦中に巻き込まれた。村に残る人たちは、見えない恐怖に神経をすり減らす日々を強いられている。

▼テレビ音なし
 「マスコミは『(放射性物質は)ただちに健康に影響はない』というが、将来はどうなのか。ここに住む人の視点に立った情報が知りたい」。生後10カ月の長女らと村で暮らす佐々木美絵さん(26)は訴える。

 家族の事情で村外へ避難できない。「社会的に弱い人ほど情報も手に入らない。取り残されるのでは、という不安がある」と佐々木さん。
 情報を入手するために、震災や原発事故を報じるテレビを見ずにはいられないが、音にストレスを感じるようになり、画像だけを流す。音の出ないテレビの前で、原発事故が早く収まることを祈る毎日だという。

 飯舘村の水道水から飲用の暫定規制値(1キロ当たり300ベクレル)を超える965ベクレルの放射性ヨウ素を検出―。20日、県がそう発表してから、村の生活は一変した。

 土壌などの汚染も明らかになった。土1キロからヨウ素117万ベクレルとセシウム16万3000ベクレル、雑草1キロからは254万ベクレルのヨウ素と265万ベクレルのセシウム。

 数値はいずれも20日をピークに下がる傾向にあるが、村は今も、全住民に水道水の摂取を控えるよう求めている。

▼村内現在4000人
 「国や県が検査結果の意味や対策をしっかり説明しなければ、風評被害や住民の不安は拡大していくばかりだ」。菅野典雄村長は頭を抱える。
 農業や畜産業への影響は大きい。4月にはコメ作りが始まるが、作業の遅れは避けられない。地震の直後、飯舘村小宮の農業安斎徹さん(61)は種もみを水に漬けたが、例年のように田植えができるかどうかを危ぶむ。

 「田植えが遅れてしまえば、収量は半分にまで減るだろう。たとえ収穫できても、飯舘産のコメが売れるのだろうか」と安斎さんは話す。
 村は高級和牛ブランド「飯舘牛」でも知られるが、村内の畜産業関係者からは「ブランド自体を捨てなければいけないかもしれない」との悲痛な声も上がる。

 村外への避難で、6100人の村民は一時、3000人に減った。その後、避難先から戻る人も目立ち、今は約4000人になっている。原発から北西約40キロの飯舘村。安斎さんは不安とともに疑問も抱く。「放射性物質の数値だけが一人歩きしている」。県外の友人から毎日のように「避難しないのか」と言われるが、村を離れるつもりはないという。(太楽裕克、橋本俊)
 
第一原発の現場にまた戻ると言ってくれる作業者。

2011/03/30 05:40 【共同通信】

東電の安全管理に疑問投げかけ 孫請け作業員が証言

 建屋の地下にたまった水で作業員3人が大量被ばくした東京電力福島第1原発で、実際に復旧作業にあたった下請け会社の男性社員が30日までに共同通信の取材に応じ、被ばく事故現場に放射線量を管理する責任者がいなかったことを問題点として指摘した。

 男性はさらに、汚染された水に足が漬かった状態で3人が作業していたことについても「普通は水の中に入って作業なんかしない」と述べ、東電の安全管理の在り方に疑問を投げかけた。

 3号機タービン建屋地下で24日に被ばくしたのはケーブル敷設作業をしていた下請け、孫請けの3人。そのうち、作業をしていたのは孫請けの作業員1人で、下請けの2人は現場監督だった。孫請けの作業員ほど、危険が高い難作業を任される構図になっていた可能性もある。男性は3人が被ばくした事故の問題点として、近くに線量管理の責任者がいなかったことを挙げた。

 現在、放射線量の低い場所の作業は一日8時間に及ぶこともある。作業員は全員、敷地内の免震重要棟で寝泊まりし、乾燥米や缶詰など1日2食、1・5リットルのペットボトルに入ったミネラルウオーター1本という過酷な条件下にいる。

 男性は、東電が作業員を集めるために日当として1人数十万円を払うという新聞記事を読んだ。「そんなことはない。作業は何年もかかるし、多くの人員が必要だ。誰がそんな金を出すのか」とあきれる。

 深刻な状態が続く1~4号機は廃炉になる可能性が高い。男性はずっと第1原発に携わってきた。「廃炉作業が終わるまでには50年くらいかかるのではないか。できれば最後まで作業を続けたい」と心情を吐露。近く、第1原発に戻るという。


汚染された水の処理 新たな問題に
3月30日 5時10分 NHKサイト

深刻な事態が続いている福島第一原子力発電所では、冷却機能の本格的な回復を目指して懸命の作業が続いていますが、建物の中や外で放射性物質に汚染された水が相次いで見つかり、復旧作業の遅れにつながっているほか、汚染された水をどう処理するかといった新たな問題も浮上しています。

福島第一原発では、29日、4号機の中央制御室の照明が点灯したほか、1号機の中央制御室で、原子炉のデータなどを表示するパネルに直流電源を引き込み、一部の機器の状態が表示できるようになりました。失われた冷却機能の回復を目指して、懸命の作業が続けられる一方で、原発の建物の中や外では、放射性物質に汚染された水がたまっているのが相次いで見つかり、復旧作業の遅れにつながっています。

このうち、2号機のタービン建屋の外にある「トレンチ」と呼ばれる配管などを通すトンネルで見つかった汚染された水は、表面の放射線の量がタービン建屋の地下にたまっていた水と同じように高かったことや、「トレンチ」が地下で建屋に入り込んでいることなどから、東京電力では同じ汚染された水の可能性が高いとみています。

また、1号機の「トレンチ」については、タービン建屋の1階とつながっているなどとして、建屋の地下で見つかった汚染された水が「トレンチ」に流れ込むことは考えにくいとして、津波によって海水が流れ込んだ可能性もあるとみています。東京電力では、現在行っている放射性物質の分析の結果、問題がないことが確認されれば海に放出することも検討するということです。一方、1号機から3号機までのタービン建屋の地下で見つかった放射性物質に汚染された水の除去は、依然、進んでいません。

これらの水は、原子炉から出ているとみられますが、どのような経路で漏れ出ているのか特定されていないことから、今後も増える可能性があります。東京電力では、汚染された水をためられる場所を探しているほか、たまった水を処理して放射性物質を取り除く方法についても検討を始めていますが、汚染の高い水を通常の方法で処理できるかは分からないということで、汚染された水をどう処理するかといった新たな問題も浮上しています。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする