阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

昼飯が「シンガポールビーフン」と知ると思わずニンマリしてしまう。

2020年09月05日 | ある日のランチ

「シンガポールビーフン」と言っても「カレー焼きビーフン」のことなのだが、いくら食べても飽きないほど好きな一皿だ(笑)。

「シンガポールビーフン」はシンガポール現地では中文で「星州炒米粉」とメニューに書かれていた。

   2020年1月14日付ブログより⇒

シンガポールの空港は1981年、現在のチャンギ国際空港のターミナル1が開業するまではパヤレバー空港が国際空港だった。

インドネシアのジャカルタによく通っていたとき、成田からシンガポールまではシンガポール航空かJALだったが、シンガポール空港でインドネシアのガルーダ航空に乗り換えることが多かった。

トランジットの時など往きや帰りに、パヤレバー空港で時々軽食をとった。空港の施設の一番遠いところに小さな食堂があってその店に「星洲炒米粉」というメニューがあった。

「炒米粉ー焼きビーフン」の旨さは台湾の高雄ですっかり舌が覚えていたから、これを頼んでみたが何故「星洲炒米粉」という名前なのかは一口食べたらすぐわかった。

星洲炒米粉つまりシンガポール焼きビーフンはカレー味の焼きビーフンだったのだ。インド系の人も多く国民であるシンガポールらしいカレーとビーフンのハイブリッドメニューだった。

とてもおいしくて、すっかりこれが気に入って、シンガポールの駐在員事務所に寄って高橋所長と二人ともにチエーンで煙草を吸いながら話をした後、ここに寄ることがたびたびだった。

 国内営業部門に変わった後はシンガポールビーフンには縁がなくなったが、神戸に住むようになったら家でも「ケンミンのビーフン」(click)を使って焼きビーフンが登場するようになった。

あいかたに星洲炒米粉が旨かった話をしてカレー味の焼きビーフンを作ってもらった。私のイメージの一皿が完成した。いまや我が家のテッパンメニューとしてもう30年来定着している。

時々通う錦糸町の台湾料理店「劉の店」の焼きビーフンは台湾人のシェフが作るので本場の旨さだが、シンガポールビーフンと言っても作ったことはないと言う。

 確かに中国でも南方の一般庶民の食材である「米粉料理」は日本の中華料理店でもメニューにはなかなかないし、台湾もシンガポールも福建省系の人たちが多いが

食べものは土地土地の特色が現れるようだ。かくして日本では家以外で旨い「星洲炒米粉」を食べるのはなかなか難しい(笑)。

 先月掲載の「シンガポールビーフン」の記事 こちら(click)。

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0904 エクササイズ  ハーフセット完

1 片足立ち一分  右足左足それぞれ5回   合計10分の片足立ち 

   8月4日以来だったが身体がぶれることもなく変わりなく合計10分出来て一安心した。

2 スクワット 左右両側 それぞれ20秒×5回

3 膝を曲げずに5本の手の指を平らに床につける 一回20秒を前屈5回  手を挙げて後屈一回20秒を5回

4 少し足を広げ身体を左右横へ思い切り傾転 左右それぞれ20秒 5回づつ

   所要時間 30分

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自分の感受性くらい     茨木のり子詩集「自分の感受性くらい」から

2020年09月05日 | 音楽・絵画・映画・文芸

自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

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渋谷あちこち、 岡本太郎の「明日の神話」とハチ公壁画     2010年の今日   9月5日に掲載

2020年09月05日 | 東京あちこち

岡本太郎がメキシコで制作した大壁画「明日の神話」は何十年間も行方不明でした。

岡本太郎の人生のパートナーだった女性がヘッドになり、執念で探し出し日本に持ち帰られ、丁寧に修復されました。

現在渋谷のマークシテイ内の連絡通路に恒久設置されています。暑い日でしたがどうしても一度現物を現場で見たかったので探して見てきました。

一目見て、モチーフは原爆被害と再生の物語だと思いました。日本人しか画けない絵です。


 渋谷駅のハチ公の近くにこんな壁画がありました。前来た時は気がつきませんでした。

二つの壁画を見たあと、終戦記念日の東京はあまりに暑くて熱中症になりかけたので、渋谷エクセルホテル東急の最上階25階の和風レストラン“旬彩”に上がり、

新メンバー誕生の祝いのランチを二人で楽しみました。窓の向こうには、代々木公園と明治神宮の杜を隔てて、新宿のスカイスクレーパーが広がっていました。

いずれも家人撮影。

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