ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

ソ連が満州に侵攻した夏  半藤一利

2016-04-23 15:34:55 | Book


読後、どっと疲れましたが、読んでよかったと思っています。半藤一利さんが書かれたこの時期には、父はハルビンから現地召集令状を受けて、正体の見えにくい部隊に入り、母と子供たちはハルビンの家に残され、終戦の玉音放送を心細い思いで聴いたとのことです。
父が部隊から離れて(この離れた事情について書くと長くなりますので省略します。)母と子供たちと再会できるまでに2ヵ月以上かかりました。それから日本への引揚までの時期を、ハルビンよりも暖かい新京で生き抜いてきたわけです。

その時期にソ連と日本との間でどのような闘いと駆け引きと結末があったのかがよくわかりました。わかればわかるほど、私たち一家が終戦後1年余りで無事に日本へ引揚げられたことが「奇跡」のように思われます。

父も母もささやかな手記を残して下さいましたが、そこに書かれていないものが、今見えてきました。しかし、書かれていたことだけを信じていようとも思います。口には出せないような大きな不安を抱きつつ……。

でも、父も母ももうこの世にはおりません。父の末期の夢のなかには「ソ連兵」が現れました。母は認知症になってからは、満州にいる父のもとへ嫁いだ日から、その後の記憶はすべてなくなりまして、少女時代を生きておりました。戦争は終わっても、それぞれの戦争体験者に“戦後”はついになかったのです。

以下、引用します。
『満州国という巨大な“領土”を持ったがために、分不相応な巨大な軍隊を編成せねばならず、それを無理に保持したがゆえに狼的軍事国家として、政治まで変質した。それが近代日本の悲劇的な歴史というものである。司馬遼太郎氏がいうように、「他人の領地を併合して、いたずらに勢力の大を誇ろうとした」、その「総決算が“満州”の大瓦解で」あったのはたしかである。いまはこの教訓を永遠のものとすることが大事である。曠野に埋もれたあまりにも大きすぎた犠牲を無にしないためにも、肝に銘ずべきことなのである。』


小さな島国日本が、世界を知らないままに、大きすぎる国を造ろうとしたことはあまりにも稚拙であったのではないか?領土は小さくてもいいではないか。世界を把握し、理解する能力が問われるのではないか?


 (1999年7月 第一刷 文藝春秋刊)

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