ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

岡真史詩集 ぼくは12歳 (高史明・岡百合子編)

2013-05-24 22:36:11 | Poem


高史明(コ・サミョン・1932年1月11日~)は、岡真史の父親であり、在日朝鮮人作家、評論家。
岡百合子は高史明の妻であり、岡真史の母親。
岡真史は1975年7月17日(中学1年、12歳)に自死。


空のすべり台  (小学6年・1974年~1975年)

つらいくさとりがおわり
ズキンとするこしをあげて
みれば
空に七色のすべり台が
あった

じっとすべり台を
みていると
スーとひきこまれる
くものかいだんを
のぼり
七色のすべり台を
すべる
ほしのかぜをひきさき
はてしなく
すべっていく……
ろうどうあと
そんなことをかんがえたりする


人間  (中学1年・1975年)

人間ってみんな百面相だ


ひとり  (中学1年・1975年)

ひとり
ただくずれさるのを
まつだけ


ぼくはしなない  (中学1年・1975年……最後の詩作品と思われる。)

ぼくは
しぬかもしれない
でもぼくはしねない
いやしなないんだ
ぼくだけは
ぜったいにしなない
なぜならば
ぼくは
じぶんじしんだから  (*この行の9文字すべてに傍点がついています。)


この詩集の「あとがき」で、父親の高史明は悲痛な叫びをあげている。
かつての自著「生きることの意味」に記した、下記の言葉に苦しんで……。

『わたしは死による安らぎに人のやさしさを感じることはできません。
 人間はむしろ、死と戦い、自分自身とともに他人を生かそうとしてこそ、
 はじめてやさしい安らぎに包まれることができると思うのです。
 もちろん、人間は、たとえそのように生きても、やがては必ず死ぬ身です。
 でも、わたしは思うのです。
 人間はかならず死ぬ身であるからこそ、その人生をせいいっぱい生きるとき、
 自分自身を乗り越えることも可能になるのだ、と。
 そのとき、人間はきっと、やがてくる死を、心静かに迎えることもできるのです。』

そして、父親はこう書いています。
『人間の死は生とは別ものではなく、生そのものの中にあったのでした。
 死もまた、日々を生きているのです。』と……。

  (1976年初版第一刷・筑摩書房刊)


   *      *      *

民族差別による「いじめ」から12歳少年の自死、という類似した事件が4年後にも起きています。
1979年9月9日、埼玉県上福岡市のマンションで、市立上福岡第3中学校1年の林賢一君(12歳)が飛び降り自殺。


「国名・清水昶」はこの事件から書かれた詩です。

1979年9月9日 埼玉・中1少年いじめ自殺事件

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1 コメント

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韓国でも本を出版したらいい (カイカイに知らせたい)
2019-11-02 15:19:06
カイカイ日韓交流掲示板に岡真史くんの本を紹介してください。
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