ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

リルケ・散歩の途中で・・・

2009-12-11 20:20:49 | Memorandum
 リルケをちょっと本気で読んでみようと「ドゥイノの悲歌」を読み出したのがきっかけなのですが、最初は「手塚富雄」訳から入りました。しかしその時身近なをとこに「君には無理だ。」と言われて、おおいに憤慨したのですが、それに「すまぬ。」と思ったのかどうか?古井由吉の「詩への小路」という本を買ってくれたのだった。この1冊の後半部が「ドゥイノ・エレギー訳文1~10」だった。それから「マルテの手記」「ポルトガル文」「神さまの話」「若き女性への手紙」「オーギュスト・ロダン」から、「オルフォイスへのソネット」まで。

 そこで気付いたことですが、女性の翻訳者に出会えないことでした。わたくしはドイツ語ができませんので、このソネットに関しては2人の翻訳者に頼りました。「田口義弘」と「生野幸吉」でした。このお2人の註解を道標として、紹介されている、関連する詩や文章を探しながら、おぼつかない散歩をしている途中です。今は年末のため一旦中断しましたが、この空白期に見えてくるものがありました。

 日本におけるリルケ解釈はすべて男性であり、学者(詩人ではなく・・・)だということです。リルケ自身は「ポルトガル文」の翻訳、「若き女性への手紙」など、また妻の「クララ」にも多くの書簡が送られていますのに。一旦休憩に入ったことで、思わぬものが見えました。ここから振り返れば、「君には無理だ。」と言ったをとこの言葉が出発点であり、もしかしたらそれが結論かもしれませんね。そこを振り切って最後まで行けるか?男社会は根強い?

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2 コメント

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翻訳 (tor)
2009-12-13 01:22:32
ご自身で翻訳をトライされたがいかがですか?
新しい世界が見えてくると思います。
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ええ~! (Aki)
2009-12-13 02:07:08
torさん。

Akiはドイツ語はまったくダメですよ。英語ならともかく。

タクランケさんの原文訳と、「田口義弘」と「生野幸吉」訳を読みながら、自己解釈するしかないです。

「田口義弘」の膨大な注解を読みますと、そんな思いは吹き飛びますよ。訳詩の倍以上のページが「注解」にあてられているのですから。
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