まずはこのファンタジーを書いた大江健三郎の言葉を以下に引用します。
私たちは(子供から老人まで)いまという時を生きています。
私たちが経験できるのは、いつもいまの世界です。
それでいて、過去の深さと未来からの光にひきつけられます。
人間だけが、そのようないまを生きるのです。
そして、そのことを意識しないでも、誰よりも敏感に知っているのは子供です。
私は小説家として年をとるうち、いまのリアルさと不思議さを書きたいと思いました。
家族や小さい友人たちに約束もしました。
そして私のなかの子供と老人が力をつくして、そのために文章をみがきました。
時間の旅をしっかりやりとげる子供たち(と、「ベーコン」という犬)を作り出しもしました。
永い間、それをかつてなく楽しみに準備しての、私の唯一のファンタジーです。
引用おわり。いいなぁ。この文章!
大江健三郎の生真面目さと、誠実さに満たされているようだ。
読者として幸せになれる。
時間の旅をするのは、3人の子供たち。(三人組)
2001年。彼等の父方の祖母が上京するのが最後になった年に、
真木は16歳。あかりは12歳。朔は11歳であった。
そして2003年の夏休みに、三人組はかつて祖母が建てた「森の家」に滞在する。
その家は、障害を持った真木と暮らすために祖母が建てた家だったが、
父母はそれを断ったという経緯があった。
その離れには「ムー小父さん」が管理人として住んでいた。
このおじさんが三人組を過去や未来に旅立つ手助けをする存在である。
その頃の三人組の父は「ピンチ=心の病」だった。母を伴ってアメリカに行っていた。
そして時間の旅を促したものは、祖母が描き残した水彩絵による。ここが時間の旅の入口。
「童子」と云われる特別な子供が、
森の「千年スダジイ」の根本の「うろ」で、眠る前に願えばそこに行けるという。
しかも三人組が同じことを願えば、同じ所、同じ時代に三人共に行けるという「タイムマシーン」!
そして三人は、103年前のアメリカ、120年前のメイスケさんたちの「百姓一揆」、2064年の「ムー根拠地」へ。
この森の過去と未来への旅をする。ベーコンという犬も真木と共に時間を超えて旅をする。
2064年は現在よりもひどい世界だった。そこには子供たちの自由はなかった。
過去を変えることはできないが、未来を変えることはできる。
それが「新しい人」としての仕事となる。
このファンタジーは、どこを読んでも素敵な言葉になっているので、
感想を書くこと自体が困難極まる。全文覚えていたいという気持ばかり。
物語の最後の父の言葉が、心に残る。それを引用して締めくくることにします。
私らの大切な仕事は、未来を作るということだ、
私らが呼吸をしたり、栄養をとったり、動きまわったりするのも、
未来をつくるための働きなんだ。
ヴァレリーは、そういうんだ。
私らはいまを生きているようでも、いわばさ、
いまに溶けこんでる未来を生きている。
過去だって、いまに生きる私らが未来にも足をかけてるから、意味がある。
思い出も後悔すらも……。
(2003年 中央公論社刊)