この著書は、月刊誌「CDジャーナル」に1997年から2001年までに連載されたエッセーを1冊にまとめたものです。
佐渡裕36歳から40歳までに書かれたものであり、それが10年後に本となる。彼はすでに50歳となっている。
ご本人は躊躇するのだが、周囲は放ってはおかない。
彼は世界的指揮者ではあるが、もちろん物書きではない。文章がうまいわけでもない。(←失礼!)
しかし、京都弁を交えながら楽しい(時々脱線。)文章を書くお方である。
……というよりも、この書き手のお人柄によるものが多く、ついつい読んでしまう。
そして結果として、彼の足跡を知ることになる。
以前に読んだ「僕はいかにして指揮者になったのか」の続編となるわけで、
彼が「バーンスタイン」「小澤征爾」に出会い、学び、導かれ、若き指揮者が世界の舞台に出てゆくまでを「前篇」とするならば、
この本はヨーロッパと日本を駆け回り、世界的な指揮者になるまでの「後編」となるわけです。
しかし、小学校の卒業文集に書いた「大人になったら、ベルリン・フィルの指揮者になる。」という夢はこの本の中では果たされていません。
(現実には2011年についに実現しています。)
あらたに「続編」が書かれるとしたら、特記すべき出来事になるのだろう。
指揮者の才能とは、聴力、統率力、読譜力、分析力、想像力に加えて、最も大事なものは、好奇心、探究心、勇気(!)と書かれています。
* * *
以下はわたくし自身迷いながら書きます。書かなくてもいいような気もする。
しかし、こうした大きな仕事に邁進する男性の多くにありがちな「エゴ」を、ふと考える。
それは、音楽家に限らず、学者、芸術家、etc……などの「妻」の存在に対してです。
1度目の結婚、別居、離婚、そして恋愛、再婚……と書いた後で、
「今、最高の理解者、家内の公子を僕は最も誇りに思う。」と書かれています。もちろんご両親への感謝は当然のことですが…。
多くの仲間との出会いがたくさんあって、それを幸福だと素直に思える彼ならば、
出会い、共に暮らし、別れた女性(&子供)に対して、公に読まれる著書のなかで、もっとひそやかなな配慮をして欲しかったと思う。
現実はどうだったのかは、読者にはわからないのだから、片手落ちの話題だけは書かないでほしかった。
これを書いたのは10年前……佐渡裕40歳。そして10年が経った。
(2011年・PHP文庫)