鶴見俊輔が「アガサ・クリスティ」の本に出会ったのは、1942年3月東ボストンの留置場に入れられていた時だった。
何故留置場に入れられたのか?ハーバード大学生だった彼が、日本人だったからだろう。
それを彼は「学校からの解放は楽しい時間をつくる。」とのたまう!!!
彼の同室にはほかにドイツ人とイタリア人だけだった。
本はもちろんない。
この留置場の網の外から、少年が売りにくる新聞と週刊誌を同室の人が買って、読んだ後は捨てていた。
それを読んだのが「アガサ・クリスティ」の「動く指」と鶴見俊輔との出会いだった。
最後まで読めないうちに、別の留置場に移され、やがて敵国の捕虜となり、メリーランド州ミード要塞に。
そこから交換船で日本に帰国。
それから10年後、彼はなめらかな言葉で邦訳された「アガサ・クリスティ」を次々に読んだそうな。
「アガサ・クリスティ」は2人の名探偵を生みだした。
もちろん「エルキュール・ポアロ」と「ミス・マープル」だが、
鶴見俊輔はこの「ミス・マープル」を絶賛している。
以下の引用文のために、これだけのことを説明してしまった(^^)。
『家の中のことを見届ける女の頭脳は、天下のことを見わける方法につながる、という考え方に立って
女性作家クリスティは、ポアロよりもマープルをひいきにしていた。
平和運動についても同じではないか。』