友よ おまえは孤独だ、なぜなら・・・・・・。
私たちは言葉と指さすことで
徐々に世界を自分のものにしてゆく、
おそらく そのもっとも弱く危うい部分を。
だれが指で匂いを指し示せよう?
だが 私たちはかつて脅かした力の多くを
いまもおまえは感じ取っている。・・・・・・おまえは死者たちを知っている、
そしておまえは呪文におびえる。
いや 実はともに私たちは堪えるべきなのだ、
さまざまな断片や部分を それが全体であるかのように。
おまえを助けることは難しいだろう。何よりも、おまえの心に
私を植えつけないように。たちまち私は成長してしまうから。
だが私の主の手をみちびいて 私は彼にこう言いたい――
ほら これが毛皮をつけたエサウです と。
(田口義弘訳)
リルケの妻クララへの手紙、またジッツォー伯爵夫人への手紙に記されていたものからわかるように、このソネットで「友よ」と呼びかけられているのは「一匹の犬」です。リルケは大変犬好きでした。
犬は人間と親密な関係にあります。さらに犬は人間と動物との境界におかれている存在とされています。犬は動物として下層の実在界を故郷としながら、人間の意識の働く上層の現実界に迷い込んでしまった存在なのでした。
この犬と「エサウ」は同一化されていると考えてもいいのではないか?しかし、リルケは兄の「エサウ」と弟の「ヤコブ」とを取り違えているのではないのか?という説もあります。この双子の兄弟の盲目の父「イサク」の祝福を兄にではなく自分で受けたいがために、獣のように毛深い「エサウ」に見せかけるために、毛皮を被って盲目の父親を騙したのは「ヤコブ」でしたから。
リルケの「新詩集・別巻・・・・・・我が偉大なる友 オーギュスト・ロダンに捧ぐ・1908年」のなかにこのような詩があります。1907年、パリにて書かれた下記の詩は、犬そのものでありますが、また芸術家そのものでもあると。当時のリルケを知る上では重要な作品とのことです。
犬 (塚越敏訳)
あの上層では 眼差しからなる一つの世界の像が
絶えず あらためられては 罷り通っている。
ほんのときたま 密かに事物が現れて 彼のそばに立つ、
そうしたことも 彼がこの世界の像をおし分けてすすみ、
下層にいたって ちがった彼になるときに起こるのだ。
突きはなされてもいないが 組みいれられてもいない彼は
まるで疑念をいだいているかのように 自分の現実を
彼が忘れている世界の像に 手渡してしまう、
疑っているにもかかわらず 自分の顔を差し出しておくために。
哀願せんばかりの顔をして、ほとんど 世界の像を
理解しながらも 世界の像に通じるや 思い切ってしまうのだ。
もし通じるなら 彼は存在しなくなるであろうから。
追記
「ドゥイノの悲歌・8」も参照されたし。長いので省きました。すみませぬ。
私たちは言葉と指さすことで
徐々に世界を自分のものにしてゆく、
おそらく そのもっとも弱く危うい部分を。
だれが指で匂いを指し示せよう?
だが 私たちはかつて脅かした力の多くを
いまもおまえは感じ取っている。・・・・・・おまえは死者たちを知っている、
そしておまえは呪文におびえる。
いや 実はともに私たちは堪えるべきなのだ、
さまざまな断片や部分を それが全体であるかのように。
おまえを助けることは難しいだろう。何よりも、おまえの心に
私を植えつけないように。たちまち私は成長してしまうから。
だが私の主の手をみちびいて 私は彼にこう言いたい――
ほら これが毛皮をつけたエサウです と。
(田口義弘訳)
リルケの妻クララへの手紙、またジッツォー伯爵夫人への手紙に記されていたものからわかるように、このソネットで「友よ」と呼びかけられているのは「一匹の犬」です。リルケは大変犬好きでした。
犬は人間と親密な関係にあります。さらに犬は人間と動物との境界におかれている存在とされています。犬は動物として下層の実在界を故郷としながら、人間の意識の働く上層の現実界に迷い込んでしまった存在なのでした。
この犬と「エサウ」は同一化されていると考えてもいいのではないか?しかし、リルケは兄の「エサウ」と弟の「ヤコブ」とを取り違えているのではないのか?という説もあります。この双子の兄弟の盲目の父「イサク」の祝福を兄にではなく自分で受けたいがために、獣のように毛深い「エサウ」に見せかけるために、毛皮を被って盲目の父親を騙したのは「ヤコブ」でしたから。
リルケの「新詩集・別巻・・・・・・我が偉大なる友 オーギュスト・ロダンに捧ぐ・1908年」のなかにこのような詩があります。1907年、パリにて書かれた下記の詩は、犬そのものでありますが、また芸術家そのものでもあると。当時のリルケを知る上では重要な作品とのことです。
犬 (塚越敏訳)
あの上層では 眼差しからなる一つの世界の像が
絶えず あらためられては 罷り通っている。
ほんのときたま 密かに事物が現れて 彼のそばに立つ、
そうしたことも 彼がこの世界の像をおし分けてすすみ、
下層にいたって ちがった彼になるときに起こるのだ。
突きはなされてもいないが 組みいれられてもいない彼は
まるで疑念をいだいているかのように 自分の現実を
彼が忘れている世界の像に 手渡してしまう、
疑っているにもかかわらず 自分の顔を差し出しておくために。
哀願せんばかりの顔をして、ほとんど 世界の像を
理解しながらも 世界の像に通じるや 思い切ってしまうのだ。
もし通じるなら 彼は存在しなくなるであろうから。
追記
「ドゥイノの悲歌・8」も参照されたし。長いので省きました。すみませぬ。