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ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

楢山節考

2012-02-22 16:59:45 | Movie
La ballata di Narayama (Shohei Imamura,1983)FILM COMPLETO SubIta


監督:木下恵介
原作:深沢七郎 「楢山節考」
脚本:木下恵介
制作:1958年

《キャスト》
田中絹代:おりん
高橋貞二:辰平(おりんの息子)
望月優子:玉やん (辰平の妻)


はやぶさ/HAYABUSA

2011-11-04 15:33:14 | Movie
映画『はやぶさ/HAYABUSA』予告編


10月31日、ぎりぎり最後の上映日に行ってきました。(←近所のMOVIX)

鑑賞後の第一声「科学はロマンだ。それが悪用されない限り!」

追記はのちほどに。

  *    *    *


《追記》


詳細は「映画・はやぶさ・オフィシャルサイト」をご覧ください。


監督:堤幸彦
プロデュース&脚本:井上潔
脚本:白崎博史
音楽:長谷部徹
撮影:唐沢悟
VFXスーパーバイザー:野崎宏二

日本の宇宙開発、ロケット開発の父と言われた「糸川英夫1912~1999」の名前をつけた
小惑星25143「イトカワ」に送られる小惑星探査機「ミューゼスC」は「はやぶさ」と名付けられた。
ここからすでに、「はやぶさ」は開発プロジェクトチームチーム全員、およびさまざまな人々の願いを載せた「一体の生き物」となる。

2003年5月、「はやぶさ」打ち上げから、7年後に地球に「イトカワ」の実態を把握できる小さな物体を無事に落下させたのちに、
自らは大気圏のなかで燃え尽きるという、ほとんど「忠実で勇気ある生き物」に見えてくるという不思議。

プロジェクトチームの懸命な発信内容をきちんと受け止め、幾度もの窮地を脱しながらの旅であった。

これ以上のことは、専門家にお任せするしかない。
しかし、こういう映画を創るということにも驚きがある。
プロジェクトチームの7年間(+準備期間)を忠実に間違いのない内容でなくてはならない。
どうしたら映画人たちが、この大きな出来事を映画化できるのか?という興味もあった。

さらに「はやぶさ」に関する映画は、この映画の他に「2本」がすでに創られています。
映画人たちがこぞってこうした「宇宙科学映画」を創ろうとした「はやぶさ」の魅力はなんだったのか?
こういう「?」は映画を観ながら感じればよい。後2本も観ようと思う(^^)。

わたしたちの夏

2011-09-26 21:57:49 | Movie


「わたしたちの夏・公式ブログ」

監督 脚本:福間健二
撮影:鈴木一博
編集:泰岳志
音響設計:小川武

製作 配給:tough mama

《キャスト》
千景:吉野晶
サキ:小原早織
庄平(サキの父親。千景の恋人、従って千景はサキの継母だったこともある。):鈴木常吉


「夏」……日本人はこの季節への特別な思いがある。
まず1945年8月15日の敗戦。七夕。盂蘭盆。
死者と生者とが、互いに魂の通路を開く季節でもある。
圧倒的な深緑の季節、光と影、花は咲きそして枯れて、秋の実りの準備の季節でもある。

いつの間にかアラフォー世代になった千景は、夏が来るたびに恋をしていた。
そして秋には終わる。その繰り返しのなかで失ったもの、残されたもの。

千景は自然雑貨店で働きながら、写真を撮り、インターネット販売などをしている。
庄平は千景と別れてから、友人の家に居候。
サキは、父親に頼れず、祖母と共に暮らし、大学に通わせてもらっている。

この夏、千景と庄平は再会、また共に暮らす…というより庄平が「転がり込む」が妥当。
しかし庄平の突然の死によって、「千景の夏」と「サキの夏」が「わたしたちの夏」になる季節がくる。


  *     *     *


詩作と映画製作の違いについて、私的に素朴に書いてみる。
詩作はあくまでも1人の人間の行為である。
しかし、映画製作とは、上にメモしたように、さまざまな分野の人間の共同作業であり、それぞれの主張がある。
監督は交響曲の指揮者の仕事に似ている。
それは「福間健二団」による仕事であり、詩作とは全く逆の方向から始まるのではないか?

映画鑑賞の後で、小池昌代さんと福間監督との短いトークがありました。
小池さんの美しい表情から、思いがけない発言が飛び出してきて、彼女の内にある積み重ねの確かささえ見えた。
それは「詩を超えてしまうほどの映画、あるいは詩を追放するほどの映画はどうだろうか?」ということだった。
小池さんは詩から始まり、小説に越境していった方である。そこにどのような決意があったのか?
福間監督はどうやら10代から映画の世界に入り、詩作はその後だろうか?

映画「わたしたちの夏」のなかには、詩が読まれ、音楽よりも音が聴こえる。詩は追放されていなかった。
詩人福間健二ならではの詩(と、言ったら怒られるかな?)「きみたちは美人だ」。
それから「原民喜」、現代の若手詩人の小峰慎也の詩など。


それから「バス」。
庄平の死後、千景は周囲の人間から「バスに乗ってゆきなさい。」「バスに間に合うのか?」と尋ねられるシーンがあった。
「バス」は何を象徴するのか?小池さんの詩「永遠に来ないバス」と重なる。

フランダースの犬(1999年)

2011-08-13 00:29:45 | Movie

原作:マリー・ルイーズ・ド・ラ・ラメー(イギリス・1872年発表)
監督:ケビン・ブロディ
製作:ワーナー・ブラザーズ・1999年
配給:ギャガ・コミュニケーションズ


《キャスト》

★主演(ネロ):ジェレミー・ジェームズ・キスナー

原作(菊池寛訳・1929年)では、ネロは美しい少年であり、パトラッシュと共に荷車を引く姿を多くの画家が描いたと書かれています。


(このシーンは、ネロの才能を認めた画家のアトリエで、指導を受け、画材などをいただいたところ。)

★犬のパトラッシュ:ブーヴィエ・デ・フランドルという種類の犬



「ブーヴィエ」とは、「牛追い犬」という意味です。牧畜犬、警備犬、牽引犬として働く大型犬です。
この映画のなかでは、以前の飼い主に悲惨な仕打ちを受けて、捨てられた「パトラッシュ」を助けて介抱したのが「ネロ」とその祖父でした。
そして元気になった「パトラッシュ」は、牛乳配達をしてまわる「ネロ」の小さな荷車を引くと意志表示をしたのです。


そして少年と犬との物語は始まります。共に短い生涯でしたが…。


ネロの母親は、雪の夜に赤ん坊のネロを連れて父親のもとに帰ってきますが、間もなく亡くなります。
父親がどこの誰かも明かされていません。母親が絵を描いていたことだけは祖父から聞かされます。
ネロは貧しい祖父のもとで働き、絵を描いていましたが、その優れた才能を認めてくれた画家の援助にもかかわらず、
ネロの絵はコンクールでは認められません。それはいかにも教会と権力、人間への階級的差別によるもの。

さらにネロが憧れている画家「ルーベンス」はベルギーの首都「アントワープ」生まれ。「フランダース」から1里半。市がたつところです。
そこの大聖堂には、「キリストの昇架」「キリストの降架」の2枚が収められているものの、
厚いカーテンに隠されていて、高額なお金を払った者しか観ることができない。
聖堂にある宗教画が、一般公開されないこととは何事か?

  

たった1人の友人(のちに恋人?)「アロア」はフランダースで一番のお金持の1人娘です。
その家の風車小屋が火事になり、その濡れ衣をきせられたのも「ネロ」だった。
祖父はすでに亡くなり、小屋は家賃滞納で追い出され、2人ぼっちのネロとパトラッシュは
夜の雪道を歩いて、聖堂に向かいます。クリスマスの夜、聖堂の扉は開いていた。
深夜、凍えながらネロとパトラッシュは、「ルーベンス」の絵画のカーテンを開けるものの見えない。
やがて、窓から美しい月光が差し込んで、キリストの絵を初めて観ることができる。
そして、2人は安らかに天の召されました。2人は1つの輝く星となって。

最後の「死」はあまりにも残酷な運命であるとして、映画やアニメなどでは「ハッピーエンド」に
つくり変えられているものもあるが、原作は「死」です。村人が誤解を悔いて「ネロ」を助けようとしたのは、その後のこと。

原作者が読者に伝えたかったことは、宗教と権力の腐った関係、そして階級性への批判でせう。
さらに書き加えるならば、この物語のあちこちに「聖書」に書かれたものに類似したものが見られます。
この物語は「聖書」を意識しないで考えることはできないようです。

父と暮せば

2011-08-09 14:26:20 | Movie



原作:井上ひさし(戯曲)
監督:黒木和雄
脚本:黒木和雄、池田眞也


《キャスト》
福吉美津江:宮沢りえ
福吉竹造(実は幽霊。)原田芳雄
木下正:浅野忠信


この映画は、ほとんど忠実に原作に沿って製作された映画です。台詞も含めて。
ただし、舞台公演では父と娘との2人芝居であり、背景の転換もほとんどない。
娘の美津江の恋人「木下正」は舞台では、語りのなかでその姿を想像させるが、映画では登場する。
また娘の勤務先の図書館も出てきます。ここが恋人との出会い。彼は原爆の資料を集めていた。
しかしまだ日本では、アメリカの圧力によって、それらが公にすることを禁じていた時代であった。
それでも「瓦礫」のなかには、原爆の巨大なエネルギーとその犠牲となったものの証拠はいくらでもあった。


原爆投下から3年後の広島の、雨漏りのする一軒家を舞台に、生き残ったことへの負い目に苦しみながら生きている娘のところへ、
何故父親は幽霊(この幽霊には足があった。)となって現れたか?
それは娘が「生き残った自分には幸福になる権利はない。」という精神的呪縛と、木下正への恋情に揺れていたから。
この恋情の熱さが、父親の傷のない体を蘇らせた。

しかし、奇妙な錯覚に陥る。父親役の「原田芳雄」は亡くなったばかり。
映画だけでなく、彼は本当に「幽霊」なのだった。(しかし、彼は名優だなぁ。ほれぼれ。)

父と娘との生死を分けた出来事とは、庭にいた父と、友人に手紙を出そうとして外出しようとした娘が、
その手紙を落としてしまい、その手紙を拾うために庭の石灯籠の陰に身を屈めた。
このわずかな違いが生死を分けた。
そして、その手紙の送り先だった友人は被爆して亡くなり、その母親に「なぜあなたが生き残り、私の娘が死んだのか?」と。

被爆して瓦礫の下に倒れた父を助けようとしたが、娘の力ではどうにもならない。
「早く逃げろ。」という父親と、逃げられない娘とがじゃんけんをする。
それは子供時代からわかりきったことで、父親は「ぐー」しか出さない。
だから娘も「ぐー」しか出さない。そしてぎりぎりのところで父親を見捨てた娘だった。

もちろん娘が被爆しなかったわけではない。
3年経って、症状は軽減されたものの、被爆2世の母親にもなるわけで、それでも恋人は結婚をするという。
そこで、幽霊の父親は、なんとしても娘のところへ現れるのだった。

さらに、図書館の子供向けお話会では、娘は語り継がれた昔話を正確に伝えることに専念していたが、
父親は「原爆の現実を語れ。」と助言する。
そして、父親は役目を終えて消えてしまった。

「おとったん、ありがとありました。」

ユーモラスに仕立てながら、実は「ドスン!」と重い映画なのである。
井上ひさしはやはりすごい!

小川の辺

2011-07-24 14:35:08 | Movie
特番1


特番2




「小川の辺・オフィシャルサイト」


この映画の原作は藤沢周平の短編集「海坂藩大全・上下巻」のなかの1編から。
「海坂=うなさか藩」というのは、架空の地方の藩名であり、現在の山形県と言う説と、
奥州(陸奥の国)という説がある。いずれにしても東北地方になる。

藤沢周平の小説には不思議な力がある。
父が病床にふせるようになってから、「本が読みたい。」と言いだした。
父の読書はめずらしい話ではない。
教師だった父は毎晩書斎にこもっていたし、俳句も少しは詠んでいました。
しかし、わたくしが選んで買ってきた本を、ことごとく「面白くない。もうこういう本は読みたくない。」と。
わたくしが選んだ本は、俳句関係、中国関係(父は大学卒業後は満州で教師をしていました。)でした。

困ったので、夫に相談しましたら「藤沢周平はどうか?」と言う。
その時、ふと思いだしました。詩人の嵯峨信之さんが、病床で「藤沢周平」を読んでいらしたということを。
多分、編集者のSさんが書かれたエッセーのなかだったと思います。

それから父の読書量は、「これが数ヶ月後に死を宣告されている人間なのか?」と驚くほどに
急増しました。わたくしはマーケットの買物の前に本屋さんに寄るのがあたりまえのコースになりました。
一番大きな本屋さんにある「藤沢周平」の本をおそらくほとんど買いしめたような気がします。

こうした「藤沢周平」の小説の魅力が、誠実に映画化されたように思いました。
藩主の「上意」によって、妹の夫であり、友人だった男を討ち取るという困難な命令を、
主人公とそのお供は、最小限の犠牲に留めて、物語はしずかに終わる。

場面はほとんどが旅である。
「海坂」から江戸へ、そして千葉県の行徳まで。
「海坂」とは、海の水平線の湾曲した線を「坂」と名付けたものらしい。
そして、小川の流れる辺で、妹と友人はひっそりと暮らしていた。
友人は、藩主の農民行政のあり方に「物申した」武士として「軟禁」から「脱藩」の罪を犯したのだった。

デンデラ

2011-06-30 16:42:22 | Movie
映画『デンデラ』予告編 6月25日公開!



映画「デンデラ」公式サイト


監督:天願大介
原作:佐藤友哉

《キャスト》はオフィシャルサイトに詳しく説明されています。

いやはや70歳を迎えた、あの美しい女優「浅丘ルリ子」が、雪深い山奥に「姥捨て」される70歳の老女を演じていますが、
その迫真の演技力と、酷寒の雪山での熱演には驚きます。
そして、いくら汚れた老女を演じても、あの美しさは隠せませんでした。

草笛光子、倍賞三津子、山本陽子も同じ驚きをみせてくださいました。

ストーリーに関しましては「姥捨山」続編と思って下さればよろしいかと。
大自然の恵みと恐怖、そこで生き抜いた70歳以上100歳までの女性たち50人の物語。
「70歳の極楽浄土の死」はない。村人たちの知らない世界となって、展開されていました。
しかし、女性だけがなぜ捨てられたのであろうか?


そういえば、もう1つ「姥捨山」禁止令が下された村があったという物語がありましたね。
母親を捨てた息子が、なんの罪かは忘れましたが、その罪を免れるために難問が出される。
それは「細い管に糸を通すにはどうすればよいのか?」という難問でした。
困り果てた息子は、捨てた老母に会いに行き、知恵を授かります。
それは、管の向こう側に砂糖を置く。こちら側には足に糸を結んだ蟻を送りこむ、という方法でした。
それで難問を解決したのですが、その知恵を授けた者が捨てられた老母だとわかった時に、
「姥捨て」の禁止令が出たという。このお話は記憶のみですので、出典はわかりません。

《追記》

出典はこの「うばすてやま」に書いてありました。定説はないのですね。


この「姥捨て」という風習は日本に限った風習ではありません。「ふたりの老女 ヴェルマ・ウォーリス著」という本にも
書かれています。こちらは「アラスカ・インディアン」のお話です。