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ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

『くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ』

2017-01-27 16:50:28 | Movie
映画『くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ』予告編


これは、フランスのアニメーション映画です。

熊のアーネストおじさんと、ネズミの少女セレスティーヌの、異なる種族を超えた愛情物語でした。
何気ない物語ではあるが、画面の色彩がやさしい。

ディズニー・アニメには見られない静かな色調でした。

太陽の帝国

2016-11-21 22:01:25 | Movie
日本版予告篇 / 太陽の帝国



原作
ジェームズ・グレアム・バラード(James Graham Ballard, 1930年11月15日 - 2009年4月19日)は、上海(中華民国)生まれのイギリスの小説家、SF作家。


彼の実体験をつづった半自伝的な長編小説を、スティーヴン・スピルバーグによって映画化され、1987年に公開されました。


日中戦争中の上海。イギリス租界で生まれ育ったイギリス人少年ジェイミー(通称ジム)は、日本の零戦に憧れる少年だった。
だが、1941年12月にマレー作戦を皮切りに日英間で開戦し、日本軍が上海のイギリス租界を制圧した際に、避難民の大混乱のなかで両親とはぐれる。

独りぼっちになった少年は、生き抜くために空き巣・泥棒などの悪事を重ねるが日本軍に捕えられ、蘇州の収容所へ送られる。
無邪気な、飛行機好きの少年が戦争のもたらす現実に翻弄されながらも、健気に、時にはずる賢く(?)生き抜こうとする姿を活写している。

米空軍ムスタングが収容所を急襲し、戦争は終結へと向かう。
さらに、東の上空に美しい閃光が走った。それは長崎に落とされた原爆の光だった。戦争は終わった。

やがてジムは戦災孤児の集まる施設で両親と数年ぶりの再会をする。
たくましい少年となったジムに新たな生活が始まったのだが、心と体に負った傷は癒される時はいつか?

映画 「秋の理由」 福間健二監督

2016-11-17 14:18:46 | Movie
【映画 予告編】 秋の理由




2000年に出版された福間健二氏の詩集「秋の理由」の言葉たちが、映像のなかに時々落葉する。詩人である福間健二氏の独自の映画作法のように思える。
この映画は、福間監督作品のなかで、私は一番好きだなぁ。K’s cinemaにて16日に。

声が出ない作家が書けなくなる。(演じた俳優さんは、現実にも声が出ない。)
編集者は本をつくることができない。
初老を迎えた二人の男が、互いの才能を認め合いながら、最も不幸な関係に陥ってゆく。
その男たちの間で揺れる、作家の妻。
そして、妖精のように大きな樹の後から突然現れる、愛らしい女性。魔法の粉を振りまくように、大人たちの世界に、ささやかな奇跡を起こす。

人生の秋をどうやらくぐり抜けて、死も退けて、ラスト・ランに向かう男たち。
人生はさらに続く。「ぼくはまだ黒い芯を昂ぶらせている」と。



   ゆるされたと思うのは錯覚だが
   この世界はいい匂いがする
   自分の力でわかったことも少しはある
   旅をして
   長い列のうしろに並んで
   キンモクセイの坂道の下
   わたしは
   顔や手に粘りつく暗示を洗いおとして
   誰かが泣いているために
   秋が来たわけではないことを知った

     (秋の理由より。最終連。)




戦場のメリークリスマス

2015-12-26 12:14:31 | Movie
「戦場のメリークリスマス」予告編


日本人は戦争が下手なのだ。
極限状態のなかで狂う人々なのだ。

いや、人間そのものが戦争に向いていない。
にも関わらず、長い歴史のなかで戦争を繰り返してきた。
権力者が戦争を主導し、民間人が人間の悲しみばかりを背負う。
そうして、後悔ばかりが膨張する。
死者ばかりの戦後となる。

映画 『杉原千畝 ・スギハラチウネ』

2015-12-21 12:51:37 | Movie
「杉原千畝 スギハラチウネ」予告



リトアニアでユダヤ人を中心とした6000人の避難民にビザ発給を
独断で(しかし熟慮の末に)行った外交官として、あまりにも有名な人物である。

どんなに困難な時代であっても、権力の圧力に立ち向かい、時代に流されず、
宗教や人種を超えた考え方を持った一握りの人間はいるのだと思う。
こういう時代にあって、杉原千畝の生き方を再考することは相応しい。

映画『母と暮せば』

2015-12-21 12:26:47 | Movie
映画『母と暮せば』予告



母と暮らせば

この映画は「父と暮らせば」を引き継いだ形で作られたのだと
思います。この映画を作った井上ひさし氏はそのあとで「長崎」を舞台に「母と暮らせば」を作りたいとおっしゃっていたそうです。

「父と暮らせば」では、広島の原爆によって父が被爆死し、生き残された娘の苦しみを救うために、
父の幽霊(リアルな!)が現れて、娘の心を開放してゆく道筋が温かく、そしてわずかに喜劇的に描かれています。

それを受けて、山田洋二は「母と暮らせば」という映画を完成させました。
ここでは母が生き残り、医大生の息子が被爆死します。
幽霊として現れた息子は、恋人のことが諦めきれない。
母との繰り返される対話のなかで、息子は生きる者と死者との気の遠くなるような距離を知る。
そして、たった一人で生きて、助産婦として働き過ぎた母の死が訪れる。
死んだ息子は母を迎えに来たようだった。

2つの映画は比べようもないことだが、「父と暮らせば」の場面展開、会話は見事だった。
特に父の会話と、姿の見せ方のテンポというか、タイミングというか、素晴らしい。

「母と暮らせば」では、少々冗漫な展開であったようだ。上映時間の長さを感じた。

放浪の画家 ピロスマニ

2015-12-14 21:40:23 | Movie
映画『放浪の画家 ピロスマニ』予告編



ピロスマニ Niko Pirosmani




ニコ・ピロスマニ(1862年~1918年)は19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したグルジアの画家。
彼はグルジア東部のミルザーニの村で生まれ、後にトビリシに出て、グルジア鉄道などで働いたが、
その後、独学で習得した絵を描くようになる。
彼はプリミティヴィズム(原始主義)あるいは素朴派(ナイーブ・アート)の画家に分類されているが、
当人にはいかがなものであったのか?
彼はグルジアを流浪しながら絵を描いてその日暮らしを続けた。
一旦はロシア美術界から注目され名が知られるようになったが、そのプリミティヴな画風ゆえに非難もあった。
失意の彼は1918年、貧困のうちに死去したが、死後グルジアでは国民的画家として愛されるようになり、
ふたたびロシアをはじめとした各国で注目されることになる。

彼の描いた絵は、殆どが故郷の人々の暮らしや、様々な行事や、動物たちだった。

「百万本の薔薇」という歌をご存知の方も多いことでしょう。このモデルとなった画家が「ニコ・ピロスマニ」であり、
フランスの女優「マルガリータ」が彼の町を訪れた時に、彼女を深く愛したピロスマニは、
その愛を示すために彼女の泊まるホテルの前の広場を花で埋め尽くしたという。
この実話はロシアの詩人アンドレイ・ヴォズネセンスキーの詩によって有名になり、ラトビアの作曲家が曲をつけ、
モスクワ生まれの美人歌手が歌い、世界的にヒットした悲恋の歌です。日本では「加藤登紀子」によって歌い継がれています。