goo blog サービス終了のお知らせ 

ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

跳躍へのレッスン   鮎川信夫

2020-06-02 22:39:52 | Poem

跳躍へのレッスン   鮎川信夫(1920~1986)
  
   見えがくれに歩きながら
   ときには肩をよせあい
   迷路をさまよったあげくに
   夜明けとも日暮ともつかぬ薄明の中で
   ぼくらは崖に立っている

   道に迷ったところで
   どちらに向くかは身体にきめさせた
   その日その日の
   快楽と苦痛の結果がこれだ
   一期の夢だから
   狂え狂えといっても
   身は現つのままで
   千仞の崖っぷちに立つ

   雲切れの空にのぞく
   まがまがしい双つ星は
   離れまいとして
   必死に輝きをましている
   いとしきひとよ
   あそこまでは跳べる
   ぼくらの翼で
   試してみようではないか

――『宿恋行』1978年・思潮社刊 より――

この詩は詩集の最後におかれている。ちなみに最初の詩は「地平線が消えた」である。その詩を一部紹介します。

   ぼくは行かない
   何処にも
   (中略)

   あってなきがごとく
   なくてあるがごとく
   欄外の人生を生きてきたのだ
   (後略)

この詩集には、わたくしの個人的な思い出がある。この本は、五十代の若さで癌のため他界した独り身の姉の膨大な蔵書を整理していた時、たった一冊だけ出てきた詩集である。姉はわたくしの詩にすら興味を示さない人だったのに……。そしてその詩集のタイトルが「宿恋行」……わたくしは大きな衝撃を受けました。
姉の死後、姉の住んでいた2DKの部屋をすべて整理しなくてはならなくなった。そこが人間の不在する部屋になってしまうと、その空間を占めるものは物品の累積だけになってしまう。そして部屋全体はぬくもりも息づかいも失う。人間の生涯とはただこのようなものであったのかと嘆息する。わたくしが時おりその雑多な物品の整理に疲れて、途方に暮れながらへたり込むと、そのおびただしい物品の隙間のあちこちからかならず亡くなった姉の悲痛な声がわたくしの耳を幾重にも包囲するのだった。

   狂え狂えといっても
   身は現つのままで
   千仞の崖っぷちに立つ

姉の看護に明け暮れた日々にはきづかず、姉が亡くなったのちの「暮らしの抜け殻」のような空間のなかで、初めて亡き姉の孤独の姿が、わたくしの想像をはるかに超えていたことを思い知らされたのです。

 


譲り葉

2020-04-21 13:45:09 | Poem

譲り葉   河井酔茗

子供たちよ。
これは譲り葉の木です。
この譲り葉は
新しい葉が出来ると
入り代わつてふるい葉が落ちてしまふのです。

こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちを譲つて。

子供たちよ
お前たちは何を欲しがらないでも
凡てのものがお前達に譲られるのです。
太陽の廻るかぎり
譲られるものは絶えません。

輝ける大都会も
そつくりお前たちが譲り受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受取るのです。
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれどー 。

世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持つてゆかない。
みんなお前たちに譲つてゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造つてゐます。

今、お前たちは気が附かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のやうにうたひ、花のやうに笑ってゐる間に
気が附いてきます。

そしたら子供たちよ。
もう一度譲り葉の木の下に立って
譲り葉を見るときが来るでせう。 


百人一首

2020-01-03 13:14:58 | Poem

百敷や 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり

                     (順徳院)

「ももしき」とは皇居のこと。
「しのぶ」はしのぶ草のこと。懐かしく思う、の掛詞。
「昔」とは、皇室、皇居が栄えた延喜、天暦の時代。
この歌が、百人一首の百番目の歌である。


ここから、お話は落ちます。

まず、私の六歳からの百人一首の師匠は祖父であった。
その祖父の品の悪い替え歌です。(ごめんなさい。??)

ももしきや 古き褌 質に入れ なほあまりある 借金かな

祖父は絹織物を生業としていた。苦労があったのかしら???
とはいえ、ダンディーな祖父は自慢だった。
そして、私の百人一首の師匠であった。
そのおかげで、高校生の時には、百首を暗記していました。

ありがとう。お爺ちゃま。
そして、祖父亡き後では、教師である父が師匠となったのでした。
父の方がお行儀がよかったです。。。。


合評会

2019-11-17 14:01:09 | Poem

数日前に、この写真を撮りながら「朝焼けの山河を守り♪♪♪~~」などと歌っていた。

しかし、昨日の同人たちとの合評会では、みっともない作品を出してしまった。

つまり、日常的に繰り返される病む同居人との暮しへの「愚痴」でしかない作品だった。

困難な日常を言葉は越えられなかったのだ。

出した途端にひっこめました。

ここからは、自分との闘い。二度とこんな失態は繰り返さないように。


まだ咲いているのは夾竹桃のバカ

2019-08-20 13:00:44 | Poem

この画像は咲きはじめですが・・・・・・・。


まだ咲いているのは夾竹桃のバカ

 

キッチンの窓から、いつも夾竹桃が見える。

最後の花がなかなか落ちない。

そこで思い出したのが、時実新子のこの川柳だった。

しかし、彼女の名前がなかなか思い出せない。

やっと思い出した頃に、ようやく花は散った。

そして、本のタイトル「有夫恋」も思い出しました。

 

 

http://www.shinko-tokizane.jp/index.html