塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

濾定橋から成都へ

2007-10-13 00:55:14 | Weblog
8月11日第7日目

今日は成都へ帰る日。ちょっと寂しい。
途中、濾定橋に寄る。
長征を続ける紅軍は、四川省の山奥まで行軍してきたが、蒋介石の国民党軍に阻まれ、苦戦していた。北上するには大渡河を渡らなければならない。そこに架かっているのが濾定橋。国民党軍は、この鉄の鎖でできた吊り橋の板をはずして、敵が渡って来られないようにしていた。だが、紅軍の中の勇気ある兵たちが、鎖を伝って渡って行った。多くの兵が撃ち落され、犠牲になったが、数人が向こう岸へたどり着き、再び板を渡し、紅軍の一師団すべては河を渡ることができた。
こういういわれのある重要な橋だ。

そういえば、私たちが通ってきた所にはいつも紅軍の影があった。
紅原の紅は紅軍の紅だし、卓克基には毛沢東、周恩来等が立ち寄っている。至るところに記念碑が建っている。そして、濾定橋。
このコースは最近、紅軍の旅、として結構人気があるらしい。

橋を渡ってみる。もちろん入場料を取られる。向こう岸まではかなりの距離がある。下を見ると板の間からゴーゴーと流れる河が見え、大勢の人が渡っているので揺れる。うっかりすると落ちてしまいそうだ。
紅軍やチベット族の衣装を貸し出していて、それを着て渡ることもできる。ちょっと楽しそう。主人は昌列寺の山道より怖いと、顔をこわばらせていたが。

買い物をして豆花を食べた。お湯に入れたしっかりした豆腐に砂糖を入れただけだが、なかなかおいしかった。しょうゆ味もあった。

後はひたすら成都を目指す。
まだ帰りたくない、と思っていたけれど、風景が少しずつ漢の地らしくなってくると諦めがつくものだ。休みもとらず、ひた走る。高速を降りてビルが見え始めると、もう着いたのかと期待してしまう。
4時ごろ到着。さすがに疲れた。暑い。汗がまとわりつく。

そう、お昼を食べた時、一人の男性が車に乗せてくれないか、と言ってきた。宋さんは、外国のお客さんと一緒だからだめだ、と断った(チベット族のおばさんたちを頼まれもしないのに乗せてあげていたのに)。大蔵寺や昌列寺へ行く時、道端の人があそこまで行くのは大変だぞ、と言っても、外国のお客さんが喜ぶから、と答えていた。
ずーっと気を遣っていてくれたんだ、と改めて感激する。明日は車を休ませると言っていたから、成都の友達と思いっきりおしゃべりしてください。
「ウェ~イ! 」「好的、好的(ハオダ、ハオダ)! 」という宋さんのゆったりとした口調は、以後、主人と私の合言葉となった。

私たちは例によって、成都のホテルでもひともめして、眺めの良い部屋を確保した。
最後の夜、成都の夜景を眺めながら、買ってきた惣菜でたくさん飲んだ。もう、高原反応の心配をしなくてもすむ。街へ出て、また飲む。プラスチックの椅子が通りに並び、みんな遅くまで遊んでいる。主人がベトナムとそっくりだと言う。暑い。

あんなに涼しい所にいたなんて、うそのようだ。



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