4 地理と自然 その1
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)
私はウォーロンのはずれの雪に覆われた巴朗山には行かなかった。元の路を折返し、国道213号線の映秀に戻り、ここから、続けて岷江に沿って上って行った。
車で一時間ほど走った頃、窓から顔を出してみると、視線に入るものはすべて木も草もない禿山だった。この山の上のどこかが、ワス土司の当時すでに落ちぶれ始めていた集落だったのだが。
もし私がこの山の上まで登ったら、この本はすべていくつかの歴史物語で埋められ、自然からは離れてしまったかもしれない。
この旅が始まった時、この章に決めた主題が「地理と自然」だった。
地理とは二つの河と一つの山である。自然とは、この河の両岸と大きな山の頂きや峰の自然である。
成都から約150km離れた汶川県の県城威州山鎮で、岷江の主流は北へ向って折れ、そのまま松潘へ通じている。この街道に沿って北上すると有名な景勝地・黄龍がある。
さらに北西に進むと、岷江の源流で弓杠嶺を越え、もう一つの水系嘉陵江流域に入る。その中の一つの支流白龍江のほとりが、世界自然遺産に加わった景勝地・九塞溝である。
私はかつて自分の足でこの水流の上流の地理を実地調査したことがある。だが、この路線はギャロン領内ではないので、今回の旅からは省略することにした。
私が採った路線は汶川から西へと向い、ほんの少し南に寄っている。岷江に沿った重要な支流ザクナオ河を上っていくものである。
この路の両側は、かつて強大だったザク土司の統括地だった。現在の理県のほとんど全域にあたる。
その夜理県に泊まるつもりだったが、県城の周りの荒涼とした風景は、目を背けたくなるようなものだった。さらに言えば、理県県城の周りは、わずかな民家とギャロンの特色を残す石の砦以外、そこを出入りする人々の生活の中に、すでに本当のギャロンの姿を取り戻す余地はなくなっていたのである。
すでに夕日が傾く時分になっていた。公道の傍らに行き、小さな食堂の前で腰を下ろした。
一台のトラックが走って来たので、乗せてくれと頼んだが運転手はまるで相手にしてくれなかった。我慢強く彼が食事を終えるのを待ち、そのうえタバコを一本差し出した。
彼はニヤッとして言った「どんな仕事してるんだ」
私は答えた「少なくとも、道路を管理する仕事じゃないよ」
今回、彼はやっと首を縦に振った。
彼のような長距離トラックの運転手にとって、路上で管理する役人はたくさんいる。交通警察、林業警察、防疫係りおよびその他の名前がよくわからない何々係り。
普通、運転手はこれらの国家の役人を避けたがるものだ。
30㎞以上走って、古爾溝で降りた。
今度は運転手の顔に残念そうな表情が現れた。なぜなら、彼は夜間に長距離を運転するつもりで、これから越える大きな山の頂上で一緒にタバコを吸い話をする相手が欲しかったのだ。
一瞬、私もちょっと心が揺らいだ。
それは運転手の名残惜しそうな眼差しのためとではなく、車の前の強烈な光の柱が思い浮かんだからだ。路傍の木々を、渓流、切り立った崖、そしてすべてのものを一つ一つ照らし出し、次々と後ろの暗闇に放り投げる光の柱。
私は一人でそれに感動していた。
だがやはり、私はここの温泉に入りたかった。
そこで車から飛び降り、運転手に別れを告げた。
古爾溝という地名は、漢とチベットの言葉が混合している名前であり、これもまたこの地の人々の生活や習慣を物語っている。
そして古爾溝がなぜ有名かといえば、温泉があるからである。
ギャロンチベット族は温泉の治療効果を強く信じている。
私の故郷は、ここから遠く離れた雪山の反対側のソマ川の河岸にあるが、故郷の人たちはよくここへ来る。長く厳しい道程を経て、温泉に浸かる。
それは毎年春の終わり、ハダカムギの種とソラマメの種を畑に撒き終えた時期。雪はだんだんと雨に変わる。河の岸辺の草地がやっと淡い緑を伸ばし始める。種は土の下の暖かく潤った暗がりの中でゆっくりと芽生えていく。
この季節の農民は、畑の周りの柵を修理する以外、基本的には何もすることがないのである。
一年で最ものんびりしたこの時、たくさんの人が数百里も離れた場所から温泉に向って出発する。
その頃、広々と開けた農村の間にはすでに公道が出来ていたのだが、ギャロンの農民は温泉に行く時は、やはり馬を準備する。
馬の背に、テントと上等の食べ物、たとえば、年代物の豚の脚の燻製、腸詰、卵、熊の肉、そして、蜂蜜と自家製の焼酎を積む。老人、特に老婦人は小さなロバに乗ることもある。
彼らは短くても3から5日、長ければ10日以上の旅をする。そしてやっと温泉に来ることが出来るのである。
テントを張り、一年に一度のゆったりとした温泉での日々が始まる。
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)
私はウォーロンのはずれの雪に覆われた巴朗山には行かなかった。元の路を折返し、国道213号線の映秀に戻り、ここから、続けて岷江に沿って上って行った。
車で一時間ほど走った頃、窓から顔を出してみると、視線に入るものはすべて木も草もない禿山だった。この山の上のどこかが、ワス土司の当時すでに落ちぶれ始めていた集落だったのだが。
もし私がこの山の上まで登ったら、この本はすべていくつかの歴史物語で埋められ、自然からは離れてしまったかもしれない。
この旅が始まった時、この章に決めた主題が「地理と自然」だった。
地理とは二つの河と一つの山である。自然とは、この河の両岸と大きな山の頂きや峰の自然である。
成都から約150km離れた汶川県の県城威州山鎮で、岷江の主流は北へ向って折れ、そのまま松潘へ通じている。この街道に沿って北上すると有名な景勝地・黄龍がある。
さらに北西に進むと、岷江の源流で弓杠嶺を越え、もう一つの水系嘉陵江流域に入る。その中の一つの支流白龍江のほとりが、世界自然遺産に加わった景勝地・九塞溝である。
私はかつて自分の足でこの水流の上流の地理を実地調査したことがある。だが、この路線はギャロン領内ではないので、今回の旅からは省略することにした。
私が採った路線は汶川から西へと向い、ほんの少し南に寄っている。岷江に沿った重要な支流ザクナオ河を上っていくものである。
この路の両側は、かつて強大だったザク土司の統括地だった。現在の理県のほとんど全域にあたる。
その夜理県に泊まるつもりだったが、県城の周りの荒涼とした風景は、目を背けたくなるようなものだった。さらに言えば、理県県城の周りは、わずかな民家とギャロンの特色を残す石の砦以外、そこを出入りする人々の生活の中に、すでに本当のギャロンの姿を取り戻す余地はなくなっていたのである。
すでに夕日が傾く時分になっていた。公道の傍らに行き、小さな食堂の前で腰を下ろした。
一台のトラックが走って来たので、乗せてくれと頼んだが運転手はまるで相手にしてくれなかった。我慢強く彼が食事を終えるのを待ち、そのうえタバコを一本差し出した。
彼はニヤッとして言った「どんな仕事してるんだ」
私は答えた「少なくとも、道路を管理する仕事じゃないよ」
今回、彼はやっと首を縦に振った。
彼のような長距離トラックの運転手にとって、路上で管理する役人はたくさんいる。交通警察、林業警察、防疫係りおよびその他の名前がよくわからない何々係り。
普通、運転手はこれらの国家の役人を避けたがるものだ。
30㎞以上走って、古爾溝で降りた。
今度は運転手の顔に残念そうな表情が現れた。なぜなら、彼は夜間に長距離を運転するつもりで、これから越える大きな山の頂上で一緒にタバコを吸い話をする相手が欲しかったのだ。
一瞬、私もちょっと心が揺らいだ。
それは運転手の名残惜しそうな眼差しのためとではなく、車の前の強烈な光の柱が思い浮かんだからだ。路傍の木々を、渓流、切り立った崖、そしてすべてのものを一つ一つ照らし出し、次々と後ろの暗闇に放り投げる光の柱。
私は一人でそれに感動していた。
だがやはり、私はここの温泉に入りたかった。
そこで車から飛び降り、運転手に別れを告げた。
古爾溝という地名は、漢とチベットの言葉が混合している名前であり、これもまたこの地の人々の生活や習慣を物語っている。
そして古爾溝がなぜ有名かといえば、温泉があるからである。
ギャロンチベット族は温泉の治療効果を強く信じている。
私の故郷は、ここから遠く離れた雪山の反対側のソマ川の河岸にあるが、故郷の人たちはよくここへ来る。長く厳しい道程を経て、温泉に浸かる。
それは毎年春の終わり、ハダカムギの種とソラマメの種を畑に撒き終えた時期。雪はだんだんと雨に変わる。河の岸辺の草地がやっと淡い緑を伸ばし始める。種は土の下の暖かく潤った暗がりの中でゆっくりと芽生えていく。
この季節の農民は、畑の周りの柵を修理する以外、基本的には何もすることがないのである。
一年で最ものんびりしたこの時、たくさんの人が数百里も離れた場所から温泉に向って出発する。
その頃、広々と開けた農村の間にはすでに公道が出来ていたのだが、ギャロンの農民は温泉に行く時は、やはり馬を準備する。
馬の背に、テントと上等の食べ物、たとえば、年代物の豚の脚の燻製、腸詰、卵、熊の肉、そして、蜂蜜と自家製の焼酎を積む。老人、特に老婦人は小さなロバに乗ることもある。
彼らは短くても3から5日、長ければ10日以上の旅をする。そしてやっと温泉に来ることが出来るのである。
テントを張り、一年に一度のゆったりとした温泉での日々が始まる。
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)
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