塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来「大地の階段」 75 第5章 灯りの盛んに灯る場所

2011-05-25 18:12:36 | Weblog
10 永遠の工事現場と過去の水運隊 その1




(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)





 リンモ河の流れがローズウに至るあたりは、両岸に花崗岩の山が険しく切り立って、谷間を行く河へと迫っている。
 柏の木は岩の間に深々と根を下ろし、意外なほどに青々とした林をなしていて、まるで奇跡を目にしているようだ。

 村を出て、切り立った河岸に立つと、狭まった河底では水の流れが雷のように鳴り響いていた。
 強い河風が吹きあげてきて、この風に乗って舞い上がれそうな感覚をおぼえた。
 だがそれは、あくまでも感覚でしかなかった。私の足は相変わらず河岸の公道を上を歩いている。

 公道が出来てから…、老人は私が彼の家を去る時に言った。オレたちが呼んできたローズウという村はもうローズウじゃなくなったんだ。

 私を見送って外に出た時、老人は、今ではより多くの人からローズウと呼ばれるようになった場所を指差した。そこは、急流の上に架かる花崗岩で出来た橋の袂で、中華式の瓦屋根と白壁の家が這いつくばるように並んでいた。

 老人は言った「あそこがあいつらにとっちゃ、今のローズウさ。オレたちのとこなんて、まるで知らんと言わんばかりだ」
 このいささか憤りを含んだ言葉はどこか歯切れが悪かったが、言いたいことは理解できた。

 事実、これは時代の大きな変遷の中の、人には知られにくい小さな変化である。

 あの家々は、この時代になって始めて現れた地形上の目印であり、公道の縁、主要な橋の袂にあるために、ローズウという地名の新しい目印となったのである。
 静かな山の中の、人の目に触れないような狭い土地でも、重心の移動はあるものなのだ。

 すでに過ぎ去った、孤独な修行者が街道を足早に歩き回っていた時代、ローズウといえば、それはまばらな畑の中に散在する石造りの家々を指していたのである。
 だが今、長距離バスの運転手とその乗客がこの地名を口にする時、思い浮かべるのは、道路の縁のまるで生気のない瓦屋根の家々なのだ。

 今、村を後にして、畑の縁の折れ曲がった細道を抜け、公道に沿ってあの興ざめの家々に向かって歩いている。

 しばらくして土ぼこりで覆われた地名を示す標識が目に入った。
 老人の恨みのこもった話をもう一度思い出し、思わず笑いがこみ上げてきた。

 その家々の中に、まぎれもなく道路工事の班場と思われる建物が一軒あった。

 何軒かの家はすでに使われなくなっていた。うち捨てられた家の周りには小さな菜園が作られ、生気のない葉の中に緑色のトマトが成っていた。
 家の壁には決意表明のような言葉が書かれていた。
 このような言葉を私たちはスローガンという。
 だが、チベット語の中にこれに対応する言葉はない。もしそのまま直訳したら、呪文という言葉がそれに近いだろうか。

 以前ある村で村長が若者に言うのを聞いたことがある。
 君たちのように漢語のできる若者は、壁や岩に呪文を書きなさい、郷の役人が来てそれを見たらきっと喜ぶぞ、と。

 うち捨てられた家の壁に書かれているスローガンは

  「流れてきた木材を勝手に引き上げてはいけない」

  「国の財産を守ろう、木材を盗む行為を許すな」

 確かに、流されてきた木材が岸に乗り上げて、知らぬ間に姿を消してしまうことはある。往復する長距離バスの運転手に売られるのだ。
 更には、大きな原木が河の中でぶつかって細かく砕けてしまうことも多い。

 沿岸の多くの場所では、森林が消失したために燃料を手に入れるのはますます困難になっている。そこでいつの間にか、河の中のすでに利用価値のなくなった原木のかけらを人々が探し求めるようになった。
 担いで家に帰り煮炊きに使うのである。水運の人たち自身も、河からの燃料で火を起こしている。
 洪水の季節になると、大渡河と泯江の流域の人口の比較的多い鎮では、河の両岸は砕けた流木をあさる老若男女で埋め尽くされる。

 どこの河岸にも、濃い墨でスローガンがいくつも書かれている。
 だが、多くの鎮で、河に浮かぶ木のかけらだけが唯一の燃料なのである。

 聞くところによると、一本の木が山で切り倒され、河に流され、四川盆地の荷揚げ場所まで着いた時、残っているのは全体の四分の一位だという。
 また一つの観察によると、このような方法で運ばれた木材の最終的な利用率は、およそ三分の一だという。
 このように提出された数字を見れば、ギャロンの山奥の訳もなく消滅させられた森林のために、私たちは大声をあげて泣き叫ぶ理由があるのである。




(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)







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