語り部:道の途中 その3
「ケサルの物語を、どうしてそんなにたくさん知ってるんだ。もしかして、おじいさんは仲肯か?」
老人は答えず、立ち上がって前を歩いた。ジグメの前を歩いて、小さな山の上に着いた。
金沙江の支流が谷間を勢いよく流れていた。
砦の跡が一つと、今にも壊れそうな土を固めたいくつかの壁が、当時ギャツァがリンの南の境界に作った城塞の跡だった。
地面には赤い塊りがたくさんあった。ずっしりと重い石のような、だが、完全な石ではないもの。
老人はジグメに教えた。
これは城塞の基礎。これは精錬した鉄鉱石。
城塞を築く時、製鉄の技に通じた兵器は、溶かした鉄と、半分溶かした鉄鉱石を、深く掘った壁の土台に流し込んだ。
冷えて固まった土台は比べようもなく堅固だった。
二人が立っているこの丘から固い灌木の茂みを通り、長い壁がうねうねと低地まで続き、その後、向かいの更に高い丘へと登って行く。
その丘の頂にも、さらに高く聳える廃墟があった。
丘の上には強い風が吹いていた。
二つの丘の間には低地が広がっていて、かつては古代からの道が通じていた。
今そこは長い間耕されてきた一面の畑になっている。
老人は言った、この丘とあの丘にある遺跡はギャツァの城塞の両翼だ。間の低地に城塞の中心があった、だが、今そこには一つの石も一本の木も残っていない。
老人は腰を下ろすと言った。
眼鏡は水で磨いた後、風で磨かなくてはならないのだ、と。
「お前さんが仲肯なのは分かっている。だからここにある本当の姿を見に連れて来たのじゃ。お若いの、どう思うね」
「物語の中のリンの国は大きかった。まるでこれが世界の全部じゃないかと思えるほどだった。今これを見ると、それほど大きくなかったのかもしれないな」
ケサルが生まれたアッシュ高原からマニゴンガに向かい、雪山を超えてデルゲに着き、そしてここまで来た。途中休み休みしながらも十日間歩いた。
老人は真面目な顔で言った。
「それはリン国が始まったばかりのことだ。その後大きくなっていったのじゃ。
ここから出発し、金沙江の両岸をずーっと下って、リン国の大軍は南にある魔王サタンが率いるジャン国を征服した。じゃから、南方の境界はずっとずっと遠くになった。
そこでは冬でも草原に花が咲き乱れているそうじゃ」
「その時には、ギャツはもうこの世にいなかった」
老人の顔には激しい不満の表情が浮かんでいた。
「そうじゃ。ギャツァこそリン国で誰よりも戦略に長け、だれよりも強い忠誠心を持った大将だった」
「なら、ジャン国に出征した時、兵や馬はだれが指揮したんだろう」
老人はジグメをジロリとにらんだ。
「お前はラジオの中で語った仲肯じゃろう。お前さんの語りはなかなか良かったぞ」
「でも、今、頭の中がすっきりしなくて」
老人は磨いてピカピカに透き通った眼鏡をかけた。
「そうだな、ぼんやりした顔つきじゃ。神様はお前から離れようとしていなさるのかもしれん。何か、神様が嫌がることをしたんじゃろう」
「それもわからない」
「さっき、ワシに何か尋ねたな。そうじゃ、ジャンに出征する時誰が指揮したか、だったな。
教えてやろう。ジャンはワシらの大英雄ギャツァを恐れていた。もし、ギャツァが生きていたら、奴らはリン国の塩の海を奪いには来られなかっただろう」
ジグメはまた同じことを聞いた。
「塩の湖はどこなんだ」
塩の湖はもちろん東北の草原にある。
だが塩の湖に行くには、ジャン国の軍隊はここを通らなくてはならない。
老人の興味は地理にはなく、誰がリンに一番忠誠かということだった。
ジャンは塩の湖で敗れ、若い王子はホル国からリンに下った将軍ジンバメルツの捕虜になり、その後、リンの大軍が南下しジャンを討伐した。
老人は言った。
「ギャツァを除けば、一番忠誠な大将はタンマじゃ。
ジャンへ遠征した時のタンマの手柄は誰よりも大きかった」
「ケサルの物語を、どうしてそんなにたくさん知ってるんだ。もしかして、おじいさんは仲肯か?」
老人は答えず、立ち上がって前を歩いた。ジグメの前を歩いて、小さな山の上に着いた。
金沙江の支流が谷間を勢いよく流れていた。
砦の跡が一つと、今にも壊れそうな土を固めたいくつかの壁が、当時ギャツァがリンの南の境界に作った城塞の跡だった。
地面には赤い塊りがたくさんあった。ずっしりと重い石のような、だが、完全な石ではないもの。
老人はジグメに教えた。
これは城塞の基礎。これは精錬した鉄鉱石。
城塞を築く時、製鉄の技に通じた兵器は、溶かした鉄と、半分溶かした鉄鉱石を、深く掘った壁の土台に流し込んだ。
冷えて固まった土台は比べようもなく堅固だった。
二人が立っているこの丘から固い灌木の茂みを通り、長い壁がうねうねと低地まで続き、その後、向かいの更に高い丘へと登って行く。
その丘の頂にも、さらに高く聳える廃墟があった。
丘の上には強い風が吹いていた。
二つの丘の間には低地が広がっていて、かつては古代からの道が通じていた。
今そこは長い間耕されてきた一面の畑になっている。
老人は言った、この丘とあの丘にある遺跡はギャツァの城塞の両翼だ。間の低地に城塞の中心があった、だが、今そこには一つの石も一本の木も残っていない。
老人は腰を下ろすと言った。
眼鏡は水で磨いた後、風で磨かなくてはならないのだ、と。
「お前さんが仲肯なのは分かっている。だからここにある本当の姿を見に連れて来たのじゃ。お若いの、どう思うね」
「物語の中のリンの国は大きかった。まるでこれが世界の全部じゃないかと思えるほどだった。今これを見ると、それほど大きくなかったのかもしれないな」
ケサルが生まれたアッシュ高原からマニゴンガに向かい、雪山を超えてデルゲに着き、そしてここまで来た。途中休み休みしながらも十日間歩いた。
老人は真面目な顔で言った。
「それはリン国が始まったばかりのことだ。その後大きくなっていったのじゃ。
ここから出発し、金沙江の両岸をずーっと下って、リン国の大軍は南にある魔王サタンが率いるジャン国を征服した。じゃから、南方の境界はずっとずっと遠くになった。
そこでは冬でも草原に花が咲き乱れているそうじゃ」
「その時には、ギャツはもうこの世にいなかった」
老人の顔には激しい不満の表情が浮かんでいた。
「そうじゃ。ギャツァこそリン国で誰よりも戦略に長け、だれよりも強い忠誠心を持った大将だった」
「なら、ジャン国に出征した時、兵や馬はだれが指揮したんだろう」
老人はジグメをジロリとにらんだ。
「お前はラジオの中で語った仲肯じゃろう。お前さんの語りはなかなか良かったぞ」
「でも、今、頭の中がすっきりしなくて」
老人は磨いてピカピカに透き通った眼鏡をかけた。
「そうだな、ぼんやりした顔つきじゃ。神様はお前から離れようとしていなさるのかもしれん。何か、神様が嫌がることをしたんじゃろう」
「それもわからない」
「さっき、ワシに何か尋ねたな。そうじゃ、ジャンに出征する時誰が指揮したか、だったな。
教えてやろう。ジャンはワシらの大英雄ギャツァを恐れていた。もし、ギャツァが生きていたら、奴らはリン国の塩の海を奪いには来られなかっただろう」
ジグメはまた同じことを聞いた。
「塩の湖はどこなんだ」
塩の湖はもちろん東北の草原にある。
だが塩の湖に行くには、ジャン国の軍隊はここを通らなくてはならない。
老人の興味は地理にはなく、誰がリンに一番忠誠かということだった。
ジャンは塩の湖で敗れ、若い王子はホル国からリンに下った将軍ジンバメルツの捕虜になり、その後、リンの大軍が南下しジャンを討伐した。
老人は言った。
「ギャツァを除けば、一番忠誠な大将はタンマじゃ。
ジャンへ遠征した時のタンマの手柄は誰よりも大きかった」