語り部:道の途中
静止していた画面も目の前から消えた。
頭の中がぼんやりとした。
故郷で自分に何かを教えようとした活佛の話を思いだした。活佛はこう言ったのだ。
「目で外側を見てはいけない。自分の内側を見るのだ。すると、物語が出て来る場所がある。それを泉のようだと想像してみる。その泉が絶えずこんこんと湧き出でていると想像してみるのだ」
彼は目で内側を見た。これは簡単だった。
意識を頭に集中すると、光が束となり、暗い内側を照らした。
だが、光の届いた場所もやはりぼんやりとしていた。
一面の霧の中を行く人のように、目に入るのは茫漠とした世界、その先もまた茫漠だった。
途中、ジグメの麻痺した頭はずっと思っていた。
「黒いジャンが塩の海を奪う、黒いジャンが塩の海を奪う」
だがたったこれだけだった。
自分が語ったことのある物語さえ思い出せなくなっていたのである。
途中、彼は穏やかな顔つきの老人に会った。
老人はメガネのレンズが曇ったので、腰を下ろして忍耐強く磨いているところだった。老人はジグメに尋ねた。
「何か悩んでいるようじゃが」
「もうだめです」
老人は泉の涌き口から立ち上がり言った。
「もうだめか。そんなことはないだろう」
老人はジグメを道端の岩の壁の傍へ連れて行った。
「ワシは眼鏡をかけないとよく見えないんじゃが、お前はまだマシだろう。何が見える?」それは腕ほどの太さの円柱が固い壁に開けた一本の溝だった。
その形は男性の性器によく似ていた。
だがジグメそれを口に出せなかった。
「そんなこと、恥ずかしくて…」
老人は大笑いして言った。
「下品か。神様は毎日お上品なことばかり聞いていて、それで下品ことが聞きたくなるのじゃな。ほれ、これはお宝の跡じゃ。並の大きさじゃないお宝だぞ」
老人はジグメに物語を語った。
あの時、ケサルは魔国にあまりに長く留まりすぎた。リンに帰る途中で心配になった。
長い間、日ごと琴に合わせて歌い、夜ごと酒をのんでばかりだった、自分のお宝にまだ勢いがあるだろうか、と。
そこで、すぐにモノを取り出して試した。
こうして、岩にそのはっきりした跡が残った。
老人はジグメの手を引っ張って、微妙な形をした跡にしっかりと触れさせた。
そこは、何千何万回と撫でられために滑らかで艶々していた。
それから老人は言った。
「今家に帰れば、種馬みたいに元気いっぱいじゃ」
言い終ると振り向きもせずに泉へ眼鏡を洗いに行った。
ジグメは笑った。自分は下がダメなのではなく、上がダメになのに。
ジグメは老人の傍に戻り言った。
「オレは塩の湖に行きたいんだ」
「塩売りたちは何時も何人かで隊を組んで出掛けるぞ。たった一人で、塩の湖に行って何するんじゃ。それに、塩の湖はたくさんある。どの湖に行きたいのかね」
自分の声が低くなっているのが分かった。
「ジャン国の魔王サタンがリンから奪おうとした湖だ…」
目の悪い老人は耳が良く、ジグメの低い声を聞き取った。
老人はジグメに言った。
ここは昔ギャツァが守っていた場所だ。塩が採れるしょっぱい湖はここからとても遠い。リンの一番北だ。そこにはしょっぱい湖が星のようにたくさんあって、ジャン国の魔王が奪おうとしたのがどれなのかは誰も知らない、と。
老人はため息をついた。
「もしギャツァが死ななければ、ジャンの国王は塩の湖を奪いになど行かなかっただろうに」
↓こちらもご覧ください
KESARU NOTE
ギャツァの死をめぐって 他
http://blog.goo.ne.jp/kesaru
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頭の中がぼんやりとした。
故郷で自分に何かを教えようとした活佛の話を思いだした。活佛はこう言ったのだ。
「目で外側を見てはいけない。自分の内側を見るのだ。すると、物語が出て来る場所がある。それを泉のようだと想像してみる。その泉が絶えずこんこんと湧き出でていると想像してみるのだ」
彼は目で内側を見た。これは簡単だった。
意識を頭に集中すると、光が束となり、暗い内側を照らした。
だが、光の届いた場所もやはりぼんやりとしていた。
一面の霧の中を行く人のように、目に入るのは茫漠とした世界、その先もまた茫漠だった。
途中、ジグメの麻痺した頭はずっと思っていた。
「黒いジャンが塩の海を奪う、黒いジャンが塩の海を奪う」
だがたったこれだけだった。
自分が語ったことのある物語さえ思い出せなくなっていたのである。
途中、彼は穏やかな顔つきの老人に会った。
老人はメガネのレンズが曇ったので、腰を下ろして忍耐強く磨いているところだった。老人はジグメに尋ねた。
「何か悩んでいるようじゃが」
「もうだめです」
老人は泉の涌き口から立ち上がり言った。
「もうだめか。そんなことはないだろう」
老人はジグメを道端の岩の壁の傍へ連れて行った。
「ワシは眼鏡をかけないとよく見えないんじゃが、お前はまだマシだろう。何が見える?」それは腕ほどの太さの円柱が固い壁に開けた一本の溝だった。
その形は男性の性器によく似ていた。
だがジグメそれを口に出せなかった。
「そんなこと、恥ずかしくて…」
老人は大笑いして言った。
「下品か。神様は毎日お上品なことばかり聞いていて、それで下品ことが聞きたくなるのじゃな。ほれ、これはお宝の跡じゃ。並の大きさじゃないお宝だぞ」
老人はジグメに物語を語った。
あの時、ケサルは魔国にあまりに長く留まりすぎた。リンに帰る途中で心配になった。
長い間、日ごと琴に合わせて歌い、夜ごと酒をのんでばかりだった、自分のお宝にまだ勢いがあるだろうか、と。
そこで、すぐにモノを取り出して試した。
こうして、岩にそのはっきりした跡が残った。
老人はジグメの手を引っ張って、微妙な形をした跡にしっかりと触れさせた。
そこは、何千何万回と撫でられために滑らかで艶々していた。
それから老人は言った。
「今家に帰れば、種馬みたいに元気いっぱいじゃ」
言い終ると振り向きもせずに泉へ眼鏡を洗いに行った。
ジグメは笑った。自分は下がダメなのではなく、上がダメになのに。
ジグメは老人の傍に戻り言った。
「オレは塩の湖に行きたいんだ」
「塩売りたちは何時も何人かで隊を組んで出掛けるぞ。たった一人で、塩の湖に行って何するんじゃ。それに、塩の湖はたくさんある。どの湖に行きたいのかね」
自分の声が低くなっているのが分かった。
「ジャン国の魔王サタンがリンから奪おうとした湖だ…」
目の悪い老人は耳が良く、ジグメの低い声を聞き取った。
老人はジグメに言った。
ここは昔ギャツァが守っていた場所だ。塩が採れるしょっぱい湖はここからとても遠い。リンの一番北だ。そこにはしょっぱい湖が星のようにたくさんあって、ジャン国の魔王が奪おうとしたのがどれなのかは誰も知らない、と。
老人はため息をついた。
「もしギャツァが死ななければ、ジャンの国王は塩の湖を奪いになど行かなかっただろうに」
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