(今回から主人公ジンメイをジグメに、愛馬ジアンガペイフをキャンガペルポに変えました
英語版の表記に合わせました。しばらく混乱すると思いますが、よろしくお願いします)
語り部:道の途中
語り部ジグメは放送局を出てからずっと独り言を言い続けた。
「恥ずかしい。会わせる顔がない。」
ジグメは自分があのスタジオの中の女性を好きになったとは思っていない。
違う道を歩いている二人がどうしてお互いを愛せるだろう。
彼を惑わせたのは彼女の曖昧な声、彼女の体から立ち昇る特別な香りだった。
それが彼を媚薬のように迷わせたのだ。
長い道のりを歩きながら、ヤンジンドルマも自分を愛していたことを思い出した。
彼女が自分より太く荒れた手で彼に茶を飲まそうと部屋に引っ張って行ったことを思い出した。
歩きながら彼女の口ぶりを真似てやさしく言った、「来て」。
また彼女の恨みをこめた口ぶりを真似て言った「チッ!」
こうして歩き疲れ、渓流のほとりの草の上に横になってぼんやりしていた。
昼過ぎ二台のジープが渓流のほとりで一旦停まり、そのまま流れの中まで乗り入れ、水を汲んでは車に積もった埃を洗った。
水晶のような水のしずくがあたりに飛び散った。
車を洗い終わると、きちんとした身なりの男女たちは水を掛け合った。
楽しそうな笑い声に、すぐ近くで死んだように横たわっていたジグメは、世界の外側に置き去りにされているかのような気分になった。
びしょびしょになった男女は、最後には疲れて静かになり、座って服を乾かした。
彼らは当然ジグメを見たはずだが、まるで目にしなかったようにふるまった。
ジグメは立ち上がってここを去ろうかと考えたが、やはり地面に横になったままじっとしていた。
この時誰かが運転手にテープをかけるよう頼む声が聞こえた。
運転手がどのテープを聴きたいかと尋ねると、誰かが答えた。
「ケサル」
ジグメは彼らが話しをはっきりと聞いた。
「ジグメがラジオで語ったケサルにしよう。録音したばかりの新しい語り、“ジャン国が北に行って塩を奪う”がいい」
テープレコーダーから語りが流れてきた。
ケサルとジャン国の魔王の対決である。
二人は陣の前に馬を繋ぎ、問いを出しそれに答えるという、なぞなその形で遠く近く連なる山々を褒め称えながら、それらの山々の姿を伝え、美しく飾り立て、由来を詳しく語った。
ジグメ自身も語りに引き込まれ、自分が異なった声で、それぞれに訳を演じるのを聞いた。
始めの一句は相手を困らせる謎掛け役の、次の一句は得意洋々とした謎解き役の言葉である。
ウォン――
最も近いあの山は
若い僧が香を持ち、経机の前にいるようだ
この山の名はなんという
ウォン――
若い僧が香を持つのはインドの檀香山!
ウォン――
平らな岩の層が堅固に天に向かっている
まるで旗が風を受けて翻っているようだ
この山の名はなんという
ウォン――
旗が折り重なってはためくのはワイウェイグラマ山!
ウォン――
仙女が黄色い帽子をかぶり
美しい霞を肩掛けにして雲間に立っている
この山の名はなんという
ウォン――
仙女が黄色い帽子をかぶるのは山々の間に高く聳え立つチョモランマ山!
ウォン――
険しい山の後ろはゆるやかな斜面
国王がたった今位に着いたかのようだ
幾層もの石段が旋回しながら空に登って行く
この山の名はなんという
ウォン――
それは東と西の境を区切るネンチンタングラ山!
ウォン――
山々の間に平野が開け
険しい峰は雲を突き抜ける
まるで象が平原にいるようだ
この山の名はなんという
ウオン――
平原を象が行く、それは漢の峨眉山!
ジグメは笑った。
この二人は戦いに臨んむ大軍の首領には見えず、学問を戦わせるラマのようだ。
彼は思った。
一人でこのすべてを真に迫って語れるとは、なんと素晴らしい人物だろう。
彼はこの考えに酔いしれていた。
彼の前に、終には自分の姿が現われ、映画のシーンのような古い物語の中を自由自在に行き来した。
この時、ジープが再び動き始め、あの語りの声は徐々に小さくなり、どこまでも続く静けさが再び戻って来た。
語りの声が消え去ると、目の前にあった幻影はピタリと止まった。
その中に入って、生き生きとしたシーンを続けて語りたかったが、画面は静止し、止まったまま、色と輪郭をゆっくりと失っていった。
ジグメは驚き恐れている自分の声を聞いた。
「だめだ、だめだ」
↓こちらもご覧ください
KESARU NOTE
ギャツァの死をめぐって 他
http://blog.goo.ne.jp/kesaru
英語版の表記に合わせました。しばらく混乱すると思いますが、よろしくお願いします)
語り部:道の途中
語り部ジグメは放送局を出てからずっと独り言を言い続けた。
「恥ずかしい。会わせる顔がない。」
ジグメは自分があのスタジオの中の女性を好きになったとは思っていない。
違う道を歩いている二人がどうしてお互いを愛せるだろう。
彼を惑わせたのは彼女の曖昧な声、彼女の体から立ち昇る特別な香りだった。
それが彼を媚薬のように迷わせたのだ。
長い道のりを歩きながら、ヤンジンドルマも自分を愛していたことを思い出した。
彼女が自分より太く荒れた手で彼に茶を飲まそうと部屋に引っ張って行ったことを思い出した。
歩きながら彼女の口ぶりを真似てやさしく言った、「来て」。
また彼女の恨みをこめた口ぶりを真似て言った「チッ!」
こうして歩き疲れ、渓流のほとりの草の上に横になってぼんやりしていた。
昼過ぎ二台のジープが渓流のほとりで一旦停まり、そのまま流れの中まで乗り入れ、水を汲んでは車に積もった埃を洗った。
水晶のような水のしずくがあたりに飛び散った。
車を洗い終わると、きちんとした身なりの男女たちは水を掛け合った。
楽しそうな笑い声に、すぐ近くで死んだように横たわっていたジグメは、世界の外側に置き去りにされているかのような気分になった。
びしょびしょになった男女は、最後には疲れて静かになり、座って服を乾かした。
彼らは当然ジグメを見たはずだが、まるで目にしなかったようにふるまった。
ジグメは立ち上がってここを去ろうかと考えたが、やはり地面に横になったままじっとしていた。
この時誰かが運転手にテープをかけるよう頼む声が聞こえた。
運転手がどのテープを聴きたいかと尋ねると、誰かが答えた。
「ケサル」
ジグメは彼らが話しをはっきりと聞いた。
「ジグメがラジオで語ったケサルにしよう。録音したばかりの新しい語り、“ジャン国が北に行って塩を奪う”がいい」
テープレコーダーから語りが流れてきた。
ケサルとジャン国の魔王の対決である。
二人は陣の前に馬を繋ぎ、問いを出しそれに答えるという、なぞなその形で遠く近く連なる山々を褒め称えながら、それらの山々の姿を伝え、美しく飾り立て、由来を詳しく語った。
ジグメ自身も語りに引き込まれ、自分が異なった声で、それぞれに訳を演じるのを聞いた。
始めの一句は相手を困らせる謎掛け役の、次の一句は得意洋々とした謎解き役の言葉である。
ウォン――
最も近いあの山は
若い僧が香を持ち、経机の前にいるようだ
この山の名はなんという
ウォン――
若い僧が香を持つのはインドの檀香山!
ウォン――
平らな岩の層が堅固に天に向かっている
まるで旗が風を受けて翻っているようだ
この山の名はなんという
ウォン――
旗が折り重なってはためくのはワイウェイグラマ山!
ウォン――
仙女が黄色い帽子をかぶり
美しい霞を肩掛けにして雲間に立っている
この山の名はなんという
ウォン――
仙女が黄色い帽子をかぶるのは山々の間に高く聳え立つチョモランマ山!
ウォン――
険しい山の後ろはゆるやかな斜面
国王がたった今位に着いたかのようだ
幾層もの石段が旋回しながら空に登って行く
この山の名はなんという
ウォン――
それは東と西の境を区切るネンチンタングラ山!
ウォン――
山々の間に平野が開け
険しい峰は雲を突き抜ける
まるで象が平原にいるようだ
この山の名はなんという
ウオン――
平原を象が行く、それは漢の峨眉山!
ジグメは笑った。
この二人は戦いに臨んむ大軍の首領には見えず、学問を戦わせるラマのようだ。
彼は思った。
一人でこのすべてを真に迫って語れるとは、なんと素晴らしい人物だろう。
彼はこの考えに酔いしれていた。
彼の前に、終には自分の姿が現われ、映画のシーンのような古い物語の中を自由自在に行き来した。
この時、ジープが再び動き始め、あの語りの声は徐々に小さくなり、どこまでも続く静けさが再び戻って来た。
語りの声が消え去ると、目の前にあった幻影はピタリと止まった。
その中に入って、生き生きとしたシーンを続けて語りたかったが、画面は静止し、止まったまま、色と輪郭をゆっくりと失っていった。
ジグメは驚き恐れている自分の声を聞いた。
「だめだ、だめだ」
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