語り部:道の途中 その4
「タンマがジャンの国の最後の大将ツェルマ・クジェを倒したのじゃ。タンマの考えに従ったから、リンの兵たちは河に沿っては行かなかった。簡単に行く手を遮られてしまう谷を通らないですんだのだ」
老人は切り立った谷の両側の高い山を指さした。
下から見上げると、頂は剣の様に鋭く尖り、天を突き刺している様に見える。
だがこの地を良く知る者はみな、山の上は平らにひらけた高山の草原で、馬を駆って思いのままに走り回ることが出来るのを知っている。
そこで必要な時が来たら、谷間の攻撃目標に向かって大軍が洪水の様になだれ込むのである。
老人はジグメを連れて山の中の村へとやって来た。
そこではどの家も砦のような姿をしていた。
老人の家もこの村にあった。
金沙江は窓の外の崖を勢いよく流れ、家の周りの畑にはジャガイモとソラマメが花を咲かせていた。
ここは河の音と花の香りに包まれた村だった。
老人の一家はちょうど一休みしているところだった。
顔は垢で汚れているが輝く目をした三人の子供、物静かな男、わずかに疲れの見える中年の女性。
彼らの顔には静かな笑みが浮かんでいた。
ジグメには、三世代の仲の良い家族に思えた。
老人はジグメの様子からどう感じたのかを見抜き、言った。
「これはワシの弟、これはワシと弟共有の女房、そしてワシらの子供だ。長男は出家してラマになった」
老人は言った。
「なあ、お前さんも同じ族の仲間だろう。なんでそんなに不思議がるんじゃな」
ジグメはきまり悪かった。
自分の生まれた村にも兄弟が一人の女を妻として共有する家はあった。それなのに、やはり驚きの表情を隠せなかったのだ。
幸い、老人はこの話をそれ以上続けなかった。
老人が扉を開けると鉄を打つ作業部屋が現われた。
鉄を焼く炉、羊の皮のふいご、厚い木の作業台、やっとこ、かなづち、やすり。
部屋には、成形した鉄器を焼き入れする時に立ち昇る水蒸気の匂い、砥石車で刀剣の歯を磨く時に辺りに飛び散る火花の匂いが充満していた。
他にも、形になっていない鉄、半製品の鉄が部屋中に散らばっていた。
窓と反対側の木の棚には成形された刀剣が大きなものから小さなものへと順に並べられ、冷たい光を放っていた。
老人はジグメが口を開く前に、彼の想いを察して言った。
「そうだ、ワシらは一代一代この仕事をして来た。ケサルの時代からじゃ。
ワシの家だけではない。村中のすべての家がそうだ。
ワシらの村だけではない。河に沿ったすべての村がそうなんじゃ」
老人の目には何かを失ったような表情があった。
「だが今、ワシらは矢尻を作らない、刀も戦場で使われることはない。
偉大な兵器は農民や牧民の鍛冶屋に変わってしまった。
ワシらは観光局から注文されたものを作るだけの鍛冶屋なのじゃ」
老人はジグメに短刀を贈った。
少し曲がった柄、中指より少し長い刀身。ケサルの水晶刀の姿を残したものだという。
ジグメは言った。
「オレは、水晶で出来た刀かと思っていたよ」
老人は水と風でピカピカに磨いたばかりのメガネを指して笑った。
「ワシはお前さんが好きだ。ジグメという仲肯が気に入った。お前は、自分の語る物語に疑問を持っていて、何でも分かっているという振りをしないからな」
「おじいさんも鍛冶屋じゃないみたいだ」
「タンマがジャンの国の最後の大将ツェルマ・クジェを倒したのじゃ。タンマの考えに従ったから、リンの兵たちは河に沿っては行かなかった。簡単に行く手を遮られてしまう谷を通らないですんだのだ」
老人は切り立った谷の両側の高い山を指さした。
下から見上げると、頂は剣の様に鋭く尖り、天を突き刺している様に見える。
だがこの地を良く知る者はみな、山の上は平らにひらけた高山の草原で、馬を駆って思いのままに走り回ることが出来るのを知っている。
そこで必要な時が来たら、谷間の攻撃目標に向かって大軍が洪水の様になだれ込むのである。
老人はジグメを連れて山の中の村へとやって来た。
そこではどの家も砦のような姿をしていた。
老人の家もこの村にあった。
金沙江は窓の外の崖を勢いよく流れ、家の周りの畑にはジャガイモとソラマメが花を咲かせていた。
ここは河の音と花の香りに包まれた村だった。
老人の一家はちょうど一休みしているところだった。
顔は垢で汚れているが輝く目をした三人の子供、物静かな男、わずかに疲れの見える中年の女性。
彼らの顔には静かな笑みが浮かんでいた。
ジグメには、三世代の仲の良い家族に思えた。
老人はジグメの様子からどう感じたのかを見抜き、言った。
「これはワシの弟、これはワシと弟共有の女房、そしてワシらの子供だ。長男は出家してラマになった」
老人は言った。
「なあ、お前さんも同じ族の仲間だろう。なんでそんなに不思議がるんじゃな」
ジグメはきまり悪かった。
自分の生まれた村にも兄弟が一人の女を妻として共有する家はあった。それなのに、やはり驚きの表情を隠せなかったのだ。
幸い、老人はこの話をそれ以上続けなかった。
老人が扉を開けると鉄を打つ作業部屋が現われた。
鉄を焼く炉、羊の皮のふいご、厚い木の作業台、やっとこ、かなづち、やすり。
部屋には、成形した鉄器を焼き入れする時に立ち昇る水蒸気の匂い、砥石車で刀剣の歯を磨く時に辺りに飛び散る火花の匂いが充満していた。
他にも、形になっていない鉄、半製品の鉄が部屋中に散らばっていた。
窓と反対側の木の棚には成形された刀剣が大きなものから小さなものへと順に並べられ、冷たい光を放っていた。
老人はジグメが口を開く前に、彼の想いを察して言った。
「そうだ、ワシらは一代一代この仕事をして来た。ケサルの時代からじゃ。
ワシの家だけではない。村中のすべての家がそうだ。
ワシらの村だけではない。河に沿ったすべての村がそうなんじゃ」
老人の目には何かを失ったような表情があった。
「だが今、ワシらは矢尻を作らない、刀も戦場で使われることはない。
偉大な兵器は農民や牧民の鍛冶屋に変わってしまった。
ワシらは観光局から注文されたものを作るだけの鍛冶屋なのじゃ」
老人はジグメに短刀を贈った。
少し曲がった柄、中指より少し長い刀身。ケサルの水晶刀の姿を残したものだという。
ジグメは言った。
「オレは、水晶で出来た刀かと思っていたよ」
老人は水と風でピカピカに磨いたばかりのメガネを指して笑った。
「ワシはお前さんが好きだ。ジグメという仲肯が気に入った。お前は、自分の語る物語に疑問を持っていて、何でも分かっているという振りをしないからな」
「おじいさんも鍛冶屋じゃないみたいだ」