いくつかある宝殿には、正面に大きな幕が掛かっている。黒い地に白く模様が描かれている。デザイン化されたシンボルなのだろうか、遠くからでもはっきりと見える。これは、チベット語でシャムプと呼ばれている、ヤクの毛で織られた幔幕で、本来の役割は、強烈な日差しを遮り、木の部分を守るためだそうだ。そういえば、土司の官寨にも同じようなものが下がっていた。
適当に好きな模様を書いているのかと思ってたけど、何か意味があるみたいね、と私が言うと、主人が答える。
世の中に意味のない模様はないのだ!
うーん、なかなかいいことを言うな。それでは少し調べてみよう。
大宝殿のシャムプに描かれたものと、それが象徴しているものを順に挙げていくと…
上の段・八瑞物のいくつか(それぞれに八正道も象徴している)
[黄丹(像の結石?)=護財象神、抗毒]、[ヨーグルト=体液、水の分子]、[茅の葉=長寿と強靭さ]、[鹿=自然の調和、浄土]、[法輪=仏の教え]、[鹿]、[パパイヤ=すべての善行]、[右巻きの法螺貝=教えの言葉]、[朱砂(額につける赤い点の材料)=三昧の境地]
下の段・八大吉祥物
[傘蓋=仏法の守護と高貴さ]、[金魚=魂の開放、幸福と自主]、[宝瓶=聖なる財宝、財神]、[蓮の花=慈悲の清らかな心]、[右巻き法螺貝]、[吉祥結び=無限の慈悲と知恵]、[勝利幡=仏法の勝利]、[法輪]
となりの護法殿のシャムプに、耳飾、犀の角、象牙、珊瑚、お金などが描かれている。転輪王の宝を象徴している。
いろいろな説があって、ここに書いた以外の解釈もある。調べだすときりがないけれど、楽しい。
下まで戻ると、やはりお参りに来ていたチベット族の家族が馬茶を飲もうと誘ってくれた。寺で振舞ってくれるものだ。味はほうじ茶のようだ。この地で採れるお茶ではないが、好まれて飲まれているようだ。馬と交換したので、馬茶と名づけられたのかもしれない。
お母さんはとても優しそうで、普段でもチベット族の衣装を着ているそうだ。三人の娘はみな大学を出て結婚し、今回はそれぞれの家族と一緒にこのあたりを回っていて、これから土司の官寨にも行くとのこと。娘さんたちはみなとても堂々としていて、遠くを眺めながらお茶を飲んでいるすがたは、難しい問題に取り組んでいる学者のような風情がある。チベット族の力強さがみなぎっている。
残念だが、そろそろ帰らなくては。そういえばお昼を食べていなかった。
山門の外に食堂があり、5元の定食があった。外の軒先で食べることにする。大きな大きなどんぶりにご飯と好きなおかずを乗せる。なかなかおいしい。台所に入って勝手にお代わりまでしてしまう。山を目の前にして食べられるなんて、それだけでも幸せでだった。
適当に好きな模様を書いているのかと思ってたけど、何か意味があるみたいね、と私が言うと、主人が答える。
世の中に意味のない模様はないのだ!
うーん、なかなかいいことを言うな。それでは少し調べてみよう。
大宝殿のシャムプに描かれたものと、それが象徴しているものを順に挙げていくと…
上の段・八瑞物のいくつか(それぞれに八正道も象徴している)
[黄丹(像の結石?)=護財象神、抗毒]、[ヨーグルト=体液、水の分子]、[茅の葉=長寿と強靭さ]、[鹿=自然の調和、浄土]、[法輪=仏の教え]、[鹿]、[パパイヤ=すべての善行]、[右巻きの法螺貝=教えの言葉]、[朱砂(額につける赤い点の材料)=三昧の境地]
下の段・八大吉祥物
[傘蓋=仏法の守護と高貴さ]、[金魚=魂の開放、幸福と自主]、[宝瓶=聖なる財宝、財神]、[蓮の花=慈悲の清らかな心]、[右巻き法螺貝]、[吉祥結び=無限の慈悲と知恵]、[勝利幡=仏法の勝利]、[法輪]
となりの護法殿のシャムプに、耳飾、犀の角、象牙、珊瑚、お金などが描かれている。転輪王の宝を象徴している。
いろいろな説があって、ここに書いた以外の解釈もある。調べだすときりがないけれど、楽しい。
下まで戻ると、やはりお参りに来ていたチベット族の家族が馬茶を飲もうと誘ってくれた。寺で振舞ってくれるものだ。味はほうじ茶のようだ。この地で採れるお茶ではないが、好まれて飲まれているようだ。馬と交換したので、馬茶と名づけられたのかもしれない。
お母さんはとても優しそうで、普段でもチベット族の衣装を着ているそうだ。三人の娘はみな大学を出て結婚し、今回はそれぞれの家族と一緒にこのあたりを回っていて、これから土司の官寨にも行くとのこと。娘さんたちはみなとても堂々としていて、遠くを眺めながらお茶を飲んでいるすがたは、難しい問題に取り組んでいる学者のような風情がある。チベット族の力強さがみなぎっている。
残念だが、そろそろ帰らなくては。そういえばお昼を食べていなかった。
山門の外に食堂があり、5元の定食があった。外の軒先で食べることにする。大きな大きなどんぶりにご飯と好きなおかずを乗せる。なかなかおいしい。台所に入って勝手にお代わりまでしてしまう。山を目の前にして食べられるなんて、それだけでも幸せでだった。