塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

丹巴 千ちょうの国

2007-10-09 02:19:24 | Weblog
車はマルカムを通り抜け、丹巴へとひた走っていく。
私にとってはこれから先は帰り道だ。
だから何の期待もなかったのだが、うれしいことに、丹巴への道でまた様々な石ちょうを見ることができた。

屋根の四隅が三角に尖っているもの、そこを白く塗ってあるもの、窓のひさしの組み木が花の形になっているもの、窓の周りが白く裾広がりに塗られたもの、赤と黄色と白に塗り分けられたもの、壁に月と太陽のシンボルが描かれたもの…それぞれの集落によって微妙な違いがある。地形から見ても、このあたりは集落同士の繋がりがあまりなかったようで、それぞれの集落独自の、象徴的な意味を持った様式で装飾されているからだろう。

その地で産するものを使い、文化と宗教に裏づけられ、その風土に合せて造られた建物は、時を経て美しさを増すものなのかもしれない。

桃坪、卓克基、大蔵寺で実際に触れて来たし、移動の間にもたくさん目にしてきたが、丹巴付近の石ちょう群は規模がちがう。

山の裾が河へと突き出た小さな尾根に、石を積み上げた高いちょう楼が孤独にそびえている。高いものは50mもあるという。次の尾根にも、その次の尾根にも、次々と現れてくる。敵の来襲に備えて建てられ、のろしを使った通信にも使われたという。
山一面に何十という石の家が密集し、大きな集落になっているところがあった。そこにもちょう楼が村を守るように聳えている。
夕闇が迫る中、この山全体が何百年という時の重さに包み込まれ、この世とは切り離された存在のように見えた。

それは私の感傷である。
宋さんはこのあたりで何ヶ月か暮らしたことがあり、石の家に泊まったこともあるという。大きなソファーのようなものが置いてあるだけで、特別趣があるわけではなかったそうだ。そうだよね。このあたりの人にとっては、これは普通の家、生活の場として今も使われているのだから。

暗くなって丹巴に着いた。街のはずれにある賓館。もう文句を言う気力は残っていない。宿の奥さんは、ここは丹巴で一番いい宿よ、という。さすがはジアロンの民、自信に満ち溢れている。
狭いけれどしっかりお湯が出て、結構満足する。
だいぶ低い場所に着たので、暑く感じる。クーラーをつけてもらった。