塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

山が光る

2007-10-06 00:04:10 | Weblog
大蔵寺を出てしばらくすると、雨が降ってきた。山の天気は変わりやすい。

少し先をチベット族の一団が歩いている。おじさんと、おばさん二人と男の子。雨の中どこまで行くのだろう。宋さんが車を止めて声をかける。乗せてあげるようだ。おばさん二人と男の子が乗り込むと、どんなにつめても、もう車はいっぱいだ。おじさんは一人で歩いて行くことになった。
子供が病気がちなので、お参りに来たらしい。マルカムから来たというけれど、そこまで乗っていくのだろうか、あのおじさんはどうするのだろう。チベット族の衣装に、毛布の巻いたようなものを持っている。歩いて疲れたらこの上で休んだりするのだろうか。

しばらく行くと、人が大勢集まっている拓けた場所があった。車も何台か停まっている。おばさんたちはここで降りた。おじさんもここまで歩いてきて、みなで一緒に帰るのだろう。
おばさんたちは盛んにお礼を言う。ザシデレ!チベット語で吉祥如意という意味。両手を少し広げて手のひらを上に向け、腰をかがめる。何度も何度も腰をかがめる。周りの人たちも手を振ってくれた。

車の中が急に静かになった。主人も、うとうとし始めた。

雨はいつの間にか止んで青空になった。砂利道に水がたまっているのだろう、車は水しぶきを上げながら走る。まるで渓流の中を走っているようだ。
見上げると、山頂の岩肌がきらきら光っている。この地方では雲母が採れ、時々空中をキラキラと舞っている、と阿来が書いているから、これはもしかしてその雲母かもしれない。

いや、もしかしてこれは、先ほどの雨が岩の間を通って小さな雫となって滴り落ち、日を浴びて光っているのかもしれない。
今、山は雨水を吸い込んで、それをゆっくりと浄化しているのだ。浄化された清らかな水は、清らかな光の中で、山を輝かせる。
空もまた洗われたように青い。

岩から染み出た水は、一滴一滴と集まって、いつか小さな流れとなり、透明な渓流となり、波立つ大河となる。でも、今はまだ、小石や淡く咲く花々の間を遠慮がちに滴り流れていくだけ。
山奥の、ほとんど人の目に触れない場所で、長い長い道のりを静かに流れていく一滴の水、その輝き…

私たちの車もひたすら山道を下っていく。すれ違う車も追い越す車も見えない。下るに連れて、周りの木々が大きくなり、緑が多くなる。
私は思う。まだ川にならないあの水は、この緑の下を時々輝きながら、人知れず、けなげに流れているのだろう、と。