eつれづれ管理者(66kV特高変電所、技術者)

電気の出来事を技術者向けに適宜up中。
質問等はコメント欄にて。

安心安全も結局、困るのは都民だけ

2014年01月13日 | eつれづれ
いよいよ田舎芝居が始まる様だが、民主も最初は桝添...そして気ままな殿にくら替え。こんな事しているから誰も支持もせず信用もしない。答電より再稼働無しなら更なる値上げと発表されれば、殿も終わりだろう。所詮、都内に原発など無いのに他県を利用しての電力供給、副島、新潟県民の為かとは誰も信じない...単なる出たがっただけ、今度も影で操られたピエロか。国策で30%負担していた電源をバカな老人の1フレーズで即廃止などと、その後の対策を語らず語れない責任はどうするのか。島国日本、エネルギー源は不安定な中東、石油ショックで懲りたハズ、電力使用制限令など発令されれば前のショックの比では無い現在。当時は特高66kVの変電所にいたが、高圧事業所でも大きいところは罰則もあった...ネオンも全部消えた。
電力会社より技術的に困難と出れば素人など、どうにもならない現実。

自然エネルギー発電所も今の日本経済を支えるのには出力、安定性、コストを考えると余りにもお粗末なのだ。

北海道内の需給「危機含み」に-酷使続く火力、軒並み故障リスク 
原子力発電所の長期停止による影響で電力不足が心配される北海道で、さらに状況を悪化させる事態が起きた。道内最大の火力発電所、苫東厚真発電所4号機(石炭、70万キロワット)が先月17日、不具合により緊急停止した。4号機は応急処置で発電再開の見通しを得たものの原子力に代わって酷使される火力発電所は軒並み故障リスクを抱え、いつ停止してもおかしくない状況といえる。厳冬期、電源の脱落によって電力が不足すれば、暖房などの使用が著しく制限され、最悪の場合、人命にもかかわる。道内の電力需給は当面、危機含みで推移することになりそうだ。
...この厳冬時期に緊急停電など発生すれば寒さで凍え死ぬ...病院、老人施設、一人暮らし、電力安定は一刻も争う事態の様だが電力会社に責任補償訴えても、どうにもならない100%安全な設備など何処にもない常にリスクとの抱き合わせ。


太陽光事業高値転売

2014年01月13日 | eつれづれ
高額買い取り制度を悪用、認定かけこみ申請をやっても様子見る...お金目当てだけの権利も、いよいよ剥奪の様だ。買取負担も国民が...下落すると太陽光発電バブルも弾けるだろう。自然エネルギー、省エネなど関係無しタダ儲けるだけの話。

こちらの申請は認可後、工事をやり太陽光発電所として稼働しました。


バンドルバージョンのIME

2014年01月13日 | eつれづれ
お隣、バイドゥの日本語入力ソフト...バンドルバージョンだったのか。レノボのパソコン本体の中身はどうなんだ。

中国検索最大手「百度(バイドゥ)」製の日本語入力ソフト「バイドゥIME」による文字情報の無断送信問題で、全国の都道府県と政令市のうち29府県市で1000台以上の公用パソコンに同ソフトが使われていたことが分かった。
中には住民情報を扱うパソコンなどから新聞2年分にあたる情報が漏えいしていた自治体もあり、自治体の個人情報保護条例に抵触する恐れも出ている。
47都道府県と20政令市に、問題発覚前日の先月25日まで約1か月間のバイドゥIMEの使用状況を聞いた。その結果、横浜市の272台、熊本県の197台、秋田県の113台など、23府県と6市の計1124台でインストールが確認された。
通信記録を保存していた自治体のうち12府県市ではバイドゥ側へのデータ送信を確認。熊本県の場合、昨年12月1日からの25日間で280メガ・バイトに及んだ。1文字2バイトで単純計算すると1億4000万文字分で、新聞2年分の文字情報にあたる。ソフトは内部情報が集中する知事公室や、個人情報を扱う健康福祉部を含む全ての部局で見つかったが、県は「個人情報流出の恐れはあるが、調べ方が分からないので現時点で調査の予定はない」と説明している。

中国の無錫(むしゃく)は小上海

2014年01月13日 | eつれづれ
無錫は有史以来非常に長い歴史を持つ。有史以前は6〜7000年前からの居住や農耕の跡があり、長江文明に属する良渚文化の墳墓など遺跡群がある。ここが呉の発祥の地の一つとなった。呉は製鉄など金属の精錬・加工と農具・武器への利用で中原の国々を圧倒したが、無錫も元来はスズ(錫)を多く産出する「有錫」という名の鉱工業都市だったという。余りにも多く掘り過ぎて前漢までに掘り尽くしてしまい、以来「無錫」になったといわれる。しかし近年の言語学者らの研究により、無錫の市名の無という字の由来は越語の発語詞によったものであり、従来の錫の産地から「有錫」「無錫」になったという説を否定する研究もある(江南は古代中国では越国の領地であって、言語も当然越語が使われていた。今日江南地域で通用する呉語の源もこの越語である)。紀元前202年、前漢はこの地に無錫県を置いた。隋時代に建設された大運河が無錫を通り、以来、江南の農産物や織物を集散し華北や中国各地へ送る重要な経済都市・商業都市であり続けた。また、明末には顧憲成によって東林書院が建てられ東林派の拠点となった。
清代後期には、無錫は周囲の農産物の集積を背景に、その米市場の相場の影響力を江蘇省の範囲を超えるまでになった。また紡績業や繊維産業が発達し、無錫は「布碼頭(布の港)」と呼ばれるほどだった。辛亥革命までの間に食品や繊維などの民族資本が形成され始める。
こうした経済の発展は文化の発展も伴った。多くの文人らが無錫から生まれ、無錫には寄暢園など非常に優れた庭園などが建設され今も残っている。
1912年、中華民国は無錫県を置き、大小の資本の本拠地となった無錫は「小上海」といわれるほどの商業の繁栄を見た。1937年、日中戦争により、日本軍は無錫に入城し、戦場となった市街は大きく破壊された。(中国側の主張では入城の際に1万4千人が犠牲になったとされる。)1949年4月23日、国共内戦の末、中国人民解放軍が無錫を占領した。1953年無錫は江蘇省の直轄市となった。だが、大躍進政策、人民公社化と文化大革命は、無錫とその周辺に荒廃と経済の多大な破壊をもたらした。
改革開放以来、無錫の経済は再起し、目覚しく発展を遂げることとなった。1981年無錫は全国15ヶ所の経済中心都市のひとつとなり、1984年無錫は全国10ヶ所の重点観光都市のひとつとなった。1985年までに無錫は開放都市となり、工業団地などが整備され、海外資本が大規模な投資を行った。以来、無錫は常に都市実力ランキングや投資環境ランキングで中国の上位に入り、2004年の市民一人当たりの国内総生産は52,825元(当時のレートで6,382USドル)に達している。

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