二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

疑問だ。

2014年03月29日 09時57分16秒 | ニ言瓦版
問題だ。
前都知事より、問題。
辞職が本当。



「みんなの党の渡辺代表が、支援者だった化粧品販売会社会長から計8億円を借りていた問題で、与野党から政治倫理審査会での弁明を求める声が相次ぎ、渡辺氏の対応が焦点となっている。

日本維新の会は28日の国会対策委員会役員会で、政倫審を開くよう求める方針を決めた。民主党の榛葉賀津也参院国対委員長も「渡辺氏は常に歯に衣きぬ着せぬ形で政治とカネの問題を一刀両断にしてきた。ぜひ政倫審など説明する場を設けた方がいい」と述べ、生活の党の鈴木幹事長も「自らの申請で政倫審を開催すればいい」と語った。

 与党は野党側の出方を見極めているが、自民党の石破幹事長も「政倫審に限定しないが、自ら進んで弁明を行う機会は必要だ」と述べ、公明党の井上幹事長は「説明責任を果たす方法の一つとして政倫審がある」と前向きだ。」



まだ、五千万返した、前都知事のが、立派。
8億の返せないのか。
借りて、返さない。
口ばかりで、現実は、問題が多いのかもしれない。
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立派だ。

2014年03月29日 04時18分34秒 | ニ言瓦版
立派だな。
お姉さんは。



袴田厳さんの姉の秀子さんは28日夜、プロボクシングの試合会場を訪れ、プロボクサーだった袴田さんの支援活動を続けてきたボクシング関係者に再審を認める決定が出たことなどを直接、報告しました。

袴田巌さんは、静岡県内のみそ製造会社で働く前プロボクサーとして活躍し、無実を訴え続けた袴田さんに対し、プロボクシングの関係者は試合の際に募金を呼びかけるなどして支援を続けてきました。
姉の秀子さんは28日夜、感謝の気持ちを伝えたいと、プロボクシングの試合が行われている東京の後楽園ホールを訪れました。
会場には、「袴田さんが釈放されたらゆっくり試合を見てほしい」という思いを込めて、去年5月、「袴田シート」と呼ばれるいすが設置され、秀子さんはそのシートに座って試合を観戦しました。
そして、試合の合間にリングに上がると、ボクシング関係者や観客に、
「48年間は長かったですが、やっと巌に会えました。再審開始まで頑張ってまいります」と報告しました。
会場からは大きな拍手や歓声が湧き起こっていました。
プロボクシング会場の「袴田シート」で試合観戦を終えた姉の秀子さんは、「巌が出てきて体が楽になったので、とても楽しく試合を見られました。今、巌は入院していますが、早く巌を回復させて一緒にこの席で試合を見たいです」と話していました。」



ボクシング関係者に、いろいろ、支援してもらったのだろう。

血痕のDNAの調べ方の進化が、無罪になるのか、
医学の進歩が、大切な。

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また、事件かも、

2014年03月28日 05時48分03秒 | ニ言瓦版
袴だこれは、災難というより、不運。
そして、弁護士たちに、感謝なのかもしれない。
いや、よく、歴代の法務大臣が、ハンコウを押さなかったものだ。





「再審開始が認められ、48年ぶりに釈放された袴田巌さん(78)は27日午後5時20分ごろ、東京拘置所の玄関から姉秀子さん(81)と共に姿を現した。待ち構えていた報道陣に対しては一言も発することなく、弁護団が用意した車に秀子さんと一緒に乗り込み、拘置所を後にした。
 袴田さんは黄色い半袖シャツにベージュのズボン。かつての面影はあるものの、髪は白髪交じりで、約半世紀の年月を感じさせた。
 弁護団によると、秀子さんと2人の弁護士は午後4時ごろ、袴田さんと2010年8月以来の面会を果たした。アクリル板越しに再審開始の決定文を見せると、袴田さんは最初に「うそだ」と話し、「袴田事件は終わった。もう帰ってくれ」といら立ちを見せた。
 約1時間後、刑務官に付き添われ、手に紙袋を持った袴田さんが拘置所の応接室に現れた。秀子さんは目を潤ませながら「巌」と肩をたたき、「やっと出てきたね」と声を掛けると、袴田さんは「うんうん」とうなずいたという。
 半袖シャツで寒くないかと問われると、「寒くない寒くない」と答えた。ただ、長期間の拘置による影響か、十分な意思疎通は難しいといい、表情に変化もなく、独り言が多かった。
 拘置所を出た後はほとんど話さず、車の中から外を眺めていた。途中で車に酔い、都内の駐車場で休憩を取った。外に出た袴田さんに、弁護人が「釈放されたことが分かるでしょう」と問い掛けると、「ありがとう」と話したという。」 



聞いていれば、立証できたという話に見える。
そして、不運というより、
当時の警察官、刑事、検事が、問題に見える。
彼等は、無実の罪にしたのかもしれない。
彼等「当時の刑事、検事、警察官」の処罰が出来ないものか。
無罪ということになるのだろうと、思うとき、
罪、仕立てた、張本人は、誰が、事件して、裁判することも、必要かもしれない。


昔のテレビドラマで、銭形平次で、
無実の罪で、罪人を仕立てた、岡っ引きを犯人として、立証するために、
町奉行、目付けに、訴える、平次を思い出すものだ。


悪の警察官、刑事は、処分されることが、必要。

また、新たな、事件かもしれない。
でっち上げの事件。

これが、腐った公務員であり、公務員の年金を得て、
其の家族も、ぬくぬくと、暮している。
犯罪者と、同じではないか。

其の前に、犯人は、誰か、死んでいるたろうが、
立証することも、必要かもしれない。


=================

「事件および裁判経過[編集]
1966年6月30日 - 「有限会社王こがね味噌橋本藤作商店」(「株式会社王こがね味噌」を経て1972年から株式会社富士見物産)専務の自宅が放火された。焼跡から専務(41歳)、妻(38歳)、次女(17歳)、長男(14歳)の計4人の他殺死体が発見される。一家の中では別棟に寝ていた長女が唯一生き残った。
1966年7月4日 - 静岡県警清水警察署が味噌製造工場および工場内従業員寮を捜索し、当時「こがね味噌」の従業員で元プロボクサーの袴田巖の部屋から極微量の血痕が付着したパジャマを押収。


1966年8月18日 - 静岡県警が袴田を強盗殺人、放火、窃盗容疑で逮捕。
1966年9月6日 - 犯行を頑強に否認していた袴田が勾留期限3日前に一転自白。

1966年9月9日 - 静岡地検が起訴。
1966年11月15日 - 静岡地裁の第1回公判で袴田が起訴事実を全面否認。以後一貫して無実を主張。
1967年8月31日 - 味噌製造工場の味噌タンク内から血染めの「5点の衣類」が発見される。
1968年9月11日 - 静岡地裁、死刑判決[1]。
1976年5月18日 - 東京高裁、控訴棄却。
1980年11月19日 - 最高裁、上告棄却[2]。
1980年11月28日 - 判決訂正申立。
1980年12月12日 - 最高裁、判決訂正申立棄却決定送達。死刑確定。
1981年4月20日 - 弁護側、再審請求。
1994年8月9日 - 静岡地裁、再審請求棄却(決定書日付は8月8日)。
1994年8月12日 - 弁護側、即時抗告。
2004年8月27日 - 東京高裁、即時抗告棄却(決定書日付は8月26日)。
2004年9月1日 - 弁護側、最高裁に特別抗告。
2008年3月24日 - 最高裁で棄却。第一次再審請求終了。
2008年4月25日 - 弁護側、静岡地裁に第二次再審請求。
2010年4月20日 - 衆参両院議員による「袴田巌死刑囚救援議員連盟」設立総会を開催。
2010年8月24日 - 袴田巌死刑囚救援議員連盟が「袴田死刑囚は心神喪失状態にある」として時の法相・千葉景子に刑の執行停止を要請した[3]。
2011年1月27日 - 日本弁護士連合会が、妄想性障害等を理由として、刑の執行停止と医療機関での治療を受けさせるよう法務省に要請した[4]
2011年2月11日 - 千葉法相の指示の下、法務省は袴田を含む複数の死刑囚を対象に精神鑑定などを実施したが、袴田については「執行停止の必要性は認められない」との結論に達していたことが明らかになった。
2011年8月 - 第二次再審請求審において静岡地裁は事件当日にはいていたとされるズボンの他、5点の衣類の再鑑定をすることを決定したことが弁護団などから明らかになった。再鑑定の結果次第では再審の可能性があるとされる。
2014年3月27日 - 静岡地裁、再審開始、死刑及び拘置の執行停止決定。袴田元死刑囚は同日午後に東京拘置所から釈放[5]。

袴田は30歳で逮捕されて以来45年以上にわたり拘束され(ギネス世界記録[6]、2014年3月27日まで東京拘置所に収監)、死刑確定後は精神に異常を来しはじめ、親族・弁護団との面会にも応じない期間が長く続いた。現在は面会には応じるものの、拘禁反応の影響による不可解な発言が多く、特に事件や再審準備などの裁判の話題については全くコミュニケーションが取れなくなっている。このため、2009年3月2日より袴田の姉が保佐人となっている。袴田は近年、獄中にて拘禁反応に加えて糖尿病も患っている事が判明している。」



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選び方

2014年03月26日 05時22分33秒 | ニ言瓦版
よくある話。
アナの離婚の経過は、このような、経過。
男を見る目がないのかもしれない。





「日本テレビの石田エレーヌアナがIT関連会社社長の夫と別居中で離婚危機であることを「フライデー」(講談社)が報じている。

 石田アナは12年4月に結婚し、同年9月に妊娠を発表。翌年2月に第1子の長男を出産したが、長期の育休をとることなく復帰している。

 同誌によると、夫は社長といっても規模が小さい会社で、エレーヌが専業主夫になるには厳しい台所事情。夫が新会社の立ち上げで多忙を極めたことも拍車をかけ、昨年10月ぐらいから自宅マンションにほとんど寄りつかないようになり、女遊びも復活し、現在は別居状態だという。

 エレーヌは同誌記者の直撃に対し「プライベートなことにはお答えできない」とコメントしている。

 「エレーヌは周囲にいかに夫の稼ぎが少ないかを吹聴していたため、それが夫の耳に入り、次第に夫婦関係が悪化していったようだ。エレーヌの方が年収が上回っているというだけに、それも仕方ないと思えるのだが…」(日本テレビ関係者)

 産休前は朝の情報番組「スッキリ!!」の司会として“主力”だった石田アナだが、復帰後は後輩に同番組の司会の座を奪われ、ほとんど番組で見かけなくなってしまったが、それも自業自得だったようだ。

 「結婚前はナマ脚を出したホットパンツなどド派手な服装で出勤することが多く、上層部ににらまれた。妊娠のタイミングで『スッキリ!!』を降板。本人は産休後に戻れると思っていたようだが、上層部は降板させるタイミングをうかがい“あら探し”していたので、戻れるはずがない」(同)

 フリーになる手もありそうだが、プライベートが落ち着かないうちはそれも難しそうだ。」


女子アナで、自殺も多い。
子供を育てるも、大変。
夫の浮気が、何か。

普通の貧しい男とか、普通の思考の人か、よくよく、選び方をしないと、
起きることだ。
離婚している女子アナは、フリーの人は、多いことだ。

玉の輿も、最期は、大変なこと。
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酷い

2014年03月25日 06時10分32秒 | ニ言瓦版
酷い。
誤魔化しである。
これから、売れなくなるのだろう。



「東京都は24日、果汁の使用割合が25~30%程度のジュースを「果汁100%」と表示して販売したとして、飲料の輸入販売会社「サンブレス」(港区)に景品表示法に基づき表示の改善を指示した。

 都によると、2012年4月から13年12月までに約104万本を業者に卸したりインターネットで販売したりし、約1億3470万円を売り上げた。今年1月以降にすべて自主回収し、販売を停止した。

 同社はペットボトル入りのキウイフルーツジュースとマンゴージュースについて、ラベルや自社HPで「果汁100%」と表示していたが、キウイフルーツは30%程度、マンゴーも25%程度だった。」



庶民は、増税する時期には、正しい企業の商品しか、買わない。
よくよく、淘汰の時代。
四月から、深刻な経済になるものだ。

悪い商売は、淘汰の時代、ばれていくのかもしれない。

四月になれば、暗黒の世界は、犯罪している人かもしれない。
安易に、金は、入らないこと。
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