二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

渡り蟹だ。

2014年03月17日 05時12分17秒 | ニ言瓦版
この記事は、人生の縮図に見える。
渡り蟹みたいにみえる。
勿体無い人生である。

出会いが足りなかったのかもしれない。
優勝しても、評されても、場所が悪い。





「1997(平成9)年の冬。小倉全由は17年ぶりに日大三のユニホームを着てグラウンドに立った。22歳のコーチ時代に事実上の解雇通告を受けたわだかまりを捨て、母校野球部に請われて戻ってきた。関東一の監督時代も1度、解雇されている。「またクビになったら田舎(千葉)に帰ればいい」。名門校の指揮を執る重圧など、怖くはなかった。

 そこから、のちに「名将」と呼ばれる道を歩みだした。日大三は1929(昭和4)年創部という長い歴史がある。だが、その中には“悪しき伝統”といえるものも、少なからず残っていた。例えば、上下関係の厳しさは当時、下級生を委縮させて成長を阻んでいる-と小倉は判断する。

 合宿所に戻ってまでも先輩への緊張感が抜けない選手たち。小倉はまず、合宿で上級生と下級生が対等に話ができる環境づくりに着手した。小倉自身も千葉・九十九里町に妻子を残しての単身赴任で、東京・町田市にある合宿に住み込んだ。

 「厳しい野球を、楽しくやらせることが大事なんです。それで選手は成長すると思う」

 グラウンドの練習では、時には怒鳴り声をあげる。合宿でもゴミがひとつでも落ちていれば雷を落とす。だが、その後で必ず、選手を自室に呼ぶ。甘いものを食べさせながら、冗談もまじえて諭していく。廊下やトイレで会えば声をかけ、早朝の自主トレーニングにも付き合う。

 このスタイルは、18年経っても変えない。小倉の自室の冷蔵庫は、いまでも甘い食べものでいっぱいだ。

 自らを「やさしい勝負師」と表現する小倉は、監督と上級生と下級生の一体感を大事にして、ここまで選手を育ててきた。「選手と監督である自分に距離がある、と感じたことはないです」と言い切る。

 日大三の監督就任2年目の1999(同11)年に春夏連続で甲子園に出場した後、2001(同13)年の夏に小倉の野球は開花する。強力打線を率いて自身初、日大三としては1971(昭和46)年春以来の甲子園制覇を飾った。その10年後、2011(平成23)年夏の全国制覇は記憶に新しい。6試合中、4試合で2ケタ得点。2試合に完封勝ちと、投打に圧倒して日本一になった。

 この時、選手たちは「監督を胴上げするために戦った」と口をそろえた。選手との一体感と信頼関係を大事にする小倉野球を象徴する言葉だった。

 小倉はことし4月で57歳になるが、まだまだ気持ちは選手の「兄貴」。一緒に風呂につかり、部屋でプリンを食べさせる。 =敬称略、この項終わり

 ■小倉全由(おぐら・まさよし) 1957年4月10日、千葉県生まれ。日大三高から日大。関東一高監督を経て97年に日大三高の監督に就任し、2001年夏に歴代最高記録(当時)となるチーム打率・427を記録した強力打線で同校初の夏の全国制覇を達成。11年夏でも強力打線とエース・吉永健太朗の全試合登板の力投で自身2度目の優勝を果たした。単身赴任で選手たちとともに野球部寮に暮らす。社会科教諭。甲子園通算成績は歴代11位の32勝16敗。」



名将といわれている、監督は、学校も、支援と、最後まで、面倒見るものだ。
雇われ、監督が問題なのかもしれない。

昔の東海大相模の監督、常総学院の監督、など、横浜高校の監督、池田高校の監督と違い。
学校の選択が失敗なのかもしれない。

何か、渡り蟹の監督は、プロ野球の監督みたく、見えてならない。

一つの学校で、生徒、育てるか。
後々、自分の教え子が、監督になるような、学校が本当だろう。


学校も、酷いものだと、関心。
渡り蟹の監督では、それは、処分。

日大系とは、考え物かもしれない。


勿体無いことだ。
いい、タニマチか、支援者と出会っていたら、
いまだ、教え子と、名監督として、残るものだ。


千葉に生まれて、何で、千葉で、支援者の出てこないのか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

組織が

2014年03月17日 04時49分42秒 | 名言、珍言。
名言、珍言。

「万物をつくる者の手をはなれるとき
すべてはよいものであるが、
人間の手にうつるとすべてが悪くなる。」

ルソー『エミール』(上)


勝手な解釈
考えてみると、人の思考は、いいが、無能者、猫糞するものが、出てくるのが、
人の組織。
どんなに、自然で、普通にしているも、管理していると、悪政になる。

小さな政府、組織は、悪政も見つかる。
労働厚生省など、廃止と、年金も、健康保険も、介護保険も、雇用保険も、民営化することだ。
多くの赤字は、官僚の無能さがある。
死んだ人の年金、健康保険、介護保険、は、莫大な金が、国に入る。
遺産、相続税の額は、財務省の額は、多いものだ、それより、
はるかに、莫大な金が、労働厚生省の中に入る。
それが、何で、年金、健康保険、雇用保険が、上がり、払うのは、減るか、65歳以上とか、支払い。
不思議でならない。

解体して、民間にすれば、今からでも、運用と、老後の年金は、多くでる。
死んだら、年金、介護、健康保険の納付額が、戻るのが、普通の保険ではないか。
銀行・生命保険、のように、元本が、戻るのが、いや、利子も付いて元本が戻るものだ。

高齢者が多くなれば、高齢者が死ぬたび、あの支払った保険は、国の猫糞ではないかと、
思うのが普通。
年間、どのくらい、人が死んでいくのか。
死んだ人の資産は、相続税で財務省が、得ている。
不思議である。
労働厚生省の解体と、無駄の組織に見えてならない。
健康保険、雇用保険、年金、そして、税金が統合が本当だろう。

保険というのは、最低生活のできるものを国でして、
保険は、自由に、民間でするのが本当。
それ資金は、貧しい企業が巨大企業に変わる投資になる。

決算報告もできない、国の労働厚生省の決算は、どんな赤字なのか、
公開することが、必要。
年金、保険という国でしている組織は、
株式会社の見方で、決算報告すると、直に、酷い経営、運用と、わかることだ。

ハローワークも、廃止、民営化。
薬価も、自由化。
売れるものは、安く、売れないものは、廃止が本当。
薬は、値段の安さが本当の売りと思う。

=================

名言、珍言。

「和魂洋才(わこんようさい)」

 日本固有の精神と西洋の学問。
また、その両者を兼ね備えていること。
「和魂漢才」をもじって明治時代に作られたことば。
日本人固有の精神をもって西欧の学問を取捨活用しようとしたのが
一等国を目指す明治の指導者たちであった。


勝手な解釈
もともと、日本は、才能も、知恵も、資源もない。
学ぶのは、遣隋使、遣唐使から、始まり、
それが、明治になり、より、貧しい国の日本は、
世界に生きるには、応用すること。
原点は、学んで、応用して、自分たちの別の思考を作り出す。
必要なのは、記憶して、自慢しているのではなく、
応用する知恵者が必要。
発想など、出てこないが、改善があるものだ。

今日も、即席麺、チキンラーメンでも食って、
考えることだ。
ラーメンは、何で、簡単に、でき、安いか。

原点は、発想でなく、即席麺のような、応用。
ラーメンは、あるのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする