二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

問われるのは

2014年03月07日 06時03分11秒 | ニ言瓦版
何が緊張感だろう。
勘違いも、酷い。
今に、不買運動でも起きる。
払わない、見ない、運動が起きる。



「NHKの籾井勝人(もみい・かつと)会長(71)は6日の定例記者会見で、就任初日に、理事全員から辞表を取り付けた理由について、「それ(辞表取り付け)によって、醸し出す緊張感で一丸となってやっていくつもりだった」などと持論を展開した。

 「私は外からきた人間。みんなと一体となるためには緊張感が必要だった」と説明。かえってそれが互いの信頼関係を損なうのではとの指摘には、「信頼関係はパッとできないし、不信も生まれない」と否定した。

 さらに2005年に三井物産から日本ユニシス社長に就任した際、役員から辞表を取らなかったことを明かした。その理由を民間企業の役員(1年)の方がNHK理事(2年)より期限(任期)が短い点を挙げ、「マネジメントスタイルはいろいろある」と述べ、独自スタイルを強調した。人事権は「乱用しない」と繰り返した。自身の発言で業務が停滞している責任については、報酬返上や辞任の考えはないとしている。5日夕までに一連の発言などについてNHKに寄せられたメールや電話は約3万件に上り、うち約1万9000件が厳しい意見だった。

 また、NHKの放送技術研究所や関連団体の不祥事が相次いでいることについて、籾井会長は「きわめて遺憾」と述べた。NHKの関連団体を対象に、外部の弁護士からなる会長直属の調査委員会を設置し、経理の適正化や再発防止に取り組む考えを示した。」


3万視聴者も、NHKを見ない、払わないが、始まると、
国の税金も、払いたくないという庶民が増える。
増税もある。
テレビは、何で、酷い会長のところに、庶民は、支払うのか。
料金を払うのは、どこでも、同じ、払う場所は、違うところに、
いうのが現実になるのではないか。

早く、辞職することが、今までどおり、収益を得られる。

民間の企業なら、自分の失態は、どうするのか。
普通は、株主、怒らせた、売れて、収益が、悪くなる。
誰も、株は、買わないで、暴落。


公務員でも、会見の失敗した、公務員は、左遷と、もう、二度と、
表には、出てこない。


普通の会見と、陳謝と、出来なかったのか、失敗。
あんなに、チャンスと、弁解をする場所があるのに。
NHKの民営化か、国から、出すのも、考えること問われる。
NHKを民営化して、廃止か、考えることも、必要かもしれない。
71才で、思考から、経験から、軽率なことは、言わないものだ。

「三井物産から日本ユニシス」が、問題の企業だったのかもしれない。
問われるのは、人材の問題にも見える。
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面白い

2014年03月07日 05時51分15秒 | ニ言瓦版
アサヒ芸能は、面白い。
そうか、人を育てるも、監督。
人を食いつぶすも、監督。

球団は、最期は、選手の人間性が、評価するのかもしれない。




「テリー伊藤対談「山崎武司」(3)星野監督に“引退しろ”と言われたが…- アサ芸プラス

テリー 39歳で43本、41歳で39本打ったでしょう。当時は「山崎すげえな、この年で」と、日本中が思ったんです。野村さんから教わったことが、この数字に出ているんですか。

山崎 そうだと思いますね。いちばん簡単なことを言うと、それまで僕は三振をめちゃくちゃビビってたんです。僕は最年長本塁打の歴代3位の記録を持ってるんですけど、中日にいた時は、とにかく三振はしちゃいけないと思ってたんですね。それで、消極的になっていたところがあった。そんなある日、野村監督から「お前、三振を怖がってるだろう」って。

テリー ズバッと見抜かれたと。

山崎 ええ、まさに。「三振したくないです」って言ったら「お前はそこがダメなんだよ」と。「三振してもいい当たりでアウトでも、1アウトは1アウト。だからとにかく三振を怖がりなさんな。見逃し三振でもいい。何してもアウトになっても結構」と。

テリー うんうん。

山崎 「だけど、その三振した中にも、どういう内容で、どういう考えのもとで三振したかということを、自分の中で知る必要がある。わかっていれば三振してもいい。そのうえでチャンスで打てなかった‥‥、それだったら練習して、次に頑張ればいい」という考えで言ってくれたんです。

テリー それは、昔の教えとは違っていたんだ。

山崎 過去の監督にはとにかく「三振するな」「不細工な格好でアウトになるな」ということばかり言われていたんですね。だからそのマイナスイメージが、ずっと離れなかった。

テリー 野村監督の言葉で「三振」に対するイメージがガラッと変えられたんだ。

山崎 ですから、ホームラン王と打点王を取った時、僕は150三振ぐらいしてるんです。

テリー あっ、そうか。

山崎 あとは「配球の組み立て方をしっかり勉強しなさい」と。今日は外の球場なのか、ドーム球場なのか、イニング、ピッチャーの調子、全て含め、ピッチャーの組み立てというものを考えていきなさいと。僕はそんなことを考えたことがなかった。「来た球を打ちゃいいわ」と思っていたので。

テリー 野村監督ともっと早く出会っていれば、2000本安打もできただろうね。

山崎 2年早かったらできたでしょうね。でも、それより前だったら、たぶん、野村監督とも衝突してたと思うんですよね(笑)。

テリー ハハハハ。そして野村監督と4年やって、星野監督に代わったと。星野監督は、どういうタイプの監督だったんですか。

山崎 血の入れ替えをどんどんしていくという考え方で、その頃、イーグルスは僕の色に染まりきっていたので、そういったことを嫌う監督だというのはわかっていました。だから「いよいよここで、俺は摘まれるな」「ユニホームを脱ぐんだな」と覚悟した頃に、辞めろと言われました。

テリー じゃあ、あらためてぶつかったりはしなかった。

山崎 しなかったですね。監督に「引退しろ」って言われて、僕は悩んで野村監督に電話したら、「お前が決めろ」って。会社が決めたり監督が決めたりすることじゃないから、「まずは自分自身の意思表示をしなさい」と。だから会社に「引退じゃなくて退団という形にしてください」と伝えたんですけど、半月ぐらいモメました。

テリー 何で?

山崎 メンツの問題で。いちおう、楽天の功労者ということで、自由契約はイメージが悪いと。僕が円満に「引退します」って言うのが一番だったみたいです。

テリー なるほどね‥‥そこから中日に戻ったというのは、どういう思いだったんですか。

山崎 「自分は最後にドラゴンズのユニホームを着たい」と、ダメ元で自分でセールスに行ったんです。初めはドラゴンズ側も難色を示したんですが、最終的にとても気を遣ってくれて。球団としては受け入れたくても、お前を安い年俸で雇えないと。僕は「いや、給料なんか400万でも行きます。この1年だけやらせてほしい」と伝えて。

テリー 楽天の最後はいくらだったんですか。

山崎 2億5000万です。

テリー ああ、そうか。

山崎 結局、3000万で契約したんですけど、出来高で上積みできる契約で、ホントにいい評価をいただいて。成績は出せなかったんですけど、僕にとっては非常に意味のある1年でしたね。」




野村さんは、人材を育てる監督かもしれない。

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