二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

売れるのは、後後どうか。

2015年03月17日 02時51分23秒 | ニ言瓦版
面白いことだ。
一冊の雑誌から、本になり、それが、25万部。



「お笑いコンビ「ピース」の又吉直樹さんの小説『火花』(文藝春秋社)が今月11日に発行され、すでに25万部を超える売上を記録し話題になっています。

マンガ『ONE PIECE』の新巻が250万部超[注1]、百田尚樹『永遠の0』の300万部超[注2]など話題となった出版物と比べてみるとこの数字はたいしたことがないように思えるかもしれません。

しかし、普段純文学に接するものにとってはこの数字はとてつもない数なのです。この記事では、普段小説に興味のない人に、この25万部という数字がどれほどすごいことなのか簡単に解説します。


公表されない売上部数
そもそも出版社から売上部数が公表されることはまずありません。少部数の出版物の売上データを公表してしまうと「売れていない」という評判がたってしまい今後のその著者の作品の売上や名声に関わるからです。

出版社が出版物の売上部数を公表するのは「その本が売れている」ことを示す宣伝材料として使うためです。ですから、一般の人が目にする出版物の発行部数は当然「売れている」ものの数字になります。また、そのために10万部(ベストセラーの境目)を超えない出版物の売上データは普段目にする機会がないともいえるでしょう。


売れない文学
現在、ほとんどの純文学の書籍は全然売れていません。

普通、純文学とは『文学界』『新潮』『群像』『すばる』『文藝』の五大文芸雑誌(ないし『早稲田文学』を加えた六誌)に掲載されるような作品を指します。これらの作品は運よく単行本化にまでこぎつけたとしても多くが5000部から1万部を割る発行部数にとどまります。[注3]

そもそも、これらの雑誌でさえ毎月せいぜい1万部程度の部数しか発行されていないのです。

さらに、純文学界隈で年間を通して最も話題となるのが芥川賞ですが、芥川賞の受賞作品でさえも冒頭に挙げた作品ほどの売上に達するわけではありません。

たとえば、映画化もされ話題となった西村賢太『苦役列車』で35万部超[注4]、最高齢受賞が話題となった黒田夏子『abさんご』で14万部[注5]など最も売れている作品ですら100万部に達しません。


純文学がエンタメ小説にどこまで迫れるか
こうしたなかでお笑い芸人という他ジャンルからの参入者が純文学というフィールドで驚異的な部数を記録していることはもっとインパクトをもって受け止められてもよいのではないかと思います。

これまで劇団ひとり『陰日向に咲く』や千原ジュニア『14歳』などお笑い芸人の小説が話題になることはありました。『陰日向に咲く』は100万部を超して大きなニュースになりましたが、お笑い芸人が純文学に殴りこみをかけ、これほどの期待がされるということは初めてのことです。

純文学というジャンルの中で、他のお笑い芸人が出したエンタメ系小説の発行部数を超えることができるのか。楽しみでもあり注目をしたいところです。」



小説でも、賞が、取れるのと、売れるのと、違うものだが、
何か、同じになっていく気がする。

後に、ブックオフでも、売れる作品が、廃棄処分か。
時が過ぎると、たたの廃棄物が、古本屋、ブックオフに行くと、ないも、ある。

価値は、後後、出てくるか、消えるか。
読んでしまえば、たたの、廃棄処分。
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解らない

2015年03月17日 02時43分47秒 | ニ言瓦版
デザインは、同じ、中身は、デミオ。
売れるのか、問われるのは、燃費と、経済性。



「マツダからCX-5のサイズダウン版「CX-3」が発売された。CX-3はCX-5のデザイン文法をほぼそのまま踏襲している弟分であり、エンジニアリング的にはデミオをベースに作られたBセグメントのSUVだ。手始めにまずひとまずサイズを比べてみよう。

旧型の立体駐車場に入る車高

 CX-3の各部寸法図面と、比較表をご覧いただきたい。何をどう比べたらいいのかという指標は概ね以下の通りだ。SUVの場合その性格上、室内の広さをまず見るべきだ。この手のクルマでは車高を上げてエアボリュームを稼ぐのが定石だから、まずは高さからだ。

 すると意外なことに、CX-3の室内高はBセグメントのデミオと同一である。つまり上方には大して広がっていない。ちょっと期待外れである。室内が狭いのかと、デミオの数値をよく見てみるとクラス上のCセグメントのアクセラの方がむしろ小さい値になっていることがわかる。つまりベースのデミオはそもそも頭上空間にはあまり不自由をしていないとも言える。だからこそ屋根のかさ上げをせずにCX-3に流用ができたわけだ。CX-3の室内のエアボリュームは巨大ではないが大きい方ということになるだろう。

 それにしても、なぜ広さを求めるSUVの室内高がデミオと同じなのかと言えば、CX-3は基本的成り立ちがデミオベースであり、同じシャシーをベースにしていることも理由の一つにあるだろう。しかし、どうもそれだけではない。

 ちょっと外形寸法の車高の値を見てみて欲しい。1550ミリという数値になっている。この1550ミリというのはマジックナンバーで、旧式の立体駐車場の制限寸法なのだ。クルマのカタログを眺めていて、1550ミリという車高の数値に出くわしたら駐車場の制限を気にして作られていると考えてほぼ間違いはない。

 つまりCX-3はSUVの割にスペースユーティリティに特化していないということがわかる。むしろ日々実用のアシとして使う時の自由さを確保するために室内高の贅沢はほどほどに留めたという折り合いが見られるのだ。その結果、屋根をかさ上げするような大工事も行わなくて済んでしまったわけだ。

 次に、実質的に一番広さを感じる室内幅を比べてみる。流石にCX-5は広い。CX-3と比べると10センチ近い差だ。CX-3はここでも僅かながらデミオに負けている。外寸の車幅ではデミオ比で7センチも拡幅されているが、それはほぼフェンダーのフレアというデザイン要素に食われている。

リアシートが弱点ではあるが室内長はフロントシート優先で見るならあまり大きな意味はないので、リアシートを積極的に使いたい人以外はあまり考える必要はない。リアシート優先で使いたいとなれば、そもそもBセグメントでは足りない。そこはCX-5を選択すべきだろう。CX-3の後席は空間の広さそのものは、頭上も含めて思ったよりある。しかしリアシートの出来は背もたれの倒れ具合に対して座面の後傾角が足りないし、ひざ裏のサポートもあまり考えられていないし、左右方向でもヘリの硬さが足りないためお尻が落ち着かない。全部が柔らかいダメなソファーの様だ。多分CX-3の一番顕著な欠点はここだと思う。しかし、繰り返すが、リアシートに大人をしっかり乗せようと言うのは本来、Bセグメントの用途外だと思う。

 さて、数値で見る限り、意外にも広くないCX-3だが実際に乗って見ると、良い意味で極めて普通。フロントシートが背もたれを立てたアップライトな姿勢を前提に作られているせいで広さ感を感じるのかもしれない。しかし、その背中の立った着座姿勢でも頭上空間が狭いとは感じない。かと言ってSUVならではの大空間という感じもなく、普通のセダンに乗っている感覚に近い。それでも違和感がない程度には視点が高いから、若干の見下ろし感によって前方も見やすく、車両の感覚も掴みやすい。つまりあれこれが薄めのスペースユーティリティ感なのだ。そうなるとSUVと言っていいのかどうかだ。

ある種のユニバーサルデザイン

 マツダはいちいち理屈をこねる会社なので「CX-3はSUVではなくクロスオーバーです」と力説する。まあ確かに言われてみると、その絶妙な高さ感は乗用車の自然さとSUVの視界の良さという長所が上手くクロスオーバーしている。なるほどクロスオーバーなのかもしれない。

 と書くとマツダに「そうじゃない」と言われそうだ。「乗用車とSUVのクロスオーバーではなく、ユーザーのライフスタイルのクロスオーバーです」という説明だった。マツダは良いことを言うのだが、いつも分かりにくい。書き手の方がちゃんと翻訳しないとただの宣伝文句に見えてしまう。どうにかならないのだろうか?

 「ライフスタイルのクロスオーバー」という言葉でマツダが言いたいのは「いかなる用途にも使える」ということだ。車高の話もその一つの現われだ。SUVっぽくするために着座位置をグーンと上げれば乗り降りがしにくくなる。かと言ってスポーツカーの様に低過ぎるのもダメだ。

 マツダは一番自然に、つまり体に負担をかけずに座れるシートの高さを600ミリだと判断した。これだとよじ登ったり、膝を曲げてかがんだりする必要がないから、筋力に依存しない。例えばシニア層であっても自然に乗り降りできるわけだ。ラクに使えるのはシニア層だけではないから、これはある種のユニバーサルデザインだとも言える。

 そして車高をむやみに上げなければ、前述の通り駐車場問題でも自由が広がる。日々使いやすいわけだ。従来のセダンより少しだけ高い見下ろしの視点に設定することで前方視認性が上がり、車両感覚も掴みやすい。何よりもボディサイズがコンパクトで、狭い路地でも気兼ねなく入っていかれるし、小回り性能も良いので取り回しの面でもネガが少ない。こういうクルマを使う現実のシーンのあらゆる面でユニバーサルな解を求めて行った結果がCX-3だとマツダは言いたいわけだ。だからマツダはCX-3をして「次世代のスタンダード」だと主張するのである。」



車は、海外では、売れることだろう。
国内は、形が、いいと、売れるのか、問われるのは、
デザインか。経済性か、CX-5は、売れたのだろう。


名前が、CXとか、英文字と、番号は、消えるのか、今まで。
売れないと、名前が、ないものだ。

今後、一番に売り上げ上がるのだろう。
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