二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

遺体では

2015年03月12日 17時38分18秒 | ニ言瓦版
よくある話。


「1989年に東京都狛江市で見つかった男性の遺体について、警視庁が身元の確認が不十分なまま火葬して無関係の家族に遺骨を返し、死亡届が出されていたことが警視庁への取材で分かった。昨年12月、東京家裁から同庁に「死亡届が出された男性が生存していた」と連絡があり、発覚した。同庁は生存していた男性や捜索願を出していた家族に謝罪するとともに、改めて遺体の身元確認を進めるとしている。

 同庁刑事総務課によると、89年12月、狛江市内の公園で中年男性の遺体が見つかった。調布署による司法解剖の結果、死因は心不全と判明。翌90年1月に家出人捜索願が出された調布市在住の40代の男性(当時)と特徴が似ていたため、妻やきょうだいに確認したところ「本人に間違いない」と話したという。このため、調布署は遺骨を家族に返し、死亡届が出された。しかし、実際には男性は生存しており、男性が家裁に申し出たという。

 同課の加藤芳雄課長は「身元を誤認したまま遺骨が引き渡されたことは誠に遺憾。本件を教訓として改めて再発防止を図る」と話した。」


調べないのか、できないのかも。
本人の証明、国民番号があると、解るが、遺体では、難しい。
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面白い

2015年03月12日 08時03分05秒 | 名言、珍言。
面白い。
儲けたものもいるのか。

 

「ワイドショーまで巻き込んだ大塚家具創業家の親子ゲンカで、最も得をしたのは外資ファンドなのか。大株主の米投資ファンドが騒動の最中に同社株を大量売却したことが判明、10億円超の売却益を得た可能性もある。

 米カリフォルニア州に拠点を置くブランデス・インベストメント・パートナーズが関東財務局に提出した大量保有報告書によると、今月2日と3日に大塚株を売却、保有比率は1月時点の10・29%から4・63%に低下した。売却先は「市場内取引のため不明」という。

 このうち3日に売却した株数は118万6800株。同日の大塚家具株は取引時間中に2488円の昨年来高値を付けた後、1840円まで急落する異常な値動きを見せていた。

 ブランデスが過去に提出した報告書をみると、おおむね1000円前後の株価で同社株を買い集めており、仮に3日の高値水準で売り抜けていたとすると17億円前後、終値で計算しても10億円弱の売却益を得たと試算可能だ。

 その後、同社の株価は一時1600円台まで値下がりしており、長女の久美子社長(47)と父親の勝久会長(71)の経営権争いに便乗しようと株を高値づかみした投資家は大損する恐れもある。

 大塚家具が3月27日に開く株主総会の基準日は昨年12月末のため、当時9%程度を保有していたとみられるブランデスに大株主としての権利は残る。大塚家具によると、ブランデスは総会で久美子社長側に賛成する意向を表明しているとされ、委任状争奪戦は久美子氏側が有利との見方は変わらない。

 ただ、企業のM&A(合併・買収)に詳しい関係者は「総会で久美子氏が勝っても、勝久氏は引き続き大株主として力を持つ。両者によるTOB(株式公開付け)合戦になる可能性もある」と指摘する。ブランデスが売却した株の行方も勝敗を左右しそうだ。」




問題は、今の数ではなく、昨年12月の末の株主。

面白いのは、どんな株主が、勝ったか。

これから、本当の戦いになるのではないか。

面白い。
事によると、どんな株主が、権利を得るか。

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考えると、

2015年03月12日 03時05分52秒 | ニ言瓦版
そうかも。
経済は、よくなっている。
契約社員、正社員と、人が足りいないところは、求人がある。
赤字で、給料の上がらないのは、経営の失敗、経営者の無能。
問われるのは、どこかの家具屋ではないが、今までの売り方では、売れないこと、
知らないで、破滅する企業は、決まって、人材の酷い。




「もしも転職を考え始めた場合、まずは色んな会社の求人募集を見てみるものですよね。でも、求人募集に書かれている内容をどこまで信用していいものなのか、わからないものではないでしょうか。

転職サイト『天職ぱんだ』が20~70代の男女300名に行ったアンケートによると、実際に多くの人が求人情報の内容を信用していないことがわかりました。

中でも特に信用できない点が3つあるようです。

■9割の人が求人情報は「正直に書かれていない」と回答

調査によると、求人情報が事実と比べて、「正直に書かれていない」と感じている人は89.1%、 「正直に書かれている」と感じている人は3.3%という結果となりました。

約9割の人が、求人募集の内容には事実とは異なる点があると感じているようです。企業側も良い人材を集めるために良く見せようとしている面もあるとは思いますが、もしかしたらちょっとやりすぎなところもあるのかもしれませんね。

■特に信用することができない募集内容3つ

では、どのような点が「正直に書かれていない」と感じるのか? 「特に信用できない情報」を尋ねたところ、次の3つが圧倒的に多い回答となりました。

(1)「勤務時間(実働●時間)」(23.2%)

「残業はやって当たり前だから勤務条件には書かないと言われた」や「自主居残りとは残業はと言わないらしい」といった意見が多く、求人情報には書かれていない残業時間の多さに疑問を感じている人が多いようです。

(2)「応募条件(年齢、未経験者歓迎など)」(21.2%)

「未経験OKなのに資格を取るよう言われ、取得後も経験不足で落ちた」や「面接の場で、実は20代だけ募集していると言われた」などの声が見られ、ハローワークの指導通りに募集しないと補助金が出ないという理由で、事実と異なる応募条件を記載している企業もあるようです。

(3)「給与(昇給含む)」(20.5%)

「記載された給与額が、その会社の最高給だった」や「残業代が含まれていた」といったように、一番高い給与額などを記載されている場合が多いため、実際はそんな金額は全くもらえないというのがよくあるケースのようです。

■面接の場は「会社の見極め」であるという認識が必要

こういった事態が起こらないようにするためにも、転職サイト『天職ぱんだ』では次のようなアドバイスをしています。

「公平に募集しなければいけない」という法的規制が、ウソ(建前)の募集要項を出す言い訳になっていると言えます。その結果、本当の採用条件を面接時に初めて聞かされるという求職者もいるようです。

求職者にとって面接の場は、「会社の見極め」であるという認識が必要です。面接には求人内容を詳細に覚えてから挑むことがベストでしょう。

求人情報の内容を鵜呑みにしてしまうことは危険な場合が多いようです。後々になって後悔しないためにも、求人内容をできるだけ覚えて、面接時などに不明点などをしっかりと確認することが重要なのでしょう。」


好景気の始まりこそ、転職の時期と、経験するものが、
這い上がる。
ハローワークで、調べるも、面白い。
騙す、企業は、それは、二度と、評価が、落ちる。
ホデル、旅館の評判のように、知られていく。

商売、人材は、騙すか、騙されるかでは、誰も、いなくなる。

だが、企業は、成長するのは、中途社員が、必要。
同じことしか、知らなかった企業は、社員は、それは、変化についていけない。
難しいのは、人材の育成と中途社員の採用かもしれない。
社長の契約社員のように、利益、上げないと、首が、正しい道かもしれない。
三月の決算時期で、赤字の企業は、行かないのが、安全な将来かもしれない。
誰が、考えて、為替120円、日経平均8千ではなく、一桁違う、18千円、19千になるかである。
世界は、日本市場に投資している。
ことによると、三月決算の株で、株主が、権利を得て、乗っ取ることもある時代かもしれない。
バカな経営者は、四月以後、6月まで、交代、場所なく、消えるもあるかもしれない。
江戸時代の口入屋だったら、いい人材が、いい口入屋にいき、いろいろ、職を斡旋するか、
支援するかもしれない。
今のハローワークでは、酷い企業も、いい企業も、自己判断だろう。


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考えると、派閥が失敗。

2015年03月12日 03時03分55秒 | ニ言瓦版
昔も、今も、ヒット商品を作るのは、才能ある人。
経営者は、無能でも、維持できるが、ヒットは、なかなか無理。
倒産する運命は、人材の軽視が原因。
派閥、無能な人ほど、派閥で、生き残る、食いつぶす。




「2月23日、新聞朝刊の片隅に〈フェアレディZの父死去〉とベタ記事が載った。日米の自動車文化を発展させた功績をたたえ、日本人4人目の米国自動車殿堂入りした偉人にしては寂しすぎる扱い。その理由とは。

 自動車評論家の国沢光宏氏が語る。

「片山豊といえば、日本では『Zの父』という評価だが、そもそも日本車がアメリカで売れるようになったのは片山さんのおかげです。その意味では本田宗一郎氏と同じぐらいの功績がある人だと思います」

 片山氏は1935年(昭和10年)に日産自動車に入社し、戦後の復興期に宣伝マンとして日本初の自動車ショーを日比谷公園で開催したり、豪州の自動車ラリーにスタッフとして参戦、日本車を初優勝させ、国産車「ダットサン」の存在を広くアピールしたアイデアマン。が、その華々しい活躍の見返りに会社が命じたのは「アメリカ行き」。

「私が30年前にこの仕事を始めた頃も日産は片山氏に対し厳しいネガティブキャンペーンを張っていた。要するに湘南生まれの慶応ボーイという明るい人柄で日本初のモーターショーを立ち上げるなど日の当たるところを歩きすぎ、社内ではやっかまれたということです。それで『アメリカで車売ってこい』となった」(前出・国沢氏)

 晩年の本人も「実際はテイのいい島流しだった」と語っているとおり、当時は、自動車王国・アメリカで日本車が売れるとは誰も考えなかった時代である。しかし片山氏の逆襲はそのアメリカ西海岸から始まった。

「車が壊れても部品がいつ来るかわからない、故障しても保証しない‥‥などアメリカの自動車メーカーにユーザーは不満を抱えていた。そこでまず片山さんは、売りっぱなしではなく喜んで修理し、部品が翌日には届くなどアフターケアのシステムを作った。同時に、アメリカ向けの車を作らなければいけないということで『ブルーバード510』を発売し、現地で受け入れられた」(前出・国沢氏)

 その第2弾が「ダットサン240Z」、日本名で初代「フェアレディZ」だった。発売当初から受注が追いつかないほどの売れ行きで販売台数140万台を超す大ヒットとなったのだ。

「片山さんは、誰でも買えるような格好いいスポーツカーというコンセプトで『Z』を企画した。しかも英国の『ジャガー』の3分の1ほどの価格でアフターサービスも充実していた。日産がこの2台でアメリカ進出に成功したことで、日本の他メーカーも追随したんです」(前出・国沢氏)

 もっとも、片山氏はこれだけの功績を残しながら役員待遇もなく77年に定年退社。その後、日産が90年代に経営破綻寸前となり、96年、「Z」は生産中止となった。が、片山氏が90歳の時に転機が訪れる。日産の再建を旗印に就任したカルロス・ゴーン社長と面談し、ニュー「Z」の復活の約束を取り付ける。そして02年、「ニューZ」の開発アドバイザーとして日産相談役に返り咲いたのだ。

 晩年、片山氏は「Z」愛好家のイベントにも参加したという。今回、全国のZオーナーが本誌に、哀悼のコメントを寄せてくれた。いくつか紹介すると──、

「7年前の宮城のイベントでは『軽くてワインディングロードをひらひら楽しく走れる車が理想だ。若者が買える車じゃないとダメ』と話してました」(山形)

「Zの魅力はズバリ非日常性。もっと早く功績をたたえられるべきでした。『快走』と書かれた片山さんの色紙は大事にとってあります」(静岡)

「自動車は『自働車』、つまり車は乗せてもらうのではなく(にんべんが示す)『人間』が『動』かすものであれ、と言ってました。色紙には『快走』以外にもまれに『快眠』とか『快便』と書き、長生きの秘訣も明かしていました」(栃木)

 戦時中、アルファベット最後の文字「Z」の旗は「あとのない最後の攻撃」を意味した。享年105。まさに「大往生」である──。」



日産の中の派閥、酷い社長が、酷くしていく。
結局、再生したのは、海外の人材と、今までの組織の解体。

売れる車も、そこそこに、作るもできないと、それは、売れない。
国別で、売れる車作ることだろう。
内容の電気、水素も、ハイブリットも、最後は、形と、売れる車が問われる。
乗りたい車に、乗る。
トラックも、バスも、軽自動車も、自転車も、電動自転車も、好みは、
形と、乗りたい車。
経営者は、売れる車の補佐。
派閥で、排除すると、自らの廃業。

商売は、なんでも、ラブホテルと、同じよう、使われないと、廃業と同じ。
人が、興味あるのと、使われるのが、一番の商売。
乗りたい車は、問われる。
入りたいホテル、泊まりたい地域の観光地。

人が、興味のいのは、それは、商売にならない。
テレビ局も同じかもしれない。
日産のように、勘違いと、派閥で、処理していると、
終わりは、速いかもしれない。
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