今日は父の81回目の誕生日でして。
2年前にこの写真をブログに載せたら、恥かしいからやめてくれと。
でも若かりし頃のだし、別にいいじゃんってことで
今日は強引に載せちゃえ~ってことで
幼少の頃、同年代が虫取りやかけっこに興じている頃、
芸事の好きだった父の祖母から、手ほどきを受けていたらしく。
そのせいか、大学在学中から芝居の世界に足を踏み入れ、
当時、寺山修司などと舞台やラジオ番組を作っていたらしく。
写真はその頃のもの。
その後、私が生まれることになり、母と協議して?役者は辞めることに。
私が小学生の頃、父の会社の前にはちょうど天上桟敷の芝居小屋があって、
不気味なオブジェが壁一面に埋め込まれたその小屋に、子供心に興味津々。
今思うと、血は争えないというか、私の興味とどこか通じる世界があり。
もしかしたら、今頃白塗りで舞台に立っていたかもなんて、ふと
さてと。
あれこれ私も年とともにやることが遅くなって、用事は溜まる一方だけど、
今夜は、明日が誕生日の妹と甥っ子も一緒に父の誕生日を祝ってご飯会。
今日を迎えることができたことに感謝しつつ、また来年も元気に
追伸:
さっき父より、旧知の友人から電話があり、「お、生きてましたか」と言われたそうで。
ブロマイドが黒枠だったからだそうで~ はい、さっそく若々しい背景に変えました
でもお蔭で?久々に話もできて、よかったよかったってことで。
Iさ~ん、ありがとうございました~ (26日晩に記す。)
あ、畑はですね・・去年の夏で引退してしまったんです。
でも庭で花やら、夏はゴーヤくらいはやってたみたいです
ichiiさんのご家族もお誕生日だったんですね、おめでとうございます
うれしいことたくさんありますように
時々アップされるお父様の畑の様子など、すごく楽しく拝見し、お元気な様子を想像しながらワクワクしてます。
81回目のお誕生日、本当におめでとうございます。
1日前は、私の身内の誕生日で、おめでとうメール送ったんですよ。連続Happy、なんだかスペシャルな感じで嬉しいです。
あ、芸術家じゃなくて、道楽者ですなので、いつも家計は火の車
電話を下さったのは、私が小学生の頃からなので、かれこれ・・・。
お互いいい年になりました
父は一時焼き物もやっていたんですが、その時の雅号が「楽道」。道楽の反対です
全く呑気過ぎて、母は苦労してきた(いる?)と思いますよ~
怪しい系ってのは・・ゴルフィーさんの知らない世界です、なんちゃって
これは20代の頃の写真ですからね~若い時はそれだけで、よく見えるものですからに
この日は珍しく妹も一緒でしたが、愛娘二人というより小姑二人といった感じでした~
沙於里さん一家は、芸術家家族ですね
お父様のご友人が、沙於里さんのブログを読んでいらっしゃるのも素敵です
能の面もよいかと思いますが、歌舞伎を舞われてもさぞ舞台映えしそうな面持ちの方ですね!
ぼくは、あんまり話もしなかった学生時代を経て、社会人になってまもなく東京に来て父を亡くしたので、もすこし長生きしてくれていたら、とよく思います。
怪しい系、ってのは踊り子ですか(`・∀・´)
時々お書きになっているお父様は二度目のお父様だったのね・・・。
早とちりをしながら読み進んで、いやいやそうではなかったことに気付き、「そうだよね、何かおかしいと思ったワー・・」、デシタ。
沙於里さんのお母様もとても素敵な方だし、お父様も本当にナイスガイですねー。
そうそう、色白細面美人の沙於里さんは、書いておられるようにお父様の面影がありますね。
愛娘二人に祝っていただかれてお幸せなお父様のご様子が浮かぶようです。
女優・・になれていたとしたら、きっと全身白塗りの・・怪しい系だと思います
時代を感じる写真ですよね~。
えっと、私はどちらかと言うと、外見は父似のようです
中味は・・・?
いつも翠蘭さんのことを、教室まで送り迎えして下さっていましたね。
いつだったか、お二人で実家の方にいらして下さって、その時、お父様は本当に翠蘭さんのことを
大事に大事に思っていらっしゃるんだなぁと思いました。
私も父母が元気でいることに感謝をして、なるべくいじめないように気をつけます
沙於里さんにはお父様の血が確実に流れております。
書家じゃなかったら女優をやっていたことでしょうね。
お美しい!
沙於里さんのお顔を想像したりしています
失い、改めて、父の有り難さを感じました。
小難しくて、ズバッと言うし、厳しくはなかったけれど、怖くもなかったけれど、私が、手が荒れていると、食器洗い、洗濯何でもしてくれて、「暑いだろう、寒いだろう、雨が降ってきたなあ」と、言って、送り迎えしてくれないことなど、一回もありませんでした。I love him,so much,,もう何十年も
つけていた日記、悲しくて読めないんです。
幼い時に、父が一度だけ、「お父さん、肺が一つしかないんだよ」と、言っていたのを、亡くなってから、思い出したんです、幼い私は、仕事で疲れて、休んでいる父のおなかに乗っかって
「おっきして、おっきして、遊んで遊んで」とだけ言っていて、意味がわかりませんでした。
父も、母も、もうこの世にはおりませんが、二人とも、自分のことより、私のことを、私の友人を優先してくれました。過保護、、そう思うかもしれませんが、私の指のササはぐれ、父がいつも
切ってくれていました。その代り、私が、父の
耳の毛、鼻毛を切ってあげていました。
親孝行したいときに、もういないんですね、、、
ご両親のいらっしゃる、先生が、羨ましいです。
さびしがりすぎかな?友達もいるし、彼は
いないけれど、恵まれてました、そして今も
恵まれているんだと思うんです。一人でも、
生きて行かなくちゃ!