「途」 (部分)
時々ふと、なんでもない日常の光景が切り取られ
そこにある瞬間が、しばらく頭から離れないことがある。
たとえば、車を運転していて信号で止まった時
横断歩道を渡る人と、その先をうれしそうに歩く犬の姿。
どちらかというと、その犬だったかな。
なんていうか・・ふと、生きているって不思議だなって思う
人も犬も猫も、植物も、あらゆる生き物、あるいは形ある物にも
それぞれに道があり、道の途中があるわけで。
お互い、その瞬間瞬間に、知らず知らずに立ち会っているんだなぁと。
そう思ったら、ちょとだけ肩の力が抜けたような気がして
禅の本か何かに、こんなことばが。
(たぶん・・『魂をゆさぶる禅の名言』高田明和著 )
「我ありと執着するところに一切の迷いが起こる」
今日の1曲はUAの 閃光
時々ふと、なんでもない日常の光景が切り取られ
そこにある瞬間が、しばらく頭から離れないことがある。
たとえば、車を運転していて信号で止まった時
横断歩道を渡る人と、その先をうれしそうに歩く犬の姿。
どちらかというと、その犬だったかな。
なんていうか・・ふと、生きているって不思議だなって思う
人も犬も猫も、植物も、あらゆる生き物、あるいは形ある物にも
それぞれに道があり、道の途中があるわけで。
お互い、その瞬間瞬間に、知らず知らずに立ち会っているんだなぁと。
そう思ったら、ちょとだけ肩の力が抜けたような気がして
禅の本か何かに、こんなことばが。
(たぶん・・『魂をゆさぶる禅の名言』高田明和著 )
「我ありと執着するところに一切の迷いが起こる」
今日の1曲はUAの 閃光
「途」が「逢」に見えて、人が出逢うってことは二本の道が合うからかぁ(しんにょうが二本の線に見えたから)と感動。
「あれっ」
「逢」うじゃなくて「途」に気づく。しんにょうの線も実は3本だったことに気づく。
「う~ん」
記事をちゃんと読んで納得。「アシアト」という点では外れてもいないかと。
頭の中の思考をカタチに出して、出たカタチを他人が見て頭の中で広げていく。こうやって書を見て考えるのって楽しいですね。^^
なるほど~とか発見もあったり、うれしいです♪
またご感想なぞお聞かせくださいませね。
ありがとうございます