昨日が最終日だった、日中書法の伝承展。
4月の展覧会の作品が書けずに、しかも久々に風邪をこじらせて
体調も最悪だったけど、最終日だし!なんとか出かけてきました。
広い会場にもかかわらず、最終日の休日とあって、観覧者は多数!
皆さん熱心に1点1点、見ておられました。
いやはや、日曜美術館でも紹介されていたけれど、その出展数といい
内容といい、さすが謙慎書道会! とても充実していました。
この紙面では語りきれないので、詳細は こちらへ
私の大好きな木簡も、現物が何点か陳列されていましたが、
驚いたのは、その文字のサイズ。
一文字が5mmあるかないかの小ささなのに、しっかりとした墨色で、
文字も力強くも繊細で、流暢で、自由。 う~ん・・って唸りました。。
←木簡
今回、書で一番いいなあって思ったのは畢沅の書。
清々しいまでの堂々とした姿、キレがよく明快で、迫力もあり
線の細い太いの変化もあって、オシャレ
眺めていると、爽やかな気持ちになってくる。
う~ん、季節で言うと、五月って感じかな。
←畢沅 「楷書述書譜軸」
内容はよくわからないのに、書体、書風でこんなにもたくさんのことを
表現できるわけなんですね~書って。
洋楽も、ことばの意味はわからなくても、曲調やリズムから、
いいなぁって思えるものたくさんあるのと一緒・・かな?
一方、↓は趙之謙の楷書五言聯。
癖字のようでもあるけど、ダイナミックで男らしく躍動感に溢れている。
以前は、中国の書風はあまり好きではなかったけれど、最近はなんだか好き。
この趙之謙も、前は全然いいと思わなかったんだけど、
なんだろう・・なぜかな・・いいなぁって思う
書をやっている人の中には、中国に憧れ、中国人の文人たちの心境に共感し、
中国人になりたいって思っている人も少なくない。
私はそこまでは思わないけれど、改めて昨日、この展覧会を観て、
今の時代にあって、中国の書は新しいって感じた。
今年は北京オリンピックの年でもあるというのに、昨今では、餃子やら
チベット問題もあったりと、何かと不安の多い中国。
文化交流だけでは、残念ながら拭いきれないものもあるのは
致し方ないことなのかなぁ。。。
でも、無理を押して出かけてよかったです !
私も、とても美しい書だと思います。
たっぷりとした墨の感じ、それでいて隅々まで神経が行き届いている感じが、流麗なのに力強く貫禄があるように見えます。
日本では一般的に書は芸術という観念がありますが、カンフウ映画とか見ると、中国では武道と繋がっているように思えてきます。(勿論、映画にはユーモアとコジツケっぽい部分は多々含まれてますけど。)
今一度、考えてみようと思います。
というのは、悪筆なので、字を書く時、最初の一点?がとても怖いのです。
この頃 出て行かないな。
これでは 成長はないね。
さおりさま。。 成長を がんばりマウス
清の時代の官僚であり歴史家であったようです。
さすが~。絵を描いていらっしゃる方の感性には、敬服しちゃいますちゃんと見てるっていうか。。
なかなか「書」って言うだけで、わからない・・って思われる方も多いんですが、そのたびに、う~んそう言わずにまずはよく見てみて~ って。。
上手い下手を鑑定するのではなくて、感じようと思って見ていると、書き手の呼吸や心情や性格までも、見えてくるんですよ~って。。
確かに書も武道も、きっと通じるとこありますね。
それはたぶん書も武道も、淡々と繰り返すことってことかな。自分との戦いっていうか。
あ。でもそれって、どんなことにも通じることかな。。
私も聞いたことあります、その「空間」の違い。
以前このブログでも余白の美について、偉そうに書いたことありますが、書の作品作りでは、白を生かすのか、白を攻めるのか、と問われます。
今は、白を生かす作品が好きですが、たまには白を攻める作品も好きです。
ラモンさんは、西洋派? 東洋派?
70を超えても、書への情熱が衰えない
母の一声あっての、お出かけでした。
根はかなり怠け者の私ゆえ・・
仕事は「西洋派」なんですが、文章を書く時は「東洋派」かなあ…。
正確には「中途半端」と云うべきか
もしかして短歌と詠まれるんですか?
私は中途半端を超えて、ごちゃまぜです
「固~い」?商売です。
それと、(自称)「似非詩人」です。
確かに・・固い
れいむさんとこでのコメントが
いつもキレがあってふか~いので
詠み人かと思いました