心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

遊べよ子供たち 子供らしく

2008-04-24 | つれづれ
                     (はがき 割り箸に墨で)



甥っ子がこの春、中学1年生になった。
ついこの間まで、弾む声と屈託のない笑顔を見せていたのに、
久々に会ったら、声変わりをしていて驚いた。

Sちゃんって呼んだら、ちゃんって呼ぶのはやめてくれ・・だって
あ~あ。。大人になっちゃうんだね。。。

私が中1の頃はどんなだったかなと、ふと。
実は結構おてんばで、中2までは時々、職員室の前で立たされたりしていた

調理実習室の掃除当番のとき、冷蔵庫にあった杏仁豆腐を投げ合いっこしたり。
水道の水をホースでかけっこして水浸しにして、流しを詰まらせてしまったり。

廊下にママレモンと水をまいて、掃除にかこつけてモップを持って
端から端までスケートをしたり。
これはめちゃくちゃ楽しくて、外が暗くなるまでやってたっけ。

掃除道具入れに男子と押し込まれて、箱ごとゴロゴロ回転させられたり。
冬は石油ストーブの上にあった、アルミのやかんの底についたススを、
両手にべったりつけて、顔につけあいっこのおいかけっこしたり。

今の時代は、こんなことしたら、どんなことになるのかな。。
いじめだ~って問題になったり?

先生に怒られたことも含めて、楽しかった~っていう記憶しかなくて、
そんな時間を過ごせたことに感謝 
そんな時代に過ごせたことに感謝 

時代は違うけれど、さすがに大人になったらできないんだから、
遊べよ子供たち・・子供らしく





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10 コメント

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ご無沙汰してましたが (まつこ)
2008-04-24 09:16:59
毎日拝見しとります(^_^)
むほほ、かわいいお顔。子供らしさ、可愛さ。
沙於里さんが、子供さんをどんな感じで見つめてはるのか、伝わってきます(ほのぼの)。

ママレモンっっ!そんな遊びがっ。凄い面白そうすぎて、読んでてなにげに今やってみたいっとよぎりました(笑 : ああ、それは経験しときたかったなぁ~、と。笑)
冬のストーブの香り懐かしいです。学校独特のおおきいやつ!
小学校の頃の秘密基地(はずせないっ!)、水道管探検とかやってました。(笑 : これも今もやりたいです。)

ニュース見てるとたまにマジで!?っていうの多々ありますよね。学校も親もホドホドを通り越してるあの感じって、なんかやるせないですよね。子供も随分ノリが変わってきちゃってるのかな.....ゲーム世代なのですかね、やっぱり。



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いっつも (おえかき)
2008-04-24 10:20:06
すばらしい 感性だよね。

わたしは どんなだったかな?

って 思い出したね。

あ。いろいろ 思い出せて楽しいね。。

今の子は 引きこもりみたいで(ゲームばかり)
なんか さみしいね。。
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おでこと巻き毛が (ichii)
2008-04-24 18:20:19
沙、沙於里さん、相当ヤンチャ姫ですね。
読んで驚いてしまいました。
なんという天真爛漫な悪ガキぶりでしょう。
男の子も脱帽です。
私なんかは田舎の子なんで、違う意味でヤンチャ姫でしたが。
でも、こういう子どもの頃の悪戯や遊びって、叱られつつもいつまでも色褪せない良い思い出なんですよね。
そう思うと、本当に行動を制約されてヤンチャをやらせて貰えない今の子ども達がかわいそうに思えてきます。
絵の子のおでこと巻き毛がとってもかわいいです。
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まつこは~ん (沙於里)
2008-04-24 21:25:06
こんにちは 私もいつもお邪魔してますわん
演劇のお手伝いも楽しそうですね 

大人になると、日々迷うことも多くなり・・でも子供の頃は悩みも迷いもなく、男子とばかり遊んでたような。
その頃のことも、ストーブの香りと、燃える炎も懐かしいです。
秘密基地、私は近くの空き地にありました。水道管探検っていうのは・・?

ここだけの話ですが
男子が学校の裏の下水の蓋を開けて、トイレから流れてくるものを見つけて、お~! う○こだ! なんて
喜んでいるのを一緒に見ていた記憶がぁ・・
ほんと、今の子のノリとはかなり違いますね。 
あの頃、子供時代を過ごせてよかったです 
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おえかきせんせい (沙於里)
2008-04-24 21:34:29
今思い出すと、かなり  ですね。
先生から見て、
こんな生徒はどないでせうか

今の子も昔の子も、子供はあまり変わっていないはずなのに、きっと変わったのは、大人なのでは・・とか
あれこれ感じておりますです


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ichiiさん (沙於里)
2008-04-24 21:41:30
ぶふふふ~
ほんとかなりなもんでしたね
でも毎日が濃厚で、すっごく楽しい中学生活でした。
今も思い出すと、ぷって笑っちゃうことばかり。ほんと色褪せない良い思い出です。

でも中3のとき、偶然とはいえ、学年でも勉強もスポーツもできて、生徒会長やら目立つ人が集まってしまったクラスになって、おとなしくなっちゃいました
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Unknown (kou)
2008-04-27 13:09:01
天使だ~(^^)
ほんとにヤンチャ姫ですね~
私もやってみたいです~
しかし学校の廊下でそれはかなり怒られませんでしたか~
杏仁豆腐の投げ合いというのもすごい(笑)
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kouさん (沙於里)
2008-04-27 20:32:01
ヤンチャというより、かなりワルですね
廊下でママレモンスケートは、クラスのほとんどが一緒にやってたので、次の日のホームルームの時、家庭科の先生が来られて、全員立たされてお説教でした。 
でも担任のおじいちゃん先生は、後ろでニコニコしていて、いい先生だったなぁってつくづく。
いい思い出です 
返信する
やはり朝になれば~ (三軒家)
2011-10-11 09:21:56
忘れてました。おじゃまします。
ハンドルネーム:“三軒家”は幼き頃の劣等感の象徴でした。三軒つづきの長屋に母と子供の四人が肩寄せ合って住まいしていたのです。壁はくずれ、柱は傾き、障子は破れ、屋根には穴があきぺんぺん草、完璧に貧乏でした。此の御年まで克服できず、ずっとずっと引きずって生きてきました。馬鹿にされ、差別にプライドはずたずたでした。この度の事故でようやく真っ正面から向きあう決意ができたのです。わたくしの原点はそこにあり、ずっと心とらわれ魂を置き去りにしてきたのです。傷つけ貶めていたのは私自身だったことに気づきました。誰をも愛することができず、妬み、怨み、憎しみ、怒りいつも攻撃的で後ろ向きでした。凡てを己をも敵にまわして抜き差しならない最悪の事態に喘いでいました。わたしは奇跡の訪れを渇望し祈りました。事故は私自身が引き寄せたものです。確かに車の下敷きになったのですが恐怖も苦痛も一切ありませんでした。静かに穏やかに「大いなる言葉」が聞こえてきました。「あらがうな、是は必然なのだ。力を入れろ」今になって思えば、精神のメスをふるうブラックジャック(霊界の外科医)が手術をしてくれたと信じています。死ぬことで生きたのです。
前置きが長くなりました。東京原宿にあるデザイン会社の元社長の「カリスマ書道家」に寿という字をプレゼントしてもらいました。その時に割り箸を歯で噛み砕いて筆代わりにして書いてもらいました。通常のお値段は30万円、店舗の暖簾は100万円ということでした。

この絵は何なのかと魂を揺さぶられました。
迷いがありません。すきがないのです。完成された何かがあります。沙於里さんと貴女自身が合一して為せた業(絵)です。沙於里さんこの絵を描かれた当時に思いを馳せられてください。
何かが見えてくると確信しています。
あなたが大切です。いつまでも、いつまでも、いつまでも永遠にありがとう。上甲義幸
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三軒家さん (沙於里)
2011-10-11 23:39:57
・・そうでしたか・・色々なことがあったのですね。
でも、今はその頃よりもずっと、晴れ晴れとしたお気持ちでいらっしゃる

私の父は広島の原爆の時、中学1年生でしたが、それはそれは恐ろしい経験をしたそうです。
そして、ずっと心に重く抱えるものがありながら、見ないようにして生きてきたんだと思います。
そんな父から、私も年を重ねた今、感じるものも色々あります。

ところで禅語には、さりげなく気づかせてくれる言葉が色々ありますね。
一刀両断、百雑砕、莫眼花と、心の迷いを払拭して、私も阿呵呵と笑い飛ばせるようになりたいです

この絵、自分でも久々に見ましたが、当時95才位だった方に自画像を描いてみてと言われて描いたものです。
上甲さんに言われて、あの頃に思いを馳せてみますに、今よりも晴れ晴れとした気持ちでいたような気がします
ありがとうございます
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