帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (369)けふわかれあすはあふみと(370)かへる山ありとは

2017-12-23 19:00:37 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                     ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、「言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)」を心得るべきである。さらに、藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

貞辰親王の家にて、藤原清生が近江介にまかりける時に、
     むまのはなむけ(餞別の宴)しける夜よめる  紀利貞

けふわかれあすはあふみとおもへども 夜やふけぬらむ袖のつゆけき

(貞辰親王・清和天皇の皇子の家にて、藤原清生が近江介に赴任した時に、餞別の宴した夜詠んだと思われる・歌)(きのとしさだ)

(今日・京、別れ明日は近江・逢う身と、思えども夜が更けたのだろうか、衣の袖が露で湿っぽいよ……朝、京を別れ、明日はまた合える女と男の身と思えども、夜が更けて来たのだろう、身のそで、つゆで湿っぽいことよ)。

 

「けふ…今日…京…みやこ…山ばの頂上」「あふみ…近江…所の名…名は戯れる。逢う身、逢える身、合う身、身近きおんな」「袖…衣の袖…身の袖…身の端…おとこ」「つゆ…露…涙…汁…液」「けき…気はいがすることよ(体言止め、余韻がある)」。

 

今日別れ明日にも逢える近江と思っても、夜が更けてしまったようだ、衣の袖、涙の露ぽいよ――歌の清げな姿。

山ばの京、おんなと別れ、あすまた合えると思っても、夜が更けてきたなようだな、わが身のそで、つゆぽいことよ――心におかしきところ。

 

むまのはなむけ(餞別)は、餞別の宴会で、堅苦しい儀式ではない。

 

 

越へまかりける人に、よみて遣はしける  (紀利貞)

かへる山ありとはきけど春がすみ たちわかれなば恋しかるべし

(越の国へ赴任した人に、詠んで遣はした・歌)     

(彼の国に・帰る山があるとは聞いているけれど、春霞立ち別れれば、君が・きっと恋しくなるだろう……立ち・返る山ば、あるとは聞いているけれど、春情澄み・張るが済み、絶ち別れれば、男は・また女恋しくなるはずだよ)。

 

「かえる山…山の名…名は戯れる。帰る山、返る山、とって返す山ば」「春がすみ…春霞…春情が澄み…張るが済み」「たち…接頭語…立ち…発ち…断ち…絶ち」「べし…確信を持って推量する意を表す…当然そうなるだろう」。

 

四、五年経てば、帰って来るとは云うけれど、春霞たち消えれば・出立し別れれば、君が・きっと恋しくなるだろう――歌の清げな姿。

返る山ばありとは聞くけれど、張るが済み・春の情断ち、別れれば、男は・また女恋しくなるものだろう――心におかしきところ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (368)たらちねの親の守りとあひ添ふる

2017-12-21 19:29:30 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、「言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)」を心得るべきである。さらに、藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

小野千古が陸奥介にまかりける時に、母のよめる

たらちねの親の守りとあひ添ふる 心ばかりはせきなとどめそ 

(小野千古が陸奥介に赴任する時に母が詠んだと思われる・歌……小野千古が遠い国の陸奥の次官に赴任する時に母が詠んだらしい・歌)

(垂乳ねの親の守りとして、この子に・相添える、母心だけは、関守さんよ関止にしないでね……垂ち根の、をやの・おとこのよ、守りとして、相添える、親心だけは、せきにとめないでね・わが氏にとって大事な根なのよ)。

 

「たらちね…母または親の枕詞…垂乳ねの…年老いた母…垂ち根の…おとこ」「ね…接尾語…人を表す…根…おとこ」「おや…親…をや…おとこや」「や…余韻を表す」「せき…関…関所…関守…堰き」「なとどめそ…留めるな…止めるな…泊めるな…共に女遊びするな」。

 

垂れ乳の年寄った母の心、わが息子と共に陸奥へ参ります――歌の清げな姿。

関守よ引き泊めて女遊びするな、大切な垂れち根なのよ――心におかしきところ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (366)すがる鳴く秋の (367)かぎりなき雲井の

2017-12-20 19:13:20 | 古典

          

                    帯とけの「古今和歌集」

                 ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、「言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)」を心得るべきである。さらに、藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌


(題しらず)             よみ人しらず

すがる鳴く秋のはぎはら朝たちて 旅行人をいつとか待たむ

(詠み人知らず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)

(蜂のなく秋の萩原、朝出立して旅ゆく男を、帰リは・いつと思って待つのでしょうか……とりすがり泣く女、厭きの端木はら・山ば無し、朝立ちて度々旅にて逝く貴身を、わが許へ帰るのは・いつと思って待つのでしょうか)。

 

「すがる…蜂…鳴く(羽音立てる)虫の言の心は女…寄り付く…とりすがる」「秋…飽き…厭き」「はぎ…萩…端木…おとこ」「原…山ばではない…ひら野」「たち…立ち(伏していない)…出立…断ち…絶ち」「旅行く…度逝く…何度も逝く」「人を…男を…おとこ」「か…疑問の意を表す」。

 

 

秋の朝、出立つ旅人を見送る心情――歌の清げな姿。

とりすがり泣く女、朝立ちして、四、五年帰らぬおとこを待つ女の心情――心におかしきところ。

 

 

(題しらず)             (よみ人しらず)

かぎりなき雲井のよそにわかるとも 人を心にをくらさむやは

(詠み人知らず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)

かぎりなく遠い雲居のよそにて別れても、君を、わが心に遅らせるでしょうか、いつも後から付いてゆくでしょうが……限りなき情愛のおんなが、よそよそしく君が別れても、貴身をわが心に遅らせるでしょうか、いつも後から付いて逝くでしょうが)。

 

「かぎりなき…際限が無い」「雲…大空の雲…煩わしくも心に湧き立つ情欲など」「ゐ…居…在る…井…おんな」「よそ…他所…程遠いところ」「人を…男を…男の貴身を」「おくらす…遅らせる…連れていかない…捨て置く」「む…推量を表す…意志を表す」「やは…反語の意を表す…でしょうかいやそうではない」。

 

遠い国に行く人との別れの心情――歌の清げな姿。

おんなの雲居とは程遠いところで、別れ逝くおとことへの思い――心におかしきところ。

 

匿名の歌は、女房女官から募集すれ百首ぐらいすぐに集まるだろう。男どもには言いたいことが山ほどあります、千首なりとも今から詠んで見せますわと言う女人もいるだろう。編者はあらかじめこの手の歌を集め持っている。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (365)立わかれいなばの山の峰におふる

2017-12-19 19:13:34 | 古典

            

                       帯とけの「古今和歌集」

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、「言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)」を心得るべきである。さらに、藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

題しらず              在原行平朝臣

立わかれいなばの山の峰におふる 松としきかば今かへりこむ

題知らず                (ありはらのゆきひらのあそん・業平の兄・因幡国守)

(たち別れ、去り行けば・因幡の山の峰に生える、松・貴女が待つと聞けば、今にも帰って来るつもりだよ……立ったまま、別れゆくので、山ばの峰に、感極まる女待つと聞けば、今すぐ返ってくるよ)。

 

「立…たち…接頭語…立ち(伏してはいない)」「いなば…因幡…所の名…名は戯れる…去れば…去り行くので」「山…山ば」「おふる…生える…ものごとが極まる…感極まる」「松…木であるが例外として言の心は女…言の心を心得よという貫之は土佐日記で、松と鶴(鳥=女)は昔から友達だとか、最後には、わが亡き女児を小松に喩えて、言の心を教示している」「かへり…帰り…返り…(山ばへ)とって返す」。

 

因幡国へ赴任の、おかし味を添えた挨拶――歌の清げな姿。

複数いる妻の中には、他の国へ行かない人もいる、そんな妻への別れの挨拶――心におかしきところ。

 

業平に負けない、強烈なエロス(生の本能・性愛)の表現である。このような歌に返歌出来る女人はいないだろう。その代わりに、この歌の後には「よみ人しらず」の匿名で詠まれた女歌が二首置かれてある。明日紹介する。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


古典和歌のほんとうの解釈に必要なことを気付いたままに記す。その2

2017-12-18 21:05:13 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                     ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

古今和歌集巻第七の終りに、古典和歌のほんとうの解釈に必要なことを気付いたままに記す。その2である。前は抽象的な言葉で、国文学を嘲笑したことを反省して、貫之の歌を一首とりあげて説明する。

 

『拾遺和歌集』巻第四 冬


     題しらず              つらゆき

思ひかね妹がり行けば冬の夜の 河風さむみ千鳥鳴くなり

(思いに、堪えかねて、恋人の許へ行けば、道中・冬の夜の川風寒くて、千鳥が鳴いているのが聞こえる……思いに、堪えかねて、恋人の許へ行けば、宿で・冬の夜のおんなの心風寒々として、女は侍女ともども泣いているのが聞こえる)。

 

「河…川…言の心は女…おんな(そう心得るべきことで理由はない)」「千鳥…鳥の言の心は女(平安時代の人はそう心得ていたことで理由はない)…群れている小鳥…複数の女たち」「風…心に吹く風」。

言の心を知れば、誰でも、歌を上のように聞く事ができる。

 

 

明治三十年ごろ、正岡子規は「貫之は下手な歌詠みにて、『古今集』はくだらぬ集に有之候」と、貫之の歌と古今集の歌を全否定したが、或る人にこの歌は如何ですかと問われ、「この歌ばかりは趣味ある面白き歌に候」と言ったという。子規自身は、この歌をどのように聞き取ったかは不明であるが、明治の国文学的解釈に準じた解釈だっただろう。現在の古語辞典に「恋しい思いに耐えきれず、愛する人の許に訪ねて行くと冬の夜の川風が寒いので、千鳥も寂しそうに鳴くのが聞こえるよ」とあり、また或る書「――千鳥もわびしそうに鳴くのが聞こえる、思慕の情と千鳥の鳴き声が通い合う」とある。明治時代も大差なかっただろう。


 『拾遺集』には、この歌の後に「よみ人しらず(女が匿名で詠んだと聞く)」の歌が数首並べられてある。それらには、女が泣いていた理由がはっきり詠まれてある。その一首、

夜を寒み寝覚めて聞けばをし鳥の うらやましくもみなるなるかな

(夜が寒いので寝覚めて聞けば、をし鳥が、うらやましくも、見為り身成るかな……)、わたしは今宵も独り捨て置かれていると、おんなは泣いていたのである。

 

「をしどり…夫婦仲の好い鳥…夫婦仲のよい女」「鳥…言の心は女」「見為る…まぐあいなる」「身成る…身は山ばに成る」「かな…詠嘆の意を表す」。

 

(拾遺和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)