帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (374)相坂の関し正しき(375)唐衣たつ日は聞かじ

2017-12-28 19:52:55 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                     ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、「言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)」を心得るべきである。さらに、藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

逢坂にて人を別れける時によめる   難波万雄

相坂の関し正しき物ならば 飽かずわかるゝきみをとゞめよ


     (逢坂で人に別れた時に詠んだと思われる・歌……合坂で女に別れた時に詠んだらしい・歌)(なにはのよろずを・伝不詳)

(逢坂の関が、まさに人と出逢うところならば、思い残したまま別れる君を止めよ……合坂の関が、まさに女と合う山坂ならば、厭きていないのに、離別してしまうわが貴身を、止めてくれよ)。

 

「相坂…逢坂…関の名…名は戯れる。出逢う坂、合うやま坂、山ば合致するところ」「まさしき…将に…正当な」「あかず…飽かず…飽き満ち足りず…思いを残したまま」「きみ…君…貴身…を…おとこ」「とどめよ…留めよ…止めよ」。

 

逢坂の関の名にちなんで、惜別の情を表した――歌の清げな姿。

合坂の山ばで、おんなと離別するおとこの心情――心におかしきところ。

 

 

題しらず           よみ人しらず

唐衣たつ日は聞かじ朝露の おきてしゆけば消ぬべきものを

この歌は、ある人、司を賜りて、新しき妻につきて、年経て住みける人を捨てて、たゞ明日なむ立つとばかり言へりける時に、ともかうも言はで、よみて遣はしける。

 

(題知らず)           (よみ人知らず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)

(唐衣、裁断する・出立つする、日は聞くつもりはない、朝露のように置き去りにすれば、美しい色彩も消えるべき物なのに……色情豊かなこの心身、断つ日は聞くつもりはない、浅はかなおとこ白つゆが、わたしを・置き去りにすれば、この色情、消えてしまうのに、あゝ)。

(この歌は、或る男、司を賜わって、新しい妻に付き、年経て住んでいた妻を捨てて、たゞ明日だなあ出立するとだけ言ったときに、何とも言わず、詠ん遣ったという)。

 

「唐衣…色彩豊かな女の上着…色情豊かな心身」「衣…心身を被うもの…心身の換愈…身と心」「朝露…浅つゆ…浅はかなおとこ白つゆ」「の…のように…比喩を表す…が…主語を表す」「ものを…のに…ので…詠嘆の意を表す」。

 

唐衣と朝露で、縁を断たれ、消え去られる悔しさを表した――歌の清げな姿。

色情豊かなわが心身、あさはかなおとこ白つゆで、捨て去られるおんなの心情を表した――心におかしきところ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)