帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (376)朝なけに見べき(377)えぞ知らぬ今心見よ

2017-12-29 19:35:02 | 古典

            

                        帯とけの「古今和歌集」

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、「言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)」を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

常陸へまかりける時に、藤原公利に、よみて遣は

しける                  

朝なけに見べききみとしたのまねば 思立ぬる草まくらなり

(作者が・常陸へくだって行った時に、藤原公利に詠んで遣った・歌……捨て去って・常陸へ赴任した時に、藤原公利に詠んでやった・歌) (寵・うつく・ちょう・女の仮名と聞く)

(朝も昼も見られる君とは頼みにできないので、思い断ち・思い立った旅なのよ……浅なげに・薄情そうに、見るにちがいない君だし、頼みにしないので、思い断ってしまった、旅立ちよ)。

 

「朝なけに…朝に昼に…いつも…浅なげに…薄情な気配で」「見…お目にかかること…覯…媾…まぐあい」「たのまねば…頼ばねば…頼りしないので…信頼しないので」「思立…思い立つ…思い断つ」「ぬる…ぬ…完了した意を表す」「くさまくら…草枕…旅(草枕の言の心か、戯れの意味かは別にして、このような意味があることを心得ないと歌は解けない)」。

 

父の赴任地へ行く・君に頼れないので、思い立った旅よ――歌の清げな姿。

浅い情で、わたしを見る貴身、頼りないので、思い断った、女旅よ――心におかしきところ。

 

 

紀宗定が東へまかりける時に、人の家に泊まりて、

あか月出で立つとて、まかり申しければ、女のよ

みて出だせりける        よみ人しらず

えぞ知らぬ今心見よ命あらば われや忘るゝ人や訪はぬと

(紀宗定が東国へ赴任する時に、他の女の家に泊まって、明け方出立すると、使いの者が・言って来たので、女が詠んで差し出した・歌)(よみ人しらず・匿名で詠んだ女の歌と聞く)

(知り得ないこと、いま、君の心をみなさいよ、命あるかぎりわたしが君を忘れるか、忘れはしない、男がわたしを訪わなくなったと・わかるでしょう……枝ぞしらぬ・貴身の小枝など知らない、井間の情を見なさいよ、わが井間が貴身をわすれるか、貴身が訪問しなくなったか・見ればわかるでしょう)。

 

 「え…得…枝…男の身の枝…おとこ」「今…すぐに…井間…おんな」「心…情」「見…目で見ること…覯…媾…まぐあい」「や…反語の意を表す…疑問の意を表す」。

 

いますぐ、おのれの心を見よ、わたしが君を忘れたのか、君が訪れなくなったのか・明らかでしょう――歌の清げな姿。

貴身の枝は知らない、わが井間をみてみよ、命ある限りは、わたしが貴身を忘れるかどうか、貴身がおと擦れなくなったか・わかるでしょうよ――心におかしきところ。

 

両歌とも、女の的確で強烈なしっぺ返し。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)