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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。
貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、「言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)」を心得るべきである。さらに、藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も。
古今和歌集 巻第八 離別歌
(題しらず) よみ人しらず
すがる鳴く秋のはぎはら朝たちて 旅行人をいつとか待たむ
(詠み人知らず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)
(蜂のなく秋の萩原、朝出立して旅ゆく男を、帰リは・いつと思って待つのでしょうか……とりすがり泣く女、厭きの端木はら・山ば無し、朝立ちて度々旅にて逝く貴身を、わが許へ帰るのは・いつと思って待つのでしょうか)。
「すがる…蜂…鳴く(羽音立てる)虫の言の心は女…寄り付く…とりすがる」「秋…飽き…厭き」「はぎ…萩…端木…おとこ」「原…山ばではない…ひら野」「たち…立ち(伏していない)…出立…断ち…絶ち」「旅行く…度逝く…何度も逝く」「人を…男を…おとこ」「か…疑問の意を表す」。
秋の朝、出立つ旅人を見送る心情――歌の清げな姿。
とりすがり泣く女、朝立ちして、四、五年帰らぬおとこを待つ女の心情――心におかしきところ。
(題しらず) (よみ人しらず)
かぎりなき雲井のよそにわかるとも 人を心にをくらさむやは
(詠み人知らず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)
(かぎりなく遠い雲居のよそにて別れても、君を、わが心に遅らせるでしょうか、いつも後から付いてゆくでしょうが……限りなき情愛のおんなが、よそよそしく君が別れても、貴身をわが心に遅らせるでしょうか、いつも後から付いて逝くでしょうが)。
「かぎりなき…際限が無い」「雲…大空の雲…煩わしくも心に湧き立つ情欲など」「ゐ…居…在る…井…おんな」「よそ…他所…程遠いところ」「人を…男を…男の貴身を」「おくらす…遅らせる…連れていかない…捨て置く」「む…推量を表す…意志を表す」「やは…反語の意を表す…でしょうかいやそうではない」。
遠い国に行く人との別れの心情――歌の清げな姿。
おんなの雲居とは程遠いところで、別れ逝くおとことへの思い――心におかしきところ。
匿名の歌は、女房女官から募集すれ百首ぐらいすぐに集まるだろう。男どもには言いたいことが山ほどあります、千首なりとも今から詠んで見せますわと言う女人もいるだろう。編者はあらかじめこの手の歌を集め持っている。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)