帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (366)すがる鳴く秋の (367)かぎりなき雲井の

2017-12-20 19:13:20 | 古典

          

                    帯とけの「古今和歌集」

                 ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、「言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)」を心得るべきである。さらに、藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌


(題しらず)             よみ人しらず

すがる鳴く秋のはぎはら朝たちて 旅行人をいつとか待たむ

(詠み人知らず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)

(蜂のなく秋の萩原、朝出立して旅ゆく男を、帰リは・いつと思って待つのでしょうか……とりすがり泣く女、厭きの端木はら・山ば無し、朝立ちて度々旅にて逝く貴身を、わが許へ帰るのは・いつと思って待つのでしょうか)。

 

「すがる…蜂…鳴く(羽音立てる)虫の言の心は女…寄り付く…とりすがる」「秋…飽き…厭き」「はぎ…萩…端木…おとこ」「原…山ばではない…ひら野」「たち…立ち(伏していない)…出立…断ち…絶ち」「旅行く…度逝く…何度も逝く」「人を…男を…おとこ」「か…疑問の意を表す」。

 

 

秋の朝、出立つ旅人を見送る心情――歌の清げな姿。

とりすがり泣く女、朝立ちして、四、五年帰らぬおとこを待つ女の心情――心におかしきところ。

 

 

(題しらず)             (よみ人しらず)

かぎりなき雲井のよそにわかるとも 人を心にをくらさむやは

(詠み人知らず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)

かぎりなく遠い雲居のよそにて別れても、君を、わが心に遅らせるでしょうか、いつも後から付いてゆくでしょうが……限りなき情愛のおんなが、よそよそしく君が別れても、貴身をわが心に遅らせるでしょうか、いつも後から付いて逝くでしょうが)。

 

「かぎりなき…際限が無い」「雲…大空の雲…煩わしくも心に湧き立つ情欲など」「ゐ…居…在る…井…おんな」「よそ…他所…程遠いところ」「人を…男を…男の貴身を」「おくらす…遅らせる…連れていかない…捨て置く」「む…推量を表す…意志を表す」「やは…反語の意を表す…でしょうかいやそうではない」。

 

遠い国に行く人との別れの心情――歌の清げな姿。

おんなの雲居とは程遠いところで、別れ逝くおとことへの思い――心におかしきところ。

 

匿名の歌は、女房女官から募集すれ百首ぐらいすぐに集まるだろう。男どもには言いたいことが山ほどあります、千首なりとも今から詠んで見せますわと言う女人もいるだろう。編者はあらかじめこの手の歌を集め持っている。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)