帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第七 賀歌 (343)わが君は千世に (344)わたつうみの浜の

2017-12-01 19:23:51 | 古典

            

                         帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、「言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)」を心得るべきである。

 

古今和歌集  巻第七 賀歌343

 

題しらず             よみ人しらず

わが君は千世にやちよにさざれ石の 巌となりて苔のむすまで

(題知らず)              (詠み人知らず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)

(わたしの夫君は、千世に八千世に・歳を重ねられませ、さざれ石が巌となりて苔の生えるまで……わたしの貴身は、千夜に八千夜に、細石が大きな岩石となって・細いわたくしが盤石となって、苔のむすまでね)。

 

「わが君…わがは所有や所属を表し、君は第二人称…わたしの夫君…わたしの貴身…わがおとこ」「千世…千夜」「八千世…八千夜…8,000夜…約二十二年…(四十歳に加えること)二十数歳」「石…言の心は女」「巌…盤石…常磐なる女」。

 

「わが君は」が後の世に「君が代は」となり、国歌となるが、この歌の作者や平安時代の人々の思いとは無関係である。

 

夫君の四十歳を妻君が祝い、その長寿は、細石が・細いわたしが、巌なって苔むすまでもと願う――歌の清げな姿。

わたしの貴身は、千夜に八千夜に元気で居てね、なよなよとしたわたしが盤石となって苔が生えるまでよ――心におかしきところ。

 

夫君の四十歳の祝賀の、妻君の歌のようである。

 

 

古今和歌集  巻第七 賀歌344

 

(題しらず)          (よみ人しらず)

わたつ海の浜の真砂をかぞへつゝ 君が千年のあり数にせむ

(題知らず)            (詠み人知らず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)

(わたつ海の浜の真砂を数えながら、君が千年の存命の在り数にするわ……限りなくつづく女の端間の、真さ御の望む数を、かぞえつつ、限りなく元気な・貴身の千歳の有り数にするわ)。

 

「わたつ海の…神の海の…限りなきものの」「海…言の心は女」「浜…言の心は女…はま…端間…おんな」「まさご…真砂…数限りなきもの…真の御の…ほんとうの女の」「ご…御…婦人の敬称」「君…夫君…貴身」「あり…有り…在り…存在…存命」。

 

限りなく続く海の浜辺の砂の数を数えながら、夫君の存命の歳の数にする――歌の清げな姿。

限りない女の端間の、まさごの数をかぞえつつ、貴身の千年の存命の数にするわ――心におかしきところ。

 

二首とも、妻君が夫君の貴身の長寿を願う歌のようである。

 
 (古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)