帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (365)立わかれいなばの山の峰におふる

2017-12-19 19:13:34 | 古典

            

                       帯とけの「古今和歌集」

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、「言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)」を心得るべきである。さらに、藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

題しらず              在原行平朝臣

立わかれいなばの山の峰におふる 松としきかば今かへりこむ

題知らず                (ありはらのゆきひらのあそん・業平の兄・因幡国守)

(たち別れ、去り行けば・因幡の山の峰に生える、松・貴女が待つと聞けば、今にも帰って来るつもりだよ……立ったまま、別れゆくので、山ばの峰に、感極まる女待つと聞けば、今すぐ返ってくるよ)。

 

「立…たち…接頭語…立ち(伏してはいない)」「いなば…因幡…所の名…名は戯れる…去れば…去り行くので」「山…山ば」「おふる…生える…ものごとが極まる…感極まる」「松…木であるが例外として言の心は女…言の心を心得よという貫之は土佐日記で、松と鶴(鳥=女)は昔から友達だとか、最後には、わが亡き女児を小松に喩えて、言の心を教示している」「かへり…帰り…返り…(山ばへ)とって返す」。

 

因幡国へ赴任の、おかし味を添えた挨拶――歌の清げな姿。

複数いる妻の中には、他の国へ行かない人もいる、そんな妻への別れの挨拶――心におかしきところ。

 

業平に負けない、強烈なエロス(生の本能・性愛)の表現である。このような歌に返歌出来る女人はいないだろう。その代わりに、この歌の後には「よみ人しらず」の匿名で詠まれた女歌が二首置かれてある。明日紹介する。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)