帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (九十六) 入道前太政大臣 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-04-09 19:40:43 | 古典

             



                                    「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 「百人一首」の和歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観に従って、歌の「表現様式」を知り「言の心」を心得て、且つ、歌言葉は「浮言綺語に似て」意味が戯れることも知って、和歌を聞けば、
「心におかしきところ」や「言の戯れに顕れる深い主旨・趣旨」が心に伝わる。ものに「包む」ように表現されてある。

和歌は、俊成の言う通り「煩悩」、言い換えればエロス(性愛・生の本能)が表現されてある。歌言葉の戯れを利して、「清げな姿」の裏に、貫之のいう「玄之又玄」なる情態で秘められてある。今の人々は、一義な国文学的解釈に久しく連れ添い、離れ難いでしょうが、そろそろ、平安時代の和歌の文脈に一歩足を踏み入れてみれば、和歌の真髄が心に伝わるはずである。


 

藤原定家撰「小倉百人一首」 (九十六) 入道前太政大臣

 
   (九十六) 
花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわがみなりけり

(桜花、散り・誘う、嵐の庭の、花吹雪ではなくて、古り行くものは我が身であることよ……おとこ花を誘う、山ばの荒い心風の丹端が、逝きならず、振り逝くものは、我が身だったなあ)

 

言の戯れと言の心

「花…木の花…梅花・桜花…男花…おとこ花」「さそふ…誘う…うながす…つれてゆく」「あらし…荒し…嵐…山ばで心に吹く激しい風」「には…庭…家庭…女…ものごとが行われるところ…丹端…赤土色の身の端」「の…所在を表す…主語を示す」「ゆき…雪…花吹雪…逝き…白ゆき」「ならで…ではなくて…成らずに…(願い通り山ばの頂上に)成れずに」「ふり…降り…古り…老い…振り」「ゆく…行く…逝く」「み…身…見…身の端」「なりけり…であったなあ…成りけり…(逝けに成ることに)なったなあ」。

 

歌の清げな姿は、鎌倉幕府の世に京の天皇家と摂関家は、嵐の花吹雪の情況であったが、見事に渡たりきった人の述懐。

心におかしきところは、丹端の嵐に、和合ならぬ、おとこの老境。

 

新勅撰和歌集(新古今和歌集の次、第九代目の勅撰集である。後堀河天皇の御下命、藤原定家撰)雑歌一、「落花をよみ侍りける」

藤原公経(ふじはらのきんつね)は、従一位太政大臣。親鎌倉幕府派の人。


 

この歌の、現代の古語辞典の解釈を聞く。手許にある古語辞典は「桜の花を誘って散らす嵐の吹く庭は、雪が降ったようであるが、ふりゆくのは雪ではなく、歳老いた我が身なのだなあ」、「降り」に「古り」を掛ける。「華やかな落花の景の前に、我が身の老いを自覚しての歌」。

別の古語辞典は「花を誘って散らせる強い風の吹く庭にふるのは、花吹雪ではなく古くなって年をとって行く私の身であることよ」。「ふり」は「降り」と「古り」の掛詞。

他の参考書も大差ないだろう。国文学は、歌の「清げな姿」を、歌の全てであるかのように捉えた。平安時代の和歌を、当時の「歌の様式」を知らず、言の心(その文脈で通用していた意味)を心得ず、歌言葉は思う以上に戯れていることも知らず、自らの文脈に誘いこんで、その俎上で解釈した結果である。

和歌は「心におかしきところ」のない、煩悩の顕われない(エロスの顕われない)歌に、貶められたままである。